謎の国々は実在したか?(13) ~ まとめ

さて、ここまで12回にわたって、三国志魏志倭人伝に出てくる「侏儒(しゅじゅ)国」「裸(ら)国」「黒歯(こくし)」国について、いろいろ推測してきました。その結論は、「侏儒国」とは、高知県足摺岬近辺にあった国、「裸国」「黒歯国」とは、南米エクアドルにあった国であり、古代日本人は、「侏儒国」から舟で太平洋を渡り、たどり着いたこと、さらには、そこから日本に戻ってきた人々もいたのではないか、と推測しました。話が多岐にわたっているので、ここでまとめます。


■中国史書「三国志魏志倭人伝」に、”
女王国から東へ千里ほど海を渡ると、また国がある。みな倭と同じ人種である。その南に侏儒国(しゅじゅこく)がある。身長は、三、四尺である。女王国から四千里ちょっと離れている。さらに裸国(らこく)、黒歯国(こくしこく)があるが、どれも東南にあたる。一年も航海すれば、たどりつけるだろう。との記載がある。


■侏儒国(侏儒=小人)は、高知県足摺岬近辺にあった国。巨岩遺跡で知られる「唐人駄馬(とうじんだば)遺跡」がある。巨岩に太陽光を反射させるやり方で、航行中の舟のため灯台の役目を果たしていたのではないか?


■侏儒国から黒潮に乗って、南東に舟で半年ほで行くと、「裸国」「黒歯国」がある。そこは、エクアドルに当たる。


■古代人が舟で太平洋を横断できることは、数々の事例と証拠がある。


■エクアドルに、縄文土器と似た土器が出土していることもその一つ。


■南米アンデス先住民の血液から、日本人と同一系統のHTLV-1ウイルスが検出された。さらに、チリ北部に埋葬されたミイラから、アイヌ民族と同じ系統のウイルスが検出された。


■また、南米北中部のモンゴロイドミイラおよび体外の糞石(糞の化石)から、日本列島に多い寄生虫(コウチュウ)の卵が発見された。コウチュウは、摂氏22度以下では死滅する。したがって、縄文人が、日本を北上してベーリング海を渡ってくることはできなかったはずである。


■裸国とは、”裸で生活する人々の国”の意味であり、100年ほど前までそのような民族がいた。黒歯国は、”歯を黒く染める風習のある国”の意味であり、現在でもその風習をもっている民族はいる。


■中国古代史書「海賦(かいふ)」に、古代日本(倭国)から裸国、黒歯国へ行き、また倭国に戻ってくる、という記載がある。


■日本で産卵して孵化したアカウミガメは、黒潮に乗って、北米カリフォルニア沖まで泳ぎ、そこで成長して、また日本に戻ってくる。このルートは、古代日本人の太平洋横断想定ルートとほぼ同じである。

■「裸国」「黒歯国」の末裔は、その後インカ帝国に征服されるが、文明は継承されて、現在にも伝わっている可能性はある。


いかがでしょうか?。このように考えてくると、”古代日本人の太平洋横断”という説は、一笑に付すべき説ではないという気がしてくるのではないでしょうか?。今後また、さまざまなデータが出てくるでしょうから、それらを基にした科学的検証に期待したいところです。


<古代日本人の太平洋横断想定ルート>・・・読者の皆さんは、どちらのルートだったと考えますか?。

 古代日本人横断ルート

以上で、「謎の国々は実在したか?」は、終わりです。


今回、古代日本人が南米まで渡った話をしました。また以前には、倭人は古代中国や朝鮮半島から来た、という話もしました。つまり、”日本人は、遠いはるかな古代から日本列島に住んでいて、海外との交流もなく現代にいたっている”ということでははなく、
”海外とのダイナミックな移動を繰り返して、日本人を形成し、またさらに海外にも出て行った”
ことがわかります。


では、そもそも日本人は、どこからやってきたのでしょうか?。その謎について、次回からみていきます。


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謎の国々は実在したか?(12) ~ 「裸国」「黒歯国」とインカ帝国の関係とは?

ここまで古代日本人が、太平洋を舟で渡り、南米エクアドルにあった「裸(ら)国」「黒歯(こくし)国」までたどり着いていたことを、検証してきました。

「裸国」「黒歯国」は、三国志魏志倭人伝に記載されている国ですから、日本で言えば「邪馬台国」の時代、すなわち、紀元3世紀頃にあった国と推定されます。

ここで、エクアドルの歴史をみてみましょう。

縄文土器と似ている土器を作っていたのは、バルディビア文化(紀元前4000年-同1500年頃)ですが、その後マチャリーリャ文化、チョレーラ文化などを経て、地方発展期(紀元前300年-紀元700年頃)には、階層社会や祭祀センターなどが成立しました。
「裸国」「黒歯国」は、この時代の国のことと考えられます。
紀元700年から16世紀半ばまでは統合期と呼ばれ、サランゴと呼ばれる強力な首長を戴いた首長制社会が成立していたことがスペイン人の残した記録から明らかになってます。最終的に15世紀後半にタワンティンスーユ(インカ帝国)の皇帝 トゥパク・インカ・ユパンキによって征服されました。後にインカ帝国は、北はエクアドルとコロンビアとの国境、南はチリ北部にいたる南北4000kmを支配するまでの大帝国になりました。

つまり、「裸国」「黒歯国」は、最終的に、インカ帝国に征服された、ということになります。


インカ帝国と言えば、最近は、マチュ・ピチュ遺跡がよく話題になりますね。天空都市として有名で、世界遺産にも登録されてますが、何のために作られたのかは、皇帝の離宮あるいは宗教施設など、諸説あります。

<マチュ・ピチュ遺跡>
マチュ・プチュ遺跡  
 
<インカ帝国末裔とされるケチュア族>
ケチュア族(インカ)  
                          (Wikipediaより)


さて、「裸国」「黒歯国」の末裔は、最終的にインカ帝国に征服されたわけですが、それとともに「裸国」「黒歯国」の文明は消えてしまったのでしょうか?。


ここからは推測になりますが、彼らの文明は、何がしかの形で、インカ帝国に引き継がれていった可能性はあります。


その痕跡はあるのか?、ですが、いくつか挙げることができます。


一つ目は、現地の言葉です。

インカ帝国の中心はペルーですが、ペルーの南、ボリビアとの境に「チチカカ湖」という大きな湖があります。この名前が、古代日本語の影響を受けているのではないか?、との説があります。


「ああ、それなら聞いたことがあるよ。「父母(チチハハ)湖」でしょ。」

との声が聞こえてきそうですが、残念ながらそうではありません。


古田氏の説によれば、古代日本語では、「チ」とは、”(古い)神様”を表すといいます。確かに、古代日本語には、「チ」のつくものが多いですね。大国主命の別名である「オオナムチ」、スサノオノミコトが退治した「ヤマタノオロチ」などです。

また、「カ」とは、”神聖な水”を表すといいます。「河」「川」の「カ」です。


”「チチ」も「カカ」も、南方型の言語に多いダブリ表現で、これを合わせたものが「チチカカ湖」だ”,との説です。つまり、「チチカカ湖」とは、「神聖な神の水」となります。


これは、つじつまを合わせるために作った説ではなく、前々から古田氏が唱えていた説でした。その後、実際に現地調査に行ったところ、なんと原住民のアイマラ族の言葉で、「チチカカ湖」とは、「太陽の神から授かった神聖な水」との意味だということがわかりました。

現地調査では、他にも共通すると思われる言葉が、見出されました。


これは、単なる偶然でしょうか?。


もうひとつ、根拠を挙げます。


インカ帝国は文字文化をもちませんでした。その代わりに、、キープと呼ばれる結び縄による数字表記が存在し、これで暦法や納税などの記録を行いました。さらに、このキープが、言語情報を含んでいることがわかってきました。


<キープ>

キープ

                (Wikipediaより)

キープは紐の結び目の形で数を表現するため、「結縄(けつじょう)」とも呼ばれています。

この「結縄」ですが、古くから日本にあるものです。

”「結縄」は、中華民族の始祖とされる伝説の伏羲が行ったとされ、日本列島では、沖縄や房総半島や北海道で昭和時代まで使われていた。沖縄では、琉球王国時代から徴税事務や日常活動において数量を数える表示・記録の手段として用いた。沖縄では結縄を「ワラザン」「バラザン」などと称し、単位を区別するために紐には太さや材質の異なる複数の藁を用いた。この制度は琉球処分後も継続された人頭税が廃止される1903年まで継続された。”(Wikipediaより)


また、日本の縄文土器についても、複雑につけられた縄目の模様が、製作者の芸術的センスのみでつけられたのではなく、ある種の数字や記号を表している、との説が唱えられています。


キープと同じ発想ですね。

はたして、このように似たような方式が、太平洋を隔てた東側(南米)と西側(日本)に存在しているのは、なぜでしょうか?。たまたま偶然、同じようなやり方を、それぞれの先祖が思いついたのでしょうか?。

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謎の国々は実在したか? (11)~ 古代人が太平洋を渡った理由とは?

ここまで古代日本人、特に縄文人が太平洋を舟で渡ったという説について、みてきました。もちろん、賛否両論あることは充分承知しています。しかしながら、もろもろの証拠をみていくと、決して、一笑に付すことはできないと思いますが、いかがでしょうか?。

さて、実は最後に残った課題があります。

”縄文人は、何のために、太平洋を舟で渡ったのか?”
です。

私たちが歴史の教科書で習った縄文時代とは、”気候が温暖で、家族を中心とした小さい集団が、狩猟採集をしつつ移動しながら生活していた。激しい戦いもなく、土器など作りながら、平和に暮らしていた。”みたいなものだったと記憶してます。もっともこれも、最近では、大きく変わってきていますが・・・。

それはさておき、そのような生活をあえて捨てて、なぜ、太平洋を舟で渡るという、命を懸けた試練に立ち向ったのでしょうか?。そこには、大きな理由があるはずです。その理由とは、何でしょうか?。

同じ問題提起が、当初、メガーズ博士が、「縄文人太平洋横断説」を唱えた時にも出されました。皆さんは、どのように考えますか?。

その答えのキーが、「火山」です。

歴史的にみると、現在の日本の火山は、「静穏期」にあります。たしかに首都圏に住んでいると、富士山も、1707年の宝永噴火から300年以上も噴火していないなど、自分たちの生活に火山が大きく関わるという意識が希薄かもしれません。

しかしながら、ここ数年、日本の火山活動が活発になっているようです。御嶽山や口永良部島などの噴火があったのは記憶に新しいですし、つい先日も、阿蘇山が噴火しました。

日本は、火山列島であり、有史から何度も、破局的と言っていいくらいの巨大噴火を繰り返しています。そのなかで、縄文文明に大きな影響を及ぼしたと考えられている噴火があります。それは、「鬼界カルデラ噴火」です。

「鬼界カルデラ」とは、薩摩半島から約50km南の大隅海峡にあるカルデラです。過去何度も噴火していますが、そのなかで7300年前に起こった噴火があります。

”噴出量170km3(過去1万年間に地球上で発生した噴火としては最大規模)、広域テフラ鬼界アカホヤ火山灰を放出。
噴火規模は1991年6月3日雲仙普賢岳の約1,000倍、同時期のピナトゥボ山の10 - 15倍と言われており、完新世における地球上最大の噴火。”
”鬼界アカホヤ火山灰は、九州南部・東部、四国、本州瀬戸内海沿い、および和歌山県で20cm以上あり、広くは朝鮮半島南部や東北地方まで、到達した。”

<鬼界カルデラ位置>
 鬼界カルデラ位置

<薩摩硫黄島>
薩摩硫黄島



<火砕流および鬼界アカホヤ火山灰の広がり>
鬼界カルデラ噴火 
(Wikipediaより)

この火砕流および火山灰により、鹿児島県の大隅半島・薩摩半島南部、屋久島に住む縄文人は、絶滅したと考えられています。また、九州の南半分や四国、紀伊半島南側に住む縄文人にも大きな影響を及ぼしました

辛くも絶滅を逃れた周辺(九州南部など)の縄文人は、どうしたでしょうか?。

たぶん、火山噴火や火砕流の恐怖におそれおののき、どこかへ逃れようとしたでしょう。そのなかには、舟で海上に出た人々もいたことでしょう。彼らのなかで、舟で通常の交易ルートであった黒潮に乗り、東北の方向へむかった人々もいたでしょう。

彼らが向かった先は、交易ルート上の、紀伊半島さらには関東や伊豆諸島方面だったと思われます。もちろん無事たどりついた人々もいたでしょうが、たどり着けずに、そのまま黒潮の流れに乗り、太平洋の海原へ出た人々もいたでしょう。そのなかに、南米エクアドルにたどり着いた人々がいたのではないか、と推察されます。

この大胆な仮説ですが、根拠はあるのでしょうか?。

それがあるのです。

エクアドルから出土した縄文土器に似ている土器ですが、実は様式が限られています。その様式に類似する日本の土器は、阿高式土器、曾畑式土器出水式土器、跡江貝塚遺跡出土です。その出土分布は、熊本県、宮崎県、鹿児島県北西部です。

<曾畑式土器>
曾畑式土器 

                            (熊本県宇土市観光情報サイトより)

つまり、”鬼界カルデラ噴火で、鹿児島県南部は壊滅的になり、縄文人も絶滅。その影響をのがれようとしたその北にあたる鹿児島県北部、熊本県、宮崎県に住んでいた縄文人が、舟で海上へ出て、やがてエクアドルにたどりついた。”、ということです。

もちろん、実際にたどり着いた縄文人は、そのなかのごくごく一部だったでしょう。それでも
長い年月をかけて数千~数万人の人々が舟で出たとして、そのうちの数パーセントの人がたどり着いたとしても、少なく見積もっても数百人以上はたどり着いた、という計算になります。それだけの人々であれば、いわば集団移住みたいなものです。遠い異郷の地とはいえ、そこに何がしかの影響を及ぼしたことは、容易に想像できます。

ここで、もうひとつ考えなければいけないことがあります。それは、鬼界カルデラ噴火は、約7300年前であり、エクアドル出土の土器の年代測定結果は、約5500年前であり、エクアドル出土の土器のほうが新しいことです。

これをどのように考えるかです。

まず、年代推定の問題があります。7300年前とか5500年前というのは、あくまで推定であり、推定方法により1000年単位でずれることは、よくあります。ただし、それでも二つの間隔が空きすぎている思います。

一つの仮説として、古田氏が、”人々の「恐怖体験」が大きな要因ではなかったか”、という説を挙げています。

鬼界カルデラ噴火により、周辺は1000年近くも人が住めない状態になったとされています。4400年前には鹿児島県大隅半島南端に位置している開聞(かいもん)岳の噴火もありました。その間、断続的に噴火もあったでしょう。こうした状況のなか、周辺に住んでいた縄文人たちは、かつての恐怖体験の言い伝えなどから、長い年月をかけながら少しずつ地域からの脱出を図った、というものです。そして彼らのなかに、太平洋を横断して、南米エクアドルにたどりついた人々もいた、ということです。

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謎の国々は実在したか?(10) ~ アカウミガメと浦島太郎

今回は、「カメ」の話です。何で突然「カメ」の話なの、と思った方もおられると思います。


侏儒(しゅじゅ)国、つまり現在の高知県足摺岬近辺の「唐人駄馬(とうじんだば)遺跡」のひとつに、「亀石」と呼ばれる巨石があることは、お話しました。その「亀石」は、単に"「カメ」の形をしていて面白いからそこに置いた"、といったことではなく、「祭祀」あるいは「信仰」の対象とされていたとみられています。つまり、古代日本の「カメ信仰」に基づいたものだったというわけです。


古代中国でも、亀の甲羅を火で焼き、その模様で占いをしました。その模様が、甲骨文字であり、やがて漢字に変化していきました。また、家を支える4本の柱の下に生きた亀を埋めると、その家は長く持つという風習もありました。今でも、ハワイでは、「カメ」は神様とされてます。


日本は、ウミガメそのなかでもアカウミガメの産卵地で知られています。北は、千葉・茨城の房総半島から、南へ、伊豆、静岡、三重、和歌山、徳島、高知、鹿児島、沖縄まで、産卵地です。アカウミガメは、温帯から亜熱帯地帯まで、広く分布します。

<アカウミガメ>

アカウミガメ

”アカウミガメは信仰の対象としてもしばしば用いられる。

長寿の象徴、卵を多く産むため子宝の象徴としても信仰されている。網の中にアカウミガメが迷い込んだとき、御神酒を掛け海に返すという風習が残っている地方もある。静岡県御前崎市漁業関係者の間では大漁、豊漁のシンボルとして敬愛され、死んだアカウミガメを供養した「亀塚」が市内各所に実在している。”(Wikipediaより)


ところで、ここ日本で産卵、生まれた「子カメ」は、どこに旅立つと思いますか?。


アカウミガメの生態については、まだわかっていないことが多いのですが、最近の研究により、日本で生まれたアカウミガメは、北太平洋海流に乗りアメリカ西海岸沖へ、さらにそこから南下してメキシコ沖で成長し、やがて北赤道海流に乗り、日本に帰ってくることがわかってきました。

親ガメになる確率は、5000分の1と言われており、たいへんな試練の旅ですね。しかし、それでも小さい体ながら、苦労に苦労を重ねて、太平洋を横断するわけです。

<アカウミガメの回遊ルート>

アカウミガメ回遊図

(NPO法人 屋久島うみがめ館HPより)

このルート、どこかで見ませんでしたでしょうか。


そうです。古代日本人が太平洋を舟で渡ったとした場合の想定ルートです。今のところ、日本で生まれたアカウミガメがエクアドル沖までたどりついたという調査報告はありませんが、途中までほぼ同じルートです。逆に言えば、さほど泳ぐ力がなく、潮の流れに任せて進むしかない「子カメ」でさえ、最終的には、アメリカ西海岸~メキシコ沖までにたどりつくことができるのですから、人間が乗った舟がたどりつくことも可能と言えます。


そして、そこで成長して大きくなったアカウミガメは、やがて西へ向かい泳ぎに泳いで、ついに生まれ故郷の日本に戻ってくるのです。親ガメとなってますから、この間、数十年が経過していると思われます。それまで生まれ故郷を忘れずにいて、やがて子孫を増やすために戻ってくるなど、ロマンを感じますね。


ところで、われわれ日本人に最もなじみ深い昔話のひとつに、「浦島太郎」があります。皆さんご存知の話ですが、

”浜でいじめられていた亀を助けたお礼に、亀の甲羅に乗って、竜宮城へ行き乙姫と出会い、楽しい暮らしを過ごします。やがて生まれ故郷に帰りたくなり、戻ってきますが、すでにそこは遠い未来の世界になっていた。自分の知っている人は誰もおらず、悲しくなった浦島太郎は、開けてはいけないと言われていた玉手箱を開けてしまいます。するとそこからもうもうと煙が出て、浦島太郎はおじいさんの姿になってしまった。”

というストーリーですね。


この話も、何の脈絡もなく、ただの思いつきで作られた、ということではなく、何がしかの伝承などを基に作られたのではないでしょうか?。


もしかすると、”昔々、ここ日本から舟に乗り、カメが黒潮に乗っていくルートで、南米エクアドルにたどりついた人がいた。見るもの、聞くものすべて新しく、しかも赤道直下の国なので食べる物も豊富にあり、とても過ごしやすく、楽しい日々を送った。そこで何十年もすごしたが、やはり生まれ故郷の日本に帰りたくなり、現地の人々に別れを告げて、舟で日本に向かった。ついに日本にたどりついたものの、時代はすでに変わっていて、知っている人は、誰もいなかった。”

という話が実際にあり、それが、「浦島太郎」という昔話となったのかもしれません。


そう考えると、なんとも壮大な話になりますね。皆さんは、どう考えますか?。

<浦島太郎絵図>

浦島太郎
                           (Wikipediaより)

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謎の国々は実在したか?(9) ~ 古代中国人が描いた裸国・黒歯国

前回まで、古代人が南米エクアドルへ行っていた可能性、しかも太平洋を舟で渡った可能性について、お話してきました。

さて、ここで疑問が湧いてきませんでしょうか?。
「三国志魏志倭人伝では、半年で裸(ら)国・黒歯(こくし)ーエクアドルに行ったというが、どうして半年で行ったことがわかるのだろう。行ったきりなら、わかるはずはないではないか。」
と。
つまり、裏を返せば、
「裸国・黒歯国へ行った人の中に、日本に戻ってきた人がいて、彼らから聞いた話を伝えているはずだ。」
ということです。

はたして、日本から舟に乗って太平洋を渡り、エクアドルにたどり着くだけでもたいへんなのに、さらにまた、そこから日本に戻ってきた、などということが、ありうるでしょうか?。

しかし、そうでなければ、魏志倭人伝の話は成立しません。

ここで、古代中国史書「文選(もんせん)」を紹介します。
「文選」とは
”、中国南北朝時代、南朝梁の昭明太子によって編纂された詩文集。全30巻。春秋戦国時代から梁までの文学者131名による賦・詩・文章800余りの作品を、37のジャンルに分類して収録する。隋唐以前を代表する文学作品の多くを網羅しており、中国古典文学の研究者にとって必読書とされる。収録作品のみならず、昭明太子自身による序文も六朝時代の文学史論として高く評価される。”(Wikipediayより)
とあり、中国の昔の官僚試験「科挙」受験者に必須とされ、唐の詩人杜甫は『文選』を愛読したと伝えられます。

そのなかに「海賦(かいふ)」があります。作者は木華で、西晋の楊駿府の主簿をしていました。三国志魏志倭人伝の著者陳寿(ちんじゅ、233-297年)と同じ時代を生きた官吏で、陳寿より中央に近い位置にありました。

以下、その一部ですが、みていきます。

【読み下し文(抜粋)】
・・・(略)・・・
若し其れ、穢(わい)を負(お)うて深きに臨み、
誓いを虚(むな)しうして祈りを愆(あやま)てば、
・・・(略)・・・
帆を決(やぶ)り橦(ほばしら)を摧(くだ)き
・・・(略)・・・
是に於て、舟人、漁子、南に徂(ゆ)き、東に極(いた)る。
或いは、黿鼉(げんだ)の穴に、屑没(せつぼつ)し、
或いは、岑㟼(しんごう)の峯に挂罥(けいけん)す。
或いは、裸人の国に掣掣洩洩し、
或いは、黒歯の邦に汎汎悠悠す。
或いは、乃(すなわ)ち萍流(へいりゅう)して浮転し、
或いは、帰風に因りて自(おのずか)ら反る。
・・・(以下略)・・・
【意訳(古田氏説参考)】
・・・(略)・・・
タブーを破った場合は、直ちに海神の怒りにあって海難に遭う
・・・(略)・・・
ここから舟に乗れば、ある程度、南方に赴き、やがて東に方向を転じ、その彼方の極点の地にいたる
とかげの穴がある
小石の多い、きりたった山の断崖が海岸に突き出していて、舟の難破をさそう
海流に乗り、風の進行に導かれると、裸の国と黒歯の国に至る
場合によると、浮草のように流れて浮き転じ、潮流からそれて他の方向へまぎれこんでしまい、永遠に帰ることはできず、ある場合には、うまく帰りの風と潮流に乗ずることができれば、自然にもとのところヘ反(かえ)ってくることができる

冒頭の、”若し其れ、穢(わい)を負(お)うて深きに臨み、 誓いを虚(むな)しうして祈りを愆(あやま)てば”をみて、「どこかで見た文章だな」と思った方は、かなりの古代史通でしょう。そうです、あの、三国志魏志倭人伝のなかに出てくる「持衰(じさい)」の話です。
その話とは、
かれらは、どこかへでかけたり、海を渡って中国へやってきたりするとき、ある一人だけを選んで、髪の手入れ、シラミをとること、衣服の洗濯、肉食、婦人に近づくことなどを禁じる。まるで、喪に服しているようである。この男を持衰(じさい)と呼んでいる。もし旅行がうまくいけば、人々は、この男に奴隷や財産を与える。しかし、病気になったり、なにかの損害を受けたりすれば、この男を殺そうとする。なにもかも、持衰の男が、身を慎まなかったせいだとするからである
aomatsu123.blog.fc2.com/blog-entry-17.html参照

いうものです。
そして、「舟で南に出て東に進むと、行き着く国がある」とあり、そこに至るまでの描写が続きます。
ここで、「黿鼉(げんだ)」という見慣れない言葉が出てきます。通常は、「ウミガメ」「ワニ」とされますが、「トカゲ」との説もあります。
考えてみると、南米には、「ウミガメ」「「トカゲ」が棲息していますし、ガラパゴス諸島には、有名な「ゾウガメ」や「イグアナ」がいるので、そのあたりを指しているのかもしれません。エクアドルには、「イグアナ公園」があり、多くのイグアナが飼育されてます。

<イグアナ公園のグリーンイグアナ>
イグアナ公園 
            (Wikipediaより)

「岑㟼(しんごう)の峯」
とは、「小石の多い、きりたった山」ですから、アンデス山脈を指している可能性があります。舟で海上から見れば、確かに切り立って、立ちはだかっているようにみえるでしょう。
そして、裸の国、黒歯の国にたどり着く、と言ってます。そして、最後に注目すべきことを言ってます。

”うまく潮流に乗らないと、遭難してしまうが、うまく帰りの風と潮流に乗ずることができれば、自然にもとのところヘ反(かえ)ってくることができる”と。

つまり、裸国、黒歯国へ行くこともできるし、さらにそこから帰ってくることもできる、と言っているのです。

これは、実際の海流の流れをみれば、理解できます。つまり、日本から、黒潮に乗り、北米大陸沖まで行き、そこからカリフォルニア海流に乗り南下すれば、エクアドルまでたどり着きます。帰りは、北赤道海流に乗れば、フィリピン沖まで行き、そこから黒潮に乗れば、日本の南西部にたどりつきます。


<海流図>

海流2
海流1 


これが、冒頭の疑問
「三国志魏志倭人伝では、半年で裸(ら)国・黒歯(こくし)ーエクアドルに行ったというが、どうして半年で行ったことがわかるのだろう。行ったきりなら、わかるはずはないではないか。」
に対する答えにもなります。

ところで、これで、一件落着といきたいところですが、そうは簡単には行きません。実は、この「海賦」は、一般的には、文学としてみられていて、現実世界のことを表現しているとは、みられていません。まして、「倭国」のことを書いていると見る人は、古田氏くらいです。ですから、この解釈についても、「また古田氏の古代ならぬ誇大妄想が始まった」と批判されるのが、せいぜいでしょう。

しかしながら、古田氏の説にも一理あるのです。「持衰」とみられる描写や裸国、黒歯国という具体的国名が、魏志倭人伝と一致していることは、上でお話しました。さらに、ここでは割愛してますが、邪馬台国の状況を描写していると思しき箇所もあります。

また、作者の木華は、陳寿と同時代の人
です。当然、陳寿の書いた魏志倭人伝を意識していたことでしょう。あるいは、逆に、陳寿が木華を意識していた可能性もあります。いずれにしろ、同時代人が、同じような描写をしているのですから、両者が、同じ「倭国」「邪馬台国」をテーマとしたと考えて、差支えないでしょう。

となると、「海賦」において、”古代日本人が、南米エクアドルまで行ったのみならず、そこから日本に帰ってきたことを表現している”との仮説の信憑性が高まりますね。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
2016年8月に出版しました。

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