謎の国々は実在したか?(5) ~ エクアドルに縄文土器が出た!?

さてここまでで、古代日本人が太平洋を舟で渡って、南米エクアドルにたどりつくことは、物理的には可能であることを、お話しました。

では、その証拠はあるのでしょうか。もし、それが事実であるなら、何がしかの痕跡が残っているはずです。

ここで、興味深い研究成果をご紹介します。アメリカ人学者クリフォード・エヴァンス、ベティー・メガーズ博士夫妻(アメリカ・スミソニアン研究所)、エクアドルのエストラーダ氏による研究です。

話は1960年代に遡ります。ヨーロッパ留学中に、考古学に興味をもったエストラーダ氏が、故国エクアドルに帰って、調査したところ、土中に、一種異様な土器、あのインカ時代の遺物とは異なる土器群に遭遇しました。そのうえ、ヨーロッパ留学時代に手にしていた図鑑類から、「縄文土器」と呼ばれる、遠国日本列島出土の土器との相似性に着目しました。これを、ペンシル大学同窓生の考古学者エヴァンス夫妻へ送り、協力を求めました。
夫妻は、ただちに日本へ飛び、各地に縄文の遺跡と土器に接し、「日本-エクアドル」間の縄文文化伝播という、前人未踏の新学説を樹立しました。
その学説は、1965年、スミソニアン博物館が世界に発信した学術報告書として公刊された「エクアドル沿岸部の早期形成時代ーバルディビアとマチュラ期ー」です。

バルディビアとは、エクアドルの都市ですが、そこで発掘されたのがバルディビア遺跡です。
エクアドル中部海岸にある初期採集漁労民文化の遺跡 (前 3000~2400頃) 。ここから発見された粗製の土器はアンデス文明最古の一つに数えられ,また日本の縄文土器との類似性が指摘されているが,直接の関係については疑問視する見解が強い。”
(コトバンク ブリタニカ国際大百科事典より)

土器は、九州熊本、鹿児島、宮崎、本州の一部から出土した縄文土器の文様と類似しています。熊本県では、阿高式土器や曾畑式土器と類似しています。また宮崎県では、跡江貝塚遺跡から出土した縄文土器と比較されました。
跡江貝塚遺跡とは、12000年前から6300年前まで続いた縄文土器文化です。実は、この6300年前に大きな意味があるのですが、それはいずれ、ということにします。

バルディビア土器には74種類の文様があり、跡江貝塚遺跡から出土した縄文土器の43種類のうちの25種類に同様の文様が確認されました。
   
<バルディビア土器と跡江貝塚遺跡の土器との比較写真>
バルディビア土器比較

           (ブログ「グループ・ニライカナイ」より)


<縄文土器(阿高式土器)>
阿高式土器

阿高式土器は,太形凹線文(ふとがたおうせんもん)と呼ばれる,曲線や直線を組み合わせた文様を,指先状のもので土器の上半部を中心に描いているものが多く,中には器全体に文様を描くものもあります。器形は深鉢が多く,まれに浅鉢がみられます。 時期としては、縄文時代中期から後半以降と考えられています。(以上、鹿児島県上野原縄文の森HPより)

さて、皆さんは、この研究結果に対して、どのような感想をもったでしょうか?。

「文様が似ていると言っても、文様の形、種類などたかが知れている。たまたま似ていたって、なんら不思議ではないのでは?」
と思われた方も、多いのではないでしょうか?。

事実、この研究結果は、従来の考古学界には容易には受け入れてもらえませんでした。
例えば、
「日本とエクアドルとの間に文化的、生態学的類似性があり、それが類似した発明の可能性を導いたのではないか」(ジョン・マラー)

これらに対して、エヴァンス氏は、多くの反論をしましたが、もっとも説得力のある反論は、以下のものでしょう。
「日本の貝塚から出土する壺のほうが、エクアドル出土のものより3000年位前に出土する。次に来たるべき幾千年の間に、容器の形は多様化し、模様づけはさらに変化した。そして地域的な違いとなって発達した。一方、エクアドル海岸の最も早い時期の壺は、すでに十分発達しきったものだ。」
つまり、"日本の縄文土器は、発達するのに数千年の歳月を要した。しかるにエクアドルの土器は突然現れた。これは、その時代に外から持ち込まれたと考えるほかない。"というものです。

考えてみればあの神々しいまでに美しく、また迫力ある縄文土器ができあがるまでに、気の遠くなるほどの時間を要したことは、想像に難くありません。"ある一人の天才的な縄文人が、ある日突然ひらめいて、土をこねて火で焼いて、あの形の縄文土器を発明した"と考える人はいないでしょう。"数えきれないくらい多くの人々が、代々にわたって土器を作り、使うなかで、少しづつ発達して、あの形になっていった”と考えるのが自然です。

しかるに、エクアドルの土器の場合は、その幾千年の流れがないまま突然出現したのですから、外からもちこまれたと考えるほかないわけです。そして、エヴァンス氏は、
”日本の縄文土器とエクアドルの土器が、同じ時代のものであること、日本海流(黒潮ー北太平洋海流)という形で、交通の可能性があること、縄文人が沿岸を離れて漁業に従事していたという証拠があること”などから、"縄文人が、太平洋を舟で渡って、縄文土器を伝えた"
との説を、主張しました。(「海の古代史」(古田武彦著)参照)

エヴァンス氏らの研究結果は、奇しくも、古田武彦氏の研究結果と、同じ結論になりました。ここで注目すべきは、両氏は、お互いの研究をまったく知らずに、同じ結果を導いたことです。エヴァンス氏は、エクアドル出土の土器の研究から、古田氏は、中国史書、「三国志魏志倭人伝」の解読からです。

はたし
て、この一致は、単なる偶然なのでしょうか?。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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