日本人はどこからやってきたのか?(11) ~ 遺伝子分析結果と史書との関係

ここまで、日本人がどこからやってきたのか、について、人類の誕生から始まり、アフリカから出て、シベリア方面、中国・朝鮮半島、沖縄方面など様々な地域から、長い時間をかけてやってきたことを、お話してきました。その旅は、私たちの想像をはるかに超える苦難を伴う旅であったと思われます。私たちのご先祖さまに対して、自然と敬意と感謝の気持ちが湧いてきますね。何と言っても、ご先祖さまがそうした困難に打ち克ち、日本列島まで来てくれたお蔭で、私たちがこのように生きていられるわけですから・・・。

ところで皆さんのなかには、このブログは途中までは中国史書や日本神話の話だったのに、なぜ突然、人類史のような大きな話になったのか、話が飛躍しすぎではないのか、という感覚をもたれている方もいるかもしれません。

実はここまで詳しくお話してきたのは、理由があります。もしかしたら、勘のいい方はすでに気づかれたかもしれません。

もし中国史書や日本神話に、この移動の痕跡が残っているとしたら、興味深いと思いませんか?。

では、みてみましょう。史書に残る記録としては、数千年前から、といったところでしょうから、その頃からです。数千年前からとなると、主にY染色体DNAのO系統の移動が対象となってきますので、その移動ルートを、まとめます。

日本渡来ルート(Y-O系統)

図に示した通り、O系統は、東南アジアから北へ移動します。時期は、8100年前と推定されてます(Jin et al.2003)。

ひとつは、O3系統で、中国黄河流域で繁栄しました。そして、5000年前から、今度は黄河流域から南へ移動したと推定されます。

もうひとつが、O2系統で、揚子江流域で繁栄しました。O2系統は、その後、揚子江流域から北と南へ移動を開始したと推定されます。その移動の要因は、O3系統の南下に伴う動乱によるものと考えられます。

移動したO2系統からO2b系統が分岐し(3300年前)、移動開始したのが2800年前と推定されてます(Jin et al.2003)。そのうち北へ移動したO2b系統の人々が、朝鮮半島を経て、日本列島にやってきた渡来系弥生人と考えられます(Shinka et al.1999,Jin et al.2003)。
一方、南へ移動したのは、O2系統から分岐したO2a系統で、華南から東南アジアへ移動したと推定されます。

では、この時代について書いてあると考えられる中国史書をみてみましょう。


古代中国の神話時代の人物といえば、
三皇五帝(さんこうごてい)が挙げられます。

三皇と五帝に分かれ、三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つとされ、理想の君主とされました。伝説では、最初の世襲王朝・夏より以前の時代とされてます。


三皇については、まさに神話の世界で、架空の人物と考えられてますが、五帝は、実在との説もあります。司馬遷の史記では、黄帝・顓頊・帝嚳・堯・舜の五人としています。最初の黄帝は、紀元前2510年~同2448年とされてます。ちなみに、中国の小学生の教科書では、黄帝が中国人の祖先とされ、”黄帝が車と船を発明し、衣服と帽子の作り方を教えたとあって、黄帝夫人の嫘祖(るいそ)が養蚕を始め、倉頡(そうけつ)が文字を発明したとも説明している。”(「夏王朝」岡村秀典著による)そうです。

<黄帝>
黄帝

                  (Wikipediaより)

O3系統が黄河流域から南下始めたのは、5000年前と推定されているので、黄帝の少し前から、ということになります。では、黄帝についてみていきましょう。「史記」からです。


黄帝は、姓は公孫、名は軒轅(けんえん)といい、乱れた世のなかで、黄河流域で次第に力を蓄えていきます。そして、最大のライバル蚩尤(しゆう)との戦いに勝利し、黄帝として即位しました。


その後、黄帝の死後、顓頊・帝嚳・堯・舜と続き、その舜が後継と指名したのが、です。そして、その禹が開いた王朝が、夏王朝(紀元前1900年~同1600年)となります。


このように、黄帝から最終的に禹が夏王朝を開くまでの間に、数限りない争いの様子が描かれています。そのなかでも、特に南方の揚子江流域の人々との戦いは多く、最終的に、勝利を収めたわけですから、当然それにつれて、黄河流域から南下して、揚子江流域に多くの人々が流れ込んだと推測されます。

実は黄帝のライバルの蚩尤は、南方の苗族(ミャオ族)にまつわる集団との説があります。。黄帝は、その戦いに勝ったわけですから当然人も南方に流れこんだことでしょう。ちなみに、現代のミャオ族は、中国南部、タイ、ミャンマー、ベトナム、ラオスに分布しており、もともと揚子江流域に住んでいたものの、こうした経緯で周辺地域に逃れた可能性はあります。


五帝の神話が、史実なのか作り話なのかは別として、長年の戦いのなかで、黄河流域の人々が南下して揚子江流域にも流れこんだことは間違いないでしょう。Y遺伝子の分析結果と同じです。なお、ここではY遺伝子のうち、O3系統の動きを挙げましたが、D系統についても、揚子江流域から北(黄河流域)へ向かい、そこから東(朝鮮半島方面)や南西(揚子江上流、チベット方面)に移動していることが推測されているので、D系統の移動も絡んでいる可能性もあります。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
2016年8月に出版しました。

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