日本人は、どこからやってきたのか?(23) ~ 古代日本は最先端技術の集積地だった!!

日本出土の「磨製石器」が4万年に近い前のものであり、世界最古であること、「土器」も東アジアが起源であり、16500年前のものが日本で出土し世界最古級であること、などをお話してきました。

こんなにも古代日本において、当時の世界最先端技術とでも言うべきものが存在したのか、と驚かれた方も多いと思います。他にもないのか、もう少しみていきましょう。

たとえば、「漆(うるし)」です。

”長江河口にある河姆渡遺跡で発掘された木弓は、放射性炭素年代測定で約7500~7400年前と確認されたことから、漆器は中国が発祥地で技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていた。

北海道函館市南茅部地区から出土した漆の装飾品6点が、米国での放射性炭素年代測定により中国の漆器を大幅に遡る約9000年前の縄文時代早期前半の装飾品であると確認された。縄文時代の集落と生活様式の変遷が確認できる垣ノ島遺跡からは、赤漆を染み込ませた糸で加工された装飾品の他に、黒漆の上に赤漆を塗った漆塗りの注口土器なども発見されている。

さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された。更なる調査で技術的に高度な漆工芸品である「赤色漆の櫛」も出土、この他に、木製品、丸木船、縄、編物、その加工に用いられた工具なども相次いで出土しており、漆工芸品も含めた木材加工の関連品が発見されている。化石証拠から縄文時代早期末以降にウルシが自生していたとされる。”(Wikipediaより)

中国最古の漆器については諸説ありますが、今のところ8000年前を遡るものは発見されてません。それを上回る9000年前の漆の装飾品が、北海道函館市の垣ノ島遺跡から出土しました。

<垣ノ島B遺跡出土の漆副葬品>

垣の島 漆1 

<同上肩当て部分>
垣の島 漆2 

さらに、福井県鳥浜貝塚から、12600年前の漆の枝が出土しました。

<鳥浜貝塚出土の漆の枝>

鳥浜貝塚 漆枝 

また、時代はやや新しくなりますが、「赤色漆の櫛」も出土しました。

<鳥浜貝塚出土の赤色漆の櫛>

鳥浜貝塚 漆塗り櫛(表)(掲示)

(福井県報道発表資料、平成28年3月8日より)

この漆塗技術について、「「福井県史」通史編1」において、以下の見解が示されてます。
”従来、漆塗りの技術は大陸から伝播したとなかば信じられてきたようであるが、鳥浜貝塚とよく比較される中国浙江省の河姆渡遺跡では、赤色漆の木製の椀が出土している。その年代については、放射性炭素による年代測定で、今から約六二〇〇年前とされている。浙江省は福井県と友好関係にあり、漆の古さにおいても、その技術についても、歴史的に深いつながりがあったことになる。これまでの諸先学の研究成果でも、かならずしも中国大陸が漆文化の発祥の地とは断定し難いようである。中国河姆渡遺跡の漆と鳥浜貝塚のそれとは、同じような古さであり、さらに両者の技術の内容を比較しても、種類といい赤色漆・黒漆の使用といい、鳥浜貝塚の方が多彩で内容の濃い漆文化があったといえるからである。話は大きくなるが、漆文化をはじめ栽培植物の問題などから、縄文文化も東アジアのなかでお互いの文化交流の足跡がみえてくるようである。”

同年代の中国浙江省の河姆渡遺跡と深い交流があり、むしろ鳥浜貝塚のほうが技術的に上回っているのではないか、という指摘です。となると、日本で世界最古の漆の枝が出土したこと、垣の島遺跡の漆副葬品も、中国最古のものより古いことから推察すると、漆技術は、日本から中国に伝わった可能性が高いと言えます。 

ところで福井県といえば、眼鏡生産で有名な鯖江市の「越前漆」が知られています。
越前漆器の起こりは、約1500年の昔にさかのぼるといわれています。

”大和・飛鳥時代に、継体天皇が今立郡味真野の郷に来た際、冠の塗り替えを片山町の 塗師に頼んだところ、黒漆の椀も併せて献上した。その光沢の見事さに深く感銘して、大いに奨励されたことが越前漆器の始まりと伝えらる。”(Wikipediaより)

とあり、1500年の歴史があると言われます。もしかすると、12000年前から連綿と継承されてきれてきた技術かもしれませんね。

なお、「漆」というと、工芸品を連想しますが、実は古代の人々にとり、ある重要な役割を果たすものでした。それは、「漆」の強力な接着力を利用した「接着剤」としての役割です。「漆」を用いて、武器、土器などの生活用具を作ったと考えられてます。
それが時代とともに、装飾品としても利用されるようになったのでしょう。

また以前紹介しましたが、沖縄県南城(なんじょう)市のサキタリ洞(どう)遺跡で、世界最古となる2万3千年前の釣り針が見つかりました。

<出土した釣り針と未完成の釣り針(中)。(右)は素材となる巻き貝の破片>
サキタリ洞遺跡 釣り針(東京新聞) 
 
(東京新聞WEB版(2016年9月20日)より)

”県立博物館・美術館によると、貝製の釣り針は東ティモール(東南アジア)のジェリマライ遺跡でも1万6千~2万3千年前とされる先端部が出土しているが、今回見つかった釣り針は年代がより確実で保存状態もよいという。”
(朝日新聞DEGITAL,2016年9月20日)

世界最古級であることは、間違いありません。また、石鏃(せきぞく)についても、青森県大平山元(おおだいやまもと)Ⅰ遺跡から出土したものが、世界最古とされているようです。
”石鏃も世界でもっとも古いもので、これは世界で最も古い弓矢の使用を示す。”(Wikipediaより)
ちなみに大平山元遺跡は、日本最古の土器(16500年前)が発掘された遺跡です。

このように見てくると、日本列島には、古代から当時の世界の最先端とも言うべき技術があったことがわかります。整理すると、

■磨製石斧   38,000年前

■釣り針    23,000年前
■土器       16,500年前

■石鏃、弓矢 16,500年前?

■漆          12,600年前

まさに、「技術立国」と言えますね。

もちろん、これらすべてが世界最古というわけではありません。今後、世界中で発掘が進めば、これらを上回る古いものが発見される可能性はあります。また、氷河期には現代より100m以上海水面が低かったので、多くの遺跡が海底に沈んでいます。特に、日本人の故郷とでも呼ぶべき「スンダランド」は、古代において、東南アジアから台湾、黄海にいたるまで陸地でつながっており、当時人々が住んでいたと考えられる海岸沿いの地域は、現在はすべて海面下にあり、発掘できません。こうした地域に、より古い遺物が埋まっている可能性はあります。

とはいえ、少なくとも、日本で発掘されているものが世界最古級であることは間違いないでしょう。となると、こうした技術が、日本から大陸へ伝播していったことになります。当然、人の移動も伴ったことでしょう。


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漆、世界最古の約 12600年前のものであると

>さらに、福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は、放射性炭素(C14)年代測定法による分析の結果、世界最古の約 12600年前のものであると確認された。

〇福井県(鳥浜貝塚)で出土した漆の枝は世界最古の約 12600年前のものであると、いうこと、すごいですね。
 縄文時代の古い遺跡は、特に日本海側で見つかっていること、たいへん参考になります。

Re: 漆、世界最古の約 12600年前のものであると

レインボーさま
コメントありがとうございます。

縄文時代の古い遺跡が、日本海側で見つかっているのは、やはり大陸との関係でしょうね。ただし、それが「大陸⇒日本」なのか、「日本⇒大陸」なのかは、わかりません。両方あったということではないかと考えてます。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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