銅鐸にみる「西→東」への権力移動 (7) ~ 従来説では説明できない「埋納」「破壊」「消滅」の謎

ここまで、銅鐸を出土地分布からみてきました。

ここから、いよいよ銅鐸の謎に迫ります。銅鐸に関しては、埋納の謎、破壊の謎、消滅の謎など、多くのことがわかっていません。それをみていきましょう。

銅鐸は、紀元前4世紀頃、中国、朝鮮半島日本にもたらされ、次第に大型化しますが、3世紀頃、突然と姿を消します。ではなぜ、あれだけ発展し、芸術的に見ても美しいものが、突然無くなったのでしょうか?。

銅鐸の埋納、消滅について、論文を紹介いたします。春成秀璽氏(国立歴史民俗 博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授)。によるものです。1981年に書かれた古い論文の一部であり、その後、島根県荒神谷遺跡銅鐸など、画期的な発見が相次ぎ、そうした成果が加味されてないのですが、逆に、かつての学会の見解を知るのにちょうどよくまとまっており、興味深いです。以下「銅鐸の時代」(春成秀璽)より、一部要約です。

"<用途>
・銅鐸は、稲魂信仰の産物である。

<保管場所>
・通常は、稲魂とともに、高倉に安置されていた。

<埋納>
・干ばつ・豪雨・虫害など稲魂をおびやかす非常事態の発生時においては、稲魂を守護できないかもしれないという恐怖感・不安感が、稲魂の座す平野へのいくつかの通路のうち、彼らがその時々に邪霊の侵入路と推断したその入口付近で銅鐸祭祀を行った後埋納された。
・銅鐸の本来の使用・保管状態の否定、おそらく奉献の意味を表そうとしているようにとれる。(銅鐸が丘陵の尾根上つまり境界線上ではなく、その少し手前に埋納されている。)。

<破壊>
3つの説がある。
a.稲の不生育・不稔熟は、稲魂の逃亡を意味する。だから、銅鐸の役割が稲魂の守護にあるとすれば、その責務を果たせなかった際はその罪を問われ、すでにその機能を喪失したものとして破壊措置がとられた。
b.破壊の主体者を他集団に求める。
c.破砕後一定の形状にそろえようとする意図がうかがわれることから、破砕後に再利用した。銅鐸祭祀の終焉時には、地上に遺されていた銅鐸は、むしろ積極的に破砕されて、他の器物に改鋳された。

<鋳造地域>
・畿内や特定の農業共同団体だけが製作にかかわった。

<配布>
・畿内、時に尾張から諸地方の農業共同体に配布・使用された。

<終焉>
・「聞く銅鐸」については、鏡の入手による影響のひとつとして、古式銅鐸の埋蔵がうながされ、銅鐸のもつ意味は忘れられた。
・「見る銅鐸」については、農業共同体間に共通の利害なり同盟関係が成立すると、銅鐸はそれを保護する役目をも課せられる。そうした関係が拡大され畿内中枢部を盟主とする勢力となった場合は、銅鐸は畿内社会を守護する神器として位置づけられる。
自然勢力との対立は、九州・吉備・出雲・東海地方等の諸勢力との対立と表裏一体ととらえられた。そうした勢力との関係も加わり、非常時には、(外部勢力との)境界で祭祀が行われ、埋納された。

<銅鐸祭祀から古墳祭式へ>
・首長権の確立にともない、稲穂信仰から首長霊信仰へと変貌し、首長が銅鐸に代わり穀霊の守護・穀倉の管理の任にあたることとなる。
・三角縁神獣鏡を賜与することは、配布者の霊魂の分与を意味し、畿内中枢勢力と、地方首長との同盟関係は、拡大され、それとともに。境界線の意味(銅鐸祭祀)は失われた。
・そうして、首長霊信仰に基づく「古墳」祭祀へと発展していった。”

銅鐸を、農業との関わりのなかで、「稲魂信仰の象徴」としているのは面白い表現です。通常は高倉に保管されていたが、非常事態に際し侵入を阻止するために境界線上に埋納された、との説は、説得力がありますね。

何と言っても注目は、畿内勢力が同盟関係の象徴として配布していたが、畿内勢力が拡大して同盟関係が強化されるにつれて、三角縁神獣鏡の配布に代わり、やがて古墳祭祀へと発展していった。”としている点です。つまり、銅鐸は、初期大和政権のものであった、ということです。

これが当時の一般的な見解のひとつであったわけです。当時の考古学的成果から見れば、確かにこれで「なるほど」と思ったことでしょう。

ところが、その後、島根県荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡における大量の銅鐸・銅剣の出土、九州北部における銅鐸鋳型や銅鐸そのものの出土など、画期的な発見が相次ぎ、この説も、根本的な見直しをせざるを得なくなったことは、皆さんご存知のとおりです。

<荒神谷遺跡出土の銅鐸・銅剣>
荒神谷遺跡2 
(Wikipediaより)

まず、ここまでお話ししたように、銅鐸の分布は、古い時代から、

山陰(出雲)・越前(福井) ・瀬戸内海地方 ⇒ 畿内 ⇒ 東海地方

となってます。


論文では、銅鐸は初期大和政権が同盟関係を示すために配布した、としてます。すると、同盟関係を初めに結んだのは、山陰・北陸・瀬戸内海地方となり、畿内に近い周辺勢力はそれに遅れたことになります。普通であれば、まずは畿内周囲の勢力との同盟を先にするはずです。瀬戸内海地方はいいとして、山陰・北陸地方との同盟が先とはどういうことでしょうか?。


いやいやそれは、たまたま島根で荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡での大量発見があったからだ、という人もいるかもしれません。


では、九州出土の銅鐸、銅鐸鋳型は、どのように説明するのでしょうか?。九州北部で銅鐸が生産されていたことは明らかです。しかもその銅鐸は、出雲出土の銅鐸と同笵で、いずれも九州北部産とされてます。初期大和政権が配布したとすれば、おかしな話です。実際、論文中にもこのことは補足として書かれており、今後の検討課題としてます。


やはり真実を究明するにあたっては、今までの固定観念を一度取り払い、最新のデータを基に、考える必要があります。次回から、あらためて考えていきます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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