魏志倭人伝を読む その7(最終回) ~ 倭の政治 卑弥呼最後の戦い! 死して壹与が立つ

いよいよ最終回です。

正始元年(240年)、太守の弓遵(きゅうじゅん)は、建中校尉の梯儁(ていしゅん)を派遣し、命令書、金印などを持たせ、倭国へ行かせた。そこで、倭王の位を授け、皇帝の命令書をもたらし、刀、などの贈り物を与えた。倭王は、令状を持たせた使いを送り、皇帝の恩に感謝した。
【解説】
卑弥呼は、魏の皇帝から、金印、鏡などをもらい、それに対し、お礼の品を献上します。
ここで、卑弥呼は、魏に礼状を送った、とあります。見逃してしまうほどさりげない記載ですが、当然礼状は漢字で書かれていたはずです。つまり当時の倭には、漢字を読み書きできる人間がいた、ということです。卑弥呼が読み書きできたかどうかは、わかりませんが・・・。


同四年(243年)、倭王は、また大臣の伊声耆(いせき)、掖邪狗(えきやく)など8人を派遣し、奴隷、国産の錦、赤と青の絹織物、錦のドレス、絹の布地、赤い顔料、弓の部品、短弓の矢などを献上した。掖邪狗たちは、いっぺんに率善中郎将に取り立てられたのである。
同六年(245年)、皇帝は、倭の難升米黄幢(黄色い軍旗)を与えるよう命令し、帯方郡を通じて授けた。
【解説】
魏の皇帝は、卑弥呼に黄幢(こうどう)を授けます。黄幢とは、黄色い吹き流しのような軍旗ですが、これにより卑弥呼には魏の後ろ盾があることを、示すものです。ではなぜ、卑弥呼に黄幢を与えたのでしょうか?。それは、邪馬台国に危機が迫っていたからです。


同八年(247年)、太守の王頎(おうき)が、上京した。
倭の女王の卑弥呼は、狗奴国(くなこく)の男王の卑弥狗呼(ひみくこ)と以前から仲がよくなかった。倭国では、載斯(さいし)、烏越(うえつ)などを派遣して、郡へ行かせ戦況を説明させた。郡では、辺境監督官の張政(ちょうせい)たちを倭国へ派遣した。皇帝の命令書、中国の権威を示す黄色い軍旗などを難升米に与え、(中国が介入することを)檄を飛ばして知らせたのである。
【解説】
邪馬台国と宿敵狗奴国との戦いです。卑弥呼は、魏に助けを求めます。かなりの激戦であった空気が、伝わってきますよね。魏は、皇帝の命令書や黄幢を与えました。はたして結果は?。


卑弥呼は死に、大きな盛り土のある墓を造らせた。直径百歩あまりである。男女の奴隷を百人以上も殉葬した。あらためて男の王を立てたが、国中が従おうとしなかった。そのため殺し合いになり、そのとき千人以上も殺した。
【解説】
ここで突然、卑弥呼死去と記載されてます。戦の結果は、その後も邪馬台国が存続しているということから、どうにか邪馬台国が勝利したと推察されます。
「卑弥呼以死大作冢 」とあり、「以って卑弥呼死し、大いに冢を作る 」と読めることから、戦の責任を取らされた、と主張する方もいますが、そこまで言うには、詳細な検証が必要でしょう。
また墓について、直径百歩を単純に一歩80センチとして80メートル、とかなり大きな古墳を想像してしまうのですが、当時の一歩がどのくらいの長さだったか、を基に算出すべきです。ちなみに古田武彦氏の説では、当時の一歩は約26cmですから、直径26mの円墳だった、ということになります。


そこで、卑弥呼の縁続きの壹与(いよ)という十三歳の女を立てて王とした。国中は、ようやく鎮まった。中郎将をさずかった 邪狗たち二十人を派遣し、張政たちの帰国を送らせた。
かれらは、臺(魏の天子の宮殿および天子直属の中央政庁)にやってきて、男女の奴隷三十人を献上し、真珠五千個、青メノウの大玉二個、エスニック風デザインの錦二十匹などをもたらした。
【解説】
最後に壹与(いよ)が登場します。卑弥呼のときもそうでしたが、男性がトップにいると治まらなかった国が、女性をトップにすえたら丸く収まった、という話は、何か示唆的ですね。ただし、卑弥呼のときもそうでしたが、壹与も13歳という年齢からみて、祭祀を司る立場であり、彼女を補佐する人間がいた、つまり二元政治だったと思われます。
なお、「壹与の壹も、臺の書き間違い」として、与とするのが一般的です。さらに臺⇒台として、台与(とよ)とされてます。しかしここでも古田武彦氏は、安易な原文改訂はすべきでない、と主張してます。
「文中のすべての臺を壹と書き誤った。」というのなら論理としてありえます。ところが最後にという字が出てきます。臺とは、魏の天子の宮殿および天子直属の中央政庁 を意味しますが、なぜこの臺は、壹と書き誤らなかったのでしょうか?。説明がつきません。その他、多くの根拠が挙げられるのですが、今回はここまでとしておきます。

魏志倭人伝版本 
魏志倭人伝 最後3


何はともあれ、魏に朝貢して、魏志倭人伝は、終わります。


★13歳の壹与は、どんな少女だったのでしょうか?

卑弥呼の想像イメージはこんな感じですが、果たして壹与は・・・・?
himiko.jpg 


★当ブログをメールで読むことができます。左欄で読者登録してくだされば、更新するたびにメールを送信いたします。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓お手数ですが、クリックお願いします。クリックするたびに、幸せの輪がどんどん広がりますように・・・!!



にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村


日本史 ブログランキングへ


スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
おきてがみ
こちらにもお立ち寄りください。私からも訪問させていただきます。
twitter
おすすめの本
PR
PR
読者登録
メールで更新情報をお知らせしますので、こちらに登録ください。


提供:PINGOO!
旅情報
ブロとも一覧

アアト日曜画家

☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆

中国通史で辿る名言・故事探訪

幕末多摩・ひがしやまと

客船の旅

黒田裕樹の歴史講座

しばやんの日々

Paradise of the Wild bird…野鳥の楽園…
おすすめ
自分を不幸にしない13の習慣、今なら無料! 年収1000万以上っていい目標だと思っていた。この事実を知るまでは・・・
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR