新唐書日本伝を読む その2 ~ やっぱり大和朝廷の前身は九州にあった!

前回は少し話が広がったので、お話できなかった重要なポイントがありました。
それは、
「国王の阿海(あめ)氏が自ら言うには、神武天皇の父親の彦瀲まで三十二代、筑紫城に住んでいた」
と、記載されていることです。そして
「神武天皇のときに、大和州に遷した」
とあります。
つまり、ここからも大和朝廷の前身(神武天皇まで)が、九州北部(筑紫)にあったことは明らかとなります。
一般的には、神武天皇が九州からやってきた話(神武東征)は、古事記、日本書紀を編纂した8世紀の史官による創作とされています。ところが、文脈から言って、この話は6~7世紀ころの日本との会話を元にしているでしょう。すると当時(6~7世紀ころ)から、神武天皇の出身が九州北部(筑紫)であることは国王以下共通認識としてあったことを示していると言えるでしょう。つまり、古事記、日本書紀の神武東征神話は、決して8世紀の史官による創作ではない、ということになります。

興味深いのは、「筑紫城に住んでいた」との記載など彦瀲の代まではあたかも九州筑紫の王朝であったかのように表現されていることです。実は、古事記、日本書紀には、「九州筑紫にいた神武天皇が、東征し畿内に侵入した。」とはありますが、そこまではっきりとは記載されていません。
この記載をそのまま受け取ると、九州北部にあった王朝が畿内大和に移動したという邪馬台国東遷説になります。

ただしここで気をつけなくてはいけない点は、これは、日本(大和朝廷)の役人が、唐の中国側へ説明した話でしょう。当然のことですが、自分達にとって都合の悪い話は、作りかえて話すはずです。例えば、この話には「倭国」と「日本」の関係が、触れられていません。
いかにも片手落ちの説明ですが、さすがに中国もあやしいと思ったのでしょう、そのへんを疑っているのが、面白いところです。それは後ほどでてきます。

以後、歴代天皇の話が続きます。

【現代訳】
次は綏靖(すいぜい)、その次は安寧(あんねい)、その次は懿徳(いとく)、その次は孝昭(こうしょう)、その次は天安(てんあん)、その次は孝霊(こうれい)、その次は孝元(こうげん)、その次は開化(かいか)、その次は崇神(すじん)、その次は垂仁(すいじん)、その次は景行(けいこう)、その次は成務(せいむ)、その次は仲哀(ちゅうあい)という。仲哀が死ぬと、開化の曾孫娘の神功(じんぐう)を王とした。
【解説】
第二代の綏靖以下、あまり聞きなれない名前が続きます。実は、綏靖から第九代の開化までの八人は、「欠史八代」と呼ばれ、実在性が疑われています。
その根拠として、神武天皇については、東征神話など華々しい話が多く残されているのに対して、次からの八人には、事績がまるで残されていないことが、挙げられています。
つまり奈良時代に日本書紀などを編纂した史官によるでっちあげの人物たちというわけです。

しかしながら、ここで疑問がわきます。

ではなぜ奈良時代の史官は、それら八人の逸話を創作しなかったのでしょうか?。例えば「誰々天皇がどこどこに宮を構えた」などの創作は、いとも簡単にできます。
そのように創作していれば、今挙げた疑いを受けなくてすんだはずです。たまたま書いておくのを忘れたのでしょうか?。

私は、神武天皇以下八代の天皇について、簡単には非実在と断定できないと考えます。では、実在の人物だったとすると、なぜ八人については記載が少ないのでしょうか?。

簡単に言えば、神武天皇の東征説話に比べ、たいした実績を残していないからでしょう。なぜ実績を残せなかったと言えば、神武天皇はたしかに飛鳥地方に入ったかもしれませんが、磐石な基盤を築いたとは言えず、その後の八人は、そのなかで四苦八苦していたからと推察されます。
この話は、回を改めてお話しします

次の崇神(すじん)から実在とみなされ、垂仁(すいじん)、景行(けいこう)、成務(せいむ)、仲哀(ちゅうあい)と続きます。仲哀が死んで、仲哀の皇后の神功(じんぐう)があとを継ぎます。
一般的には、神功皇后と呼ばれますが、ここで王と記載しているとおり、近年まで、第十五代天皇とされていました。

神功皇后
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神功皇后は、長らく武人の間で崇拝されてきましたが、古事記、日本書紀のなかでも、特異な存在です。新羅出兵など三韓征伐し、帰国後、息子(のちの応神天皇)を出産、畿内に向かい応神天皇の異母兄弟を破ります。また魏への朝貢など、あたかも卑弥呼、壹与と同一人物と思わせる記載となってます。
特に日本書紀においては、わざわざ神功皇后のために一章を設け、事績、分量ともほかの天皇にひけをとりません。
また、祀られている神社も、九州をはじめ全国でかなりの数にのぼります。

こうした背景には、神功皇后が仲哀天皇の正室ではないにもかかわらず、天皇(応神)の母となったことも関係していると思われます。
あるいは、卑弥呼や壹与など女性支配者の事績を日本書紀に取り込むために、あえて神功皇后という存在を設定した、との説もあります。
この話についても、詳細は回を改めてお話しします。


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Re: No title

二つのコメントについてです。

まず東鯷人ですが、出てくるのが中国史書、しかも回数もわずかですから、はっきりどこの地域の人々だとは断定しにくいでしょう。「鯷」は、「おおなまず」や「かたくちいわし」といった魚類を表す字です。これらが捕れる地域ではないか、とも考えられますが、これだけでは何とも言えませんね。もっと材料が必要です。

神武天皇の東征ですが、私も出発地については、宮崎県の日向ではなく、博多・糸島にある日向と考えてますが、最終地は、畿内と考えます。畿内にたどり着くまでの古事記・日本書記の記載が、現地の地名とも一致しており、リアルな出来事に感じられるからです。東征地は九州内の話だとする説は他にもありますが、古事記・日本書紀の記載と整合するのか、詳しく検証する必要があります。このあたりは、いずれ詳しくとりあげたいと思います。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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