神話って単なる作り話なの(3)?~出雲大社

前回は、神話が史実を示している例として、荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡を、挙げました。

ところで出雲と言えば、出雲大社ですね。
出雲大社創建の由来は、古事記に記されています。

国譲りを決意した大国主命が
「地の底の岩根までも深く宮柱を埋め、高天原に肱木の届くほどに屋根の高い、立派な神殿を築いて私を祭ってくださいますならば、私は百にたらぬ八十の、曲りくねった道また道をたずねてゆき、遠い黄泉国に身を隠すことにいたしましょう。」(「古事記」福永武彦訳)

と言ったと記されます。
これも長らく単なる神話の世界と思われてきました。

ところが出雲大社では、驚くべき遺跡が発見されました。

平成12年から13年にかけて、出雲大社本殿を支えていたと思われる柱がみつかりました


出雲大社 心御柱遺跡

柱の直径は1.35m,3本一組で、三組発見されました。3本を一つのひもでまとめ、構造上一つの柱として、本殿をささえていたようです。

出雲大社御柱配置図

これの何がすごいのかというと、その柱の太さもさることながら、かつての本殿平面図として伝わる金輪御造営差図(出雲大社宮司千家氏所蔵)と発掘された柱の構造が合致していることです。そこには、「三本束ねた直径は一丈(約3m),正面の階段の長さは一町(約109m)」と書いてあります。そこから当時の建物を推測すると、こんな姿になるそうです。

出雲大社復元模型

なお今回の柱は、今から700年前の鎌倉時代のころのものとみられてますが、平安時代の「口述(くちずさみ)」という書物には、有名な「雲太、和二、京三」が記されています。雲太(出雲大社)が一番大きく、和二とは東大寺大仏殿が二番目が、京三とは平安京大極殿が三番目という意味です。平安時代で約48mの高さがあったといわれています。

雲太、和二、京三


ちょうどいい映像を YOU TUBEで見つけましたので、ご覧ください。音声がありませんが、遺跡の様子がよくわかります。

「巨大柱の発見-出雲大社境内遺跡-」短編(出雲市大社町)
https://www.youtube.com/watch?v=dw47SNotAsY

さらに出雲大社には、「上古32丈(約94m)、中古16丈(約48m)」との言い伝えがあります。となると、冒頭の神話の記述も、現実性がでてきますね。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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