中国最古級資料からみた倭人の源流 ~ やっぱり倭人は揚子江下流域からやってきた!

前回は、漢書地理志から、倭人をみました。今回は、再び張莉氏の論文に戻り考えていきます。

【論文】
さて、ここで気づくのは「論衡」の「倭人」中国南方の民族であり、「山海経」の「倭」朝鮮半島内に住む民族であり、「漢書王莽傳」における「東夷王」日本の地に住む倭王であることである。これらの記述から浮かびあがるのは、倭人の中国南方から朝鮮の地を経て、日本の地に至る民族の移動である。筆者は、呉越中の倭人の集団がある時には直接九州に渡来しており、またある時には朝鮮を経由して渡来しているものと考える。「三国志」魏書烏丸鮮卑東夷傳倭人条(以下、通説に従い「魏志」倭人傳と表記する)にあるように、「鯨面文身」や「貫頭衣」の習慣が中国南部と同じであり、それらは中国の倭人が直接九州にやってきた証である。中国から直接九州にやってきた倭人の領域に、朝鮮の地で集団を形成した倭人が何度も押し寄せたのだと思われる。

【解説】
張莉氏は、「論衡」、「山海経」、「漢書」の記事から、倭人が大移動した、という仮説を立てています。すなわち、
「論衡の倭人」=揚子江下流域の倭人
         ⇩
「山海経の倭人」=朝鮮半島南部の倭人
      ⇩
「漢書の倭人」=日本本土の倭人

の流れです。
そして、中には、揚子江下流域から、舟で直接渡来した倭人もいる、としています。それが、三国志魏志倭人伝に出てくる"倭人の風俗が中国南方の風俗と一致している"理由としています。

次に、自身の実体験を元に、興味深い話を紹介しています。少し長文になりますが、お読みください。

【論文】
2012年9月に中国の西双版納の瀾滄江(その下流がメコン川)の西岸から山奥に入った村、景哈哈尼族郷を訪ねた。電気は通じているが、テレビがなく、子供たちがはだしで歩いていたのが印象的であった。皆親切で、我々の取材にも快く応じてくれた。村の住民である初老男性の当黒さんに「倭」という字の意味を問うと、「アカ」と答えた。哈尼族は自らを「阿卡(ake)」すなわちアカ人といい、ミャンマー・タイ・ラオスにおいてはアカ族の名で知られる。この「阿卡」の意味は「*方的客人(遠くからの客人)」であり、哈尼族は瀾滄江の源流とされる大江源頭(西蔵自治区の拉賽貢瑪(らさいごんま)とされるが定かではない)からやってきたといわれている。[*はしんにょうに元」の漢字]
村の住民は「干(かん)らん」と呼ばれる高床式住居で、別地方の哈尼族の村の屋根には日本の神社建築によくある千木(ちぎ)(神社本殿の屋根上にある交叉した木)が見られた。この門は日本の神社の鳥居の原型と見てよい。私は、これらのことから、哈尼族が日本列島に住む倭人と同じ出自の民族であることを確信した。もと倭人であった哈尼族や布朗族の人は皆優しかった。話かけると、お茶を飲んでいけ、飯食っていけと言い、家の中もどうぞ自由に見たらといった感じである。西双版納や昆明などの都会に住む人とは全く違う彼らの穏やかな目つきは、世界の中でも最も優しい親切な民族の一つとされる日本人に相通じるものがあった。

[解説]
雲南省南部、ミャンマーやラオスに近い山奥に住んでいる哈尼族を訪れたときの話です。高床式住居や神社の鳥居の原型の他、親しみがあり優しい顔つきなど、日本人との共通性を見出しています。
"世界の中でも最も優しい親切な民族の一つとされる日本人"と表現するなど、我々日本人を高く評価しており、ややこそばゆい気もしますが、ありがたい話ではあります。

これだけ読むと、日本人の源流は雲南省南部なのか、と思ってしまいますが、張氏はそれとは異なる推測をしています。

哈尼族の少女
Ethnic_Hani_Headgear_China.jpg


[論文]
雲南民族の傣(たい)族、哈尼族と長江流域から北東の日本に至った倭人には文化の上での多くの共通性が指摘されている。稲、高床式の建物、千木(ちぎ)、村の入り口に鳥の木彫を載せた門(鳥居の原型といわれる)、納豆・蒟蒻・餅・赤飯の食用・下駄・貫頭衣(呉服にその名残がある)などである。春秋時代の呉越戦争、戦国時代の楚の侵攻による越の滅亡、さらには秦や漢による中国統一のための侵略により、越族のうちあるものは中国南部や現在のベトナム、ラオス、ミャンマー、タイに逃れ、またあるものは朝鮮・日本へと逃れていった。その人たちが、日本に稲作をもたらし、倭人と称したのであろう。

[解説]
張氏は、倭人はもともと長江(揚子江)流域に住んでいて、それが戦乱により、ある集団は北上して朝鮮半島から、海を渡って日本本土にたどり着き、またあるものは南下して、中国南方からミャンマー、ラオス、タイ、ベトナムへ逃れて行った、と推測しています。
何を根拠としてそのような仮説を立てたのか、は不明ですが、ストーリーとしてはきれいにまとまります。

図示すると、このようになります。倭人の想定移動ルート

では、この仮説が事実なのか、です。方法としてはいろいろあるでしょうが、一番確かな方法は、人のDNAを調べることです。近年のDNA研究の飛躍的な進歩により、古代人の移動は、ある程度わかってきています。その内容はとても興味深いものなのですが、詳細にわたるので、回を改めてお話しします。


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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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