三国志魏志東沃祖(とうよくそ)伝を読む ~ 海流が解き明かす昔話とは?

今回は、東沃祖(とうよくそ)伝を読みます。倭に関するところを抜粋します。

現代訳】
東沃祖は、高句麗の蓋馬大山(がいまだいさん)の東の大海のほとりに住んでいる。土地の形は東北に狭く、西南に長く、千里くらいである。北方は挹婁(ゆうろう)・夫余(ふよ)と、南方は濊貊(わいぱく)と地つづきである。戸数は五千戸で、大君主は無く、代々、村を作っていてそれぞれの村に長がいる。その言語は高句麗とほぼ同じで、たまに違うところがある。

【解説】
冒頭は、いつもどおり国の所在です。戸数五千戸とあり、人口も少なかったようです。また、大君主がいない、とあり、国を束ねる王のような存在はいなかったようです。


【現代訳】
・・(中略)・・魏の将軍王頎(おうき)、別働隊として派遣されて、(高句麗王の)宮(きゅう)を攻めたとき、北沃祖の東の境をきわめた。そこの年寄りに、「海(日本海)の東に、またさらに住んでいる人がいるのかどうか」
と聞くと、年寄りが言うには、
「北沃祖の者が船で魚を取っていたとき、大風にあって何十日も吹き流され、東の島にたどり着いた。島には人がいて、言葉が通じなかった。そこの習慣では、毎年七月に少女を海に沈める」

【解説】
ここからの話は、さっと読むと、何を言っているのかよくわからず、おとぎ話の世界かな、程度に思えます。ところが、古田武彦氏によれば、これらは極めてリアルな話になります。以下、「倭人伝を徹底して読む」(古田武彦著)から引用します。なお書籍ではこの話を穢伝としてますが、東沃祖伝の誤りと思われますので、東沃祖の話と修正してます。

"東沃祖 の人が、船に乗って魚をとっているときに、風に遭い、数十日漂って、一つの島に流れ着いた。これは先ほども言いましたように、北の方から北鮮寒流が下がってきて東鮮暖流とぶつかる、その海域では魚がよく獲れます。そこへ東沃祖人たちは、漁に出ていた。ところが荒天で遭難、数十日漂った後、ある一つの島に流れ着いたというわけです。そこはどこかわかりませんが、日本列島の日本海岸であることはまちがいありません。そこでは七月に人身御供の少女を海に沈めていた。これもリアリティーあふれる記事です。実際日本海側でこういう風習、伝承が残っているところがあります。海神を鎮めるために部落の者を人身御供として海に沈めていた。そこへ異人が流れてきたので、部落の者の身代わりに海に沈めた。しかし全然関係のない、よその人を犠牲にしたという良心の呵責(かしゃく)に耐えられず、その霊を祀るためにこの祠をつくったという類の伝承が、日本海側ではいくつか残っているのです。だからこの『三国志』「東沃祖伝」の記事は全くの作り話とは思えない。こうしたことは日本海側だけではありません。太平洋岸でも、例の日本武尊が東征のとき、走水海で海神の怒りをなだめるため尊に代わって弟橘媛が海に身を投じた話があるように、いわば日本列島では各地で人身御供の習俗があったのです。そういう問題もふくんでいます"


なぜ海流の話が出てくるのかというと、海流がこれからの話のポイントだからです。図示します。

朝鮮半島海流

そして、意味のよくわからなかった「少女を海に沈める」話も、残酷な話しではありますが、人身御供の話と捉えれば、理解できます。


【現代訳】
さらに年寄りが言うには、
「もうひとつの国が海中にあり、そこは女ばかりで男はいない」

【解説】
"海中というは、日本海の中ということでしょう。そこに女だけの国があると。これも案外リアリティーがあります。というのは、福岡県宗像(むなかた)の沖ノ島瀛津嶋(おきつしま)姫、湍津(たきつ)姫、田心(たごり)姫という天照大(あまてらす)神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)のうけひ(誓約)で生まれた三女神が祭られているからです。
現在は、宗像神社の神官が交代で島へ渡って勤めておられますが、昔はそうではなかったと想像されます。女の島であった時期もあったのではないかと思うのです。宗教的な意味において、女しか立ち入ることができない島というのがありえても不思議ではない。現在は反対に女が入ると三女神が嫉妬するというので、女人禁制になっていますが。あるいはまた、大分県の国東(くにさき)半島の沖合にある姫島も女神の島であった可能性がありますし、広島県の厳島(いつくしま)も三女神の島です。面白いことにここでは子どもを宮島で生むと汚れるというので、島を出て生まなければならないことになっていますが、とにかくそんなタブーをもった女神の島というのが日本列島の各地にあります。"

今でも女人禁制すなわち「男だけの島」があるのですから、かつて「女だけの国」も、実在した可能性はあるでしょう。しばしばメディアでも取り上げらる沖縄の久高(くだか)島。ノロといわれる神女、シャーマンがいることでも有名で、「神の島」と言われています。島の聖地をウタキ(御嶽)と呼んでいますが、第一の聖地であるクボーウタキは、今でも男子禁制です。同様の話は、古代日本の各地に多数あったのではないでしょうか?。

12年に一度行われる秘祭イザイホーの様子です。
イザイホー

【現代訳】
更に年寄りが言うには、
「一人の庶民を引き上げたことがある。海上を漂ってきたものであった。身につけている服は、中背の人の服の大きさほどであったが、両袖の長さが三丈もあった。それから難破船を手に入れたこともある。波にもまれて岸辺に寄ってきたもので、その船の中に一人、首筋の後ろ正面に別の顔のあるものがいた。彼を生け捕りにしたが、言葉が通ぜず、物を食べずに死んでしまった」
これらの地は、どれも沃祖の東、大海の中にある。

【解説】
"これも非常に哀れな話です。端的にいえば、「シャム双生児」といって、胴体が一つで頭が二つという不幸な奇形児だと思うのですが、それが船に乗せられて流されて来た。彼は言葉はしゃべるけれども、東   沃祖人にはわからない。食料を与えても食べずに死んでしまったという話です。簡潔な文章です、が、あまりにもリアリティーのある表現で、胸の痛む思いがします。しかもこれと対応する習俗が、やはり『古事記』に書かれているのです。
然れども久美度(くみど)に興(おこ)して生める子は、水蛭子(ひるこ)。此の子は葦船に入れて流し去りき。(『古事記』二神の結婚)。
不具の子が出来たときは、葦船に乗せて水に流すという習俗があったことを、この神話は語っています。これも中心地は、壱岐・対馬あるいは博多湾岸のようにわたしには思えます。そこから流すと東鮮暖流に乗れる、地理的な位置になるからです。"

古田氏のように解釈すればかなしい話になりますが、かつてこのような風習があった可能性はある気はします。ここでも海流の話が出てきます。海流を考えると、この話の舞台は日本それも九州北部である、ということになります。

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うなじの顔

なるほど、奇形は考えつかなかったです。確かにこの可能性が高いですね。これを指して「異面の人」としたかもしれません。
袖の長い服を海から手に入れたとの記載もあることから、海の向こうには異面、異形の人もいるというのが東沃祖の人達の認識としてあったのかも知れません。
倭人伝でも背の小さい人のことも記載がありましたから、その前哨記述と言ったところでしょうか。1m位の人ならいてもおかしくないです。ホモ・フローレシエンシスが日本列島まで来て入ればですが。南方から人の移動はあったので、可能性はあると思います。

Re: うなじの顔

コメントありがとうございます。「異面」は、「入れ墨のある顔」との見解です。一方、「袖の長い服」は、私もはっきりとした解釈は未だ持ちえておらず、今後の検討課題です。「背の低い人」は、侏儒国の人のことだと思いますが、今後、取り上げたいと考えてます。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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