三国史記新羅本紀を読む その5 (最終回) ~ 倭国から日本国へと改名した時代背景とは?

新羅本紀の最終回です。

【現代訳】
53.百済の先王[武王]は、逆順に迷って、隣国との通交を厚くせず、姻家とも親しくしないで、高句麗と結び、倭国と交通し、ともに酷く乱暴な行為をし、侵略して新羅を割き取り、邑(むら)をおびやかし、城を攻め落した。<665年8月条>
54.ここに仁軌は、わが使者と百済・耽羅・倭人の四つの国の使者をひき連れて、海を渡って西[唐]に帰り、会盟して泰山を祀った。<665年8月条>

【解説】
前条から100年以上が経過してます。百済が、隣国の新羅ではなく倭国・高句麗と手を結び、新羅を攻撃してきたとあり、不満と不信の気持ちが表れていますね。百済の武王(580-641年)の時代です。そして、663年に、唐・新羅連合軍と倭国・百済の連合軍が激突した白村江の戦いが開戦し、倭国・百済連合軍は、完敗します。仁軌とは、唐の武将、劉仁軌(602-685年)です。665年、唐の第三代皇帝高宗の即位の儀式が泰山にて執り行なわた際に、新羅・百済・耽羅・倭国の従者を引き連れ参加して、自らも官職を拝命します。ここで、泰山とは、中国山東省泰安市にある標高1545mの山です。
"封禅(ほうぜん)の儀式が行われる山として名高い。封禅とは、帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が太平であることを感謝する儀式。"(wikipediaより)
です。


【現代訳】
55.倭国が、(国号を)改めて日本と号した。みずからの日の出る所に近いので、国名としたのであると言っている。<670年12月条>
56.竜遡三年[663]年になって、揔管の孫仁師は、兵を引き連れて来て、府城を救った。新羅の兵馬も、また出発してともに征討に向い、進軍して周留城の下に至った。この時、倭国の船兵が、やって来て百済を救援した。<671年7月26日条>
57.倭船が千艘、停泊して白沙にいた。百済の精鋭なる騎兵が、岸上で船を守っていた。新羅の強力な騎兵が、唐軍の先鋒となり、まず岸の陣地を撃破した。周留城の兵は、気力を失って、ついに降伏した。<671年7月26日条>
58,また音信の知らせによると、「唐では船舶を修理し、うわべでは倭国を征伐することに託(かこつ)け、実は新羅を攻撃しようとしている」と言う。百姓はこれを聞いて、驚き恐れて不安に落ち入った。<671年7月26日条>
59.均貞に大阿湌(だいあさん)を授け、仮に王子として、倭国に人質として送ろうとした。均貞は、これを辞退した。<802年12月条>

【解説】
突然話題が変わり、倭国から日本へと国名を変えたことと、改名の理由が記載されています。改名の理由について、旧唐書日本伝・新唐書日本伝に書かれていることは、以前のブログ
「旧唐書日本国伝を読む その1 ~ 倭国と日本国が別の国である決定的な証拠!」(2015/8/27号)
「新唐書日本伝を読む その5 ~ 謎が残る白村江の戦いから壬申の乱まで」(2015/9/26号)
でお話ししました。
新唐書日本伝には、改名の時期について、唐が高句麗を平定した668年以後のこととして書かれていますが、ここで三国史記百済本紀670年条に改名記事があることから、改名の時期は670年前後ということが推定されます。
また、改名の理由も、旧唐書日本伝に、
日本国倭国の別種である。その国が太陽の昇るかなたにあるので、日本という名をつけたのである。あるいは、
「倭国では、倭国という名が雅美でないことを彼ら自身がいやがって、そこで日本と改めたのだ。」
とも言われるし、また
日本は、古くは小国であったが、その後倭国の地を併合した。」
とも言われる。”
と記載されていますが、ここでは、「日の出る所に近いから」としています。もっとも、はたしてそれが本当のことなのかは、何とも言えませんが・・・。
そして、白村江の戦い(663年)後の話になります。

さて、この時代、日本国内でも大きな動きがありました。飛鳥から近江大津へ遷都して天智天皇が即位します。天智天皇が死去すると息子の大友皇子が統治(天皇になったかは不明)しますが、天智天皇の弟(のちの天武天皇)が挙兵、壬申の乱となり、敗れた大友皇子が自殺、天武天皇が即位します。そして、ほぼ同じ時期に、唐の軍隊が2000人の規模で、九州北部に進駐してきます。まさに、国中が大混乱の真っ只中といった様相です。
歴史で習ったときは、ひとつひとつについて掘り下げて考えませんでしたが、ここで質問です。

これらは、お互いに何の関係もない、独立した別個の話なのでしょうか?。

時代順に並べてみます。

<663年>  
白村江の戦いで、倭国・百済連合軍が、唐・新羅連合軍に敗れる。
<667年>
・ 都を飛鳥から近江大津へ遷都、天智天皇が即位。
<670年頃>
倭国から日本へ改名
<671年>
・ 唐軍二千人が、九州北部に進駐。天智天皇死去、息子の大友皇子が統治。
<672年>
・ 天智天皇の弟(のちの天武天皇)が挙兵して壬申の乱勃発、弟(のちの天武天皇)が勝利し大友皇子が自殺。
<673年> 
・ 天武天皇が即位。

十年の間に、これだけ多くのことが起こりました。しかも、663年の白村江の戦いで倭国が敗れ、671年には唐軍が進駐してきたわけです。倭国内の動きに唐が関与していると考えるのが、自然ではないでしょうか?。言ってみれば、太平洋戦争で負けた日本に、マッカーサー率いる米国軍が進駐してきたようなものです。あの時代に、日本国内で内戦が起こりうるはずもなかったでしょうし、仮に起こったとしても、当然米国が関与したでしょう。もちろん米国が統治しやすいようにです。

そういった視点で改めて見ると、いろいろなシナリオが、考えられます。たとえば、以前のブログでお話したように、
”反唐であった天智天皇が、白村江の戦いで倭国が敗れたために、権力を失って近江大津へ逃れ、都とした。死後、息子の大友皇子に跡を継がせるが、壬申の乱が勃発し、親唐派の天武天皇が、勝利した。”
あるいは、もっと大胆に
”唐と戦ったのは九州王朝であり、白村江の戦いで敗れたため、危険を避けるため、九州北部から近江大津へ遷都、同じく反唐の天智天皇が、身を寄せた。親唐の天武天皇が、進駐してきた唐軍をバックにつけ、壬申の乱を起こし、九州王朝・大友皇子軍を破り、権力を手中に収めた。それに合わせて、国名も、倭国から、日本へ変えた。”
或いは、
"九州北部から近江大津への遷都に合わせて、倭国から日本国へ改名した"
なども考えられますよね。

いずれにしろ、国名を変えるというのは、たいへんなことです。よほど何かのきっかけがあったとしか考えられません。では、そのきっかけとは何か?です。白村江の戦いで惨敗し、遷都、権力移動したことが関係した可能性は高いでしょう。

今挙げたシナリオはあくまで仮説ですが、九州王朝から大和朝廷への権利移動と併せて考えると、わかりやすいと思います。下の図のような
イメージです。

倭国から日本国へ(2)
では、実際はどうだったのか?ですが、真実を究めるには、様々な角度から検証する必要があります。それは今後のお楽しみということにします。皆さんも、あれこれ想像をめぐらせてみてはいかがでしょうか?


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このあたりは

色々謎が多い時代です。色々な説の書物を読みましたが、混乱するばかりです。日本書紀を見る際に、じっくりと考察していきたいと考えています。
「扶桑略記」には一伝として、山中で天智天皇は行方不明になり、沓が落ちていた。そこを塚としたと記載があります。なぜ、このような一伝があるのかも一つの鍵があるかも知れません

Re: このあたりは

情報提供ありがとうございます。興味深い内容ですね。それが史実かどうかはそれだけでは判断できませんが、何かを示唆しているかもしれません。
この時代については、資料もさほどある訳ではなく、どうとでも解釈しうるというのが実状でしょう。ただし忘れてならないのは、日本書紀編纂は天武天皇の命によるものであり、したがって内容も自ずから天武天皇に関しては有利に、敵対者に関しては貶める書き方になっているはず、ということです。その視点で見ると、おぼろげながら輪郭も浮かび上がってくるのでは、と思います。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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