三国史記百済本紀を読む 前編 ~ 倭国との深い関係  

前回まで、三国史記の新羅本紀(倭人伝)を読んできました。今回は、同じ三国史記の百済本紀(倭人伝)です。新羅本紀同様、倭国との外交上の話が記載されていますが、新羅とは異なり、友好国として描かれています。

【現代訳】
62.(阿莘)王は、倭国と好誼を結び、太子の腆支(てんし)を質とした。<397年5月条>
63.使者を倭国に遣わして、大珠を求めさせた。<402年5月条>
64.倭国の使者が来た。.(阿莘)王は、これを迎えとくに厚く労(ねぎら)った。<403年2月条>
65.腆支王(或いは直支という)は、阿莘王の在位三年(394年)に、立って太子となった。六年(397年)に、倭国へ行って質となった。
66.(阿莘王の)十四年(405年)に、(阿莘)王が薨じた。王の二番目の弟である訓解(くんかい)が、政治を執り、太子[腆支]が国に帰るのを待った。末弟の碟礼(せつれい)は、訓解を殺害し、自ら立って王となった。腆支は、倭にいて.(阿莘王の)訃報を聞き、泣き叫んで帰国したいことを要請した。<403年2月条>
67.倭王は、兵士百人でもって(腆支を)守り送らせた。まさに(百済の)国境に到着すると、漢城の人である解忠(かいちゅう)がやって来て告げて、「(阿莘)大王は、お亡くなりになりました。弟の碟礼が、兄(の訓解)を殺害して、自ら王となりました。どうか太子は、不用意に入国なさいませんように」と言った。<403年2月条>
68.腆支は、倭人を引き留めて身を守った。海中の島で、時の来るのを待った。国人は、碟礼を殺し、腆支を迎えて王位に即(つ)かしめた。<403年2月条>
69.倭国が使者を遣わし、夜明珠を送ってきた。(腆支)王は、あつく礼遇して、歓待した。<409年条>
70.使者を倭国に遣わし、白錦十匹を送った。<418年夏条>
71.倭国の使者が来た。従者は五十人であった。<428年条2月条>

【解説】
倭の五王が初めて歴史に登場するのが、413年なので(晋書)、その少し前の時代からです。397年条に、「倭国と好誼を結び、太子の腆支(てんし)を質とした。」とあります。ほぼ同じ時期に、新羅本紀にも、「倭国と好誼を通じ、奈忽王の子未斯欣(みしきん)を質とした」(402年条)とあり、倭国は新羅の王子も人質にとっていたことは、すでにお話しました。”好誼”という言葉で表現しているものの、実質的には、新羅・百済とも、倭国の支配下に入ったということでしょう。
その後、百済とは友好関係を保っていたようで、百済王家内の権力闘争に対しても、太子の腆支(てんし)を守り、その結果、腆支が即位します。こうした信頼関係が、白村江で共に戦うことにつながっていったのでしょう。
ところで、そもそもの百済がどのようにして建国された国なのかは、よくわかっていません。高句麗からやってきた、との説もありますが、あくまで伝説としてであって、決定的なものにはなっていません。

私としては、百済建国と言うと、韓国のテレビドラマ「朱蒙(チュモン)」を思い出します。かつて韓国のテレビで放映され、視聴率50パーセントをあげた超人気番組で、日本でも放映されたので、ご覧になった方もおられると思います。あらすじとしては、
"BC108年、漢の侵略により古朝鮮国が滅亡します。国を失った流民たちを率いて漢に抵抗したのが民族の英雄へモスで、その子がチュモンです。兄たちの策略で宮中を追われたチュモンが、やがてたくましい若者に成長していき、漢との戦いに勝利して、高句麗の偉大な初代大王となる"
という話です。
チュモンには元々王子がいたのですが、正室とともに離ればなれとなります。それが奇跡的な再会を果たすという、感動のシーンがあるのですが、正室と王子がチュモンの元に戻ったために、側室とその子供たちが国外に出ることとなります。その行く先が、朝鮮半島南部であり、そこで子供(弟の温祚)が建国した国が、百済という話になってます。

チュモンとは、高句麗初代王の東明聖王(BC58-BC19)の諱ですが、
"「東明」を始祖にする建国神話・始祖伝説は、扶余・高句麗・百済に共通して見られる。歴史的にみれば扶余建国神話の東明と高句麗始祖の朱蒙とは別の人物だと見当がつく。東明伝説も朱蒙伝説も筋書が構造的に共通点が多い。 "(wikipediaより)とあり、史実かどうかは、不明です。
ただし、隋書百済伝、「百済王の先祖は、高句麗国から出ている」とあります。 隋書 の成立が 656年なので、その頃には、百済の高句麗起源の言い伝えがあったことになります。となると、あながち作り話とは、言い切れないと思われます。

YOUTUBEに動画がありましたので、紹介します。


また、百済関係では、奈良県天理市にある石上神社所蔵の七支刀が有名です。時代は少しさかのぼりますが、369年(諸説あります)に、百済国王から倭王(旨)へ贈答されたとされています。このことからも、当時の倭国と百済との間の良好な関係が、推察されます。なお、七支刀には銘文が刻まれており、その解釈も興味深いものがあるので、回を改めてお話しします。

七支刀のレプリカです。
七支刀


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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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