一年で二回年を数えたという「二倍年暦」説は本当か?(2) ~ 現代にも残る二倍年暦の痕跡

前回は、二倍年暦について、古代天皇の例をもとにみました。

では、二倍年暦は、近現代にもその痕跡が残っているのでしょうか?

たとえば、昔の人の休暇です。私たちは、一週間7日を単位として、あたりまえのように(土曜日と)日曜日を休みますが、それは明治時代になり、西洋文明(キリスト教)が日本に正式にはいってきてから、その風習が取り入れられたからです。それまでは、盆と暮・正月しか休みが無かったのです。今でも慣用句として「盆暮れ正月」と言いますよね。最近は少なくなってきましたが、付け届けも、盆(お中元)と暮(お歳暮)の年二回です。

神社の祭りを考えてみましょう。春と秋の、年二回あるところが多いのではないでしょうか?。

また、大祓(おおはら)いの儀式も、6月と12月の晦日です。大祓いとは、
”我々日本人の伝統的な考え方に基づくもので、常に清らかな気持ちで日々の生活にいそしむよう、自らの心身の穢れ、そのほか、災厄の原因となる諸々の罪・過ちを祓い清めることを目的としています。
記紀神話に見られる伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)を起源としています。
年に二度おこなわれ、六月の大祓を夏越(なごし)の祓と呼びます。大祓詞を唱え、人形(ひとがた・人の形に切った白紙)などを用いて、身についた半年間の穢れを祓い、無病息災を祈るため、茅や藁を束ねた茅の輪(ちのわ)を神前に立てて、これを三回くぐりながら「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶというなり」と唱えます。また、十二月の大祓は年越の祓とも呼ばれ、新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。”(神社本庁HPより)

<茅の輪くぐり>
 大祓い 茅の輪くぐり

<人形>
大祓い 人形 
                                                   (鶴岡八幡宮HPより)

私も、昔から近くの神社に毎年人形を納めていますが、「年の終わりの12月に納めるのはわかるが、何で6月にも納めるのかなあ?」と不思議に思っていました。これも「半年ごとに新たな年が始まる」と考えれば、自然ですね。

以上のとおり、現代日本においても、二倍年暦の痕跡とおぼしきものがあることが確認できました。
では、日本に限らず、現在でも、二倍年暦を使っている人々はいるのでしょうか?

それが、いるのです。古田氏が、面白い話をしていました。

”昭和薬科大学をやめる年に太平洋の二倍年暦の島に行ったことがあります(パラオ島)。そうしたら、行ったらすぐ解りました。つまり教育委員会の女の子たちと会った時に聞きました。
「私たちは困っています、私たちは一倍年暦にしなければならないと絶えず通達を出しているのですが、田舎の人は全く聞いてくれません。二倍年暦でずっとやっています」。
お墓に行くと百何十歳というのがやたらにあるわけです。そういう悩みを打ち明けてくれて、二倍年暦が現在でも行われているということが解りました。それもそのはずで気候が一年の半分が全然違う。雨ばっかりの半年と晴ればっかりの半年に分れている。天候から見ても二倍年暦が当然です。私の推定では、そういう二倍年暦が北上してきて日本列島や中国に入って行ったと思っています。”
(「第七回 古田武彦古代史セミナー講演録 日時 2010年11月6日、8日」より)

この話は、とても示唆に富んでいます。二倍年暦というのは、何も人間が自分勝手に思い付いたのではなく、”その土地の気候風土を反映したものだ”ということです。パラオの例で言えば、まさに”雨季と乾季というふたつの気候が交互にやってくる、それに合わせて、自分たちの生活も変えていかなければいけない、それを教えてくれるものだ”とも言えます。

日本の場合はどうでしょうか?。冬が終わり春になると、種をまいて畑を耕さなければならない、そして畑の手入れをしなければならない、秋になると刈り入れの時期です。言ってみれば、春から秋は「動」、秋から春は「静」と言ったところでしょうか。まさに、魏略の言うところの、「其の俗、正歳・四節を知らず。但春耕・秋収を計りて年紀と為す。」ですね。
なお、「二倍年暦が北上した」とありますが、逆の場合(南下した)もありうるわけで、これに関しては、慎重な検証が必要でしょう。

ところで、この「二倍年暦説ですが、これまでにも何人かの学者が唱えていました。
”民族学者の岡正雄や、東洋史学者の江波波夫は、天皇のお年などが長い原因を、かつては半年を一年に数えたためではなかろうかと述べている。春の正月と秋の正月と、一年を二つに分けて考える北方民族が存在するからである。”
”なぜ「古事記などの天皇のお年は、ほんとうのお年の二倍になっているのであろうか。半年を一年に数えた可能性が考えられる。「年」という字も、「歳」という字も、「そのとしの作物のみのり」という意味をもっている。春のみのりと、秋のみのりごとに、年を数えた可能性が考えられる。
(「天照大神は卑弥呼である」(安本美典著)より)

安本氏(元産業能率大学教授)は、歴史に統計学の概念を取り入れ、”邪馬台国はもともと九州筑後にあり、神武天皇の時代に畿内へ東遷した”という「邪馬台国東遷説」をはじめ、ユニークな説を唱えています。古田武彦氏の説を激しく攻撃することで知られていますが、この「二倍年暦説」については、同じ立場です。ちなみに三国志時代の距離についても、一里を90~100mとするなど、古田氏の考え(一里を75~76mとする「短里」説)とほぼ同じです。そうでありながら、最終的な結論は違ったものになってしまうのは、不思議な感じはします。

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二倍年暦はあり得ないなどと言いますが、バッチリ人々の生活様式に浸透してるんですね。これはもう確定的な話で、学説云々という類でもないでしょう。通説ありきの考えじゃ到底たどり着けませんよね。無根拠な訳ではない事、納得がいきます。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。仰せの通りです。そして、何よりも問題なのは、二倍年歴説に対する明確な反論がなく、だんまりを決め込んでいることです。公明正大に、堂々と議論してもらいたいものですね。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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