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【ご案内】本を出版しました!

この記事は、しばらくの間この位置におきます。
最新記事は、二つ下にあります。

皆様にお知らせです!

このたびシリーズ第五弾を出版しました。
題名は
図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 5
「 古墳のはじまりから前方後円墳まで」

です。

古墳は全国各地に種々様々ありますが、実態はよくわかってません。
◆いつどこから伝わったのか?
◆前方後円墳は大和王権のシンボルなのか?
◆天皇陵が代ごとに大きく移動する理由は?
◆卑弥呼の墓はどこか?
などなど徹底したデータ解析により、こうした疑問を解き明かしていきます。

ブログでもお話してきましたが、その後の調査研究を踏まえデータを見直し、新たな節を加えるなど、古代史ファンの方々にとり、魅力的な内容になっている自信作です。

特に最後に、なぜ畿内に巨大前方後円墳が多いのか、今までになかった仮説を提起してますので、楽しみにしてください。
ぜひご一読賜れば、幸いです。

電子書籍と紙の本の両方ありますので、お好きなほうをお選びくださいね。





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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【訪問ありがとうございます!】初めて訪問くださった方へ

<この記事は、当面この位置に掲載します。最新記事は、下にあります。>

訪問ありがとうございます。このブログは、様々な資料をもとに、日本古代史の真のすがたを解き明かしていくブログです。全体として、ひとつの読み物になってます。初めて訪問された方にわかりやすいよう、これまでの流れをまとめました。

【これまでの流れ】
日本の神話から始まり、中国史書、朝鮮史書を一通り読みながら、日本人(弥生人)の源流である倭人がどこからやってきて、邪馬台(壹)国、そして大和朝廷となったのかを、ひとつの壮大な仮説として導いてきました。その仮説のストーリーとは・・・

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日本神話の源流(8)~縄文農耕

ここまでは、日本神話は、メラネシアなどの南洋の神話とよく似ている、という話でした。
ここから、日本神話は南洋から伝わったのではないか、という推測ができます。

吉田氏は、
”現在南洋における古栽培民文化のもっとも重要な担い手であり、ハイヌウェレ型神話とそれに伴う儀礼を、もっとも特徴的な形で保持しているメラネシア(特にニューギニア)原住民の文化と、多くの点できわめてよく類似した文化が、縄文時代の中期に日本に渡来した可能性があるという指摘がされている。”(同書P71)
と述べてます。

この文化は、先にお話しした岡正雄氏による、古代日本の5つの「種族文化複合」のうち最も古いもので、「母系的・秘密結社的・芋栽培=狩猟民文化」と名づけられた文化に該当します。

その文化は、縄文時代中期に渡来したのではないかとしてます。
その特徴として、
・縄文式土器に渦巻文様が盛行、土器文様が繁縟化
・土偶の出現
・乳棒状石斧・棍棒用石頭・いくつかの型式の石鍬
・大規模の集落、切妻の長方形家屋

などを挙げてます。

同様のものがニューギニアからメラネシアにかけて見出される、というのです。
特に土偶については、祖先像あるいは地母像ともみられ、これがニューギニア・メラネシアの祖先木偶と一致する、とう指摘は興味深いところです。

土偶と木偶

こうしたことから吉田氏は、
”日本列島の栽培民は、タロ芋や里芋などの芋類を栽培したのかもしれない。すなわち少なくとも縄文時代中期ころ、すでに低栽培民文化が存在した。
という仮説を立ててます。

またこの文化の重要な構成要素であったという「秘密結社」について、
神ー祖霊ー妖怪として村々に出現し、女や子どもを威嚇するいわゆる秘密結社は、わが国においては、
・東北地方のナマハゲ
・祭事における仮面仮装人の出現
・秘儀を中心とする祭祀結社
・沖縄における、仮面仮装の神ー祖先が舟にのって島々を訪れてくるという信仰と行事
に見出される。”
と述べてます。

ナマハゲをはじめとする日本古来の祭りと類似しているという指摘は、興味深いところです。


なまはげ

続いて、
”縄文中期以後の土偶の取り扱われ方には、記紀のオオゲツヒメ神話と共通する信仰が、明瞭に反映しているという指摘が、坪井清足氏、藤森栄一氏からされている”、と述べてます。

縄文時代といえば土偶を思いおこす人が多いように、土偶について関心の高い方は多いと思われますが、同書でも詳しく解説してます。

”縄文時代の中期以後に作られるようになる、典型的な大型の土偶には、土中から完全な形で発見されるものが少なく、かならず胴体や手足などが、明らかに人為的と思われるしかたで、ばらばらにされ、離れたところから発見される。このような壊された土偶の破片は、住居跡からも出るが、時には焼畑にされるのに適している、住居から離れた山や丘でも発見されている。この出土状況から判断すれば、これらの土偶は、最初完全な形で作られたものを、後にわざわざばらばらに壊して、離れた場所にばらまくか埋めるかした、と結論せざるをえないという。”

"しかもこれらの土偶は、そのほとんどが女性をかたどっているうえに、乳房や尻が強調されたり、妊娠の様子が表されているなど、豊穣母神像として解釈するのがもっとも自然と思われる。”

”その時代にすでに、オオゲツヒメ神話の原形となった神話が、わが国に存在したことを示唆する。つまり縄文土偶は、殺され、ばらばらにされるこによって、身体から作物を生じさせるオオゲツヒメ的女神格をかたどったものであった。”(同書P76)


土偶は多くが、女性を表現したもので、かつまた破壊されたものが多いことが、知られています。この解釈についてはいろいろです。

a. 脚部の一方のみを故意に壊した例が多く、祭祀などの際に破壊し、災厄などを祓うことを目的に製作された。
b. 安産・多産などを祈る意味合いがあった。
c. 生命の再生、神像(女神像を含む)、精霊の像、呪物、お守り(護符)、子供の玩具やお守り
d. 破壊することで身体の悪い所の快癒を祈った。
e. ばらばらになるまで粉砕された土偶はそれを大地にばら撤くことが豊穣の祈念を意味した。
f. 集落のゴミ捨て場などに投棄された状態で出土されることが非常に多く、これは、最初から意図的に破壊して投棄することが目的であった。
g. 縄文人は冬期の太陽の弱まりを怖れ、土偶祭祀は冬を中心に行われた。
 (Wikipediaより)


かようにさまざまな解釈がされてます。
私はかつて、
”出産前に安産の祈りをこめて製作し、無事に安産した際は破壊し、不幸な結果になった際は破壊せずに大切に保管した。”
という説を耳にしたことがあります。何とも縄文時代らしい信仰だなと、思ったものです。

とはいえ、この説だけでは解釈しきれないことは、明らかです。むしろひとつの目的というよりも、各地方・各時代でさまざまな信仰上の目的で製作されたのではないでしょうか。そのうちのひとつに、eのオオゲツヒメ神話に描かれるような目的もあったのかもしれません。

さて土偶の話は以上にして、本筋に戻りましょう。

縄文時代中期には、日本では低栽培文化があり、オオゲツヒメ神話もその文化から生まれた、といえそうです。

吉田氏は、このことを示唆する祭りが、現代日本に残されていると述べてます。

”天竜川奥地一帯の狩祭シシ祭りは、一方種取りまたはオビシヤ等の称もあって、その内容は農耕に深い関係があることが考えられる。その次第は、まず鹿の模型を作り、その腹部に握飯や餅を納めて置くが、これをサゴと称した事も深い意味があった。その鹿を氏子一同環視の中で神主が射て取る。かくして腹部のサゴを取り出し、これを別に用意した飯や餅に混ぜて氏子に頒つ一方に穀物の種子と山の土(多くは境内)を添え、五穀の種子と称して同じく氏子に分配する。”(「日本古代の精神」横田健一)(同書P82)

ところがです。話はそう簡単ではありません。
吉田氏は述べてます。

この説には”重大な難点がある。”
それは
”縄文中期に、すでにわが国で農耕が行われていたかどうかが、確かでないということである。”(同書P76)
と指摘しています。

この「重大な難点」について、次回みていきます。

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日本神話の源流(7)~神の殺害と農耕の起源 オオゲツヒメ神話とハイヌウェレ神話

さて次に、南洋の神話と顕著な類似を示す日本神話として、「殺された神の屍体から穀物が発生したしだい」を物語る話についてです。

まずは古事記からです。
前回の続きで、最後に生まれたのが、三貴神のアマテラス、ツキヨミ、スサノオです。アマテラスは天(高天原)を、ツキヨミは天、滄海原(あおのうなばら)または夜の食国(よるのおすくに)を、スサノオは夜の食国または海原を治めるように言われますが、スサノオはそれを断り、母神イザナミのいる根の国に行きたいと願い、イザナギの怒りをかって追放されてしまいます。
そこからです。

”高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメ(大気都比売神)に食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。 これをカミムスビ(神産巣日御祖神)が五穀の種とした。”(Wikipediaより)

日本書記では、オオゲツヒメの代わりにワクムスビが登場して、同様の役割を果たしてます。
このような穀類起源神話の諸伝を総称して、「オオゲツヒメ神話」と呼ぶことにします。

このオオゲツヒメ神話と同型の食用食物起源神話の分布は、日本以外には、アメリカ大陸、南洋(インドネシア・ポリネシア)のみというようにかなり限定されている、と指摘してます。

ここでこの型の類話として有名な、インドネシアのセラム島のウェマーレ族の間に伝わる話を紹介しましょう。

”ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”(Wikipediaより)

ハイヌウェレ型神話

ドイツの民族学者アドルフ・イエンゼン(1899-1965年)によって記録されたもので、「ハイヌウェレ型神話」と呼びます。イエンゼンはこのタイプの神話を

”熱帯地方で芋類と果樹の類を栽培する、きわめて原始的な形態の農業を行う諸民族を行なう諸民族の文化と関連させながらくわしく分析した。そしてこの型の神話が、イエンゼンが「古栽培民」と呼んでいるこれらの民族に固有の世界観を反映しており、本来この「古栽培民文化」の中で生み出されたものである。”
と主張しました(同書P63)。

そしてこの神話とオオゲツヒメ神話等との関係について、
”日本のオオゲツヒメ神話にみられるように、穀物起源神話という形をとって、部分的にはより進んだ形態の農耕を行う文化にも伝搬している。南洋においても、稲作を行う民族のあいだで、しばしば稲の起源を説明する神話となって見出される。”(同書P63 )
、と指摘しています。

オオゲツヒメ神話などの穀物起源神話はあくまで進化した話である、というのです。つまり「芋栽培」「果樹栽培」が原初的な農耕であり、それがやがて「穀物栽培」に進化していった、それにともない神話も進化していった、ということです。
ここから神話も、南洋から北上して東アジアを経由し、日本列島に伝搬したのではないか、という仮説が生まれます。

そして注目は、イエンゼンのいう「古栽培民」のあいだに、明らかにハイヌウェレ型神話を表現したものとみられる血生臭い儀式が存在しているというのです。

その典型的な儀礼のひとつに、ニューギニア西南海岸に住むマリンド・アニム族の間で行われる
マヨ祭儀」
があります。

”この儀礼は、少年少女に対して施行される、成年式としての意味を持つ。”(同書P64)
”彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた。”(Wikipediaより)

これだけでは具体性がないので、実際の祭りの様子を次に記します。描写があまりにも血生臭いので、苦手な方は読み飛ばしていただいて結構です。

”ニューギニアの中央部に住んでいた、マリンド・アニム族の人々は、マヨという祭りの最中に、「マヨ娘」と呼ばれる若い娘を、男たちが全員で犯した上で、殺して肉を食べた。残りの骨は集められて、芽を出したばかりのココ椰子の若木の側に、一片ずつ分けて埋められた。また血は、椰子の幹に、赤く塗りつけられたという。”(「縄文宗教の謎」(吉田敦彦)より)

※「日本神話の源流」には、さらに詳細に描かれていてますが、あまりにも生々しく、ここに書くのもはばかれるほどです。興味のある方は、そちらをお読みください。

さてこの悲劇の少女について、”明らかにハイヌウェレ型神話の主人公たちの、儀礼における対応物であると認められる。いいかえれば、この血生臭い儀礼はまさしく、原初に起こった「ハイヌウェレ的存在」の殺害を、いま、ここで繰り返す意味を持つ。”(「日本神話の源流」P67)
と述べられてます。

ではなぜ、かように現代の私たちからみれば残酷な儀式を、彼らは行ったのでしょうか?

彼らが単に未開で野蛮だったからでしょうか?

そうではありません。
これを吉田氏は、
”成年式を受ける若者たちを、いったん神話に物語られるデマ神たちの時代に連れ戻したうえで、彼らに現行の文化と世界秩序が成立した過程を追体験させるものである。”(同書P67)

"原古の時に、人間が植物と区別のつかぬデマ神であることをやめ、栽培した植物を食べて生活する人間となったのは、デマ神たちによって行われたハイヌウェレ的存在の殺害の結果であった。それゆえ成年式のはじめに、いったんデマ神の状態に復帰させられた若者たちが、人間になる過程を完了するためには、彼らも殺害をなさねばならないのである。”

「現行の文化が殺害によって成立したものであり、人間が殺害によってはじめて人間になった」というのが、イエンゼンによれば「古栽培民文化」の基幹をなす観念なのである。”(同書P70)

デマ神とは、人間が文明に目覚める前の獣のような存在だったときの神という意味でしょうか。
その獣のような存在から人間として農耕を始めるようになった、その過程を追体験しなくては、一人前の大人になれないということです。

何とも奇妙で自分勝手な論理のようにも聞こえますが、彼らはこのように考えているというのです。

これに続いて、
”このように理解したとき、首狩りや食人などという今の私たちからみると、野蛮で残虐な行為も理解できるのだ。”
と述べてます。

その理由について、
”彼らはこれらの行為を、世界の秩序が維持され人間が人間であり続けるために、欠かすことのできない宗教的儀式として行っているのである。”
と解説してます。

そして最後に、私たち現代人にとって、とても耳の痛いことを述べてます。

”世界秩序を維持し文化的価値を擁護するためと称して戦争をおこし、あらゆる残虐な手段による大量殺人を絶えず繰り返してきた「文明人」に、人間文化を存続するためにぜひとも必要な儀礼として、人身御供や首狩り、食人等を行う民族を、そのことだけをとりあげて野蛮人呼ばわるする資格がないことも明らかであろう。”(同書P71)

なんとも深い洞察に富んだ指摘ですが、皆さんはどのように考えるでしょうか?。

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日本神話の源流(6)~国生みと神生み

前回の日向神話とともに、南洋との伝承がいちじるしいといわれてきたのは、順番的には日向神話より前に出てくるイザナギ・イザナミの夫婦神を主人公とする「国生み神話」です。今回はその「国生み神話」をみていきます。

「国生み神話」の冒頭は、オノロゴ島創造の物語です。

"伊邪那岐(イザナギ)・伊邪那美(イザナミ)の二神は、漂っていた大地を完成させるよう、別天津神(ことあまつがみ)たちに命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。イザナギ・イザナミは天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。”(Wikipedia)

オノロゴ島が実在の島か、架空の島かは議論が分かれるところですが、それはいずれみていくとして、吉田氏はこの神話の型について以下のように述べてます。

”この神話は従来、研究者たちによってポリネシアを中心にしてメランシアやミクロネシアの一部にも分布している、陸地創造神話の系統を引くとみなされてきた。これらの南洋神話は、太古に神が海底から島を釣り上げたという形で、陸地の起源を説明したもので、「島釣り型」として分類されている。"(同書P48)

同様の話が、ポリネシアのマルケサス諸島、ニウエ島にあるとのことです。そしてニュージーランド・ハワイでは、ポリネシア神話のもっともポピュラーな主人公であるマウイ神の冒険のひとつとして言い伝えられている、と述べてます。

◆島生み型
次に、イザナミ・イザナギの二神はオノロゴ島に降り、結婚します。二神は男女として交わることにより、大八島を構成する島々を生み出していきます。以下が生み出された島です(古事記による)。

1.淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま、アハヂノホノサワケシマ) - 淡路島。
2.伊予之二名島(いよのふたなのしま) - 四国。
3.隠伎之三子島(おきのみつごのしま) - 隠岐島。
4.筑紫島(つくしのしま) - 九州。
5.伊伎島(いきのしま) - 壱岐島。
6.津島(つしま) - 対馬。
7.佐度島(さどのしま) - 佐渡島。
8.大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま、オホヤマトトヨアキツシマ) - 本州

以上の八島が最初に生成されたため、日本を大八島国(おおやしまのくに、オホヤシマノクニ)といいます。

二神は続けて6島を産みます。
1.吉備児島(きびのこじま) - 児島半島。
2.小豆島(あずきじま、アヅキジマ) - 小豆島。
3.大島(おおしま、オホシマ) - 屋代島(周防大島)。
4.女島(ひめじま) - 姫島。
5.知訶島(ちかのしま) - 五島列島。
6.両児島(ふたごのしま) - 男女群島。

このように、島が男女の神の交合の結果、子として生み出されたという「島生み型」の陸地創造神話は、ポリネシアに広く分布しています。
ハワイ神話では、
”天神ワケアはパパ女神と結婚し、パパはまず最初にハワイ島とマウイ島を生んだ。”
として以下次々に、ラナイ・モロカイ・オアフ・カウアイ・ニハウなどの島を生んだ、となってます。

これと同様の神話が、マルケサス、ソシエテ、ニュージーランドなどにも存在している、と指摘してます。

<島生みの絵>
国生み神話

◆黄泉の国(死者の国)への訪問
イザナギとイザナミは、「国生み」を終えたあと、今度は多くの神々を生みます(神生み)。
その最後からです。

”イザナミが、火の神である火之迦具土神(カグツチ)を産んだために陰部に火傷を負って亡くなった。イザナギがイザナミの遺体にすがって泣いていると、彼の涙から泣沢女神が生まれた。その後イザナギはカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。

イザナギは、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国(よみのくに)まで逢いに行った。黄泉の火で調理した料理を食べてしまったイザナミは最初こそ夫の勧めを断るが、やはり愛しい夫が逢いに来てくれたことだから自分も帰りたいと考え、黄泉津神たちと話し合うことにするが、その間は「決して覗いてはいけない」と言った。
しかしいつまで経ってもイザナミが帰って来ないため、イザナギは妻との約束を破ってしまうが、そこで見てしまったのは、腐敗して蛆にたかられ、八雷神(やくさのいかづちがみ)に囲まれた最愛の妻の姿であった。その姿を恐れてイザナギは地上へ向かって逃げ出してしまう。追いかけてくる八雷神、予母都志許女(よもつしこめ)に髪飾りから生まれた葡萄、櫛から生まれた筍、黄泉の境に生えていた桃の木の実(意富加牟豆美命、おほかむづみ)を投げながら難を振り切った。

最後にイザナミが追って来たが、イザナギは黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を千引きの岩とされる大岩で塞ぎ、イザナミと完全に離縁した。岩の向こうからイザナミが「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」と言うと、イザナギは「それならば私は産屋を建て、1日1500の子を産ませよう」と言い返した。 ”(Wikipediaより)

この話と、ポリネシアのニュージーランドのマオリ族の神話とが、
”妻の女神に先立たれた夫の神が、彼女を生き返らせようとして後を追い、冥界に赴くが、結局は妻を連れ戻すのに失敗して、一人で上界に戻らねばならなかったという、話の基本的筋立てにおいて、軌を一にしている。”と指摘してます(同書P54)。


このように、イザナギ・イザナミ神話は、南洋、特にポリネシアの神話との類似が著しい、としてます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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