しばらくにわたり、日本語の源流についてお話してきましたが、今回からまた、古事記・日本書紀に戻ります。
テーマは「天孫降臨」です。さっそく訳文を読んでいきましょう。訳はWikipedia他を基に、適宜修正しています。
【高天原に住むアマテラスは、「葦原中国は私の子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホホミ)命が治めるべき国である」と命に天降りを命じたが、命は天の浮橋から下界を覗き、「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と高天原のアマテラスに報告した。】
葦原中国は原文では、「豊葦原之千秋長五百秋之水穗國(とよあしはらのちあきのながいほあきのみずほのくに)」です。文字通り、「長く久しく稲穂の実る国」という意味です。
ここからわかることは、アマテラスの住んでいた高天原は、水田の豊かな国ではなかった、ということです。なぜなら、もともと豊かな水田があったのなら、このような表現はしないはずだからです。
高天原とは、観念的な世界ではなく、実在した地域のことを指しているということは、これまでにお話してきました。その地域とは、対馬・壱岐島ではないか、と考えていることもお話しました。
魏志倭人伝には、
対馬について、
”この土地は、険しい山と深い森がほとんどで、道路ときたら鳥や獣の踏み分け道のようである。千余戸あるものの、良い田んぼはない。海産物を食べて自活しているが、海に乗って南北へ米の買い出しに出かけたりもする。”
壱岐について、
”竹林や雑木林が多く、三千ばかりの家がある。少しばかり田畑もあるにはあるが、いくら耕しても食べていけない。そこで、この国も、南北に米の買い出しに出かけるのである。”
との記載があります。
いずれも良い畑がなく、漁業や交易に頼っていたわけです。そのような島に住んでいた人々からすれば、美田のある地域はさぞかし魅力的に映り、なんとしても手に入れたい地域だったことでしょう。
その地は、アマテラスの御子であるオシホホミが治めるべきと言ってますが、そこには当然のことながら、すでに人々が暮らしていたわけです。なぜオシホホミが治める地なのか、その理由を挙げていません。つまり大義名分がない、ということになります。
案の定、オシホホミは「葦原中国は大変騒がしく、手に負えない」と言って、戻ってきてしまいます。つまり、すでに住んでいた人々から大きな反発があり、征服できなかったということです。
【タカムスヒとアマテラスは天の安の河の河原に八百万の神々を集め、思金(オモヒカネ)に
「この葦原中国は、我が子の治めるべき国と委任して与えた国である。 この国に迅速に荒れすさぶ国津神たちが多くいるようだ。どの神を葦原中国に派遣すべきか。」問うた。オモヒカネと神々が相談して「天菩比(アメノホヒ)命を派遣するのが良い」という結論になった。そこで天菩比命を遣わしたが、オオクニヌシにへつらい従って、3年経っても復命しなかった。】
オシホホミの失敗を受け、戦略変更です。ここでアマテラスとともに、タカムスヒが登場します。タカムスヒは、諸説ある神です。
”『古事記』によれば、天地開闢の時、最初に天之御中主神(アメノミナカヌシ)が現れ、その次に高天原に出現したとされるのが高御産巣日神(タカムスヒ)という神である。この次に神産巣日神(カミムスヒ)が出現した。 天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神は、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている。
息子に思金神(オモヒカネ)、娘に万幡豊秋津師比売命(ヨロズバタトヨアキツシヒメノミコト)等がいる。また、『日本書紀』ではスクナビコナも子の一柱に数えられる(『古事記』ではカミムスビの子とされる)。
『古事記』ではヨロズバタトヨアキツシヒメノミコトがアマテラスの御子神のオシホミミと結婚して生まれたのが天孫邇邇芸命(ニニギノミコト)である。このことからタカムスヒはニニギの外祖父に相当する。
のちの皇室はタカムスビの血を引いているとされるが、記紀神話、特に日本書紀でのタカムスヒはアマテラスより優位に立って天孫降臨を司令する。このため、タカムスヒが本来の皇祖神だとする説がある。”(Wikipdia「タカムスビ」より)
タカムスヒは古事記冒頭の天地開闢(かいびゃく)に登場する造化三神の一神であり、根源的な神ということになります。その後の神代七代のイザナギ・イザナミから最後に生まれたのが、アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴神です。
その一方、タカムスヒの娘のヨロズバタトヨアキツシヒメは、とアマテラスの子のオシホミミと結婚します。つまりタカムスヒはニニギの外祖父に当たり、アマテラスと同時代の神であることがわかります。

これをどう解釈するかです。造化三神のタカムスヒと今回のタカムスヒは、まったくの別の神という考え方もあります。あるいは神なのだから、そこまで厳密に考えるものでもない、という考えもあります。
私は、タカムスヒは本来アマテラスと同時代の神であり、のちの時代に、造化三神に据えられたのではないか、という仮説を以前提示しました。詳細は、
”図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 7: 古事記・日本書紀のなかの史実① 天地開闢からアマテラス誕生まで”
を参照ください。
さてアマテラスとタカムスヒは、オモヒカネに”どの神を葦原中国に派遣すべきか。”と問いかけます。オモヒカネはタカムスヒの子で、ヨロズバタトヨアキツシヒメの兄です。つまりオシホミミの義理の兄に当たります。
実はオモヒカネは、以前にも天岩戸神話で登場しています。アマテラスが岩戸隠れした際に、大勢の神々が、天の安(あめのやす)の河原に集まって、オモヒカネに思慮の限りを尽くさしめて、オモヒカネは常世国の長鳴き鳥を集めて鳴かせるなどの知恵を授けました。
これについて、
”わが上代に氏族の代表者が野外に会合して、事を議し行うという原始的代議制度の存したことを推測させる。”
と述べられています(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)P81より)。
今回も同様に、オモヒカネと神々が相談して「天菩比(アメノホヒ)命を派遣するのが良い」という結論になったわけです。
日本人は、どちらかというと一人のトップが強烈なリーダーシップをもって事を進めるというより、集団合議的な傾向が強いと言われますが、こうした文化は、遠い古代から引き継がれているのかもしれませんね。
もうひとつの注目は、いずれもタカムスヒの子のオモヒカネが主導していることです。つまり実質的には、背後にいるタカムスヒが主導していると考えられます。これから出てくる天孫降臨でもタカムスヒが主導しており、こうしたことからも、もともとの皇祖神はタカムスヒではなかったか、とされているわけです。
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術