後漢書倭伝を読む その2 ~ 日本人は古代から酒好きだった!
今回は、倭の風俗です。書かれている内容は、ほぼ魏志倭人伝と同じです。
倭の土地は、稲・麻・養蚕に適しており、倭人は糸をより、布を織ることを知っていて、絹布をつくっている。倭の地からは、白珠や青玉を産出し、山には丹がある。
気候は温暖で、冬でも夏でも野菜ができる。牛・馬・虎・豹・羊・かささぎはいない。
倭人の武器としては、矛・楯・木の弓・竹の矢などがあり、動物の骨で鏃(やじり)をつくることもある。
倭人の男は、みな顔や身体に入れ墨をしており、その模様の位置や大小で身分をつけている。倭人の男の衣服は、みな布を横にして身体につけ、針や糸を使わずに結び合わせている。女子は髪を左右に振り分け、耳の上で曲げて輪に結び、衣服は単衣のうちかけのようで、穴から顔を出して着ている。みな丹朱(たんしゅ)を身体にまぶしているが、これは中国で白粉(おしろい)をつけているようなものである。
砦(とりで)や家屋がある。家の中では父母兄弟が別々の部屋にいるが、集会などのときは、男女の別はない。
【解説】
これらの描写は、魏志倭人伝とほぼ同じです。多少の差異は、范曄が参照した元の後漢書がそうなっていたのか、あるいは当時の伝聞をもとに范曄が加えたことによるものと思われます。
ひとつ注目したいのは「集会などのときは、男女の別はない。」という記載です。魏志倭人伝にも、「会合、席次には、父子、男女の区別がない。」という記載がありました。
これを素直に読むと、厳しい身分社会ではあったが、同じ身分においては、男女間の差別はなかったのではないか、とも考えられます。これは興味深いテーマです。
古田武彦氏は、「縄文から弥生時代まで、女性を中心とした(女系)社会だった。」との説を唱えています。たしかに縄文時代を代表する土器である土偶は、大半が女性を模したものですし、卑弥呼や壹与を立てたのも、女性を崇拝する土壌があったからでしょう。そしてその伝統は、天皇制の時代になり、推古天皇や持統天皇などの女性天皇にも続いていきます。そもそも日本人の祖とされている天照大神は、女性です。
となると、女性中心と言い切れるかどうかは別として、少なくとも女性を崇拝する社会であったとは、言えるかのではないでしょうか。
これらはとても深いテーマなのですが、今回は問題提起をするにとどめます。
飲み食いするときは、箸(はし)を使わず手づかみで食べるが、竹皿や高坏(たかつき)はある。
一般にみなはだしで歩き、目上の人に対するときは、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとって敬意を示す。倭人はみな酒を好む。
長生きの人が多く、百歳以上に達するものが、沢山いる。男と女では女の方が多い。諸国の有力者はみな妻を四、五人持ち、それ以外の者でも二、三人の妻をもっている。女性はふしだらではなく、やきもちもやかない。
また一般に、泥棒がおらず、争いごとも少ない。法を犯した者は、役人がその妻子を取り上げて奴隷にし、罪が重い者は、一族皆殺しにしてしまう。
【解説】
風俗について続きます。内容は、魏志倭人伝とほぼ同じです。
泥棒がおらず、争いごとも少ない。とあり、規律ある社会であったとあります。いっぽうで、法を犯した者には、厳罰があった、とあります。魏志倭人伝では、奴隷にされるとありますが、一族皆殺しにされる、とさらに厳しい表現となってます。
いずれにしても、こうした厳しい厳罰があったから、規律が保たれていた、という可能性はあります。
なお魏志倭人伝と同じくここにも「酒を好む」と記載されています。中国人も酒を好むわけで、あえて書いたのは、しょっちゅう目立つほど飲んでいた、ということでしょうか。
現代においても、日頃は真面目な日本人が、宴会でハメを外して騒いだり、酒の席でしか本音を言わなかったりなど、外国人の眼には不思議に映る、と言われます。
ある意味、酒を通じてコミュニケーションをとっているわけで、これを評して、ある外国の方が、「日本は酒の文化だ。」と言っているのを聞いたことがあります。
こうした文化は、古代から続いているのかもしれませんね。
ちなみに当時の酒の作り方ですが、「加熱した穀物を口でよく噛み、唾液のジアスターゼで糖化、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という原始的な方法を用いていた」そうで、「酒を造る「醸す」は、噛むが語源とか。また、「口噛み」の作業を行うのは巫女に限られており、酒造りの仕事の原点は女性からであることがうかがえます。」とのことです。(日本酒サービス研究会、酒匠研究連合会HPより)
以上、酒にまつわる豆知識でした。
当時のものつくりは、このようなところで行われていたようです。
吉野ヶ里歴史公園HPより

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倭の土地は、稲・麻・養蚕に適しており、倭人は糸をより、布を織ることを知っていて、絹布をつくっている。倭の地からは、白珠や青玉を産出し、山には丹がある。
気候は温暖で、冬でも夏でも野菜ができる。牛・馬・虎・豹・羊・かささぎはいない。
倭人の武器としては、矛・楯・木の弓・竹の矢などがあり、動物の骨で鏃(やじり)をつくることもある。
倭人の男は、みな顔や身体に入れ墨をしており、その模様の位置や大小で身分をつけている。倭人の男の衣服は、みな布を横にして身体につけ、針や糸を使わずに結び合わせている。女子は髪を左右に振り分け、耳の上で曲げて輪に結び、衣服は単衣のうちかけのようで、穴から顔を出して着ている。みな丹朱(たんしゅ)を身体にまぶしているが、これは中国で白粉(おしろい)をつけているようなものである。
砦(とりで)や家屋がある。家の中では父母兄弟が別々の部屋にいるが、集会などのときは、男女の別はない。
【解説】
これらの描写は、魏志倭人伝とほぼ同じです。多少の差異は、范曄が参照した元の後漢書がそうなっていたのか、あるいは当時の伝聞をもとに范曄が加えたことによるものと思われます。
ひとつ注目したいのは「集会などのときは、男女の別はない。」という記載です。魏志倭人伝にも、「会合、席次には、父子、男女の区別がない。」という記載がありました。
これを素直に読むと、厳しい身分社会ではあったが、同じ身分においては、男女間の差別はなかったのではないか、とも考えられます。これは興味深いテーマです。
古田武彦氏は、「縄文から弥生時代まで、女性を中心とした(女系)社会だった。」との説を唱えています。たしかに縄文時代を代表する土器である土偶は、大半が女性を模したものですし、卑弥呼や壹与を立てたのも、女性を崇拝する土壌があったからでしょう。そしてその伝統は、天皇制の時代になり、推古天皇や持統天皇などの女性天皇にも続いていきます。そもそも日本人の祖とされている天照大神は、女性です。
となると、女性中心と言い切れるかどうかは別として、少なくとも女性を崇拝する社会であったとは、言えるかのではないでしょうか。
これらはとても深いテーマなのですが、今回は問題提起をするにとどめます。
飲み食いするときは、箸(はし)を使わず手づかみで食べるが、竹皿や高坏(たかつき)はある。
一般にみなはだしで歩き、目上の人に対するときは、蹲踞(そんきょ)の姿勢をとって敬意を示す。倭人はみな酒を好む。
長生きの人が多く、百歳以上に達するものが、沢山いる。男と女では女の方が多い。諸国の有力者はみな妻を四、五人持ち、それ以外の者でも二、三人の妻をもっている。女性はふしだらではなく、やきもちもやかない。
また一般に、泥棒がおらず、争いごとも少ない。法を犯した者は、役人がその妻子を取り上げて奴隷にし、罪が重い者は、一族皆殺しにしてしまう。
【解説】
風俗について続きます。内容は、魏志倭人伝とほぼ同じです。
泥棒がおらず、争いごとも少ない。とあり、規律ある社会であったとあります。いっぽうで、法を犯した者には、厳罰があった、とあります。魏志倭人伝では、奴隷にされるとありますが、一族皆殺しにされる、とさらに厳しい表現となってます。
いずれにしても、こうした厳しい厳罰があったから、規律が保たれていた、という可能性はあります。
なお魏志倭人伝と同じくここにも「酒を好む」と記載されています。中国人も酒を好むわけで、あえて書いたのは、しょっちゅう目立つほど飲んでいた、ということでしょうか。
現代においても、日頃は真面目な日本人が、宴会でハメを外して騒いだり、酒の席でしか本音を言わなかったりなど、外国人の眼には不思議に映る、と言われます。
ある意味、酒を通じてコミュニケーションをとっているわけで、これを評して、ある外国の方が、「日本は酒の文化だ。」と言っているのを聞いたことがあります。
こうした文化は、古代から続いているのかもしれませんね。
ちなみに当時の酒の作り方ですが、「加熱した穀物を口でよく噛み、唾液のジアスターゼで糖化、野生酵母によって発酵させる「口噛み」という原始的な方法を用いていた」そうで、「酒を造る「醸す」は、噛むが語源とか。また、「口噛み」の作業を行うのは巫女に限られており、酒造りの仕事の原点は女性からであることがうかがえます。」とのことです。(日本酒サービス研究会、酒匠研究連合会HPより)
以上、酒にまつわる豆知識でした。
当時のものつくりは、このようなところで行われていたようです。
吉野ヶ里歴史公園HPより

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