沖ノ島祭祀を執り行ったのはだれか?(16)~宮地嶽古墳の被葬者はだれ?
今回は、宮地嶽(みやじだけ)古墳です。津屋崎古墳群のなかで、南に位置し、もっとも新しい古墳です。
”本古墳は宮地嶽神社境内にあり、宮司・手光にある他の古墳と同様に7世紀の築造と推定される。墳丘形状は大型の円墳で、直径は34メートル、横穴式石室の長さが約22メートルもある。今日内部を見学できる横穴式石室としては最大のものである。この石室に使用されている石材(玄武岩)は、玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。
現在知られている古墳時代の横穴式石室で日本最大のものは、奈良県橿原市にある巨大古墳見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)のもの(全長約28メートル)であるが、これは宮内庁管理の陵墓参考地に含まれており、非公開とされている。巨石墳として有名な奈良県明日香村の石舞台古墳でさえ約20メートルである。”(Wikipediaより)
もっとも特徴的なことといえば、その規模でしょうか。横穴式石室の全長が約22mもあり、これは奈良県橿原市にある巨大古墳見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)のもの(全長約28メートル)に次ぐ、日本第二位の大きさです。あの明日香村の石舞台古墳の約20mを上回ります。
見瀬丸山古墳の被葬者は不明で、欽明天皇との説もありますが、確定されてません。一方石舞台は蘇我馬子との説が有力です。当時の最高権力者ともいわれる蘇我馬子の墓をも上回る規模ですから、宮地嶽古墳の被葬者はただものではないことがわかります。
宮地嶽古墳は、その豪華な出土物でも知られてます。
"古墳からは、馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉やガラス板など、およそ300点が発見され、どれも第一級のすばらしいものであり、そのうち十数点は国の指定物件として国宝に指定されています。この地を支配した氏族の繁栄と富みを象徴する品で、まさに地下の正倉院ともいえます。"(宮地嶽神社HPより)
まさに「豪華絢爛」という言葉がぴったりです。
金銅製頭推太刀は、神社の説明によると、”頭椎(かぶつち)の太刀は皇位継承権のある人が持つもので、 地方豪族などは持てません。”というきわめて貴重なものです。https://lunabura.exblog.jp/14559788/より
また”馬具は九州で超一級で、所有者は皇太子のレベル以上のものです。国宝になった主なものとして、金銅の冠(銅に金メッキ)、馬具は鞍、壺鐙(つぼあぶみ)轡(くつわ)など、どれも銅に分厚い金メッキが施されていました。 銅の鎖、壺鐙のデザインはササン朝ペルシャのものです。 金のイヤリング、緑のガラス球、銅のお碗、銅のお皿、土師器のお碗 長方形の鉛系のガラス板など。これは正倉院と同じタイプです。”(同上ブログ)
注目は、太刀は「皇位継承権のある人が持つもの」であり、馬具は「皇太子のレベル以上」といわれていることです。
ここから、被葬者は、ただものではない、当時の日本を代表する人物だったのではないか、という推測ができます。九州王朝の立場に立てば、「九州王朝の王」、つまり「倭国王」ということになります。
実際、このように解釈しないと、説得力のある説明ができないでしょう。
さらに驚くべきことに、宮地嶽神社では、被葬者について、
”被葬者として、よく名前が挙げられるのが宗像徳善の君です。しかし、年代が科学的に、100年位誤差が出ます。もし、彼が150年位生きていたら、可能性が出て来ますが。
この宮地嶽神社の御祭神の藤氏が磐井氏の孫です。ですから、この古墳は磐井氏の関係の者と思われます。 一般には宗像徳善の君と言われていますが、違います。”
としてます。(同上ブログ)
なんと宮地嶽神社では、被葬者を「磐井の関係の者」としてるのです。
ここで「磐井」とは、「筑紫の君磐井」のことです。磐井は6世紀前半の豪族で、筑後を基盤として、北部九州一帯を勢力範囲としたとされます。日本書紀に、527年の「磐井の乱」で継体天皇と戦になり、物部麁鹿火によって斬られた、と記載されてます。
九州王朝説からみれば、磐井は「倭国王」であり、継体天皇のクーデターだったことになります。宮地嶽古墳の被葬者が磐井の関係者ということは、倭国王の関係者ということになります。先に述べた、「ただものではない、当時の日本を代表する人物」という条件にぴったり合います。
そして何よりも宮地嶽神社自身が、それを自認してます。
HPでは明確に、「九州北部王朝の聖域」という表現をしてます。
そして宮地嶽神社には、九州王朝の舞いといわれる「筑紫舞い」が伝わってます。
ちなみにこの「八乙女の舞」は、志賀海神社にも伝わってます。同じ信仰圏であったことがうかがわれます。
以上のように、宮地嶽古墳が九州王朝と深い関係があるという説には、大きな可能性が感じられるのではないでしょうか。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
”本古墳は宮地嶽神社境内にあり、宮司・手光にある他の古墳と同様に7世紀の築造と推定される。墳丘形状は大型の円墳で、直径は34メートル、横穴式石室の長さが約22メートルもある。今日内部を見学できる横穴式石室としては最大のものである。この石室に使用されている石材(玄武岩)は、玄界灘の相島から船によって運ばれたと推定されている。
現在知られている古墳時代の横穴式石室で日本最大のものは、奈良県橿原市にある巨大古墳見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)のもの(全長約28メートル)であるが、これは宮内庁管理の陵墓参考地に含まれており、非公開とされている。巨石墳として有名な奈良県明日香村の石舞台古墳でさえ約20メートルである。”(Wikipediaより)
もっとも特徴的なことといえば、その規模でしょうか。横穴式石室の全長が約22mもあり、これは奈良県橿原市にある巨大古墳見瀬丸山古墳(五条野丸山古墳)のもの(全長約28メートル)に次ぐ、日本第二位の大きさです。あの明日香村の石舞台古墳の約20mを上回ります。
見瀬丸山古墳の被葬者は不明で、欽明天皇との説もありますが、確定されてません。一方石舞台は蘇我馬子との説が有力です。当時の最高権力者ともいわれる蘇我馬子の墓をも上回る規模ですから、宮地嶽古墳の被葬者はただものではないことがわかります。

宮地嶽古墳は、その豪華な出土物でも知られてます。
"古墳からは、馬具、刀装具、緑に輝く瑠璃玉やガラス板など、およそ300点が発見され、どれも第一級のすばらしいものであり、そのうち十数点は国の指定物件として国宝に指定されています。この地を支配した氏族の繁栄と富みを象徴する品で、まさに地下の正倉院ともいえます。"(宮地嶽神社HPより)





まさに「豪華絢爛」という言葉がぴったりです。
金銅製頭推太刀は、神社の説明によると、”頭椎(かぶつち)の太刀は皇位継承権のある人が持つもので、 地方豪族などは持てません。”というきわめて貴重なものです。https://lunabura.exblog.jp/14559788/より
また”馬具は九州で超一級で、所有者は皇太子のレベル以上のものです。国宝になった主なものとして、金銅の冠(銅に金メッキ)、馬具は鞍、壺鐙(つぼあぶみ)轡(くつわ)など、どれも銅に分厚い金メッキが施されていました。 銅の鎖、壺鐙のデザインはササン朝ペルシャのものです。 金のイヤリング、緑のガラス球、銅のお碗、銅のお皿、土師器のお碗 長方形の鉛系のガラス板など。これは正倉院と同じタイプです。”(同上ブログ)
注目は、太刀は「皇位継承権のある人が持つもの」であり、馬具は「皇太子のレベル以上」といわれていることです。
ここから、被葬者は、ただものではない、当時の日本を代表する人物だったのではないか、という推測ができます。九州王朝の立場に立てば、「九州王朝の王」、つまり「倭国王」ということになります。
実際、このように解釈しないと、説得力のある説明ができないでしょう。
さらに驚くべきことに、宮地嶽神社では、被葬者について、
”被葬者として、よく名前が挙げられるのが宗像徳善の君です。しかし、年代が科学的に、100年位誤差が出ます。もし、彼が150年位生きていたら、可能性が出て来ますが。
この宮地嶽神社の御祭神の藤氏が磐井氏の孫です。ですから、この古墳は磐井氏の関係の者と思われます。 一般には宗像徳善の君と言われていますが、違います。”
としてます。(同上ブログ)
なんと宮地嶽神社では、被葬者を「磐井の関係の者」としてるのです。
ここで「磐井」とは、「筑紫の君磐井」のことです。磐井は6世紀前半の豪族で、筑後を基盤として、北部九州一帯を勢力範囲としたとされます。日本書紀に、527年の「磐井の乱」で継体天皇と戦になり、物部麁鹿火によって斬られた、と記載されてます。
九州王朝説からみれば、磐井は「倭国王」であり、継体天皇のクーデターだったことになります。宮地嶽古墳の被葬者が磐井の関係者ということは、倭国王の関係者ということになります。先に述べた、「ただものではない、当時の日本を代表する人物」という条件にぴったり合います。
そして何よりも宮地嶽神社自身が、それを自認してます。
HPでは明確に、「九州北部王朝の聖域」という表現をしてます。
そして宮地嶽神社には、九州王朝の舞いといわれる「筑紫舞い」が伝わってます。

ちなみにこの「八乙女の舞」は、志賀海神社にも伝わってます。同じ信仰圏であったことがうかがわれます。
以上のように、宮地嶽古墳が九州王朝と深い関係があるという説には、大きな可能性が感じられるのではないでしょうか。
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