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【新著です!】

 この記事は、しばらくの間この位置におきます。
最新記事は、二つ下にあります。

2年ぶりとなりましたが、シリーズ第七巻が出版の運びとなりました。

題名は
「図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 7
古事記・日本書紀のなかの史実①
天地開闢からアマテラス誕生まで」

です。

『古事記・日本書紀』の神話とな何なのか?
・単なる創作か?
・あるいは何らかの史実を表したものなのか?
この問いに対して、科学的視点をもって説き明かしていきます。

まずはkindle本で出版します。紙の本は、数か月先になります。
購読いただければ幸いです。




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古事記・日本書紀のなかの史実 (58) ~須賀と須佐

ヤマタノオロチを退治したスサノオですが、その後クシナダヒメとと暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこで

「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁 」
(八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を)


と詠みます。
そして、アシナヅチを呼んで「お前は私の宮の主となれ」と言い、名を稲田宮主須賀之八耳(イナダノミヤヌシスガノヤツミミ)神と名付けます。

まず須賀ですが、通説では、島根県雲南市大東町須賀にある須賀神社あたりとされています。

スサノオと妻のイナダヒメ、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命(スガノユヤマヌシミナサロヒコヤシマノミコト。八島士奴美神)を主祭神とし、諏訪大社の分霊のタケミナカタを配祀する。

『古事記』によれば、スサノオはヤマタノオロチを退治した後、妻のイナダヒメとともに住む土地を探し、当地に来て「気分がすがすがしくなった」として「須賀」と命名し、そこに宮殿を建てて鎮まった。これが日本初の宮殿ということで「日本初之宮」と呼ばれ、この時にスサノオが詠んだ歌が日本初の和歌ということで、「和歌発祥の地」と称している。

天平5年(733年)、『出雲国風土記』大原郡条に記載されている「須我社」に比定される。風土記の時点では神祇官の管轄ではなく、延長5年(927年)の延喜式神名帳には記載されていない。本来の祭神は大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰(スガネ)命であったものが、記紀神話の影響によりスサノオに結び付けられたとも考えられる。


背後にある八雲山には、夫婦岩と呼ばれる巨石と小祠があり、当社の奥宮となっている。この巨石は磐座であり、元は須賀の地の総氏神として信仰されていたものである。”(Wikipedia「須賀神社」より)

須賀神社






しかしながら、単純に須賀神社でいいのかという疑問があります。

まず注目は、
”本来の祭神は大原郡海潮郷の伝承に登場する須義禰(スガネ)命であったものが、記紀神話の影響によりスサノオに結び付けられたとも考えられる。”
という指摘です。

神社の祭神は、必ずしも現在の祭神がもともとの祭神であるとは限りません。もともとの支配者の祭る神が、その支配者が征服された際に、征服者の神に代わることがしばしば起こります。須賀神社の場合も、その可能性があります。

門脇禎二氏(京都府立大学名誉教授)によれば、

”『古事記』『日本書紀』の出雲神話に出てくる地名や出雲関係の記事を拾っていきますと、どうしたことか、西方の斐伊川とその下流に関して出てくる話ばかりです。逆に申しますと、『記』『紀』には、出雲東部の意宇を中心とした歴史の動きはスポッと抜けているのです。”(「古代日本の「地域王国」と「ヤマト王権」上P14より)

”須佐の地域で語り継がれた話のなかに、須佐の首長の話もあったのだろうと思います。須佐之男命の須佐之男は、須佐の男という意味なのだろうと思います。

『記』『紀』に出てくる出雲の神話の原型は、すべて出雲西部の語部たちの間に語り伝えられてきたものが下敷きになっていたわけです。それが西部も統御した意宇の王たちに語り上げられ、さらに、意宇の王がヤマト朝廷の国造にされると、この出雲国造からヤマト朝廷に伝されたものだといえるようです。”(同上P41)

つまり出雲西部には、原イツモ国とでもいうべき巨大な勢力があり、国譲り神話など古事記・日本書紀に記載されている物語は、すべて彼らの神話だったというのです。

実際、出雲西部にある荒神谷遺跡からは、大量の銅剣358本の他、銅鐸、銅矛が発見されるなど、古代史をゆるがす画期となりました。

その後、東部のクニが勢力を拡大して原イズモ国を呑み込み、最終的にヤマト王権の支配下になったと述べています。

こうした動きのなかで、須賀神社とスサノオの結びつきが、あとから創られた可能性があります。

では、その西の勢力の中心は、どこにあったのでしょうか?

”スサノオの宮殿があったとされる地には須佐神社(島根県出雲市)がある。代々須佐神社の神職を務める稲田氏(後に須佐氏)はオオクニヌシの子孫であり、アシナヅチ・テナヅチから数えて2010年現在で78代目であるとしている。”(Wikipedia「アシナズチ・テナヅチ」より)

『出雲国風土記』に、スサノオが各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来スサノオの本宮とされた。社家の須佐氏は、オオクニヌシの子の賀夜奈流美命を祖とすると伝える。(Wikipedia「須佐神社」より)

古来、スサノオの本宮とされていること、社家の稲田氏(のち須佐氏)が古事記の
稲田宮主須賀之八耳と重なっていること、またオクニヌシの子孫と伝承されていることなど考えると、須佐神社こそ、スサノオの宮殿にふさわしいともいえます。

なお須佐神社の摂社に須賀神社があります。由緒は不明ですが、何らか関係している可能性がありますね。

須佐神社
須賀・須佐神社

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古事記・日本書紀のなかの史実 (45) ~ 誓約(古事記)

前回は、日本書紀の描く誓約神話を読み解きました。今回は、古事記の描く誓約神話をみてみましょう。
まず話の概要です。

”アマテラスがスサノオに対して、
「本当に心が清らかなことを、どうしたら知ることができるのか?」
という問いに対して、スサノオが次のように答えます。
「それでは二人が、それぞれ、神に誓いを立ててうけいをすることにしましょう。二人がそれぞれ子供を生んで、その子供によって、私の子供が清らかであるかどうか、神意を判断することにしたらどうでしょうか。」
そして五男神三女神が生まれます。そのプロセスは日本書紀と同じで、アマテラスがスサノオの十握剣を貰い受け三女神生まれ、スサノオがアマテラスの玉飾りを貰い受け五男神が生まれます。

アマテラスが次のように言います。
「あとから生まれた五人の男の子たちは、私の持物によって生まれた。したがってこの五人は、しぜん、私の子ということになる。先に生まれた三人の女の子は、お前の持物によって生まれた。したがってこの三人は、しぜん、おまえの子ということになる。

これに対してスサノオは、
「それごらんなさい。私の心は清らかでなんの異心も隠していなかった。それゆえ、私の生んだ子供は心のやさしい女の子だったじゃありませんか。うけいをしてみたらこういう結果になったのだから、この勝負は私の勝ちですね。
と勝ちを宣言します。”
(「古事記」(福永武彦訳)参照)

誓約

では論文をみてみましょう。

”一方『古事記』に記される「ウケイ」神話は、神代紀の各書とはかなり異なる点がある。特に事前の清心条件提示がない点が不審である。これでは「ウケイ」を行う意義がはっきりしない。そして事後に「手弱女(たおやめ)を得た」と喜び、勝ちを宣言する。
表1に示すように、神代紀の各書では全て事前にスサノオが男子を生めば勝ちという提案がなされていて、その結果その長子の名に正哉吾勝勝速日という長い尊称が附く。これは第六段の第三の一書に明記されているように、男子を産んだスサノオの勝ち名乗りである。『古事記』ではスサノオが女神を得たにもかかわらず男神にこの勝ち名乗りの尊称を附けたのは、全く意味をなさない。

【解説】
誓約の勝敗についてです。日本書紀には、「どうなったら勝ちか」が事前に決められてます。具体的には、スサノオが男子を生めば勝ち、という取り決めです。結果としてスサノオが男子を生んでますから、勝敗についてはスサノオの勝ちということですっきりします。

一方、古事記にはその条件が事前に明確に決められてません。つまり勝敗がはっきりとは決められないはずなのですが、なぜか事後に「手弱女(たおやめ)」を得たとして、一方的に勝利を宣言します。
ここで「手弱女」とは、”たおやかな女性。なよなよと優美な女性。”(デジタル大辞泉)。ここでは三女神のことです。その三女神をスサノオが得たことで勝利宣言したわけです。

整理すると、日本書紀では、事前の取り決めとしては、「スサノオが男の子を生んだら勝ち」でした。
日本書紀で生んだ子供は
・アマテラス 三女神
・スサノオ  五男神
でした。
日本書紀の場合、事前の取りきめが「スサノオが男の子を生んだらスサノオの勝ち」でしたから、スサノオが勝ちとなりました。これは明確ですね。

そして、ここがややこしいところですが、子の所属としては
・アマテラス 五男神
・スサノオ  三女神

である、とされてます。

一方古事記の場合、スサノオの生んだのは男神のようにとれですが、なぜかスサノオは、
「私の得た子は、女の子だった。だから私の勝ちだ。」
と一方的に勝利を宣言したのです。

この表記は原文では、
「我心清明、故、我所生子、得手弱女。因此言者、自我勝。」
です。
「我所生子、得手弱女」の訳が微妙ですが、訳文どおり
「私が生んだ子供は心の優しい女の子だった」
とするのが自然でしょう。

つまりここではなぜか、自分(スサノオ)が生んだのは女の子だ、と言ってます。このあたりがすっきりしませんね。

ところで事前の取り決めは何だったでしょうか。
「二人がそれぞれ子供を生んで、その子供によって、私の子供が清らかであるかどうか」
でした。

スサノオの理屈としては、
私の生んだ子=女の子
女の子=清い子
→だから私の生んだ子供は清い子
→私の勝ち

というものになります。

後出しジャンケンのようなずいぶん勝手な理屈のようにも聞こえますが、これに対してアマテラスが何も文句を言っていないところをみると、古代においてはこのような論理が通用したともいえます。

またこのように考えると、「事前の清心条件提示があった」といえなくもありません。

ただいずれにしても、矢田氏のいうとおり、
”長子の天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)に、私が勝ったという意味である正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)という尊称をつけたのは、意味不明である。”
ということは確かです。

このあたりについて、谷口氏は面白い解釈をしています。

”もともとは日本書紀が本来的であり、それを古事記が改変した。”
というのです。

そして
”前提条件にしないで、スサノオの勝利宣言という形にしたのは、表立って改変することが憚れたためかもしれません。ただそのおかげでアマテラスは男の子の親ということになって、その後の皇統の始祖につきますし、スサノオが暴れる展開にもつなげることができたということなのでしょう。”(「古事記の謎をひもとく」(谷口雅博),P38より)
と述べてます。

ようは、日本書紀の形だと、皇統につながる男の子(アマノオシホノミコト)を生んだのはスサノオですが、それではアマテラスが皇統の始祖とならない。そこで古事記では改変して、スサノオが生んだのは女の子ということにした、という解釈です。

ずいぶんと凝りに凝った解釈のようにも聞こえますが、なんともいえないところです。

いずれにしろ、このように誓約神話に関しては、古事記・日本書紀で話がかなり異なったものになってます。これはおそらく元となった話の成立年代がかなり古く、その後さまざまに伝承されるなかで次第に変遷していった、ということでしょう。

逆にいえば、巷でよくいわれる「古事記・日本書紀は、編纂時(8世紀)の官吏が創作した話だ。」という説も成立しがたい、ということになります。なぜなら創作であれば、ここまで多くのバージョンの物語を創作する必要もなかったわけですから・・・。

それにしても矢田氏は、古事記・日本書紀の複雑な話を、表1のようにきれいに整理したうえで、たいへん鋭い分析をしてます。いかにも理工系の学者らしいですね。

誓約諸伝比較↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!



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【拙著第六巻が電子書籍出版されました!】~日本神話はいつどこから伝わったのか

訪問いただきありがとうございます。

さてこのたび拙著第六巻が、紙本に加え電子書籍としても出版されました。
題名は、
「図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 6 ~ 日本神話はいつどこから伝わったか」
です。

日本神話について、世界の神話と比較しながら、そのルーツを探っていきます。ギリシア、中国、南洋など、さまざまな神話も紹介してますので、ひととおり読むだけでも充分楽しめると思います。

ブログの内容を元に、その後の研究成果も踏まえ加筆修正して、魅力ある内容となっていると自負しております。

一読いただければ、幸いです!



<紹介文>
シリーズ第六弾!
「国生み・国譲りなど魅力あふれる日本の神話は、どのようにしてできたのだろうか」
この問いに対する「外国からの伝播」という通説は本当なのか?
この疑問に対して最新の「世界神話学」説を読み解きながら、新たな仮説を提示する。そこで解き明かされた「神話のリアリティ」とは?

「世界神話学」説のマイケル・ヴィツェル氏は「神話と祭祀儀式はセット」と提唱する。そこから導かれるのは、「神話には史実の痕跡が残っている」という「神話のリアリティ」である。
もしそうであるなら古代史に与えるインパクトは計り知れない。
神話に興味のある方はもちろん、古代史愛好家から学生・研究者まで必読の書!




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【ご案内】本を出版しました!

この記事は、しばらくの間この位置におきます。
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皆様にお知らせです!

このたびシリーズ第五弾を出版しました。
題名は
図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 5
「 古墳のはじまりから前方後円墳まで」

です。

古墳は全国各地に種々様々ありますが、実態はよくわかってません。
◆いつどこから伝わったのか?
◆前方後円墳は大和王権のシンボルなのか?
◆天皇陵が代ごとに大きく移動する理由は?
◆卑弥呼の墓はどこか?
などなど徹底したデータ解析により、こうした疑問を解き明かしていきます。

ブログでもお話してきましたが、その後の調査研究を踏まえデータを見直し、新たな節を加えるなど、古代史ファンの方々にとり、魅力的な内容になっている自信作です。

特に最後に、なぜ畿内に巨大前方後円墳が多いのか、今までになかった仮説を提起してますので、楽しみにしてください。
ぜひご一読賜れば、幸いです。

電子書籍と紙の本の両方ありますので、お好きなほうをお選びくださいね。





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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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