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【ご案内】本を出版しました!

この記事は、しばらくの間この位置におきます。
最新記事は、二つ下にあります。

皆様にお知らせです!

このたびシリーズ第五弾を出版しました。
題名は
図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 5
「 古墳のはじまりから前方後円墳まで」

です。

古墳は全国各地に種々様々ありますが、実態はよくわかってません。
◆いつどこから伝わったのか?
◆前方後円墳は大和王権のシンボルなのか?
◆天皇陵が代ごとに大きく移動する理由は?
◆卑弥呼の墓はどこか?
などなど徹底したデータ解析により、こうした疑問を解き明かしていきます。

ブログでもお話してきましたが、その後の調査研究を踏まえデータを見直し、新たな節を加えるなど、古代史ファンの方々にとり、魅力的な内容になっている自信作です。

特に最後に、なぜ畿内に巨大前方後円墳が多いのか、今までになかった仮説を提起してますので、楽しみにしてください。
ぜひご一読賜れば、幸いです。

電子書籍と紙の本の両方ありますので、お好きなほうをお選びくださいね。





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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【拙著第六巻が電子書籍出版されました!】~日本神話はいつどこから伝わったのか

訪問いただきありがとうございます。

さてこのたび拙著第六巻が、紙本に加え電子書籍としても出版されました。
題名は、
「図とデータで解き明かす 日本古代史の謎 6 ~ 日本神話はいつどこから伝わったか」
です。

日本神話について、世界の神話と比較しながら、そのルーツを探っていきます。ギリシア、中国、南洋など、さまざまな神話も紹介してますので、ひととおり読むだけでも充分楽しめると思います。

ブログの内容を元に、その後の研究成果も踏まえ加筆修正して、魅力ある内容となっていると自負しております。

一読いただければ、幸いです!



<紹介文>
シリーズ第六弾!
「国生み・国譲りなど魅力あふれる日本の神話は、どのようにしてできたのだろうか」
この問いに対する「外国からの伝播」という通説は本当なのか?
この疑問に対して最新の「世界神話学」説を読み解きながら、新たな仮説を提示する。そこで解き明かされた「神話のリアリティ」とは?

「世界神話学」説のマイケル・ヴィツェル氏は「神話と祭祀儀式はセット」と提唱する。そこから導かれるのは、「神話には史実の痕跡が残っている」という「神話のリアリティ」である。
もしそうであるなら古代史に与えるインパクトは計り知れない。
神話に興味のある方はもちろん、古代史愛好家から学生・研究者まで必読の書!




テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

【御礼】うれしいアマゾンレビューをいただきました!

いつも拙ブログを読んでくださりありがとうございます。

さてここまで本を5冊出版して、おかげさまで多くの方に読んでいただいております。

さまざまな声をいただいてますが、先般アマゾンにて、一冊目の「神話の世界から邪馬台国まで」について、たいへんうれしいレビューがありましたので、紹介いたします。

THE PLEIADESさんからです。

表題「あまりに明快」(2020年2月12日)

この本を読めば、邪馬台国とはなんであったかがはっきりと分かります。

先に読んだ森井章太郎さんの『統一倭国と神武東征: MENSAの頭脳が古代史の謎を解き明かす』では邪馬台国には触れられず、神武東征に焦点を絞って検証した結果、神武東征直後の時点では神武本人はまだ倭国王ではないどころか、その高官の末席に就いたに過ぎなかったと判断されています。

その後、天武天皇の前後の頃に至ってようやく天皇家は倭国王となり、そこで国号を日本国と改めたという説なのですが、森井さんの説では倭国はあくまで大和朝廷であり、そこでの支配勢力の変遷という観点です。

しかしながら本書とその後に続くシリーズを読めば、倭国とは最初から最後まで九州北部にあった王朝のことであったということに確信を抱くことになるでしょう。

邪馬台国と言われている国も、この倭国である九州王朝のその当時の主宰国の呼び名であったと思しき邪馬壹(やまい、もしくは、やまいち)国のことであり、それは中国の史書の記述や銅戈などの考古学的データから、どうしたって大和にはあり得ないことが分かります。

もっとも、森井さんの説は半分は正しく、神武東征とはこの倭国からなんらかの理由で飛び出した分家としての天皇家が大和に移って勢力を拡大し、やがて機に乗じて九州王朝に替わってこの国の支配勢力となっていく歴史の端緒であり、神武勢力が当時の倭国王ではなかったことは間違いないでしょう。

いずれにしてもこの数年で、こうした市井の研究者による古代史研究本が電子書籍で手軽に読めるようになったおかげで、これまでの旧態依然としたアカデミズムの頑迷なキメツケ、思い込みに囚われて完全な創作と化してしまっていた我が国の古代史が少しずつ塗り替えられはじめていることが実感されます。

一人でも多くの方がこうした本をお読みになることが研究者の方々の応援にもなります。ぜひ一読してみてください。”



少し前ですが、もうひとつ紹介します。
massyさんからです。

表題「理系的思考で歴史を知りたい人に」(2019年7月30日)

これまで歴史にはほとんど興味なかったのですが、古事記、日本書紀を読んで、なんだかもやもやした説明でした。Kindle Unlimitedで何気なくこの本を読んでみましたが、古事記、日本書紀に書かれている内容と歴史的事実との相関がわかり、腑に落ちた気がします。それにしても年の数え方、長さの数え方の基準が違い、この基準で歴史的事実を見直すとすべての年代が合致してくるのに、何故まだ説のままなのだろうか?”

お二方とも、古代史について冷静にかつ客観的に考えておられる方のようです。たいへんあたたかいコメントであり、著者冥利につきます。

もし皆さんのなかで拙著を読まれた方がいたら、レビューをいただけるとうれしいです。
よろしくお願い申し上げます!!






続編もよろしくお願いいたします!!







テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

新著キャンペーンについて

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。

8月27日に、シリーズ第四弾
イネ・土器・銅鐸の東伝が語る真実~図とデータで解き明かす 日本古代史の謎4~」
を出版しました。

その電子書籍版を今月出版しましたが、このたび日頃の感謝の気持ちを込めて、
無料キャンペーンを実施します。

12月28日から1月1日までです。

どうぞこの機会をお見逃しなく、ご購読ください。
感想などいただけるとうれしいです。



内容は
イネ・土器・銅鐸は、どこで生まれ、どのように日本列島で広まっていったのか?。
これらは日本古代史解明の鍵を握っているともいえるが、その実態について、統一的な見解はない。
本書は科学的データを駆使して分析、さらに史実との関係を明らかにして、日本古代史界に大胆な仮説を提唱する。
・イネは朝鮮半島から伝わったのか、中国本土から直接か?
・縄文土器と弥生土器の違いは何か?
・銅鐸は本当に畿内発祥なのか?
様々な疑問を解明する中で明らかになったこととは「西→東」の伝播である。
さらに「これらの事実と邪馬台国との関係とは?」という未知の問いにヒントを与えてくれる刺激的な著作。 

第一章イネの東伝                     
1.意外な実態
2.縄文時代にやってきた稲作
3.弥生時代の稲作の実態とは?
4.熱帯ジャポニカの原産地は?
5.「道上の道」と人の移動とイネの伝播
6.縄文の心、弥生の心
第二章 土器の東伝
1.縄文土器の素晴らしさ  
2.縄文土器と弥生土器は何が違う?
3.縄文土器から弥生土器、土師器、須恵器への変遷
4.土器の実年代
5.弥生土器はどこから伝わったか?
6.突帯文土器と遠賀川式土器
7.突帯文土器と遠賀川式土器の分布範囲が違う理由とは?
8.亀ヶ岡式土器が及ぼした影響
9.庄内式土器は畿内が最古か?
10.「遠賀川式土器」と神武天皇
11.中国遼河文明と縄文土器との関係
第三章 銅鐸の東伝
1. そもそも銅鐸とは?
2. 銅鐸を分類すると・・・
3.銅鐸の分布からわかること ①
4.銅鐸の分布からわかること ②
5.最古の銅鐸が出土した場所とは?
6.九州出土銅鐸が与えたインパクト
7.従来説では説明できない「埋納」「破壊」「消滅」の謎
8.銅鐸「埋納」の謎
9.銅鐸の「破壊」と「消滅」の謎
10.銅鐸を使用していたのは誰か
11.最後の謎、 銅鐸を消滅させたのはどの人々か?
エピローグ~イネ・土器・銅鐸の東伝が語ること

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纏向遺跡は邪馬台国か(18)~まとめ、纏向遺跡と神話の関係とは?

さてここまで17回にわたり、纏向遺跡についてみてきました。ここでまとめをします。

■纏向遺跡は3世紀始め頃に出現し、3世紀半ばには消滅するという、わずか100年余の期間に存続した遺跡である。

■周辺の弥生時代遺跡と同様の特徴をもつことなどから、異文化の人々がやってきて征服して造られたものではない。

■造った人々は、周辺に住んでいた人々だったと推定される。ただし、吉備や九州北部の影響を受けており、出自として注目される。

■三国志魏志倭人伝の描く「倭国」や「邪馬台国」の様子とは異なる部分が多い。項目で検討すると、12 項目中4項目(33%)しか合致していない。

■畿内全域を広域地域圏として「邪馬台国」を捉える考え方もあるが、銅鐸祭祀との関連などからみて、同一文化圏として成立するかは疑問である。

■一方、同時代の遺跡として最大級である九州北部の「比恵・那珂周辺遺跡群」は、魏志倭人伝からみると、100%合致している。

■九州北部の広域地域圏としては、福岡平野から筑紫平野にまでわたる地域が想定され、一つの文化圏として想定しうる。

■客観的データからみると、「纏向遺跡=邪馬台国」は成立し難い。「比恵・那珂周辺遺跡群」のほうが、可能性が高いといえる。

■纏向遺跡には、人が居住していた臭いが感じられないという特異性がある。造られた目的として、「三輪山信仰の施設ではないか」、あるいは「古墳造営キャンプではないか」という説がある。

■天皇の宮と仮定すると、第10代の崇神天皇のころに造られた可能性がある。ただしそれには、「二倍年暦」説を採用する必要がある。

以上です。

最後に、大胆な仮説をお話したいと思います。

古事記・日本書紀によれば、神武天皇が九州日向から大和にやってきて、大和地方を支配下に置くようになったわけです。

その話と、纏向遺跡とはどのような関係になるのでしょうか?。

神武天皇が大和にやってきたのは紀元前1世紀前半と推定してることは、すでにお話しました。
” 一年に二回の年を数えたという「二倍年歴」説は本当か?(5) ~ 神武天皇即位はいつか” 

古事記・日本書紀によれば、すぐに大和一帯を支配したかの如き描写です。しかし実態は、そのようなものではなかったのではないか?、と考えられます。

史実としては、大和に入ったものの、実権を握るというにはほど遠く、地元有力豪族の娘と結婚することにより、姻戚関係を築きながら、次第に力を蓄えていったと考えます。実際、初代神武天皇から第4代の懿徳(いとく)天皇の皇后は、すべて地元有力者である事代主、磯城県主、物部系です。
そのようにして地盤を固めながら、最終的に大和地方を支配するようになったのであり、纏向遺跡はその拠点であった、と捉えられます。

ちなみに第2代の綏靖(すいぜい)天皇から第9代の開化(かいか)天皇までは、欠史八代といわれ、架空の人物とされてます。古事記・日本書紀の事績がないからですが、上の仮説であれば、いうなれば彼らは有力豪族の婿養子のようなもので、力もなかったから事績に残るようなこともできなかった、という解釈もできますね。

さてこの仮説は立証できるでしょうか。

まとめで記したように、纏向遺跡はもともと周辺に住んでいた人々が造ったわけです。
また吉備や九州との係わりが深いことがわかってます。

私の仮説からみれば、もともと周辺に住んでいた人々とは、神武天皇の末裔です。
神武天皇は吉備・九州北部と関わりが深いわけですから、これとも合致してます。

遺跡と上のストーリーが一致しているといえそうです。

もうひとつ、この説を補強する資料を紹介します。

下の図は、5世紀から7世紀にかけての、大和盆地の勢力分布図です。
この図をみると、大王(天皇)家は確かに纏向遺跡周辺に基盤をもってますね。一方、そのすぐ北に物部氏、南に大伴氏、北方離れた春日地域に和邇(わに)氏、西方に葛城氏が勢力をもっていたことを示しています。

大和盆地勢力図 
よくみると、奈良盆地の中央が空白地帯になっていますね。これは前にお話したように、この地帯は網状流路であり、川が幾筋にも流れていて氾濫が頻繁に起こるので、人が常住するのに適していない土地でした。そのため各氏族も支配が及んでいなかった、という解釈ができます。

さて、この図をみて、あれ?、と思いませんでしょうか?

他の氏族たとえば和邇氏や葛城市氏が広大な面積を支配しているのに比べて、天皇家の支配領域がずいぶんと狭くないでしょうか?。

しかもこの図は、纏向遺跡のあった3世紀頃より200年以上のちの勢力図です。纏向遺跡のあった時代は、その範囲はもっとずっと小さかったでしょう。とても大和盆地全体を支配していたとはいえません。

位置も大和盆地の南東部です。必ずしも条件のいい土地とは思えません。条件のよくない土地だったからこそ、それまであまり利用されてなかったわけです。

その後の宮である藤原宮や平城京は、遠く離れた場所です。裏を返せば、その時代すなわち7世紀後半まで、そのような場所に進出できなかったのだ、という見解も成り立ちます。

このことからも、大和王権は神武天皇がやってきた当初から大和盆地全体を支配してきたのではなく、はじめは小さな地域から何代もかけて次第に勢力を拡大してきた、ということが窺えます。

あくまで現時点での仮説であり、可能性はあると考えますが、皆さんはどのように考えられるでしょうか?。

さて長きにわたり纏向遺跡についてみてきましたが、以上でこの章は終わりにしたいと思います。

ここまでみてきたとおり、「纏向遺跡=邪馬台国」という説に対しては多くの疑問が出されているところです。したがって安易に結論づけることなく、まずは調査研究を粛々と進めることが大切でしょう。

纏向遺跡の発掘調査はまだ全体の数パーセントしか行われていせん。もしかしたらこれからあっと驚くものが出土する可能性もあります。今後の調査状況を見据えつつ、いずれまた取り上げたいと考えてます。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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