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日本神話の源流(38)~日本神話のリアリティ

ここまで33回にわたり、日本神話の源流について考えてきました。

今回が最終回です。
まずはまとめです。

日本神話の源流について、通説では、南洋(メラネシア等)・中国・東南アジア、中央アジアステップ地帯などから伝わった、とされてます。

ただしそれでは解釈できない点があり、最新の説として、人類がアフリカから出てからの移動ルートに沿って神話も伝播したとする「世界神話学説」があることを紹介しました。そしてこの説を元に、いつどのように伝わったのか、私なりの仮説を提示しました。

また神話の伝播は、単なる言葉だけの伝播にとどまらず、何らかの「儀式」を伴って伝播したのではないか、という説も紹介しました。私はそこに「神話のリアリティ」が見出せるのではないか、ということもお話しました。

最後に、この「神話のリアリティ」について、考察を深めます。

まずは論文からです。

"例えば天石窟戸の段とか国生みの段のオノロゴ島生成の神話などのように、明らかに一種の「口承による語り」の部分らしきものが散見することなどでも、これらがもと「祭式的口誦」によって語られた痕跡があると言えよう。また諸家が論ずるように、天石窟神話と鎮魂祭、イザナギの黄泉国下りと道響祭・イザナミの焼死と鎮火祭り、天孫降臨と大嘗祭というように、重要な神話のモチーフと、宮廷の祭祀儀礼とは、固く結びついていた。これを否定することは、不可能である。”(「神話の語りと祭式」(松前健)より)

松前氏は、文学者として、天理大学・立命館大学・奈良大学で教授で教壇に立った方です。あくまで文学的見地からの論説であり、表現もわかりにくいところがありますが、たいへん参考になります。
彼は、国生み・天岩戸・天孫降臨神話が、祭式を伴っていた、としてます。

ここで挙げられた鎮魂祭ですが、宮中で新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式です。そのうちの「宇気槽(うきふね)の儀」について、みてみましょう。 
宇気槽(うきふね、うけふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊ったという伝承に基づくとされている。
『古語拾遺』に「凡(およ)そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡(あと)なり」とある。かつてこの儀は、天鈿女命の後裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」とも呼ばれていた。”(Wikipediaより)

島根県の物部神社で行われている様子です。
鎮魂祭




巫女さんが実際に、古事記・日本書紀の描写するアメノウズメの踊るさまを演じてますね。物部神社の由緒は古く、最初は神体山である八百山を崇めており、継体天皇8年(513年)に社殿創建されたとされてますから、かなり古い時代から行われていた祭りだったと推測されます。

論文に戻ります。
松前氏は、韓国の済州島を訪れ、神房(シンパン)の祭(クツ)を調査し、神話と祭式との結合をみた、と次のように述べてます。

”この祭次の初めは、初監祭(チョカムジェ)といい、神迎えの儀であるが、このとき首神房は、天地の分離、日月星辰の発生、山水、国土の形成、人間の誕生、火食や農業の始まり等々語る創世神話が口唄される。
神房はソウルの巫女のように、最初から華美な神装を着るのではなほく部く、笠に長衣という普通の礼装で、最初板の間(マル)に設けられた祭壇の前で、四拝し、次に長々と「天地のはじまり」の歌を、諷誦(ふうしょう)する。これを「ペーボーチム」と呼ぶ。一くぎり終わると、舞をし、舞い終わると、また一くぎり語る、という形で、語り、かつ舞うのである。”(「神話の語りと祭式」松前健)

たいへん興味深い祭です。
なぜ興味深いかというと、”天地の分離、日月星辰の発生、山水、国土の形成、人間の誕生、火食や農業の始まり等々語る創世神話”が、古事記・日本書紀の冒頭と、きわめて似ているからです。

これはどちらからどちらに伝わったとかいうことより、むしろ元々九州北部~対馬~朝鮮半島南部にかけて活動していた「海人族」の人々がもっていた神話と儀式だったと、考えられます。

その神話と儀式が、日本においてはやがて古事記・日本書紀に取り込まれていった、と考えれば、スムーズに理解できます。

このように考えると、古事記・日本書紀の成り立ちも、次のように推測できます。

1.古事記・日本書紀の神話の原型となる神話(ゴンドワナ型神話・ローラシア型神話)が、海外にあった。
2.それらの神話は、もともとは儀式のなかで口唄され舞うことにより体現され、洞窟壁画などに残され、伝承された。
3.それらが儀式とともに日本列島にも伝わり、諸々融合されるとともに日本語として言語化されたが、当初はまだ現在の形になっていなかった。
4.時代を経るにしたがい、ときの支配者の事績などが取り込まれ脚色され、現在の形が形成されていった。
5.それらを8世紀に史官がまとめ、古事記・日本書紀が編纂された。

いかがでしょうか。
このように考えると、日本神話が、外国の神話と似ている理由が説明できます。さらに、似ていない箇所について「なぜ似ていないのか」という理由も説明できます。
日本に伝播して以降、次第に支配者の事績が取り込まれていった、ということであれば、異なる箇所が出てきて当然ですね。

このことは逆にいえば、神話のなかには支配者の事績が残っている、ともいえます。

通説では、古事記・日本書紀などは、8世紀の史官の創作とされてますが、そうではない、という主張です。

私が、「神話のリアリティ」という所以です。

皆さんは、どのように考えるでしょうか?。

さて先の松前氏が、別論文で、同様の指摘をしてます。

”古代の英雄は、常に自己を神格化し、祭式ドラマにおける神話上の英雄と己とを同一視しようとした。王権祭式は、ガスターやフックらによれば、創造神話の口唄、死と復活の儀や試練、神の冥府下り、幾つもの頭のある悪龍との闘争と勝利、豊穣(みのり)のための聖婚、登極、勝利の神幸式などの一連のドラマ的行事があり、王がこの主役をつとめ、原古の神との同化と、その創造行為の再現により、宇宙国土の更新とその秩序の恒久化を図ったのである。原始的な思考では、王のカリスマと国土の安寧とは、融即しているのである。
王はその祭式において、原古の存在としての神に扮し、渾沌の精たる多頭の巨龍を退治する。また大地の豊穣の精たる女神ー巫女がこれを演じるーと婚し、また一旦殺されて冥府に下り、後に復活し、再び登極する。この祭式ドラマを毎年新年祭において繰り返すことによって、王は己れ自身を、完全に神話上の存在に帰せしめることができるが、同時に、国土は原古に復帰し、新生のいぶきをもって、一陽来復となると信じられた。
王の生前、側近の家臣や伶人たちは、その行事のたびごとに、彼の個性的な業績の上にその祭式上のイメージを、ミックスさせて、その頌辞(しょうじ、即興的讃歌)を歌いあげ、またその死後は、そうした神秘的な色彩を、更に大きく印象づけ、理想型のパターンに基づいて王の輝かしい生涯や功業を彩り、哭辞(こくじ、挽歌)に歌いあげる。
こうしたものが素材となって、やがて英雄の一代記を語る長編の語り物が、伶人たちによって作られ、種々な民潭的モチーフが加えられて、益々範型的な人物像が結実して行く。”(「英雄譚の世界的範型と日本文学」(松前健)P9)

以上で、本シリーズは、終わりです。

次回からは、ここまでの検討を念頭に置きつつ、いよいよ古事記・日本書紀について、みていきますので、楽しみにしていてください。

新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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日本神話の源流(37)~洞窟壁画が語るもの

世界神話説についてここまで紹介してきましたが、疑問をもたれた方もおられるかもしれません。
その疑問とは、
”何万年も前に、今語られている神話のような、複雑なストーリーを表現しうる言語があったのだろうか?。”
というものです。

前回、神話は単に物語として伝わったのではなく、儀式を伴って伝わった、とする説を紹介しましたが、この説は上の疑問にも答えてます。

つまり、初期の神話は、言葉ではなく儀式を通して伝えられたのではないだろうか、ということです。
それが時代を経るにしたがい、言語能力が発達するにつれ、言語化された、ということになります。

ではその根拠はあるのでしょうか?。

後藤氏は、
"壁画研究者のD・ルイス=ウィリアムズは、旧石器時代の洞窟壁画は、暗い場所で一種の幻覚を見ながら行う、シャーマン的儀礼の証拠であると考える。このような儀礼は神話的思考と密接に関わると考えていいだろう。”(「世界神話学入門」(後藤明)P65)と述べてます。

また有名なラスコー壁画について、M・ラッペングリュックは、棒の先に鳥のついた道具と、その隣の「バードマン(鳥人間)」について、棒はシベリアの狩猟民族が使う儀礼用の道具に酷似しており、バードマンはシャーマンであろうと推測している、としてます。(同書P66)

このように、洞窟壁画に神話世界が描かれ、シャーマン的儀礼が行われていたことが、推測されます。こうしたことから、言語の発達する前は、壁画で伝承されたのではないか、という仮説が生まれます。

昨年末、画期的な発見がありました。
インドネシア・スラウェシ島の洞窟でこのほど、狩猟の場面を描いた4万4000年前の壁画が見つかった。人類の手による洞窟壁画としては最古のものとみられる。
壁画には半人半獣の生き物の一団が、やりとロープを使ってイノシシやスイギュウを狩る様子が描かれている。実在しない事物を活写し、物語性も有するその内容は、太古の人類の認識に関する従来の見解を一変させるものだという。壁画に関する論文は、11日刊行の英科学誌ネイチャー(電子版)に掲載された。
論文の著者であり、豪グリフィス大学で考古学を研究するマキシム・オーバート教授は、壁画について最も感銘を受ける点として、現代人の認識や知覚に関連したあらゆる主要な要素がすでに盛り込まれていることを挙げる。象徴的な芸術表現、物語性、宗教的思考といった概念が壁画の中に見て取れるとしている。

また、論文の共著者のアディ・アグス・オクタビアナ氏は、狩りを行っている壁画中の生き物について、体は人間でありながら頭部やその他の部位は鳥や爬虫(はちゅう)類、さらにスラウェシ島固有のその他の動物になっていると説明する。
こうしたイメージは民間伝承や物語という形で現代のほぼすべての社会に受け継がれており、世界各地の宗教はこれらを神々や精霊、もしくは人間の祖先と位置付けている。

オーバート氏によると、スラウェシ島の当該の地域には洞窟壁画のある場所が知られているだけで少なくとも242カ所存在し、おそらくまだ数百カ所で新たな発見が見込める。(CNN co.jp 2019.12.13より)”



インドネシア壁画2 インドネシア壁画1
学生時代に歴史の教科書で習ったときは、壁画というと原始人が落書きしたもの程度の認識でしたが、そうではなく実際に行われていた儀式を表現するとともに、それを伝えていく手段だったのかもしれません。まさに神話ですね。

なおインドネシア・スラウェジ島には、「釣針喪失譚」「バナナ型神話」など日本神話と共通する神話が残っていることを、これまでに紹介してきました。
となると、「釣針喪失譚」「バナナ型神話」も、もともとは儀式として行われそれらが壁画として残され、やがて言語化された物語として伝承された可能性があります。

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日本神話の源流(36)~神話と祭祀儀式はセット

ヴィツル氏の指摘のなかで、たいへん興味深いものがありました。

それは”神話が単独で存在すると考えるよりも、儀礼を伴って存在したと想定するほうが合理的・合目的的だろう。”
という指摘です。

すなわち、"神話がある人々の間で語られる際、単に言葉で物語を語るだけでなく、同時にその神話を表現する「祭祀儀式」も執り行われたであろう"
ということです。

もしそうであれば、神話とともに「祭祀儀式」も伝播したことになります。

なぜこれに私が注目したかというと、単なる古代人の作り話と考えられがちな神話に、リアリティが出てくると考えられるからです。

日本神話で考えてみましょう。

神話のなかには、今の常識からすると考えられない行いを、神々がやっています。
たとえば天岩戸神話です。

天岩戸に引きこもったアマテラスを外に引き出そうとして、アメノウズメが卑猥な踊りをして皆を笑わせ、その様子をのぞこうとしたアマテラスを引き出した、というストーリーです。

”アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命がアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。 ”
(Wikipediaより)

私は以前から、なぜアメノウズメは、この場面で、よりによってこのような奇怪な踊りをしたのだろうか、と不思議な気がしていました。

もちろん神話の作者が、話を面白くするために何かないかと考え思いついたのだ、という解釈もできないわけではありません。
しかしながらそうであるなら、神様がやることですから、もう少し品のある描写でよかったのではないか、と思われます。

ところが、もし当時の社会で、祭祀としてこのような儀式が存在していたのなら、それを描写したとしても何ら不思議なことはありません。

実はそのようなことを指摘した論文がありますので、紹介します。
「ポセイドンとスサノオノミコトー比較神話学の一方法の試みー」(小林太市郎)からです。

”そういう予供だましのように愚かな話の奥には何か隠すべきものが隠されされているはずで、だいいちウズメノミコトがせっかく乳やほとまであらわして踊りながら、ただ神々を笑わせただけ というのは、まるで後代のばかげた余興にすぎない。古代の祭儀ならそこに必ず男神の対手があ り、また神婚が行われたはずで、現にその対手にはサルダヒコという適任の者が居る。

すなわち天孫ニニギノミコトが天降りのときに,天の八衢にいて立ちふさいだサルダヒコがそれで,『書紀』に引く一書や『古語拾遺』にいま伝わる神話では、この天降りのときに ,やはりアメノウズ メノミコトが 胸乳を露し,裳帯を臍下に押し下して, 鼻の長さ七尋余もあるこの男神に,笑って 立ち向ったところ ,サルダヒコはお供に仕えるため参向しましたと言ったことになっている。

しかしただそれだけのことなら,何のために彼の鼻が七尋もあるのか,また何の必要あってウズメ が乳や陰まであらわして笑って彼に立ち向ったのか,一向にわからない。すなわち厳粛な天孫降臨の際に,この愚劣な一塲面が何故に必要なのか全くわからない。

それは明かにどこからかそこに 移されてきたもので、神詣には屡々こういう移転の例がある。すなわちこの場面は当然岩戸の前へ 還元すべきもので ,そこで胸乳や陰処を出して笶い踊る神懸りのウズメと,大豊勢のサルダヒコ との神婚があったとすれば,それはもはや愚劣でなく,劫って最も適切な太陽復活・陽春再生の 呪願をこめた祭儀として完全に生きてくる。

すなわちその神婚の祭儀から奔出する生命力が, 衰滅した太陽神に忽ち伝わり,その回生復活を強く刺激して,この世にふたたび光り輝く陽春の生命の歓喜を齎したのである。その春のよろこびを,『古語拾遺』には,「此の時に当って,上天初めて晴れて,衆倶に相見るに,面皆朗白なりき。手を伸べて歌い舞い,枳与に称えて曰く,あはれ,あなおもろ,あなたのし,あなさやけ,おけ。」 と記 して い る 。

ずいぶんと生々しい話ですが、ようするにアメノウズメは、アマテラスを天岩戸から誘い出すために、現代の私たちからするとずいぶんと品のない踊りを、単に思い付きで面白おかしく踊ったのではない。対手に男神であるサルタヒコがいて、彼との神婚の儀式を行ったのだ、ということになります。
そしてその神婚の儀式とは、太陽の復活の歓喜を表したものだ、という解釈です。

小林太市郎氏は、元神戸大学教授で、美術史・芸術学者でした。
”芸術作品をその根底に潜む性的欲望を中心に分析する傾向が目立つので、フロイト的と評されることもあり”(Wikipediaより)とあるとおり、そうした傾向が強いことは否めないでしょう。

ただし、古代の祭祀においては、男女一組による神婚が行われていたと考えられるので(「古代の宗像氏と宗像信仰」(亀井勝一郎)P11・18)、この場面の解釈でも、ありうるのではないかと考えます。
あるいは神婚とまではいえないとしても、当時行われていた何らかの儀式を表現したものである、という見方も可能性でしょう。

もうひとつ例を挙げます。
国生みの場面です。

イザナギ・イザナミの二神が、何もない海をアマノヌボコという矛でかき混ぜると、滴がしたたり落ちてオノロゴ島になる。そこに降り立った二神は、御殿を立て、中央の柱の周りをそれぞれが左回りと右回りに回って出会い、交わりを持つ。
この結果、次々と島が生み出されていくわけです。

これについて、後藤明氏は、
”柱の周りをそれぞれが右回りと左回りに回って出会い、惚れ合うのは、中国南西部の少数民族で行われる歌垣の儀礼そのものである。”(「世界神話学入門」(後藤明、P4)
と述べてます。

歌垣は、古代日本でも、男女の出会いの場として催されていたことが、知られてます。

”古代の習俗。男女が山や海辺に集まって歌舞飲食し、豊作を予祝し、また祝う行事。多く春と秋に行われた。自由な性的交わりの許される場でもあり、古代における求婚の一方式でもあった。”(「大辞林 第三版」より)

歌垣というと、なんだか格調高いもののように思いがちですが、もともとはこうした若い男女の自由奔放な場でもあったわけです。

"歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。現代にも歌垣の残存は見られ、奄美群島のシマ唄の唄遊びや八月踊り、沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。 "(Wikipediaより)

外国では”中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。”(同上)

歌垣


このようにみてくると、イザナミ・イザナギの話は、単なる神話としてだけ伝わったのではないのではないか、という問題提起ができます。
つまり、歌垣の儀礼とともに伝わったのではないか、ということです。

これは、実際に神話が伝わったときの状況を、具体的に想像してみるとよくわかります。
このケースで考えてみましょう。

古代のあるとき、初めて神話が伝わったとします。

その話は、
”男の神(仮に名前Aとします)と女の神(同じく名前Bとします)がいて、柱の周りをAは左回りに、Bは右回りに回って出会い、次々と島をお産みになりました。”
というようなストーリーだったはずです。

それを聞いた当時の日本人は、
”面白い話だ。われわれの神話にしよう。”
と考え、
”名前を日本人らしく、Aをイザナギに、Bをイザナミに変えよう。”
として、今の神話の原型ができあがりました、ということになります。

これはこれでいいのですが、他民族の神話を自分たちのものにしようというのも、ずいぶんと安易に思えますし、なんとなくイキイキした感じがしません。

では、日本列島にやってきた人々が、自分たちの神話をもちこみ、やがて名前も日本人のものになっていった、と考えるとどうでしょうか?。

自分たちの神話をもってきたわけですから、自然ではあります。

ただしいずれにしろ、神話といっても数多くあるわけで、それを語り部のような人が覚えていてすべて伝えていくということでもしないと、一般民衆に浸透しないでしょうし、伝承として残りにくいのではないか、という思いが残ります。

では神話に儀礼が伴っていたとしたら、どうでしょうか。
こうなります。

"はじめに伝わった際、実際に、柱の周りを男女が回って出会い惚れ合う、という儀式を行った。それを代々行うようになっていった。"

儀式を行った人が、実際にイザナギ・イザナミという名前をもった人かどうかはわかりませんが、いつかの時点で、イザナギ・イザナミという名前がついたのでしょう。
やがて
”イザナギ・イザナミが柱の周りを回り、出会い、惚れ合った。”
という神話が形成されていった、となります。

さらにさまざまな話が付加されて、改変され、現在伝わる話が形成された、となります。

ここでのポイントは、イザナギ・イザナミという人(あるいはそれに当たるとされる人)が、実際に”柱の周りを回り、出会い、惚れ合った”という行為を、たとえ儀礼とはいえ行っていた、ということです。

このように儀礼として毎年行っていたということであれば、一般大衆にまたたくまに浸透しますし、代々受け継がれていき、神話として残りやすいですね。

何よりも、神話の伝播を具体的状況を思い浮かべて推測すると、単なる言葉の世界だけではなく、現実の世界のこととして、神話にリアリティが出てくると思います。

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日本神話の源流(35)~世界神話伝播ルートを推測する

では、吉田氏ら通説のいう神話の伝播ーその多くはローラシア型神話の伝播ーとは、どのような関係になるのでしょうか?。

これは非常に難しい問題です。
世界中の神話がすべて採集されたわけではありませんし、数千年の歴史のなかでそれらの多くは消失してしまったでしょうから、統計データ解析しても、決定的なことまではいえません。

その認識のもと、これまでお話してきたことを元に、仮説を立ててみます。

1.私たちの祖先がアフリカにいたとき、すでに神話をもっていた。それはゴンドワナ型神話の祖型である。
2.10万年前ころアフリカから出て、アラビア半島を経て、インド~東南アジアにあったスンダランドまで到達した。彼らがそこでもっていた神話が、ゴンドワナ型神話である。
3.彼らの一部は、7万年前ころにメラネシア・ミクロネシアやオーストラリアへ渡り、神話を独自に発展させた。
4.別のグループは北上して、中国や日本列島にやってきた。さらに北上して、シベリアへ行き、西へ進み北欧まで行った。アメリカ大陸へ渡ったグループもあった。それぞれの地域で、神話を独自に発展させた。
5.アラビア半島からインドにいた人々のうち、時代は遅れて北上したグループがあった。彼らは4万年前ころに中央アジアステップ地帯や西ヨーロッパへ行った。東へ進んだグループもあった。彼らがもっていた神話が、ローラシア型神話である。
6.その後の民族の大移動や、文化の伝播により神話も伝播し、各地域にもともとあった神話と融合して、それぞれの地域独自の神話を形成していった。


実際にはもっと複雑な動きをしたに違いありませんが、おおまかな流れは、以上のように考えました。

このように考えますと、今までお話してきた、さまざまな疑問が説明できます。
たとえば、
1.なぜ遠く離れた地域で、似たような神話があるのか?。
オオゲツヒメの話(ハイヌウェレ型神話)・海幸彦・山幸彦神話(釣針喪失譚)は、アフリカやアメリカ大陸にありますし、コノハナサクヤヒメの話(バナナ型神話)もアフリカにあります。ここまで遠い地域に似たような神話があるのが、通説では説明できなかったわけですが、上の仮説によれば、何ら不思議はありません。

2.似たような神話のなかで、なぜ話の大事な部分に違いが生じるのか?
これもたびたび指摘してきました。たとえば、洪水神話のクライマックスは、”人間が洪水という懲罰を受け、生き残った人々が再生する。”というものですが、日本神話にはその部分がありません。なぜもっとも話の肝(キモ)である部分がないのか、という問題提起です。これももとのゴンドワナ型神話には素朴な洪水の概念があったが、伝播するにつれ懲罰的なものに発展していった地域があった。一方、日本では、そのような変化が起こらなかった、と考えれば、すんなりと説明できます。

3.「中央アジアステップ地帯→朝鮮半島→日本列島」の伝播時期(鉄器・青銅器の伝播時期、紀元前数世紀ころと推測)と、それよりはるかに古いとされる北アメリカへの伝播時期との時代の不整合をどう説明するか?
たとえば、”ギリシア神話のオルペウスや日本神話のイザナギが、亡き妻を上界から連れ戻すため冥府を訪問したが、冥府で課せられた禁令に違反したため失敗に終わった。”という話と類似の話が、北アメリカの原住民の伝承に見出されてます(吉田同書P142)。吉田氏はこの理由について触れてません。

吉田氏は、この神話は、中央アジアステップ地帯の遊牧民(スキュタイ)の媒介により、ギリシアから日本列島に伝播したとしてます(吉田同書P153)。スキュタイ人が登場するのは紀元前9世紀ころですから、東アジアに伝播したのはそれ以降となります。

一方その時期はもっと古く、青銅器の東方伝播とともに伝わったとする説もあります。
中央アジアステップ地帯の青銅器は、「セイマ・トルビノ青銅器文化圏」のアンドロノヴォ文化において紀元前2000年ころからです。それが東へ伝播し朝鮮半島に伝わったのは、銅剣が紀元前1000年ころ、銅矛が紀元前900年ころとしてます(「ユーラシア東部における青銅器文化」(小林青樹)より)。

いずれにしろ
現生人類が東アジアから北アメリカに渡ったのは2万年~5千年前とされており、時代が整合しないことは、これまでにも指摘しました。

これも、2万年~5千年前に北アメリカに渡った人々がいて、彼らがこの神話の祖型となる神話をもっていたとすれば、理解できますね。
もしかしたら
2万年前に渡った人々がもっていた神話がゴンドワナ型神話であり、5千年まえに渡った人々がもっていた神話がローラシア型神話かもしれません。
(もちろん新しい時代に東アジアから北アメリカに渡った人々がいて、彼らが神話を伝えた可能性もあります。)。

以上をもとに図にしたのが、次の図です。あくまでイメージであり、詳細についてはいろいろあろうかと思いますが、全体の流れをつかむことはできると思います。

 ゴンドワナ型神話伝播ルート  
ローラシア型神話伝播ルート
  


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日本神話の源流(34)~日本神話の多くはゴンドワナ型神話?

 前回は、日本神話にみられるゴンドワナ型神話という話でした。

具体的には、
a.人間が動物界の一員だった頃
b.山の神とアニマル・マスター
c.洪水神話
d.死の起源(バナナ型神話)
d-2.脱皮型死の起源の神話
e.土中誕生
e-2 ヴェジタリズム
e-3.粘土から造られた人間

です。

これに海幸彦・山幸彦神話(釣針喪失譚)が加わります。

さらにオオゲツヒメ神話(ハイヌウェレ型神話)も、もともとは芋栽培にかかわる話であり、ゴンドワナ型神話ではないか、という話はすでにしました。
日本神話の源流(7)~神の殺害と農耕の起源 オオゲツヒメ神話とハイヌウェレ神話

これらをもとに、古事記・日本書紀神話のなかの、どの話がゴンドワナ型神話であり、どの話が新しいローラシア型神話なのか、をみていきます。

下の表は、吉田氏の「日本神話の源流」をもとに前に整理した表ですが、それを色分けしてます。
・オレンジ色がゴンドワナ型神話
・無色がローラシア型神話
と推測される神話です。

 
  日本神話とゴンドワナ・ローラシア型神話

ひとつづつみていきましょう。

国生み神話について、後藤氏は詳述してませんが、南洋に多く分布すること、またイザナギ・イザナミの国生み神話を、「原初大海型」の洪水神話として、ゴンドワナ型神話としてることから、ゴンドワナ型神話としました。

神の殺害と農業起源は、オオゲツヒメ神話(ハイヌウェレ型神話)で、ゴンドワナ型神話としました。

日向神話のうち、コノハナサクヤヒメの説話は、天孫降臨後のニニギノミコトとの結婚話なので天孫降臨神話に入れるべきものですが、吉田氏の「日本神話の源流」では日向神話に入れてあるので、それに従いました。バナナ型神話なので、ゴンドワナ型神話です。

同じく日向神話の「失われた釣針」は、釣針喪失譚です。
この話のうち、「竜女、水神の娘との結婚」は南洋にない話であり、ローラシア型神話としました。ただしここで留意すべき点があります。吉田氏は、中央アジアステップ地帯にいたスキュタイやオセット人の「水神の娘との結婚」というモチーフが、中国の「竜女との結婚」と関連しており、したがって「中央アジア→中国→朝鮮→日本」という伝播を推測してます。

しかしながら、中国においては、東北地方において最古ともされる「遼河文明」が、竜を信仰していたことで知られてますが、紀元前6200年前にはじまってます。
スキュタイは紀元前9世紀から、オセット人はそれより新しい時代です。
鉄器の東方への伝播という観点からみても、ヒッタイトは紀元前1500年ころです。さらにさかのぼって青銅器の東方への伝播という観点から「セイマトルビノ文化圏」のアンドロノヴォ文化が伝わったとする説もありますが、紀元前2000年ころからです。
つまり圧倒的に中国文明が古いということになります。

そうなると逆に「中国→中央アジアステップ地帯」へという可能性もあります。これは前回お話した、釣針喪失譚が東アジアから西へ伝わり、英国にまで伝わった可能性の話と一致してます。
さらに遼河文明の人々は、気候の寒冷化等のために、南下あるいは西へ移動したことが、遺伝子学の見地から確実視されてます。
このようにみてくると、単純にローラシア型神話ということもいえなくなります。

次の黄泉の国訪問は南洋に分布していることもあり、ゴンドワナ型神話としてますが、もう一つ挙げます。
”イザナミに追われたイザナギが、鬘(かずら)や櫛(くし)を投げるとそれらがタケノコとなって追っ手を追わせる”という話がありますが、”「何かが障害物に変身する」というモチーフは、「呪的逃亡」といって、アフリカから北米大陸に至るまで世界各地で見られる。”(後藤同書P7)ことから、ゴンドワナ型神話としました。

あとの天の岩戸神話天孫降臨神話は、ローラシア型神話としました。
ただしアマテラスの岩戸隠れは、「天体開放」という解釈でとらえると、北欧のほかアイヌ民族からシベリアや北アメリカに広く見出せる話と類似してます(後藤同書P231)
アマテラスの天の岩戸神話が日本列島に伝わったのは、鉄器・青銅器伝播の時代でしょうから、紀元前10世紀よりは新しいでしょう。一方、北アメリカに伝播した時期がわかりませんが、ゴンドワナ型神話が伝播した時期(2万年前)にまでさかのぼる可能性もあり、そうなるとゴンドワナ型神話ということになります。

以上のようにみてくると、日本神話の多くは、ゴンドワナ型神話である可能性がある、ということがわかります。

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テーマ : 歴史
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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