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結局邪馬台国はどこにあったの? 今までの説を整理すると・・・

ブログを始めて今回が11回目となりました。いろいろ試行錯誤しながらやってます。何かと不充分なこともあろうかと推測しますが、長い目で見ていただければ幸いです。感想などいただければ参考にしたいと思いますので、よろしくお願いします。

これまでの話をまとめます。
▪️神話は、権利者がある目的をもって作っている(場合がある)。
▪️ある目的とは、自らの権力を正当化するためである。
2015/3/11
▪️神話は、ある史実を象徴的に伝えている。
2015/3/11②2015/3/22015/3/7
▪️日本の神話も、何がしかの史実があったことを示している。
▪️高天原にいた天照大神が日本上陸を企て、大国主命に国譲りを迫り、成功して孫の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)筑紫の日向に上陸した。
▪️初代天皇の神武天皇は、日向から東征し、大和に居を構えた。
▪️日本神話に邪馬台国や卑弥呼は出てこない。
2015/3/122015/3/18
▪️邪馬台国が出てくる最初の中国史書「魏志倭人伝」には「邪馬台国」という国名はなく、「邪馬壹国」と記載されている。
2015/3/22
▪️当時の中国は三国志の時代で、東アジア情勢は緊迫していた。
2015/3/272015/4/1

こんなところです。

それではそろそろ最大の関心事である「邪馬台国はどこにあったのか」に入っていきます。
まずは、今までの説をおさらいします。

ご存知のとおり、大きく分けて、九州説畿内説があり、九州説には博多湾岸説、山門説他、それにもともと九州にあったが畿内へ移ったとする東遷説も加わります。
それ以外にも、沖縄、愛媛、徳島、長野、石川、千葉などの他、海外でもジャワ・スマトラ、エジプトなど、あるようです。
ようはどこでもありうる的な様相を呈している、ということです。

とはいえ、九州説と畿内説が主流ですので、まとめてみます。論者としては、よく名前が出る方を挙げてます。

A.九州説
  本居宣長
  津田左右吉(九州筑後山門郡)
  白鳥庫吉、和辻哲郎、森浩一、安本美典、
  井沢元彦(東遷説)
  武光誠、古田武彦
  他

B.畿内説
  松下見林
  新井白石(後に九州筑後山門説に転じる)
  内藤湖南
  小林行雄
  他

マスコミなどでは、畿内説が優勢のような印象をうけますし、学会も同様と聞いてます。しかしながら昨今本を出版するなど精力的に発表している方は、どちらかと言うと九州説が多いと思われるのは、気のせいでしょうか?

次回から、詳しくみていきます。

参考ですが・・・
卑弥呼はいずこにいたのか?
安田靫彦画伯による二人の卑弥呼(左が九州の卑弥呼、右が大和の卑弥呼とのことです。)です。

左側-卑弥呼-1968-右側-大和のヒミコ女王-1972 

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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