イネは語る(6)~縄文の心、弥生の心
温帯ジャポニカ、すなわち水田稲作が伝わったのは、紀元前10世紀ころと推定されてます。ただし水田稲作と言っても、私たちが思い描くようなものではなく、耕作を数年行っては移動する焼畑農法に近いものであったようです。その状態は中世まで続き。私たちのイメージするような農民が定住して広々とした水田で稲作をする、といったスタイルになったのは、近世以降のことと考えられます。
今回は、たびたび引用させていただいている佐藤洋一郎氏の著作のなかに、とても興味深い話があったので、紹介したいと思います。古代史というより文化に関する話ですが、これからの私たちのあり方にも大いに示唆を与えてくれると思います。
私たち現代人は何かと、「きちんとしている」のがいいことだ、と考えます。また余計なものが入り込まず、「純粋なもの」がいいものだ、と感じます。特に日本人は几帳面な正確な人が多いせいか、その傾向が強いように思われます。その何事に対しても徹底的に突き詰める姿勢が、多くの繊細なかつ精緻な文化を生み出してきたとも言えます。
それはそれでいいのですが、はたしてそれだけでいいのか?、というのが、問題提起です。佐藤氏は、「イネの日本史」のなかで、以下のように書いています。
”一本でもヒエを生やした田の持ち主は堕農とまでいわれ蔑まれた。田植え機が作る畝(うね)が少しでも曲がっていると「根性が曲がっているからだ」などと冗談半分にいわれたものだった。だからどの農家も、条がまっすぐなるように細心の注意を払った。一本のヒエも許さないこと、田を緑の絨緞のように管理しておくこと、それは文字通り弥生の要素がもつ論理であった。
一株のヒエ、畝の曲がりが生産に大きな影響を及ぼすわけではない。それは農民の心を映す鏡だったからである。それは農民の心を試す「踏み絵」のようなもので、元はといえば、支配者たちが人びとを「農民」として土地に縛りつけておくために尽くしたてだての精神的産物である。
一方土地に縛りつけられた農民にとって、生態系とのせめぎ合いに勝つしか、そこで生きてゆく道はない。彼らが這いつくばるようにして草をとったのは、それ以外、遷移という大自然の力に勝つ術がなかったからである。”
ヒエは雑草ですが、少し水田に生えていたところでさしたる影響があるわけでもなく、畝が曲がっていることも同様でしょう。それにもかかわらず、そうした小さなことにこだわる精神性というかメンタリティを、「弥生の要素」と呼んでます。
その「弥生の要素」が、いつごろどういった経緯で生まれたのかについて、それは農民が土地に縛りつけられるようになってから、としてます。それ以前は、水田稲作といっても、数年おきに耕作地を移動させる焼畑のような方法をとっていました。「弥生の要素」に対して「縄文の要素」とでも呼べるでしょうか。
1969年、休耕が政策決定されたときの農民の怒りは、相当のものでした。彼らにとって休耕は文字通り「人生観、世界観の否定」とみえました。
”彼らが心配したのは、単に米を作らず何を作るかという経営上のことではなく、休耕した後の田で土が再びその命を復活するかどうかということであった。先祖代々の血と涙と汗が凝縮された田が、自分たちの代で野にかえってしまったとあっては、ご先祖にあわせる顔がない。彼らの心は土地と一体化していたのである。”
たしかに美しい水田が放置され、草ぼうぼうになっているのを見ると、私たちも心配しますよね。
ところがここから佐藤氏は、逆説的な論を展開します。
「休耕は土地を荒らすか」
と。
”生態学の立場から考えると、ヒエは水田という生態系に回復可能までのダメージを与えるわけではない。”
としたうえで、焼畑の稲作りについて紹介してます。
”開いて三年も経った畑は草ぼうぼうの状態になり、やむなく耕作を放棄せざるを得なくなる。しかしイネにとってもっとも手強い競争相手であった雑草たちも、数年せずして姿を消し、やがては多年生の草本にとって代わられ、やがては森に戻ってゆくのだった。休耕をはじめてすぐならば強雑草の休眠種子はまだ土中に残っていて、そこでもし稲作を再開しようものなら彼らはたちどころに発芽して土地を草だらけにすることだろう。だが森に戻った土地は、もはや雑草の種子を残しておらず、火を入れて開きさえすればその土地はまた肥沃な田へと姿を変える。そうしてみると焼畑の耕作ー休耕のシステムは、今の私たちの常畑された水田に比べて特別原始的なわけでも遅れているわけでもない。それは二つの選択肢の片方ともう片方であるに過ぎない。”
常畑の水田という縛りの中でものを考えようとするから休耕田は悪い存在になってしまうのである。「弥生の要素」の呪縛から解放されれば、休耕は悪いことでも何でもない。”
いかがでしょうか。今までの概念が、180度転換する見方ではないでしょうか?。
佐藤氏は今の水田がよくない、とは言ってません。環境の保全など、大きな役割を果たしていることは認めてます。
”だが、今の水田稲作が環境保全に何の問題もないかと言えば決してそうではない。”
として、病害虫を防ぐために多量の化学肥料や農薬を使わざるをえない現実を指摘してます。
そして
”水田が、本当に地球にやさしいと言えるだけの証拠を、私たちはまだもっていない。”
とまで言い切ってます。
そして
”私たちが感じる逼塞感(ひっそくかん)、ゆきづまり感は、その大半が弥生の要素のゆきづまりに起因している。”
と結論づけてます。
ではどうしたらいいのでしょうか?。
佐藤氏は、「縄文の要素の復活」を提唱してます。
その第一歩として、「多様性の復活」を挙げてます。
農業で言えば、たとえば”いろいろな品種を植えてみよう”ということです。
要約すると、
”地域固有の品種を作るのもよし、何品種か混ぜて栽培しても構わない、作る作物も米に限ることはない。品種や作物が多様化すれば、調理の仕方や食べ方もまた、多様化せざるを得なくなる。”
”多様性の復活は、日々の生活にも必要であって、あまりにも一元化しすぎた価値観、教育の分野なら、受験一辺倒の価値観。学生も、自然に親しむとか、木や草の名前を覚えるとか、幼少のころの遊びの中で身についたはずの知識をもっていない。”
確かに私たちは、自分自身の人生の生き方でさえも、知らず知らずのうちに、皆と似たような考え方に染まっている気がします。それがテレビ・新聞などの影響なのか、あるいは学校教育のせいなのかはわかりません。それが何であれ、私たちはもっと自由に、周りの目や世間の評価を気にすることなく、自分の価値観に自信と誇りをもって生きていきたいものですね。
さて佐藤氏の挙げる「縄文の要素」のもう一つは、「森の恵み」です。
”若い頃を下北地方で過ごし、今は青森市の稽古館(民俗博物館)の館長である田中忠三郎氏によれば、「森は下北のデパート」である。昔は、山に入れば木は薬となり、つるは紐の代わりをなし、という風であった。飢饉のときにも飢えることなく、なかには飢饉の年のほうがよく採れる食料資源もあったという。森といえば水、また森を育てることは漁場を育てることになる。”
そして、
”森とかかわるということは、人の感性の基となる五感を育てるということである。”
と述べてます。
考えてみれば、私たちの遠い先祖は、ジャングルの中で生活してました。そこですべてをまかなっていたわけです。
古代日本においては、山は信仰の対象でした。霊峰(れいほう)と呼ばれる山各地にあります。
私の周囲には、週末になると山登りに行く方々が多くいます。目的は人そrぞれでしょうが、何か心惹かれるものがあるからでしょう。
「森は人間の故郷である」といっていいかもしれません。
最後に感動的な話を紹介します。
”ある縄文遺跡から、一部に生活反応のある損傷をもった人骨が出土した。三内丸山遺跡の発掘担当者であった岡田康博氏はその骨を見て、「縄文人はある意味で現代人よりも心優しかった。障害者となった手負いの仲間をしばらく介抱し続けたのですから」と語っていた。”
私も同様の話を、ある考古学者から聞いたことがあります。
どこの発掘現場か失念しましたが、縄文時代の人骨が出土したそうです。年齢60歳くらいと推定されますが、歯が一本も有りませんでした。当時の食べ物は固い食べ物がほとんどだったので、普通であれば生きることができないわけですが、それでも生活していた。ということは、その方と一緒に住んでいた人が、わざわざ柔らかい食べ物を作ってあげていたのではないか、という話です。
いかがでしたでしょうか?。
もちろん、縄文時代をやみくもに美化すべきではありません。縄文時代というと、何か牧歌的で平和な光景を思い浮かべがちですが、実際にはそればかりではなかったでしょう。多くの戦いがあったでしょうし、自然災害、飢餓や疫病など私たちには想像もできないような困難が数多くあったに違いありません。
しかしながら、縄文人はそうした試練を乗り越え、生き延びてきました。だから今、私たち日本人がいるわけです。縄文文化は1万年以上続きましたが、これほどまでに一つの文化が継続した例は、世界でも類をみないといわれてます。
それは海に囲まれ、気候にも恵まれたという幸運もあったのかもしれませんが、それだけではないはずです。そこまで一つの文化を長期にわたり繁栄させることができたのには、何がしかの要因があるはずです。
縄文人の哲学・物の考え方やライフスタイルといったものも、その一つでしょう。
今、世の中は混沌としてます。いまだに世界中で紛争は絶えませんし、政治・経済も曖昧模糊としており、先行きが見えない状況です。
何となく不安定なようにも見えますが、逆に言えば、大きな時代のうねりの転換点にいるのではないでしょうか?
こうしたなか、私たち日本人の祖先である縄文人の生き方、考え方というものは、何がしかのヒントを与えてくれるような気がします。
今回は古代史というよりも、文化論といった話になりましたが、皆さんの今後の生き方に、少しでも参考にしていただければ幸いです。
★縄文文化が世界を救う!?
<三内丸山遺跡>

(三内丸山遺跡公式HPより)
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