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まとめ~土器、銅鐸、古墳、イネが語る古代日本の真実

ここまで長らく、土器、銅鐸、古墳、イネについて、科学的データからみてきました。それぞれを時系列でみれば、複雑かつダイナミックな動きがあったことが改めてわかりました。

その動きを歴史のなかでとらえれば、「西→東」という大きな流れがあったと言えるわけです。もちろん細部についてはいろいろあるでしょうが、鳥瞰的にみれば、そのような流れがあったことは、明らかです。

これまではそうした動きを個別にみてきたわけですが、今回はそれらを横断的に並べてみて、それぞれどのような関連があるのか、そして史書などから推測される史実とどのような関係性になるのか、を考えていきます。

まずは、それぞれのデータを、年表の形で整理します。

年表

左から順に説明しますと、
・イネは、縄文時代に伝わったのですが、それは熱帯ジャポニカで(陸稲)であり、紀元前10世紀頃に温帯ジャポニカ(水稲)が大陸から伝わりました。3つの大きな波があり、第一波は紀元前7~同8世紀頃で朝鮮半島から、第二波は紀元前5~同4世紀頃で中国長江下流域から、第三波は紀元前3~同2世紀頃です(渡来元は不明)。
・土器は、皆さんご存知のとおり縄文時代から盛んに作られたました(縄文土器)。いわゆる弥生式土器が大陸から伝わったのが、紀元前8~同7世紀頃と推定されます。その後、日本国内で、庄内式土器、布留式土器へと発展しました。
・青銅器は、紀元前5世紀頃に伝わったと推定されてます。その後、銅鐸が国内で作られるようになり、銅鐸祭祀が隆盛を極めますが、3世紀頃に忽然と姿を消します。
・鉄器も、青銅器と前後して伝わったようです。
・墳墓は、紀元前から支石墓、周溝墓などが伝わり造られました。その後墳丘が築かれ始めます。出雲など山陰地方では、四隅突出型墳丘墓という独特の墳墓が築造されますが、3世紀頃には、姿を消します。
・古墳時代に造られた墳丘墓を古墳といいますが、特に3世紀以降に前方後円墳が盛んに造られ始め、次第に東へと広がりました。

概略は以上のとおりです。

ではこうした動きは、国内の政治状況など国内の史実と、どのような関係になるでしょうか?
まったく無関係でしょうか?

そんなはずはありません。強い関連性があるはずです。なぜなら、こうした文化・文明をもつことは大きなメリットとなる一方、手に入れるには大きな財力が必要だからです。一般大衆単独ではできないことであり、支配・被支配の関係を生み出すものだからです。

このように強い関連性があることが推定されるものの、今までこうした動きを横断的にとらえた論調は少ないようです。ここでは、まず時系列ごとに横断的に整理して、そこから考えたいと思います。

表の右側に、主な動きを記しました。
・まずなんと言っても、古代の日本列島をゆるがした一大事は、国譲り・天孫降臨でしょう。具体的には、対馬・壱岐を拠点としていた海人族が、九州北部に侵攻した史実を、脚色したものと考えます。時期としては、紀元前5~同4世紀(あるいは紀元前3~同2世紀)ころのことと推定します。
・その後次第に勢力を拡大、倭国を形成します。
・倭国の傍系である神武天皇が九州日向より東征して、大和に進入、橿原にて即位します。これを紀元前1世紀前半と推定してます。
・倭国は57年に中国に朝貢して、金印「漢倭奴国王」を拝受されます。
・倭国内が乱れ(倭国大乱)て、女王卑弥呼が共立され、国が治まります(3世紀ころ)。
・卑弥呼の死後、再び国が乱れ、壹与を立て、国が治まります(3世紀中ごろ)。
倭の五王の時代となり、朝鮮半島に出征します
(5世紀ころ)。

こうして横断的に並列すると、興味深いことがわかります。大きなものを二つ挙げます。

A.紀元前8~同7世紀ころ遠賀川式土器が作られるようになってしばらくしてから青銅器・鉄器が伝わります。中国大陸から
イネの伝搬第二波がやってきます。九州北部では、甕棺墓が盛んになります。これらの時期は紀元前5~同4世紀ころとみられますが、ほぼ国譲り・天孫降臨と同時代です。

B.青銅器祭祀が衰退して銅鐸が消滅し、四隅突出型墳丘墓が作られなくなった3世紀ころは、倭国大乱ののち、卑弥呼が共立され国が治まった時期です。そのころ畿内の纏向に突如として都市が出現し、前方後円墳が、盛んに造られるようになります。


Aの天孫降臨すなわち弥生人渡来の時期が、水田稲作・弥生土器・青銅器・鉄器・甕棺墓などの伝搬時期と重なってくるというのは、なんとなく感覚的にも理解できると思います。
なお天孫降臨の時期については、紀元前5~同4世紀頃としてますが、古事記の解釈の仕方によっては、紀元前3~同2世紀頃の可能性もあります。
詳しくは
"一年で二回の年を数えたという「二倍年歴」説は本当か?(6) ~ 「国譲り」と「天孫降臨」はいつだったのか?"
を参照ください。
その場合は、イネの第三波渡来の時期と重なります。

一方、Bの倭国大乱ののち卑弥呼が共立され、国が治まった時期が、青銅器祭祀・銅鐸祭祀が衰退し、畿内の纏向にて巨大都市が突如出現して、前方後円墳が築造されるようになった時期と重なることは、さまざまな推測がされてます。
たとえば、
・倭国大乱を治めた卑弥呼が畿内に邪馬台国を造ったのではないか?
・神武天皇東征神話は、このことを象徴化したのではないか?
などなどです。

はたしてどうなのか?。
私はここまでブログでお話しているように、それほど単純に断定できるものではないと考えます。さらに多くの切り口からみていく必要があります。

最近の報道で盛んに「邪馬台国」ではないかとされる奈良県の纏向(まきむく)遺跡などは、その一つです。はたして纏向遺跡は、「邪馬台国」の要件を満たしているのか?、という課題の検証が求められます。

というわけで、次回から纏向遺跡について、みていきます。

<天孫降臨絵図>・・・彼らは、イネ・鉄器・青銅器を携えてやってきたのか?

天孫降臨

(狩野探道作)

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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