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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(5)~航海神としての宗像神

次に、航海神としての宗像神の分布を見ていきます。
図13は、島嶼部を含む北部九州沿岸のおもな宗像系神社です。

北部九州宗像系神社分布



”『書紀』の「海北道中」に対応して、対馬北部東岸に宗像神を祭る神社が多い。宗像を名乗る神社は 大増の宗像神社だけであるが、この宗像神はより南の佐賀(さか)から勧請されたと言い伝えている。佐賀の和多都美(わたつみ)神社は、旧名を佐賀宗形宮と言ったという。佐賀には有名な縄文貝塚があり、宗像海人族との繋がりが縄文以来である可能性を示す。なお大増の宗像神社を支えている神主や氏子の殆どが比田勝氏であるので、この神社もしくはその元社がかつて良港の比田勝にあった可能性が高い。実際に、比田勝港近くの倉庫で「宗像神社」の扁額を実見した。比田勝は「日高津」のことで、に漕ぎ出す港の意味と考えられる。これらは沖ノ島経由で直接宗像やその他の響灘沿岸地方に向かう航路に対応 すると考えられ(これをムナカタルート1とする)、まさに『書紀』の「海北道中」に位置する神社群である。
一方対馬南部にも三女神を祭る2社があり、壱岐の西海岸に対している。前述のように壱岐には南部に宗像神が多いが、郷ノ浦港の湾口にある渡良(わたら)三島(みしま)と呼ばれる大島、長島、原島(はるしま)に、それぞれ島の名を社名とし、宗像三神のみを祭る三社がある。”

【解説】
対馬北部東岸にある「佐賀」「和多都美(わたつみ)神社」に注目です。
綿津見神社は海の守護神である綿津見三神を多くは祭神として祀るが、娘である豊玉姫玉依姫や、豊玉姫の子の阿曇磯良を祀る神社もある。
福岡県福岡市東区志賀島の志賀海神社を総本社とする。綿津見三神は阿曇氏の祖神とされ関わりが深い。”(Wikipediaより)

ここから対馬北部でも、阿曇族が活動していたことがうかがえます。
前に対馬北部は宗像神が多く祭られるのに対して、南部は玉依姫が多く祭られている、とお話しました。また魏志倭人伝の「対海国」は対馬南部と考えられる、とお話しました。
とはいえ対馬南部にも宗像神を祭る神社がありますから、対馬の中で宗像族と阿曇族は活動地域が明確に区分されていたのではなく、入り混じって活動していたことが推測されます。
また「佐賀」は、位置関係からいっても、佐賀県の「佐賀」と何らかの関係があるかと思われます。

壱岐東南部にも、原の辻遺跡に近い石田町池田西触に宗像三神を祭る田嶋神社がある。この神社は、 呼子の加部島にある式内の名神大社の田島神社の系列社と見られる。ここからは、東行宗像へ向かうルートが考えられる(ムナカタルート2)。この経路にも、要所に宗像系神社がある。唐津湾口の姫島にイチキシマが祭られており、博多湾口唐泊崎に護られた宮浦港には三女神を祭る古社三所神社がある。玄界灘に浮かぶ小呂島には、三女神を筆頭祭神とする七所神社がある。
この社は、かつて宗像神のみを祭っていたことが『付録』に記されている。福岡市香椎の名島神社(江戸時代は弁才天社)も、古くから宗像神を祭ってきたことが『付録』に記される。”

【解説】
壱岐は、魏志倭人伝の「一大国」です。原の辻遺跡は、弥生時代の大型環濠集落遺跡が出土して、クニの都と推定されてます。魏志倭人伝では、壱岐から本土の唐津に渡海したと考えられますが、本土にも宗像神を祭る神社が分布してますね。

田島(田嶋・多島)神社は、東・西松浦郡に12社(『調』には13社)あり、いずれも三女神を祭る。伊万里湾内に多く、ここから内陸に入るルートに関与した人々が祭った神社と見られる。図5で見たように、ここから有明海沿岸までは濃厚な宗像神分布地帯となっている。
一方西海地方にも宗像神が多く分布する。前報で見たように、長崎県は千葉県と青森県に次ぎムナカタ神社が多い。そのうち対馬以外の五社は本島部西海岸にある。平戸市田平(たびら)の宗像神社は、『日本三代実録』の貞観一三年(871)と同一五年(873)に見える「宗形天神」とされている。この神社は、平戸島と九州本土を隔てる平戸瀬戸の本島側に約2km入ったところにある。この神社は、著名な里田原(さとたばる)遺跡の範囲内に ある。この遺跡は縄文晩期に始まるが、最盛期は弥生時代前期から中期までで、後期までも続いていることが最近確認された。遺物も豊富で、朝鮮半島製の初期青銅鏡多鈕細文鏡(たちゅうさいもんきょう)が甕棺墓から出土している。そのほかにも小型板状鉄斧、無文土器、天河石や瑪瑙の丸玉など、朝鮮半島からの直輸入と思われる遺物が多い。海人族の交易中心地であったことが分かる。
ここから約3 kmに、平戸瀬戸に面した縄文時代のツグメノハナ遺跡がある。ここからは、100点以上の石銛とともに多量のクジラ、イルカ、サメの骨が出土し、縄文海人の根拠地があったと見られる。この石銛は沖ノ島でも多く出土しており、宗像海人族との繋がりが縄文時代に始まることを支持する。
さらに南下すると、西彼杵半島の北部、西海市中浦に宗像神社がある。さらに南下して長崎市の展望台稲佐山に登る長崎ロープウェイの乗り場のところに淵神社があるが、この主祭神が宗像三女神である。”

【解説】
魏志倭人伝の「末盧國(まつら・まつろ)国」にあたると考えられる東・西松浦郡ですが、特に西側の伊万里湾に多いですね。
里田原(さとたばる)遺跡は、弥生時代の水田稲作遺構や夜臼式土器、支石墓も出土するなど、当時最先端の文化が開いていました。
ツグノハナ遺跡から出た多量のクジラ・イルカの骨からわかるとおり、当時から捕鯨をやっていたことがわかります。貴重な動物性たんぱく質だったことでしょう。

さらに長崎を回り雲仙諸峯の麓の橘湾に臨む海岸沿いに、三社の宗像神社があります。また五島列島にもいくつかの純宗像系社があり、西海にもうひとつの古い海の道があった、と推測してます。
そして
”福江島の岐宿(きしく)には三女神を祭る古社巖立(いわたて)神社がある。この神社はかつて岐宿湾中の宮の小島にあったのを移したものというが、由緒記によればこの島に祭られたのは桓武天皇の時代で、空海が入唐の 際立ち寄ったとき島民から神のお告げを聞き、この島に社を建てることを勧め三女神を勧請したという。このころの遣唐使は岐宿の西約10 kmの三井楽から出発していたが、岐宿はこの島北岸最大の 集落であり、名も唐船の浦という深い湾があるので、空海らもここに停泊して風待ちをしたのではないか。そして三井楽にも三女神のみを祭る柏神社がある。『調』は、そのほか三井楽にイチキシマを祭る 市杵島神社を載せている。”

【解説】
巖立(いわたて)神社ですが、空海が三女神を勧請したと伝えられている、とのことです。ということはのちの空海の時代にも、この周辺において三女神信仰が盛んだったことが推定されます。

以上のとおり、多くの宗像系神社がありますが、多くは海岸沿いに立地してます。こうしたことからも、海人族の信仰だったことがうかがえます。

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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(4)~「オカミベルト」と「埴安ベルト」

次に、オカミ神と埴安神の分布です。この両神は、はっきりとした棲み分けの関係にあります。

オカミ神は、宗像郡から始まり、国東半島および直入郡に到る連続した「オカミベルト」を示している。特に遠賀郡から宇佐郡に到る地域の分布が濃厚で、豊前地方に信仰の中心があるように見える。”
一方埴安神は、糸島半島から上座郡に到る連続した「埴安ベルト」を形成している。分布の中心は、那珂郡から夜須郡の辺りにあるとみられる。このベルトは、オカミベルトと接していて、ほとんど重複しない。唯一の例外は、両社が5%以上祭られる旧嘉麻郡である。”


埴安神・オカミ神を祭る神社分布  
【解説】
前回の宗像神と玉依姫の棲み分けと、似たような棲み分けになってます。すなわち、
宗像神の分布≒オカミベルト
玉依姫の分布≒埴安ベルト

です。

この分布領域を「どこかで見たな」と思われた方は、私のブログをかなり熱心に読んでいただいている方と推察します。
そうです。埴安ベルトは、甕棺分布域と重なっているのです。
論文では、以下のように述べてます。

”以上のような明確な信仰圏の対立は、文化圏の対立を示していると思われる。このような筑前西部とそれ以東の文化の対立としては、弥生時代の甕棺葬文化圏とそれ以東の地域との隔絶が想起される。”
埴安神が佐賀県域と熊本圏域に殆ど祭られていないことを除けば、両者の分布はよく一致している。二つのベルトの境界領域の嘉麻郡で埴安神とオカミ神が共存するのも、立岩遺跡とその周辺に甕棺文化が割り込んでいることと対応している。先述の玉依姫信仰がこの地域に進出していることも、これに対応する。”
甕棺文化圏で埴安神が祭られていたのは、甕棺製作に当たって原料の土に特別の神威を感じ、土の神である埴安神を祭ったと考えれば理解できる。古代人が土器の原料である土に特別の呪術的意味を感じていたことは、神武東征伝説中の説話などに見ることができる。
かつて甕棺文化圏に属しない宗像以東は、弥生文化の後進地と見なされていたが、田熊石畑遺跡の再発見で、甕棺文化圏に比肩する繁栄を誇っていたことが明らかになった。宗像から始まるオカミベルトは、この地域が甕棺文化圏と異なる精神文化の伝統を持っていたことを示している。”


【解説】
埴安神は土の神様とされます。したがって土器とつながることは間違いないでしょうが、さらに解釈を広げれば、土は五穀豊穣の源ですから、稲作とも深いつながりがるのではないか、とも考えられます。
実際この地域一帯は、日本の水田稲作発祥の地域ですね。
それはさておき、甕棺分布を見てみましょう。

北部九州甕棺分布  
そしてこの領域は、以前「邪馬台国広域地域圏」としたものと重なります。
詳しくは
纏向遺跡は邪馬台国か?(14)~北部九州の「邪馬台国広域地域圏」
を参照ください。

邪馬台国広域地域圏 
この設定が正しいとすると、邪馬台国の人々は、土の神様である埴安神、神武天皇の母である玉依姫(と姉の豊玉姫)信仰していた、ということになります。
こうしたことから、邪馬台国は稲作、土器の先進地域であり、神武天皇と強いつながりがある、ということがわかります。

論文ではこれに続き、
”このように、弥生時代に起源を持つ精神文化の伝統が、祭神の継承を通じて、現代まで連綿と受け継がれてきたと考えられる。このことは、少なくとも北部九州においては、祭神分布とその解析が古代史を理解する上で重要な鍵になることを示したと言えよう。”
と述べてますが、まさにその通りですね。

古代史は文献も少なく、考古学的データも不足してます。こうしたなか、ともすると安易な推測・想像をしてしまいがちですが、まずはこうした地道なデータの積み重ねが大切だと考えます。

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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(3)~玉依姫を祭る神社分布

前回お話した各神間の関係を、具体的にみていきましょう。

図9をご覧ください。神武天皇の母である玉依姫を祭る神社の北部九州での分布を、宗像神と重ねて示したものです。
図中、オレンジ色・黄色が玉依姫を祭る神社の割合が高い旧郡、紺色・青色が、宗像神を祭る神社の割合が高い旧郡です。

玉依姫を祭る神社分布  
この図を見ると、両神の分布域は殆ど重ならず、はっきりした対立関係を示しているのがわかります。

興味深いのは対馬
”宗像神は上県郡に多く特にその東岸に多く分布するのに対し、玉依姫を祭る神社はすべて下県郡にあり、中央部の浅茅(あそう)郡沿いと、そこから西岸および東岸へ出た入り江に多く分布する。浅茅湾内には弥生時代の遺跡が集中し、魏志倭人伝が示す対馬国の中心があったと考えられている。


【解説】
魏志倭人伝に出てくる「対海国」のことです。魏志倭人伝に、
”居する所は絶海の孤島で、およそ四百余里四方。土地は、山が険しくて深い林が多く、道路は鳥や鹿の道のようである。千余戸の家がある。”
対海国は、「四百余里四方」とあるので、ほぼ四角で一辺が約30km(短里)です。私はここから、対海国とは対馬の下県郡を中心とした国ではないか、と推定してました。今回そのエリアは、玉依姫の信仰域とほぼ一致することがわかりました。
ちなみに、浅茅湾に面したところに豊玉町があります。豊玉町には、和多都美神社(わたづみじんじゃ)があり、豊玉姫が祭られてます。「豊玉姫」とは玉依姫の姉で、神武天皇の祖母にあたります。

”玉依姫は、本土部では旧糟屋郡に集中する。多くが志賀系海神を代表する豊玉姫少童神(ワタツミノカミ)とともに祭られており、本来海人族が祭った神であることを示している。しかしその他の郡では、宝満山の竈神社から広まった竈門神社や宝満神社に、多くは八幡神と神功皇后との組み合せで祭られている。しかしその中に玉依姫一神を祭神とする社も多いので、宝山系神社は本来玉依姫信仰であって、八幡神と神功皇后は後に併祭された祭神と思われる。
筑前西部の中でも、志摩郡で宗像神が玉依姫に対して優勢なのは、宗像から壱岐や西海方面への航路の寄港地があったからであろう。”


【解説】
旧糟屋郡は、海人族である安曇族の本拠地です。このエリアが玉依姫が集中している一方、その東と西には宗像神が集中しており、信仰する神によって、きれいに分かれてます。
このあたり一帯は、もともとは宗像神を信仰していたが、のちに玉依姫を信仰する海人族がやってきて、博多湾岸に勢力を張った、という構図が見えてきますね。

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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(2)~他の神々との棲み分け

前回は、九州北部における宗像神の分布がきわめて偏っている、という話でした。

ではなぜそれほどまでに偏っているのか、矢田氏は推測します。

それは「他の神との棲み分け」があったのではないか?、と。

図6は、北部九州4県で祭られる代表的な祭神と、それらを全国平均に対する集中度で示したものです。

横軸が北部九州で祭られる代表的祭神で、全部で20挙げてます。
縦軸は全国に対する集中度で、1が平均、上にいくほどその地域に集中している、すなわち信仰が浸透していることを示し、下にいくほど集中していない、すなわち別神を信仰している地域であることを示してます。
北部九州諸神全国割合

左の3つが宗像神です。1番左が全宗像神、2番目が三女神(八王子除く)、3番目がイチキシマ単神です。
両者とも、宗像郡の集中度(緑色)が圧倒的であり、福岡県(赤色)、北部九州(青色)とも、全国平均を上回っています。
それに対して、イチキシマ単神が全国平均とほぼ同じであり、これはもともとあったイチキシマ信仰がのちに宗像を中心とした宗像神信仰に置き換えられていった、という推測の正しさを後押ししてます。

左から4番目から6番目の、志賀神・住吉神・玉依姫の三神は、北部九州で宗像神と並んで海神として祭られることの多い神々です。ちなみに玉依姫とは、神武天皇の母親であり、京都市下鴨神社の主祭り神として全国の加茂神社に祭られてます。
三神とも、北部九州に多く祭られてますが、特に福岡県で集中度が高く、その中でも玉依姫の集中度が高いですね。

続く八幡神(応神天皇)・神功皇后・武内宿弥の三神は、八幡系神社で主に祭られる神々で、主神の応神天皇は全国平均と同程度の分布であるのに対し、神功皇后と武内宿弥は北部九州、特に福岡県に強い分布を示してます。

次のオカミ神・ミズハノメの二神は、記紀神話で宗像神より先に登場する由緒の古い水神です。
”剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつはのかみ)とともに闇龗神(クラオカミノカミ)が生まれたとされる。龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。
ミズハノメは、『古事記』の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。『日本書紀』の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)罔象女(ミズハノメ)神を生んだとしている。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。 ”(Wikipediaより)。


オカミ神とミズハノメは、北部九州に集中して分布し、特にオカミ神は宗像郡を含む福岡県に強く集中してます。オカミ神は重要な神で、この後出てきます。

イザナギ・イザナミが生んだ神々



イザナミの病死によって生まれた神々 

続くオオナムチ+大国主命、スクナビコナ、事代主の三神は一般に出雲系として知られる神々です。出雲の主神オオナムチ(「書紀」に大己貴神(オオナムチノカミ)、大国主命(オオクニヌシノミコト)と同神とされる)の集中度は高くありませんが、他の二神(スクナビコナ、事代主)は福岡県に多く、特にスクナビコナ(「書紀」に少彦名命(スクナビコナノミコト))が宗像郡に多いのが目立ちます。

スサノオ、アマテラス、菅原神、稲荷神、オオヤマツミは、全国的に広く知られている古代後半以降の流行神です。
スサノオは、記紀神話では出雲の重要神ですが、「出雲国風土記」では重要神の扱いはされてません。現在は後年盛んになった熊野信仰の神として祭られるケースが多いのですが、宗像郡に少ないのはこのためであろう、と推測してます。
アマテラスは、北部九州に少なく、特に宗像郡には殆ど祭られていません。これは、”天皇家の祖神アマテラスは、古代に一般に祭られることが少なかったためと思われる。神祇世界の成立が古かった北部九州では、中世以降の伊勢信仰の影響が入りにくかったのであろう。”と推測してます。
菅原神はその由緒から北部九州に多いのですが、その中で宗像郡は平均的です。
稲荷神(「書紀」に倉稲魂(うかのみたま))を祭る社数は、全国の普及度よりかなり低いです。。
オオヤマツミ(「書紀」に大山祇)は、宗像郡に少ないことが特徴的です。

以上いずれも宗像郡に少ない理由として、
”これらの特徴は、宗像郡の神祇世界が殆ど古代のうちに成立していたために、中世以降の流行神が入る余地がなかったことを示すと思われる。”
と推測してます。
ただしこれら全てが中世以降の流行神であったためなのかは、なんとも言えません。信仰された地域が別の地域であった可能性もあるでしょう(オオヤマツミなど)。

最後の二神、「書紀」に出る土の神、埴安(ハニヤス)神(埴安姫が殆どであるが、男神の埴安彦もある)埴山神(北部九州で少なく、すべて埴山姫)は一般に同じ神とされ、実際相互に殆ど区別なく祭られていることが多いので、両神を合計して扱ってます。
”カグツチ(火の神)を産んで死ぬ間際のイザナミの大便からハニヤス神・ハニヤスヒメ神の二神が化生したとする。『日本書紀』では埴安神と表記される。他に、神社の祭神で埴山彦神・埴山姫神の二神を祀るとするものもある。
なお「ハニ」(埴)とは土のことである。”(Wikipediaより)

オカミ神・ミズハノメ同様、記紀神話で宗像神より先に登場する由緒の古い神です(上図参照)。この神は、北部九州、中でも福岡県の集中度が高いです。宗像郡ではそれほど集中度が高くないので、それ以外の地域に集中していることが推定されますね。

さて以上みてきましたが、各神同士の関係性は、どのようになっているでしょうか。
統計学上の相関係数という関数を使って解析します。詳細は割愛して、結果だけ記します。

三女神と相関が大きい、すなわち三女神を信仰する社数が多い地域で、同じように社数が多くなる信仰がオオナムチ+大国主、スクナビコで、ここから出雲と宗像の強い関わりが推定できます。

逆に相関がマイナスの関係性にある、すなわち三女神を信仰する社数が多い地域で、社数が少なくなる信仰が神武天皇の母親である玉依女(タマヨリヒメ)です。

もうひとつ三女神とマイナスの関係性にあるのが、埴安神です。

この二神は共同で他神が入りにくい独自の信仰圏をもっていた、ことがみてとれます。

では具体的にどういうことなのか、次回みていきます。

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北部九州の宗像神と関連神を祭る神社データは語る(1)~宗像神信仰の地域偏在が示すこと

前回まで、「宗像神を祭る神社の全国分布とその解析ー宗像神信仰の研究(1)ー」(矢田浩)を基に、みてきました。

宗像神というと三女神(イチキシマ・タゴリ・タギツ)をセットで考えがちですが、実際にはそうではなくそれぞれ別個の信仰であったことが、統計データから推測できました。そのなかでも特にイチキシマ信仰が最も古く全国に広がっていたと推測されます。時代を経て、次第に三女神が宗像神として統合されていったとしてます。

今回から、その第二弾「北部九州の宗像神と関連神を祭る神社の解析ー宗像神信仰の研究(2)ー」をみていきます。

宗像神信仰の起源と考えられる九州北部での信仰を、宗像神以外の神との関連も含め、統計データで解析してます。これもまた前論文同様、たいへん興味深いものとなってます。

”宗像神信仰の起源と考えられる福岡県では、宗像神を祭る神社の存在比は全国の平均レベルであった。これは福岡県が地勢的・歴史的に広域にまたがり、その中で宗像神信仰が他信仰と棲み分けしているためと考えられる。そこで本報では、北部九州諸県について旧郡単位で分布を調査し、不均一な分布の一因と思われる他神信仰との関係についても調べた。
図2に旧郡別の宗像神の分布を示す。旧郡間で社数が大きく異なることが分かる。福岡県内で見ると、宗像郡の17社はやはり大きいが、隣の遠賀郡が20社とより多い。県内ではほかに企救・三瀦郡が10社を超えている。
その他の郡、特に筑前南部と筑後の諸郡にはきわめて少なく、県内で分布が偏っている。一方、佐賀県の東西松浦・杵島郡や、大分県の宇佐・大野郡など、宗像郡と同程度またはそれ以上に宗像神が祭られている郡がある。”


【解説】
宗像神の分布は、宗像郡が多いのは当然ですが、隣の遠賀郡や大分県の宇佐郡・大野郡が、宗像郡での数を上回っていることに注目です。さらに佐賀県の東西松浦・杵島郡も多いのに対して、筑前南部と筑後には極めて少ないなど、分布が偏っていることが確認できます。

北部九州郡名図  

北部九州宗像神分布


”前報の全国分布では、三女神のうちイチキシマのみを祭る神社が全宗像神を祭る神社の60%以上を占め、特に宗像から遠方で多いことを指摘した。これに対し北部九州4県ではその比率が48%で、宗像郡では17%ときわめて低い。
反対に三女神を祭る神社は、全国で22%に対し北部九州で42%と高く、宗像大社のある宗像郡では17社中三女神を祭る神社が11社(67%)と極めて高い。あきらかに宗像大社の影響によりその周辺で三女神化が進んでいることが窺われる。"

【解説】
数字がいろいろ出てきてわかりにくいので整理しますと、全宗像神を祭る神社のうち、
a.イチキシマのみを祭る神社の割合は、
  宗像郡(17%)<九州北部4県(48%)<全国平均(60%以上)
b.三女神を祭る神社の割合は、
  宗像郡(67%)>九州北部4県(42%)>全国平均(22%)
とa,bがきれいに逆になってます。
このことから、宗像大社の影響でその周辺で三女神化が進んでおり、遠ざかるにつれ三女神化が進んでいない、つまり昔の信仰が残っている、としてます。

”宗像神を祭る神社の各郡全社数に対する比の分布を示したのが、図5である。
九州東北部の沿海3郡に宗像神が集中して祭られており、やはりこのあたりに信仰の中心があったことを示している。この3郡に続く九州東海岸に比較的宗像神の多い地域が連続しており、宇佐郡から国東半島にかけて分布する。そして内陸部の直入・大野郡でまた高まりを見せ、宮崎県の東臼杵郡が続く。ここでは宗像郡の全てがイチキシマ単神である。
そして筑前中央部の比較的宗像神の希薄な地域を挟んで、佐賀県東部にこれに劣らない宗像神集中域がある。”


【解説】
全社に対する宗像神を祭る神社の割合を示した図です。分布がきれいに分かれており、とても興味深い図です。
九州東北部の3郡(宗像・遠賀・企救)から東側にかけて、すなわち瀬戸内海側の地域に集中してます。一方、西側は佐賀県東部に集中してます。そして真ん中に当たる筑前中央部が空白地帯となっており、たいへん特徴的に分布していることがわかります。
また、対馬北部五島列島での割合が高いことにも注目です。

北部九州宗像神割合図

ではこの偏った分布は、何を意味しているのか?

大きな視点で見ると、”もともとは宗像神を祭る人々(海人族)が北部九州一帯に住んでいたが、「別の信仰」をもった人々(「別の海人族」)が筑前・筑後にやってきて、その一帯を支配した”、という流れが想定できます。

ではその「別の海人族」とは何なのか?、「別の信仰」とは何なのか?、次回詳しくみていきましょう。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。

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