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邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは?(4) ~ 銅矛

鉄、鏡、勾玉についてお話しましたが、忘れてはならないのは、銅矛でしょう。魏志倭人伝にも、矛については
”武器としては、矛、盾、 弓がある。”
など、出てきます。武器としては、鉄矛も使用していたかもしれませんが、それ以前は、青銅器の矛であったでしょう。時代を経るにつれて、祭祀としての利用がされてきたと考えられます。

ところで「矛」ですが、武器としてはどのように使われていたと思われますか?。剣や刀と、どのように違うのでしょうか?。

銅鉾・・柄との接合部分が袋状になった,刺突を目的とする青銅の武器銅矛とも書き,どうぼことも読む。中国や朝鮮,日本,インドシナなどに分布する。日本では弥生時代の青銅器の代表的なものである。当初は大陸からの渡来品である穂が短く鋭利な狭鋒銅鉾が使用され,その後,穂が長大な非実用的な中鋒銅鉾や広鋒銅鉾が日本でつくられるようになった。 ”(ブリタニカ国際大百科事典より)

<銅矛・・長崎県下県郡豊玉町佐志賀黒島出土>
銅矛  
          (東京国立博物館HPより)

つまり、戦いにおいて、相手に切り付けるのではなく、先端部で突き刺した、ということです。槍をイメージするとわかりやすいと思います。
ちなみに、棒に金属部分を突き刺すのが槍、金属部分をかぶせるのが矛です。したがって、銅矛の根元は筒状になっています。
下図が、想像図です。
   青銅器武器


図のなかで、長い柄の先端に取り付けてあるのが、銅矛です。一方、柄と直角にとりつけてある武器がありますね。「銅戈(どうか)」です。銅戈の戦い方は特徴的で、敵の首に引っ掛けて、鎌のように切り取ります。チャンバラシーンに慣れているわたくしたちからすると、随分と野性的で豪快な戦い方に思えます。

戦い方としては、”近寄ってきた敵に対して矛で突き刺し、あるいは銅戈で相手の首をひっかける、それをかいくぐって接近してきた敵とは、剣で戦う。”といったところでしょうか?。

さて、銅矛の分布ですが、数値的なデータが手元にありませんので、分布図で見てみましょう。

<弥生時代後期の、青銅祭器分布図>

青銅器分布図

少し見づらいですが、△が、広形銅矛、〇が突線鈕式銅鐸です。きわめて特徴的な分布で、銅矛は北九州を中心としている一方、銅鐸は、畿内、紀伊半島西岸から東海地方に分布しています。
もう少し細かく見ると、銅矛は、対馬に博多湾岸を上回るほどの一大拠点があり、博多湾岸から南東方向に大分県、さらに豊予海峡を渡り、四国南西部へと広がっています。ここから、北九州を中心とした文明が、四国南西部まで及んでいることが、確認できます。

一方、銅鐸は、中心領域がはっきりせず、どちらかと言うと、東海地方が中心のようにも見えます。

いずれにしろ近畿圏からは、銅矛が一つも出土していないことは、注目点です。

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邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは(3)?~勾玉(まがたま)

邪馬台国位置比定の考古学的根拠として、鉄、鏡の出土地域を、取り上げました。
今回は、勾玉(まがたま)です。勾玉と言えば、剣、鏡とともに、三種の神器のひとつですね。当時としては、たいへん貴重なものでしたから、勾玉が出土する場所は、権力者がいたところと言えるでしょう。

魏志倭人伝には、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した品のなかに、「孔青大句珠二枚」とあります。句は勾のことです、勾玉は、倭国の特産品であり、邪馬台国とも関係が深い品物ということがわかります。

では、その出土状況をみてみます。

<弥生時代勾玉都府県別出土数>

硬玉製勾玉ガラス製勾玉
都府県個数都府県個数
1佐賀6福岡18
2福岡4佐賀1
3島根・長野1  
(水野祐著「評釈魏志倭人伝」より)


ガラス製勾玉は、福岡県が18個で1位、他は佐賀県から、わずかに1個しか出土していません。
硬玉製勾玉は、佐賀県が6個で、福岡県が4個、あとは島根県、長野県から1個だけです。
なお、奈良県は、両方ともゼロです。

勾玉は、日本においても、縄文時代から、特に女性の装身具として、存在していました。ただし、動物の牙を加工した、牙玉が中心だったようです。

注目すべきは、ガラスの勾玉の鋳型です。近畿地方からも出土していますが、それより古い鋳型が、福岡県から出土しています。ここから、当時の倭国は、ガラスの勾玉を作る技術をもっており、そのレベルは、魏の皇帝に献上できるほど高いものであった、ということがわかります。

福岡県糸島市の平原遺跡1号墳墓からは、ガラス製の大勾玉(約3cm)が、3個出土しています。鮮やかな青緑色をしており、まさに王を飾る装身具にふさわしいですね。これなどは、女王壹与(いよ)から魏の皇帝に献上した「孔青大句珠二枚」と同様の品と言えるかもしれません。


<平原遺跡出土勾玉>

平原遺跡 勾玉 


ちなみに、この墳墓には、前回お話した大型内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が埋葬されていたほか、管玉、耳飾りなどが副葬品として埋葬されており、武器類が少ないことから、女性が埋葬されていたと考えられてます。さぞかし華やかな女性だったのではないでしょうか?。

遺跡発掘者の原田大六氏は、神話に出てくる「玉依(たまより)姫」の墓ではないかとの説を唱えました。想像力をかきたてられますね。

日本書記によれば、玉依姫とは、綿津見大神(海神)の娘で、豊玉(とよたま)姫の妹です。姉の豊玉姫が、ホオリ(山幸彦 、やまさちひこ)との間にもうけたウガヤフキアエズを養育し、やがてその妻となり、4人の男の子を産みます。その4番目の子が、若御毛沼命(わかみけぬ、のちの神武天皇)です。

神話と遺跡が合致するとなると、とてもロマンあふれる話になります。ただし、時代が合わないのでは、と思えます。むしろ、卑弥呼の時代に近いのですが、真実は、今のところ、?です。

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邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは? (2)~ 鏡

次に、邪馬台国と言えば、を思い浮かべる方も、多いと思います。卑弥呼が魏の皇帝からもらった、いわゆる「卑弥呼の鏡」です。「卑弥呼の鏡」については、昨今のマスコミ報道では、あたかも三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)のことのように言われています。

三角縁神獣鏡とは、その名の通り、縁部の断面形状が三角形になっており、鏡背に神獣(神像と霊獣)が描かれている鏡です。畿内地方に数多く出土することから、邪馬台国畿内説の大きな根拠とされています。しかしながら、日本各地で500枚近く出土しており、卑弥呼がもらったとされる100枚の鏡とは言い難いこと、肝心の中国本土では出土していないことから、日本で作られた鏡である可能性が高いと考えられます。
(先般、中国で発見されたとの報道もありましたが、多くの学者から、疑問の声が上がってます。)
このあたりの詳細は、いずれお話しする機会があればと思います。

さて、卑弥呼の鏡としては、古田氏は、漢式鏡」としています。中国の漢代に作られた鏡を「漢鏡」と総称しますが、日本の墳墓から出土した鏡のうち、それと同じ形式をもったものを「漢式鏡」と呼びます。中国製と日本製があり、日本製を特に「仿製(ぼうせい)鏡」と呼びます。「卑弥呼の鏡」は、当然のことながら中国製ですから、「仿製鏡」は「卑弥呼の鏡」とはなりえません。

一方、古田氏と同じく邪馬台国北九州説を唱えている安本美典氏( 元産能大学教授 )は、「卑弥呼の鏡」を「魏晋鏡」としています。「魏晋鏡」とは、「漢式鏡」のうち、特に、魏・晋時代に作られた鏡とされています。
そして、「卑弥呼の鏡」を、魏や晋の時代に中国北方で入手できた「内行花文鏡(ないこうかもんきょう)」や「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」であろうとしています。

内行花文鏡とは、
"中国漢代の鏡のうちで代表的なものの一つ。この名称は日本でつけられたもので,中国では連弧文鏡という。鏡背面の内区主文様として8個の弧形をめぐらした,いわゆる内行花文帯があることからこう呼ばれる。”

位至三公鏡とは、
"主文が竜鳳双頭文系統で鈕の上下に〈位至〉〈三公〉,ときには〈君宜〉〈高官〉の銘文をいれたもので、後漢末より六朝前半に,中国北部で使用された。"
(ブリタニカ国際大百科辞典より)

平原遺跡(福岡県糸島市)出土の内行花文鏡です。

平原遺跡 内行花文鏡2 

直径46.5cmと、国内出土の銅鏡で最大です。仿製(国内で生産されたもの)です。漢代の寸法で二尺となり、円周が「八咫(やた)」となります。このことから、伊勢神宮御神体の「八咫鏡」と同型であるとの説もあります。

漢鏡も、必ずしも漢代に作られた鏡だけでなく、その後の三国(魏・呉・蜀)・六朝時代に作られた鏡を含めることもあります。したがって、古田氏と安本氏の定義は、似ていると言えなくもありませんが、ここでは、両氏による資料を、それぞれ紹介します。

 順位10種の魏晋鏡
(邪馬台国時代)
漢式鏡
 都道府県個数都道府県個数 
1福岡20福岡149筑前中域129・
東域16・
筑後4
2佐賀4佐賀11 
3長崎・兵庫2兵庫2 
4大分・山口・
鹿児島・
鳥取・石川・
大阪・京都
1岡山・
山口・
岐阜
1 
      
 奈良0奈良0 

まず、弥生時代の漢式鏡ですが、福岡県が149個で断然トップ、2位は佐賀県で11個、あとは兵庫県2個、岡山県、佐賀県で1個です。福岡県のなかでも、筑前中域つまり博多湾近辺が129個で8割を超え、筑前
東域が16個、筑後は4個に過ぎません。ようするに、博多湾岸に集中しているということです。

また、邪馬台国時代の10種の魏晋鏡ですが、福岡県が20個でトップ、2位が佐賀県で4個、3位が長崎県、兵庫県で2個です。

以上のとおり、どちらにおいても、トップは福岡県、2位に佐賀県が続き、奈良県は、ひとつも出土していないことがわかります。また、同じ福岡県のなかでも、漢式鏡が博多湾岸に集中していることは、注目点です。

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邪馬台国位置比定の考古学的根拠とは? (1) ・・・ 鉄

ブログ開始から、ひたすら日本神話や中国語・朝鮮史書など文書を追いかけながら、日本、日本人の歴史を、解き明かしてきました。ここ何回かにわたっては、古代史ファンにとり最大の関心事である邪馬台国の位置を、魏志倭人伝の行程をたどりながら、比定しました。
ところで、皆さんのなかには、「魏志倭人伝からは、邪馬台国が博多湾岸であることがわかったが、その物的証拠はあるのか?」との考えをもたれた方も多いと思います。そこで、ここから何回かにわたり、物的証拠、つまり、遺跡や出土物、などをみていきます。

まず、何を物的証拠とするか、ですが、邪馬台国をはじめとする古代王朝を象徴すると考えられるものがふさわしいでしょう。今回は、鉄、鏡、玉、絹、それに三種の神器などです。これらをひとつずつ見ていきましょう。

1.鉄
弥生時代の特徴と言えば、まず思い浮かぶのは、鉄でしょう。"弥生時代前までは、武器や祭祀具などをはじめとして青銅器を使用していたが、鉄が大陸からもたらされたことにより、社会に大きな変化が起きた"と社会の授業で習いましたよね。つまり、当時鉄の使用が多い地域ほど文明が発達し、社会を支配している力が大きかったことになります。

現在までに確認されている鉄の出土数を、種類別、都道府県別に、順位付けします。
弥生時代の鉄出土状況表①(都府県別)
順位鉄の鏃
都府県個数
1福岡398
2熊本339
3大分241
4京都112
5岡山104
6宮崎100
7山口97
   
 奈良4
*「弥生時代鉄器総覧」(広島大学考古学研究室 川越哲志編、2002年2月刊行)による。

弥生時代の鉄出土状況表②
(都府県別)
 
順位弥生時代の鉄刀・鉄剣・鉄矛・鉄 
鉄の刀鉄剣鉄矛
都府県個数都府県個数都道県個数都府県個数
1福岡17福岡46福岡県7福岡70
2鳥取16京都44佐賀・山口2京都48
3福井6長崎23  長崎29
4佐賀5兵庫21長崎・長野1佐賀25
5長崎5佐賀18  兵庫23
6京都4群馬16  鳥取18
7山口・広島3千葉14  群馬16
         
 奈良0奈良1奈良0奈良1
*「弥生時代鉄器総覧」(広島大学考古学研究室 川越哲志編、2002年2月刊行)による。


魏志倭人伝には、「武器としては、矛、盾、 弓がある。上半分が長く、下半分が短く、鉄や骨の鏃を使う。」との記載があり、鉄の鏃(やじり)を使っていたことがわかります。その鉄の鏃ですが、福岡県から398個出土しており、熊本県339個、大分県241個と続きます。畿内では、4番目に京都府が入りますが、112個と大きな差があります。ちなみに奈良県は4個と、寂しい限りです。

また、同じく魏志倭人伝から、兵器として、を使用していたことがわかります。鉄の矛は、福岡県が7個、佐賀県、山口県の2個と続きます。奈良県は、ゼロです。

鉄刀は、福岡県が17個、次に鳥取県の16個が目立ち、佐賀県、長崎県、と続きます。

鉄剣は、福岡県が46個、次に京都府で44個、長崎県、兵庫県と続きます。

鉄刀、鉄剣、鉄矛、をすべて合計した個数でみても、福岡県が70個と、他県を圧倒して多く、次いで京都府48個、長崎県29個、佐賀県25個と続きます。奈良県は、わずかに鉄剣の1個のみです。

以上より、弥生時代の鉄の出土状況は、福岡県に集中しており、畿内では京都府の出土がやや多いものの、福岡県には遠く及ばず、奈良県にいたっては、惨憺たる状況であることがわかります

注目点としては、鉄の鏃で、熊本県が2位に入っていることです。それだけ、戦闘能力が高かった地域と言えます。熊本県と言えば、阿蘇の記載が「隋書俀(たい)国伝」にも出てくるなど邪馬台国、九州王朝との関係も深いのて、興味深いデータです。

また、鉄刀、鉄剣、鉄矛をすべて合計した個数で、京都府が、福岡県に次いで2位に入っていることも注目です。鉄剣が多いせいではありますが、奈良県がゼロに等しいことを考えると、対照的です。これを素直に考えますと、"当時の畿内は、現在の京都府側が文明の先進地域であり、奈良県側は後進地域であった"と解釈せざるをえません。

邪馬台国が、畿内の奈良県飛鳥地方にあったとすると、"邪馬台国は文明の後進地域にあった"ということになり、「?」がつきますよね。また、当時の畿内勢力の状況を推測するヒントにもなります。

また、岡山県が、鉄の鏃で、京都府に次いで5位となっていることも注目です。岡山県と言えば、かつての吉備国です。桃太郎で有名ですが、古事記、日本書記のなかでも、神武天皇が九州から東征した際には吉備国に滞在した、との記載があり、邪馬台国との関係の深さが推測されるからです。

以上のとおり、出土物のデータひとつとっても、様々なことがわかり、とても興味深いですね。もちろん今後の発掘により、また違ったデータが出てくる可能性はありますが、それはそれとして、現時点でのデータを基に考えていくことは、科学的姿勢として、極めて大切なことだと思います。

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邪馬台国までの道程をたどる(9)~「水行10日、陸行1月」の中身はこれだ!!

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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