【感謝! 100回記念】これまでの人気記事からわかること
おかげさまで、このブログも100回となりました(正確には、前回ですが・・・)。
始めた当初は、どのようにストーリーを展開していけばよいのか、試行錯誤の連続でしたが、どうにか軌道に乗せることができました。
開始より約1年半、皆様からの暖かいコメントをいただくことも多く、たいへん励みになりました。また、かなり踏み込んだ専門的な質問や問題提起をされる方もいるなど、日本古代史に対する関心の高さも、改めて認識いたしました。ありがとうございます。
今回は、100回を記念して、これまでで人気の高かった(アクセス数が多かった)記事をランキングにして、振り返りたいと思います。
あまたいらっしゃる日本古代史ファンの方々が、何に関心をもっているのかがわかり、興味深いです。
まず、第五位です。
「日本の神々の系譜とは・・・」(No.7,2015/3/18号)
です。
神々の系譜を、国産みから、国譲り、天孫降臨、神武天皇東征までの流れで整理した記事です。昔から何となく聞いたことがある神々が、どのような関係にあるのか、そして神武天皇までどのようにつながっているのか、については、きちんと理解している方は少ないと思います。関心をお持ちの方が多いことを,改めて認識しました。
キーワード検索でも、「神々の系譜」はとても多いです。
第四位は、
「旧唐書日本国伝を読む その1 ~ 倭国と日本国が別の国である決定的な証拠!」(No.39、2015/8/27号)
です。
旧唐書には、「倭国伝」と「日本国伝」の二つがあり、「日本国伝」の冒頭に、
”日本国は、倭国の別種である”
という衝撃的な記載がされています。
これを素直に読めば、
”倭国と日本国は別の国である”
としか読みようがありません。ところが、この衝撃的な記事のことを知っている人は、ほとんどいません。それゆえ、関心も高かったのかもしれません。
第三位は、
「宋書倭国伝を読む その1 ~ 倭の五王が中国皇帝に求めたものとは?」(No.27、2015/6/28号)
です。
「宋書」は、一般的にはさほど知られていない史書だと思われますが、人気なのは「倭の五王」について、記載されているからでしょう。
「倭の五王」は、中国皇帝に対して称号を求め続けました。最終的に、武は、使時節(しじせつ)・都督倭(ととくわ)新羅(しらぎ)任那(みまな)加羅(から)秦韓(しんかん)慕韓(ぼかん)六国諸軍事(りっこくしょぐんじ)・安東大将軍・倭王に任命されました。ほぼ朝鮮半島南半分についての管轄権を認められたわけですが、百済だけは、除外されています。つまり、百済だけは、独立した国とされていたことがわかります。
第二位は、
「隋書倭国伝を読む その8(最終回) ~ 聖徳太子の遣隋使はなかった!?」(No.37、2015/8/17号)
です。
これは納得ですね。607年に、あの有名な隋の煬帝(ようだい)へ、”日出ずる処の天子より、日没する処の天子へ”の国書を出し、煬帝を不機嫌にさせました。翌608年に使者がやってきました。実は、古事記、日本書紀には、国書および煬帝を不機嫌にさせた記載がありません。書いてあるのは、中国側の史書「隋書俀(たい)国伝」にです。しかも、その記事によると、出した人は、俀(たい)国王の多利思北弧(たりしほこ)という明らかに男性です。当時の天皇は女性の推古天皇、摂政が聖徳太子ですが、両名とも記事中に名前はありません。
となると、手紙を出した多利思北弧は、推古天皇でもなく、聖徳太子でもありえません。結論は、九州王朝の国王だというお話をしました。
そして、いよいよ第一位です。ダントツの一位なのですが、皆さんは、どの記事だと思われますか?。
歴史の授業でも習った”あれ"についてです。聞けば、「なるほど、やっぱり」という感じです。皆さんの、関心の高さが改めてわかりました。
それでは、第一位です。
「後漢書倭伝を読む その3 ~金印「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」の本当の読み方とは?」(No.24、2015/6/12号)
です。
皆さんの予想は、どうだったでしょうか?。
歴史に興味がなくとも、江戸時代に福岡県博多湾の志賀島に出土したとされるこの金印のことは、知っている方は多いでしょう。そして、多くの人がもつ疑問は、
「何で、よりによって志賀島なのだ?」
というものです。
また、刻印されている文字の読み方については、
「かんのわのなのこくおう」
であり、倭の奴(な)国の国王が、中国皇帝からもらったものだ、と教わりました。これが、間違いであり、
”正しくは、「漢の倭奴(いど、いぬ)国王」と読むべきものであり、「倭奴国」とは「倭国」の卑称である”
というものです。このように解釈することによって、初めてすべての疑問が解消されます。
<志賀島の金印>
ちなみに、検索キーワードも、「かんのわのなのこくおう」が、とても多かったです。この読み方に疑問をもたれている方が多い証かもしれません。
以上の他、新しい記事なので現時点では番外でありますが、急上昇中の記事が二つあります。
10位の、
「広開土王碑を読む ~ 一線級の金石文が語る古代朝鮮半島の激闘 」(No.66、2016/2/4号)
20位の、
「七支刀(しちしとう)銘文を読む ~ 物部氏ゆかりの石上神社秘宝が物語る古代日本の真実とは?」(No.69、2016/2/11号)
です。
好太王碑と七支刀についての記事です。どちらも、かなり古代史に興味がなければ知らない言葉と思われますが、読者の皆さんのレベルの高さに驚かされました。
以上が、人気記事ランキングです。テーマとしては、神々の系譜、聖徳太子の遣隋使、倭国と日本国、倭の五王、志賀島の金印、広開土王碑、七支刀が人気であるということになります。私としては、どの記事についても「一球入魂」ならぬ、「一筆入魂」して書いているのですが、これだけばらつきが出るのも、おもしろいですね。
キーワード検索では、「神々の系譜」「かんのわのなおこくおう」「宋書」「隋書」「広開土王碑」が目立ちました。とくに、先週、「広開土王碑」の検索が急増しました。テレビか何かで、取り上げられたのでしょうか?。
意外だったのは、魏志倭人伝関連が、ひとつもベスト5に入らなかったことです。私としては、古代史ファンの方は、魏志倭人伝にもっと興味が高いと予想していたのですが・・・。
また、訪問者のプロバイダを見ると、大学からのアクセスも多くみられました。少しでも、古代史研究の参考にしていただき、真実解明に役立てていただければ幸いです。
今後は、こうしたデータも頭の片隅にいれつつ、記事を書いていきたいと考えてます。
これからも、よろしくお願いいたします!!。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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開始より約1年半、皆様からの暖かいコメントをいただくことも多く、たいへん励みになりました。また、かなり踏み込んだ専門的な質問や問題提起をされる方もいるなど、日本古代史に対する関心の高さも、改めて認識いたしました。ありがとうございます。
今回は、100回を記念して、これまでで人気の高かった(アクセス数が多かった)記事をランキングにして、振り返りたいと思います。
あまたいらっしゃる日本古代史ファンの方々が、何に関心をもっているのかがわかり、興味深いです。
まず、第五位です。
「日本の神々の系譜とは・・・」(No.7,2015/3/18号)
です。
神々の系譜を、国産みから、国譲り、天孫降臨、神武天皇東征までの流れで整理した記事です。昔から何となく聞いたことがある神々が、どのような関係にあるのか、そして神武天皇までどのようにつながっているのか、については、きちんと理解している方は少ないと思います。関心をお持ちの方が多いことを,改めて認識しました。
キーワード検索でも、「神々の系譜」はとても多いです。

第四位は、
「旧唐書日本国伝を読む その1 ~ 倭国と日本国が別の国である決定的な証拠!」(No.39、2015/8/27号)
です。
旧唐書には、「倭国伝」と「日本国伝」の二つがあり、「日本国伝」の冒頭に、
”日本国は、倭国の別種である”
という衝撃的な記載がされています。
これを素直に読めば、
”倭国と日本国は別の国である”
としか読みようがありません。ところが、この衝撃的な記事のことを知っている人は、ほとんどいません。それゆえ、関心も高かったのかもしれません。
第三位は、
「宋書倭国伝を読む その1 ~ 倭の五王が中国皇帝に求めたものとは?」(No.27、2015/6/28号)
です。
「宋書」は、一般的にはさほど知られていない史書だと思われますが、人気なのは「倭の五王」について、記載されているからでしょう。
「倭の五王」は、中国皇帝に対して称号を求め続けました。最終的に、武は、使時節(しじせつ)・都督倭(ととくわ)新羅(しらぎ)任那(みまな)加羅(から)秦韓(しんかん)慕韓(ぼかん)六国諸軍事(りっこくしょぐんじ)・安東大将軍・倭王に任命されました。ほぼ朝鮮半島南半分についての管轄権を認められたわけですが、百済だけは、除外されています。つまり、百済だけは、独立した国とされていたことがわかります。
第二位は、
「隋書倭国伝を読む その8(最終回) ~ 聖徳太子の遣隋使はなかった!?」(No.37、2015/8/17号)
です。
これは納得ですね。607年に、あの有名な隋の煬帝(ようだい)へ、”日出ずる処の天子より、日没する処の天子へ”の国書を出し、煬帝を不機嫌にさせました。翌608年に使者がやってきました。実は、古事記、日本書紀には、国書および煬帝を不機嫌にさせた記載がありません。書いてあるのは、中国側の史書「隋書俀(たい)国伝」にです。しかも、その記事によると、出した人は、俀(たい)国王の多利思北弧(たりしほこ)という明らかに男性です。当時の天皇は女性の推古天皇、摂政が聖徳太子ですが、両名とも記事中に名前はありません。
となると、手紙を出した多利思北弧は、推古天皇でもなく、聖徳太子でもありえません。結論は、九州王朝の国王だというお話をしました。
そして、いよいよ第一位です。ダントツの一位なのですが、皆さんは、どの記事だと思われますか?。
歴史の授業でも習った”あれ"についてです。聞けば、「なるほど、やっぱり」という感じです。皆さんの、関心の高さが改めてわかりました。
それでは、第一位です。
「後漢書倭伝を読む その3 ~金印「漢倭奴国王(かんのわのなのこくおう)」の本当の読み方とは?」(No.24、2015/6/12号)
です。
皆さんの予想は、どうだったでしょうか?。
歴史に興味がなくとも、江戸時代に福岡県博多湾の志賀島に出土したとされるこの金印のことは、知っている方は多いでしょう。そして、多くの人がもつ疑問は、
「何で、よりによって志賀島なのだ?」
というものです。
また、刻印されている文字の読み方については、
「かんのわのなのこくおう」
であり、倭の奴(な)国の国王が、中国皇帝からもらったものだ、と教わりました。これが、間違いであり、
”正しくは、「漢の倭奴(いど、いぬ)国王」と読むべきものであり、「倭奴国」とは「倭国」の卑称である”
というものです。このように解釈することによって、初めてすべての疑問が解消されます。
<志賀島の金印>

ちなみに、検索キーワードも、「かんのわのなのこくおう」が、とても多かったです。この読み方に疑問をもたれている方が多い証かもしれません。
以上の他、新しい記事なので現時点では番外でありますが、急上昇中の記事が二つあります。
10位の、
「広開土王碑を読む ~ 一線級の金石文が語る古代朝鮮半島の激闘 」(No.66、2016/2/4号)
20位の、
「七支刀(しちしとう)銘文を読む ~ 物部氏ゆかりの石上神社秘宝が物語る古代日本の真実とは?」(No.69、2016/2/11号)
です。
好太王碑と七支刀についての記事です。どちらも、かなり古代史に興味がなければ知らない言葉と思われますが、読者の皆さんのレベルの高さに驚かされました。
以上が、人気記事ランキングです。テーマとしては、神々の系譜、聖徳太子の遣隋使、倭国と日本国、倭の五王、志賀島の金印、広開土王碑、七支刀が人気であるということになります。私としては、どの記事についても「一球入魂」ならぬ、「一筆入魂」して書いているのですが、これだけばらつきが出るのも、おもしろいですね。
キーワード検索では、「神々の系譜」「かんのわのなおこくおう」「宋書」「隋書」「広開土王碑」が目立ちました。とくに、先週、「広開土王碑」の検索が急増しました。テレビか何かで、取り上げられたのでしょうか?。
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また、訪問者のプロバイダを見ると、大学からのアクセスも多くみられました。少しでも、古代史研究の参考にしていただき、真実解明に役立てていただければ幸いです。
今後は、こうしたデータも頭の片隅にいれつつ、記事を書いていきたいと考えてます。
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