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日本人は、どこからやってきたのか?(10) ~ 現代日本人男性に残る移動の歴史

前回、日本列島にやってきた人々について、時代別に四段階でお話しました。まとめますと、

【第一段階】4万数千年前?~1万年前?
C1系統・・「南方から沖縄上陸「」と「朝鮮半島から九州上陸」、日本最古?、貝文土器と関連?
C3系統・・「シベリアから北海道上陸」と「朝鮮半島から九州上陸」
Q系統・・「シベリアから?」 マンモスハンター

【第二段階】3万数千年前?~3千年前?
D系統・・「中国華北・朝鮮半島から九州上陸」、縄文人系

【第三段階】 2千八百年前?~
O2b系統・・「中国揚子江下流域・朝鮮半島から九州・西日本上陸」、弥生系渡来人
N系統・・「中国華北・朝鮮半島から九州上陸」

【第四段階】2千年前?~
O3b系統・・「中国本土から西日本上陸」、中国漢民族

その後も、様々な人々の流出入はあったと考えられますが、この時代までの移動で、おおかたの現代日本人男性の構成は、完成したと言えます。
現代人日本人男性のY染色体DNA構成を、グラフで表記します。以前掲載したグラフは、C,D,O系統などおおまかな分類でしたが、今回はより詳細な分類のものです。
日本人DNAタイプ2



グラフを見ますと、左端にC系統があります。C3系統は旭川で割合が高く、沖縄まで日本全土に分布しているのに対して、C1系統は沖縄が高く旭川はゼロと南方系であることを髣髴とさせます。

そして以前お話したとおり、縄文系とみられるD2系統は、旭川、関東、沖縄が高く、西日本が低いということから、かつて日本で多くを占めていたと考えられるD2系統が、中国・朝鮮半島系渡来人により、徐々に西日本での割合を低下させていったことが推察されます。

そのあとから日本やってきたO系統も、揚子江下流域出身と考えられる弥生系渡来人のO2b系統、古墳時代多く渡来したと思われる中国漢民族系のO3系統とも、西日本が高く、北、南にいくにつれて低くなっていることが確認できますね。

そして、前にもお話しましたが、出アフリカの3つのグループそれぞれに属しているC系統、D系統、O系統     が、バランスよく分布していることが、確認できます。

なお、このようなデータを見ると、よく「自分は、〇〇系統だ」とか」「あの人(民族)は、〇〇系統だ」などと、声を大にして言う人を見かけます。

もちろん、遊びで言っている分には、それはそれで結構なのですが、ともすると、「だから、あの人(民族)は、△△なのだ」というように、自分と他人(他民族)を優劣で区別するという差別につながる可能性があります。

これはおかしな話です。Y染色体の説明の際お話したとおり、これはあくまで男性の系統をひたすら追っただけのものに過ぎません。したがって、

男性A ⇒ Aの息子B ⇒ Bの息子C ⇒ Cの息子D
とくれば、延々とつながりますが、

男性E ⇒ Eの息子F ⇒ Fの娘Gのみ ⇒ Gの息子H 
となると、Y遺伝子上は、断絶してしまいます。

つまり、②のケースで、Gの息子Hには男性EのY遺伝子は伝わりませんが、実際には男性Eの子孫であることは間違いありません。ところがこの判定法だと、息子Hは、男性Eとは全くの無関係ということになってしまいます。

また、DNA分析ということであれば、母方の系統を調べる、ミトコンドリアDNA分析、さらに最近になり、古代人の骨の細胞の核から直接遺伝子を取り出すことができるようになるなど、さまざまな分析手法があるわけで、そうした結果との整合性の問題もあります。

というわけで、”Y遺伝子DNA分析は、あくまで集団としての人そのなかでも男性の移動の傾向をつかむためのものである”、ということをよくよく認識すべきだと考えます。

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日本人は、どこからやってきたのか?(9) ~ 4つの段階別に整理すると・・・

ここまで、日本人がやってきたルートを、たどってきました。現代日本人男性のもっているY染色体DNAは、大きく分けても、C系統、D系統、O系統があり、その他、N系統、Q系統もあります。時代も数万年前から弥生時代以降にかけてと、長い年月をかけて、様々なバックボーンをもった人々がやってきたことがわかります。

話が複雑で、わかりにくくなっていると思われますので、ここで段階別に整理します。


【第一段階】
初めにやってきたと推測されるのが、C系統です。そのうち、C3系統は、シベリアから樺太を経て、北海道にやってきたと考えられます。なかには、朝鮮半島を経由して九州に上陸したグループもあるかもしれません。もうひとつ、C1系統があります。日本人に固有の系統で、インドの集団から直接日本列島の集団へ分岐したと推定されますが、移動ルートは不明です。航海術と貝文(かいもん)土器を携えて新石器時代に日本列島の南部に到達した貝文文化の民との関連が注目されてます。
マンモスハンターと推定されているQ系統も、シベリアから南下して、日本列島へやってきたと想定されます。後期旧石器時代に石刃技法を日本列島へ持ち込んだヒト集団の可能性が想定されます。
C系統が、日本列島にやってきた時期は、崎谷氏は本のなかで明確に述べてませんが、後期旧石器時代晩期から新石器時代早期とあるので、2~1万年前といったところでしょうか。Q系統、C1系統については、さらに遡る可能性もあるでしょう。C1系統は、4万数千年前にやってきた可能性もあります。

渡来Ⅰ段階


【第二段階】
やや遅れてやってきたと推定されるのが、D系統です。中国華北から朝鮮半島を経て、日本列島に到達したと考えられます。なお、中国華北から一部は、チベットへ到達したと推定されます。
時期としては、新石器時代晩期まで、とあるので、1万年前~3千年前といったところでしょうか。それよりはるかに古く、4万年近く前にやってきたとの説もあります。
 渡来第Ⅱ段階



【第三段階】
続いて、O系統がやってきます。そのうちのO2b系統が、中国揚子江下流域から朝鮮半島を経て、日本列島に到達しました。揚子江からの移動開始時期が2800年前と推定されているので、日本列島に到着したのは、それ以降すなわち弥生時代以降と考えられます。
詳しいことはわかっていませんが、N系統も中国華北から、朝鮮半島を経て、日本列島にやってきたと考えられます。

渡来第Ⅲ段階 
【第四段階】
やや遅れて、中国漢民族に特異性が高いO3b系統も、日本列島にやってきました。移動が活発化したのは、古墳時代以降と考えられます。

渡来第Ⅳ段階 
このように整理すると、とてもわかりやすいですね。

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日本人は、どこからやってきたか?(8) ~男性系統の移動ルート④ (N,Q系統)

Y染色体DNAのなかで、日本人男性に多くみられるC、D,O系統について、日本にやってくるまでの推定ルートを、お話してきました。この3つの系統(さらに細かく分かれますが)で、日本人男性のほとんどは占められますが、他にも割合は非常に低いものの、特徴的な系統があるので紹介します。


一つはN系統です。ユーラシア北西部のウラル系に特徴的な系統であり、ヨーロッパ北部の先住系ヒト集団を構成しているとみられます。そのN系統が、わずかながらですが日本列島にも存在しています。


<Y染色体DNA、N系統の分布図>

Y-DNA N

                                                                     (Wikipediaより)

N系統の移動ルートですが、よくわかっていないようです。崎谷氏は、”祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達したようである。ここでNO*祖型からN祖型、O祖型が分化したと推定される(N系統の分化は8800年前か6900年前)。”としてます。そのO祖型が、その後O1,O2,O3系統に分化して、さらにO2系統から分化したO2b系統が、揚子江下流域から弥生時代に日本列島にやってきた「弥生系渡来人」であることは、前回お話しました。


N系統についても、”華北、朝鮮半島を経て、直接日本へ達したと考えられる。”としています。


それはそれでいいのですが、では彼らはどのルートで、ユーラシア北西部、ヨーロッパ北部へと移動したのでしょうか?。NO*祖型が東南アジアとすると、そこから北上して中国を通過して、モンゴルやロシアから西に向かったのでしょうか?。上の分布図をみるとそのようにも見えますが、そうなると、ヨーロッパに至るまでに随分と遠回りをしたことになりますね。


もう一つの特徴的な系統、Q系統をみていきましょう。

Q系統は、シベリアとアメリカ大陸(先住民)に限定するという特殊な分布を示しています。移動経路としては、出アフリカ後の経路は不明ですが、その祖先型が後期旧石器時代に中央アジアを経てシベリアのアルタイ山脈へ達したとみられます。約34000年前の、シベリアにおける石刃(せきじん)技法の担い手と想定されています。


<Y染色体DNA,Q系統の分布図>

Y-DNA Q

                                                       (Wikipediaより)

その地で、P祖型から、Q系統とR系統に分かれ(Q系統が分岐したのは17700年前)、その後Q系統はシベリア東部へ向かい、一部は南下して日本列島へ、大多数はベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ達したものとみられます。Q系統は、C3系統とともに、大型哺乳動物を追ってアメリカ大陸へ渡ったマンモスハンターだと推定されています。

なお、R系統は西へ進み、ヨーロッパへ広がっていって、ヨーロッパにおける先住系遺伝子プールの主要な集団となってます。


Q系統は、後期旧石器時代に石刃技法を日本列島へ持ち込んだヒト集団の可能性が想定されてます。つまり、C系統同様に、かなり早い時期に日本列島にやってきた集団ということになります。


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日本人は、どこからやってきたのか?(7) ~ 男性系統の移動ルート③(O系統)

今回は、Y染色体DNAのO系統をみていきましょう。

O系統は、K祖型から分岐したN系統とO系統との共通のNO祖型(NO*)から分岐しました。ユーラシア大陸東部に限定して分布するなど、地域的特異性が強い系統です。

前回、前々回のC系統、D系統と比べると、日本に入ってきたのは比較的新しく、金属器時代(弥生)時代以降に大陸から渡来してきたとみられます。

移動ルートとしては、まずO系統に分岐する前の祖先型(NO*)がアフリカを出て、中東あるいはインドを経て、南ルートで東南アジア方面へ移動してきたと推測されます。そしてO系統の発祥の地として、東アジア南部が想定されてます。時期としては、17500年前あるいは10700年前と推定されてます。そこから各方面へ移動を開始しますが、それが8100年前と推定されてます。

3つの系統に分かれたと考えられ、一つめは台湾、フィリピン、ジャワ方面へ移動したO1系統です。
二つめは、揚子江中下流域付近に北上したO2系統です。
三つめは、黄河上流域付近まで北上したO3系統です

二つ目のO2系統は、かつて華南の長江(揚子江)流域に繁栄した長江文明の担い手だったと考えられますが、さらにそこから二つに分かれます。
一つが、華南から東南アジアへ南下したとみられるO2a系統です。
もう一つが、北上して、朝鮮半島、そして日本列島にやってきたとみられるO2b系統です。ど

三つ目のO3系統の発祥地は、華南・東南アジアが有力です。早い時期に南から北へ移動したと考えられ、5000年前ほどから漢民族・中原勢力の膨張とともに、黄河上流域から今度は北から南へ移動したようです。

このように、時期が異なり相反するヒトの移動の流れ(O1,O2,O3系統)があり、たいへん複雑なものになってます。

下の図をご覧ください。

Y-O移動ルート<O系統分布図>  
Y染色体DNA-O
                                                       (Wikipediaより)
かつて揚子江中下流域にいたO2は、現在そこにはおらず、二つに分岐して
・O2a・・・華南、東南アジア
・O2b・・・朝鮮半島、日本
に、移動、集積しています。

これは、どういうことでしょうか?。

O2a,O2b系統とも、もとは長江文明の担い手だったと考られ、O3系統は黄河流域で繁栄した黄河文明の担い手であった漢民族と考えられます。そのO3系統である漢民族が南下して、揚子江中下流域にやってきたということにより、そこに長年住んでいたO2系統の人々と争いになったことでしょう。そして、O2系統の人々は、戦いに敗れ、生き残った人々は、みな他の地域に逃げて行ったことでしょう。

逃げて行った人々のうち、華南、東南アジア方面へ行った人々がO2a系統であり、朝鮮半島さらには日本列島方面へ行った人々がO2b系統です。時代は、金属器時代(弥生時代)のころと考えられます。

このO2b系統で日本列島にやってきた人々が、いわゆる「渡来系弥生人」であり、日本の社会を大きく変える勢力になるわけす。

以上のとおり、O系統の移動は、複雑かつダイナミックです。そして、中国、朝鮮半島、日本の社会にも大きな変革をもたらしました。実はこの移動の歴史を、中国、朝鮮、日本の古代史書と照らし合わせると、とても面白いことがわかるのですが、それは後でのお楽しみということにいたします。

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日本人は、どこからやってきたのか?(6) ~ 男系の移動ルート②(D系統)

今回は、Y染色体DNAのD系統を追跡します。

D系統の祖型DE*はアフリカにあり、その後D系統とE系統に分化します。E系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東に広く分布してます。それに対して、D系統は、ユーラシア大陸東部に分布してます。

D祖型系統の分岐時期は、13000年前とみられます。アフリカを出た後、ユーラシア大陸を東に移動したようです(Thangaraj et al.2003)。その後、東南アジアを経て北上し、中国華北から一部はモンゴルに到達したようです(Weale et al.2003)。その後、さらに華北から朝鮮半島を経て、日本列島に渡ってきたことが推定されます。また華北から一部は、チベットへ達したことが推定されてます(Su et al.2000,Wen et al.2004)。

なお、前回お話したC系統でみられたサハリン経由で北海道にいたるルートについては、シベリアでD系統はほとんどみられないことから、崎谷氏は「可能性は低い」としています。

時代についても、新石器時代(8000年前~)晩期までとしており、C系統より新しいものとしてます。
なお日本列島に、38000~37000年前には到達していたとの説もあります(Wikipediaより)。


D系統は、さらにいくつかの系統に分かれます。D2系統は、日本列島に高い集積がみられ、他の地域にはみられないという、たいへん特異的な系統です。また、D1,D3系統は、チベットに高い集積がみられ、日本列島との何らかの関係を示しています。確かに、日本とチベットは、顔かたちがよく似ているうえ、文化的にも共通するものがある、と言われますね。


<D系統移動ルート>

Y-D移動ルート

<現代人のD系統分布図>
Y染色体DNA-D                                                         (Wikipediaより)

現代の分布が、日本列島とチベット周辺に高い比率であることがわかります。日本では、東日本や沖縄に多く、特にアイヌで高い比率であることから、縄文人の末裔と考えられます。

また、D系統は、祖型DE*から分岐したこと、そして同じくDE*から分岐したE系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東に広がっていることも注目です。このことはつまり、「日本人のD系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東の人たちと、比較的近い」ということを示していることになります。


よくちまたで、「日本人と中東の〇〇民族は同祖だ」などという話を聞くことがあります。以上のとおり、Y遺伝子から言えば確かにそれが言えるわけです。もっともD系統とE系統が分岐したのは、時代的にはかなり古いです(D祖型の分岐は13000年前、Wikipediaによれば60000年前)。一方「日本人〇〇同祖論」の場合は数千年前に分かれたとしているわけで、同祖から分かれたとされる時代よりかなり新しいなど、同祖論が正しいと断定するまでには慎重な検証が必要でしょう。


また、祖型のDE*系統から分かれたのは、日本人特有のD2系統だけではなく、D1,D3系統もあり、多くの人々が東アジアに存在してます。それらの人々もすべて「同祖」というのか、などの指摘も出るでしょう。さらにもっと言えば、「同祖」というなら、もとをたどればすべての人類はY系統から枝分かれしているわけで、そうなると「そもそも何をもって「同祖」というのか」ということにもなってきます。そのあたりの定義づけを明確にしないと、水の掛け合いのような議論になってしまいがちなので、注意が必要だと考えます。


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新年明けましておめでとうございます!!

新年明けましておめでとうございます。
皆様にとって幸せな一年となるように祈念申し上げます。

いつも訪問くださりありがとうございます。昨年は、ブログも100回を重ねることができました。これもひとえに、皆さま方の温かいご支援の賜物と、深く感謝いたします。

また、昨年は、本の出版もすることができました。いつかは、という気持ちはありましたが、このような早い時期に出版できるとは、思ってもいませんでした。「とてもわかりやすくて、ためになった」「面白かった」とのコメントを、多くの方よりいただき、感激しております。

現在シリーズ第二弾をまとめているところです。第二弾のテーマは、「その後の邪馬台国と日本国の誕生まで」です。
邪馬台国がその後どうなっていったのか?、大和朝廷との関係は?、そしていつ日本国となったのか?、等々について、科学的データを用いながら、わかりやすく解説したいと考えてます。いまのところ、2月頃に出版の予定です。ブログでも、逐次経過について、お知らせいたします。

ブログのほうは、今年は日本の史書、すなわち古事記、日本書紀もみていきたいと考えてます。今まで以上に研鑽を究め、発信していきます。

今年も、よろしくお願いいたします!!。

青松光晴

             

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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