日本神話の源流(9)~南洋からの伝播はあったのか?
吉田氏は、「日本神話の源流」のなかで、それを支持する学者はほとんど少数である、と述べてます。同書では、里芋などの芋類の低栽培はあったのではないか、と推測してますが、吉田氏自身のあくまで期待をこめた「希望的推測」です。
同書のもともとの発刊は1975年なので、当時の認識としてはその程度だったわけです。著名な研究としては、佐々木高明氏(元国立民族学博物館長)の「縄文農耕焼畑」論がありましたが、多くの支持は得られませんでした。
ところがです。その後の考古学的発見により、その認識は大きく変わってきました。
一例として、
・縄文早期に、ヒエ、エゴマ、
・前期にオオムギ、ソバ、ヒョウタン、ウリ、マメ類、ゴボウ、アブラナ、アサ、ウルシ
が栽培された可能性が高いとされてます。
小山先生の縄文徒然草「第29回 縄文時代の農耕(その2)-佐々木高明先生追悼シンポジウムから- 」
また里芋は、タロイモの仲間ですが、縄文時代中期から後期に伝わったとされてます。
拙ブログおよび拙著においても、イネについて、陸稲の最古の事例として、6400年前の朝寝鼻貝塚(岡山県)検出のプラントオパールがあることから、そのころにはいわゆる縄文稲作が始まっていた可能性が高いことを、紹介しました。
イネは語る(2)~縄文時代にやってきた稲作
以上の事例からみても、縄文農耕があったことは、確実といっていいでしょう。
ではそれは、いつどのようなルートで伝わってきたのでしょうか?
日本列島への人の移動とともに伝わったことを想定すると、二種類考えられます。
Y染色体解析によると、南洋からの移動となれば、まずはC1が考えられます。C1がどこからやってきたのかは謎とされてますが、私は南方からではないか、とみてます。
そのうちC1a1は日本固有とされる一方で、C1b3aは、パプアニューギニア先住民、オセアニア地域にみられ、C1b3bは、オーストラリア先住民にみられる(Wikipediaによる)など、日本列島にわたってきた人々との関連が推測されるからです
時期は、4万年以上前の可能性があります。ただし縄文中期は、約5,500 - 4,500年前とされてますので、それよりはるかに古い時代になります。

次に考えられるのが、D1です。D1の渡来ルートも不明です。中国から朝鮮半島経由説が有力とされてますが、一方で、アンダマン諸島、台湾、フィリッピン、グアム島など南方の人々にも見つかっており(ハプログループD1a2、Wikipediaによる)、南方渡来の可能性もあります。

以上のように、いくつかの渡来ルート、時期が想定できます。推測するに、渡来は一度ということではなく、長い年月の間に何回もあったのではないでしょうか?。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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