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日本神話の源流(15)~本当に中国江南地方が起源か?

さて、ここまで日本神話の源流について、南洋(メラネシア・ミクロネシア・ポリネシア)と、アジア大陸東南部(中国江南地方~インドシナ~インドアッサム地方)を対象に、みてきました。
たしかにこれらの地域の神話の内容には、日本神話と類似するものがあり、詳細についてもとても偶然とは思えないくらいの、共通性があります。

ここで、日本神話と類似した神話がどの地域に分布しているのかを、図で整理しました。

日本神話と類似神話

表をみると、たしかに日本神話と南洋やアジア大陸東南部の神話に、共通性があることがわかります。
ただし、吉田氏も神話の分布を網羅的に調査したわけではなく、もれもあるでしょうし、あるいはかつては語られていたものの、現在ではなくなってしまった神話もあるでしょう。したがってこの表だけであれこれ推測するのは、危険です。

それを頭に入れたうえで、なにがしかのヒントを探ってみます。

日向神話「失われた釣針神話」では、海幸彦・山幸彦を、「海と山」という対立する宇宙の二大原理としてみなすという「二元論的観想」がみられ、中国江南地方からアッサムにかけて分布していますが、南洋にはみられません。このことから、もともとは南洋にあった神話が中国江南地方などに伝わり「二元論的観想」に発展して、それが日本に伝わったのではないか、と推測できます。

同じように「竜女との結婚」の話は、南洋にはなく、アジア大陸東南部にあります。ということは、竜女との結婚の話は、もともとの神話の発展形でありそれが日本に伝わったのでははないか、と推測できます。

同じく、国生み神話の島生み型「洪水・兄妹婚・蛭子・神占い」も同様です。

一方、バナナ型神話は、南洋にはあるものの、現代アジア大陸東南部には存在してません。となると、日向神話のうちのバナナ型神話は、南洋から直接伝わったのではないか、という仮説が立てられます。

「死者の国訪問」も、同様です。

また「天岩戸神話」は、アジア大陸東南部に多くあるのに対して、南洋には全くありません。ということは少なくとも南洋起源ではないと推測できます。

以上のように、さまざまに推測できますが、では結局「日本神話はどこから伝わったのか?」でしょうか?。

最近では、アジア大陸東南部(中国江南地方~インドシナ~インドアッサム地方)にかけての地域が発祥であり、そこから伝わった、と考えているようです。そのなかでも
”特に、中国江南地方で発生した神話の影響が、一方で日本に及ぶとともに、他方ではインドシナを経由して、ミクロネシアやポリネシアの島々にまで波及した。”
という説が強いようです(同書P84)。

図で表すと下記のイメージです。
神話伝搬ルート2




一見すると、この説でもよさそうです。しかしながらこれまでにもお話ししているとおり、メラネシアなど南洋の神話は、中国などの神話に比べると素朴で原始的なものが多いと感じます。このことから、日本神話の発祥地は、メラネシアなど南洋ではないのか、とも考えられます。

それはそれで充分に成り立つ仮説ですが、もう少し突っ込んだ検討が必要です。

前にもお話ししましたが、タイランド湾から南シナ海にかけて、すなわちマレー半島東岸からインドシナ半島にかけての地域は、紀元前70000年-同14000年前までは、スンダランドと呼ばれる大陸があり、生物多様性の豊かな地域だったことが知られています。メラネシアなど南洋には、サフルランドという大陸がありました。

アフリカを出た私たち人類の祖先が南の海岸ルートをたどってやって、このスンダランドにやってきた、と推測されてます。その時期は諸説ありますが、遅くとも50000年前にはやってきたと推測されてます。

彼らはそこで豊かな文明を築き、一部の人々は北上あるいは東方に移動していきました。日本列島には40000~35000年前にやってきたと推定されてます。
やがてスンダランドは温暖化により海面上昇して大陸が水没し、住むところを失った人々が四散したと考えられてます。この時期、日本列島にやってきた人々もいたことでしょう。

もし彼らが神話をもっていたのなら、もともとの神話を日本に伝えたのは彼らだったのではないか、という仮説が生まれるわけです。

もちろんルートとしては、直接黒潮に乗って日本列島にやってきた可能性もありますし、中国を経由した可能性もあります。その過程で神話も少しずつ進化して、話が複雑になっていったのではないでしょうか。一方、メラネシアなど南洋は、スンダランドから渡った人々が伝えたと考えられます。
このように考えれば、こうした地域の神話に類似性がある理由も、説明できます。
神話伝搬ルート3



もちろん実際には、この図のように単純ではなく、逆方向、たとえば中国から南下してインドシナやメラネシアなどに伝わった神話がある可能性があります。そしてそれらが在地の神話と融合して、独自の神話になっていったのかもしれませんね。

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日本神話の源流(14)~東南アジアとの比較 日食

最後に、アマテラスの天岩戸伝説の話について、みていきます。
古事記でのあらすじは、以下のとおりです。

"アマテラスは、イザナギイザナミの居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生した。このとき右目から生まれた月読命(ツクヨミ)、鼻から生まれたスサノオと共に、三貴子(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる。このときイザナギはアマテラスに高天原(たかあまのはら)を治めるように指示した。

海原を委任されたスサノオは、イザナミのいる根の国に行きたいと言って泣き続けたためイザナギによって追放された。スサノオは根の国へ行く前に姉のアマテラスに会おうと高天原に上ったが、アマテラスは弟が高天原を奪いに来たものと思い、武装して待ち受けた。

スサノオは身の潔白を証明するために誓約をし、アマテラスの物実から五柱の男神、スサノオの物実から三柱の女神が生まれ、スサノオは勝利を宣言する。

誓約で身の潔白を証明したスサノオは、 高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。他の神はアマテラスに苦情をいうが、アマテラスは「考えがあってのことなのだ」とスサノオをかばった。

しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオが機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここでアマテラスは見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神(オモイカネノカミ)の案により、さまざまな儀式をおこなった。
常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。鍛冶師の天津麻羅(アマツマラ)を探し、伊斯許理度売(イシコリドメノ)命に、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。玉祖(タマノオヤノ)命に八尺の勾玉の五百箇の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作らせた。

天児屋(アメノコヤネ)命と布刀玉(フトダマ)を呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、布刀玉命が御幣として奉げ持った。天児屋命が祝詞(のりと)を唱え、天手力男神(アメノタジカラヲ)が岩戸の脇に隠れて立った。

天宇受賣(アメノウズメ)命が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、天児屋命と布刀玉命がアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていた天手力男神がその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐに布刀玉命が注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。

八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。 ”(Wikipediaより抜粋)

天照大御神 この話について、岡正雄氏より、中国南部の苗(びょう)族、アッサムのカシ族・ナガ族にみられる、
”洞窟に隠れた太陽を、鶏を鳴かせたり花を見せておびき出すという筋の話との類似している。”(P128)と指摘されてます。

”日本神話でアマテラスの岩戸隠れの原因となった暴行を働いているスサノオは、日神と月神とともにイザナミのみそぎによって生まれた三貴子の一つであり、日と月の弟であるとされている。このように太陽と月に、悪行を働く末弟があり、これが太陽が隠れ、世界が闇に閉ざされる原因を作っているという点では、日本の天の岩戸神話は、インドシナに分布する日食起源神話と類似している。”(同書P129)

”同類の神話は、ラオスとカンボジアおよびミャンマーのパラカン族とシャン族の間に、わずかずつ形を変えて見出され、またそのかなり大幅に変容したヴァリアントと認められる話は、ベンガル湾のカル・ニコバル島にも伝わっている。”(P130)

このように、天岩戸伝説と同類の話は、インドシナに古くからあったと考えられます。ベンガル湾のカル・ニコバル島とは、インドシナ半島の西にあるアンダマン・ニコバル諸島の島です。

ちなみにアンダマン諸島といえば、現代日本人男性が多くもち縄文人の主体であったと考えられているY染色体のD1aの男性が多いことで、知られてます。
(日本ではD1a2、アンダマン諸島では、D1a3)
もしかして何か関係があるのでしょうか?

大林太良氏によれば、日食が太陽と月の弟によって引き起こされるという内容は、東南アジア大陸に独自の伝承である、としてます。

そしてこのうち、
(1)太陽と月は兄弟(または姉妹)であって、その下にもう一人弟(または妹)がある。
(2)この末の弟(または妹)が悪行を働く。
(3)日食(および月食)は、この弟(または妹)によって引き起こされる。
という点で、日本の天岩戸神話とほぼ正確に一致している(同書P132)。
と述べてます。

天岩戸伝説が日食のことを象徴的に表している、という説はよく聞きます。はたして本当にそうなのかは異論もあるところですが、東南アジアに起源があるのであれば、日食を表しているともいえそうです。

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日本神話の源流(13)~東南アジアとの比較 穀物の起源 

今回は、オオゲツヒメ、ウケモチの神話をみていきましょう。

先にお話ししたように、これらの神話は、五穀の発生と農業の起源を説明する神話とされてます。「ハイヌウェレ型」と呼ばれ、南洋に濃密に分布しています。

一方、中国江南地方からインドシナ・アッサムにかけての東南アジアからは、典型的な例話はほとんど発見されてません。
しかしながら、大林太良氏は、もともとは原型となる神話があったとしたうえで、
”直接には中国東南から、焼畑で雑穀を耕作する農耕文化にともなって、縄文時代の末ころ日本に渡来した。”(同書P118)
と推測してます。

たしかに、日本書紀の書の二では、”ワクムスビの頭に蚕と桑の木が生じ、臍(へそ)の中に五穀が発生した。”とありますが、ワクムスビは、火の神カグツチと土の神ハニヤマヒメの間の子です。ここには、火と土の結婚から農作物を生じさせる神が生まれる、という焼畑農耕が反映されている、というのです。

古事記でも、オオゲツヒメは、生まれるとすぐ、母(イザナミ)火の神(カグツチ)を生むことによって身体を焼かれ、死にます。このとき瀕死のイザナミが苦しまぎれに出した吐瀉(としゃ)物や大小便からは、土の神、水の神、穀物の神(ワクムスビ)など、農業と関係する神々が発生しました。
この話が、焼畑農耕を反映していると述べてます。

ここで注目は、
”オオゲツヒメという神格が、稲よりはむしろ粟(あわ)によって代表される雑穀と本来的に関係する存在であるらしい。”(同書P119)
と推測していることです。

その論拠として、古事記における四国誕生において、
”粟(あわ)の国をオオゲツヒメという”
とあることを挙げてます。

つまり、農耕と関係が深いといっても、それは水稲耕作ではなく焼畑雑穀栽培である、ということになります。

水稲稲作は弥生時代の始まりから、すなわち最近の年代観では、紀元前9~同10世紀からです。一方、焼畑雑穀栽培は、遅くとも縄文時代中期から、すなわち紀元前4000~同3000年からです。歴史の古さを感じさせますね。

また、中国広東省の傜(よう)族と漢民族には、
”昔には稲には花が咲いたが、実はならなかった。一人の高貴な女性が、彼女の処女の乳をしぼり、稲の花にふりかけると、はじめはみごとな稲穂が実った。彼女はそこですべての稲に実をならせようとして、無理に乳をしぼり続けると、しまいに乳の代わりに血が出た。この血をかけられた稲は、赤っぽい実を結ぶ赤米となった。”
という伝承があります。

白米よりも価値が高いと考えられている赤米ですが、山地の焼畑で作られます。
焼畑で耕作される作物(陸稲・サツマイモ・トウモロコシ・シコクビエ・粟・コーリャン・タロ芋)の中で、もっとも上等と考えられている種類の起源伝承であるわけです。

また福建省やその付近には、同じような話が水仙の起源伝説となってますが、元来は稲の起源伝説だった、と推測してます。

さらに、中国南部(広東・広西・雲南・風建)からヴェトナムにかけて、
(1)一人の女が死ぬ。
(2)彼女の墓から藪林が生え出る。
(3)彼女の夫がこの植物を利用し、陶酔を味わっていると、亡妻の幻影が見られる。

女性の死体からの化成によって説明する伝説が流布している、と述べてます。

これにはピンときた方もおられるかと思います。檳榔樹(びんろうじゅ)や阿片(アヘン)などの起源とのことで、ようするに麻薬です。

中国西南端のラオス国境に近い地域に住むラフ族や、東北アッサムのレモング族にも、「ハイヌウェレ型神話」に似た神話が、伝承されている、と述べてます。

こうしたことから、
”このようにみてくると、たしかに大林氏のいわれるように、中国の江南からインドシナ、アッサムにかけての地域に、かつては山地の焼畑で栽培される雑穀などの起源を説明したハイヌウェレ型神話が存在し、それが日本のオオゲツヒメ神話の原型となった可能性は、十分考えられそうである。”(同書P126)
と推測してます。

一見、もっともそうにも思えます。
しかしながらよくよく検証してみると、そうは簡単に結論づけられないのではないか、とも考えられます。

芋栽培と雑穀栽培の歴史は1万年以上前とされますが、どちらが古いのかはよくわかってません。ただ皆さん経験あると思いますが、芋栽培は、芋を分割して土に埋めれば、あとは自然に育って大きな芋ができあがるというとてもシンプルな方法です。あくまで感覚的なものでありますが、雑穀栽培より原初的な印象はあります。

ハイヌウェレ神話は
”ハイヌウェレは生き埋めにして殺され、ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”
ということからわかるとおり、「芋栽培」を前提とした物語です。

またハイヌウェレ神話の中には、暴行・殺害など残忍な描写がみられ、より未開な印象を与えます。

こうしたことから、南洋などのハイヌウェレ神話が原型であり、そこから進化したのが、中国・インドシナの神話ではないか、という見方も可能です。
すなわち、
南洋(メラネシア)→インドシナ→中国江南地方→日本
という経路で伝わったのではないか、という仮説です。

神話伝搬ルート1  
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日本神話の源流(12)~東南アジアとの比較 魚の陸地と蛭子

イザナギ・イザナミ神話についても、起源を中国江南地方に求めようとする専門家が多いようです。

1.魚が陸地になる話
陸地がもとは海上を漂游する魚であったという発想は、ニュージーランド、ソシエテ諸島、タヒチの神話に認められます。

日本神話でも、オノロゴジマが創造される以前の国土の状態を、
”州壌(くに)の浮き漂えるは、譬(たと)えばなほ游(あそ)ぶ魚の水の上に浮かべるごとくなり”(日本書紀)
”国雅(わか)く、浮かべる脂の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時”(古事記)

とあります。

日本神話では、陸地がもとは魚だったとは書いてませんが、魚やクラゲなど、海の生き物をたとえに使ってます。

一方中国では、蓬莱(ほうらい)島に関する伝説の中にも認められます。
蓬莱山は、方丈山、瀛州(えいしゅう)とともに、三神山と呼ばれ、渤海湾のはるか沖に浮かび、人が近づこうとすると、蜃気楼のように見え隠れして寄せつけぬ仙境であると信じられてた。”(同書P104)。

「列子」湯問篇では、蓬莱山などの神山は、もとは浮島であったが、巨大な亀の頭に支えられてはじめて安定した、とされてます。
神仙思想が強く反映されてますが、神仙思想の潤色を受ける以前には、説話の原形となった「浮き島伝承」があったのではないか、と仮定して、もともとは亀ではなく、ただの魚だったのではないか、と推察してます。

他の例として、
”原古の陸地を魚または魚に支えられた「浮き島」として観念した「魚の島」型の神話が、西南中国に住む彝(い)族系アシ人に伝わる創世神話のなかに見出される(P110)。

このように、もともと中国には陸地を魚だったとする神話があった、と推測してます。

2.兄妹婚と身体障がい児の出生
イザナギ・イザナミの二神は、古事記・日本書紀では、はっきり兄妹の関係にあるとされてます。
その話は、
”世界が水で覆われているとき、最初に現れた陸地の上で、兄妹が結婚し、最初はできそこないの子を生むが、天神の命にしたがってやり直しをして、はじめて満足な子を生む。
というストーリーです。

これときわめてよく似た話が、台湾のアミ族のあいだに伝わってます。

"大洪水で人類が死滅した後、生き残った兄妹から現在の人類が発祥した。”
”最初に生まれた子はで、次の子はであった。・・・今度は二人の女の子と一人の男の子が生まれた。”(同書P114)

はじめに生まれた子が、人間でなく、蛇やカエルというところが異なりますが、最後に満足な子が生まれたという構成は同じです。

同様の話は、インドシナや南洋の一部に分布してますが、特に数多く発見されているのは中国の西南地方の少数民族である、苗びょう)族・傜(よう)族・彝(い)族のあいだである、と述べてます。

そして多くは、伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)がその主人公とのことです。

伏羲(ふくぎ)とは、
”古代中国神話に登場する神または伝説上の帝王。兄妹または夫婦と目される女媧(じょか)と共に、蛇身人首の姿で描かれることがある。、黄帝・神農などのように古代世界においてさまざまな文化をはじめてつくった存在として語られる。伏羲と女媧は兄妹であり、大洪水が起きたときに二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説が中国大陸に広く残されている。洪水神話は天災によって氏族の数が極端に減少してしまった出来事が神話に反映したのではないかと考えられている。”(Wikipediaより抜粋)


伏羲と女媧
 

伊藤清司氏は、傜(よう)族の神話のを挙げ、
”兄妹が物の周囲をまわったに、結婚の可否を知るために占いをしている点が、日本神話でイザナギ・イザナミは天の御柱のまわりをめぐった後、結婚の失敗の理由を尋ねるため、天に上り占いをしたといわれているのと、類似している。そしてこのような「神占い」のモチーフを含む同類型の話は、彝(い)族族の神話にもみられる。”(同書P117)
と指摘していると述べてます。

このような細部にまでわたる類似というのは、単なる偶然ではないことは明らかといっていいでしょう。


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日本神話の源流(11)~東南アジアの影響

前回、日本列島に神話が伝わったルートとして、メラネシア~フィリッピン~台湾~日本列島、という南洋ルートが考えられるが、中国東南部からのルートも考えられる、という話でした。

実は専門家の間では、日本神話の起源地として南洋ルートを考える人は少なく、中国江南地方からインドシナを経て、インドのアッサム地方にいたるアジア大陸東南部の地域が重視されている、としたうえで、

”特に中国江南地方に発生した神話の影響が、一方で日本に及ぶとともに、他方ではインドネシアを経由して、ミクロネシアやポリネシアの島々にまで波及した結果として説明される傾向にある。”(同書P84)
と述べてます。

日本の先史文化は、東南アジア地域からの影響を大きく受けており、日本神話と密接な関係にあると思われる水稲耕作が、弥生時代に中国の江南地方から伝わったことが確実であり、縄文の農耕文化も同様である、としてます。

一方、南洋の島々の原住民の文化に、東南アジア起源の要素が多く含まれている、としてます。

こうしたことから、
”日本と南洋に共通して見出される神話の原郷を、東南アジア、特に中国の江南地方と考えられる”
と述べてます(同書P85)。

ここで、なぜ原郷は「東南アジア」ではなく、「特に中国江南地方」と限定して推測しているのか、という疑問が浮かぶのですが、それはのちほどとして、話を進めます。

日本と南洋によく似た諸神話について、その原形がこの地域で発生したものであることを証明できていない、と述べてます。たとえば、海底に釣り針を探しにいく話や、島釣り神話、国生み神話などは、東南アジア地域の伝承からは発見されていない、というのです。

その原因は、そもそも日本の先史時代に、江南地方でどのような神話があったのかわからないから、としてます。では、実際に現在残っている神話をみていきましょう。

a.失われた釣針を探しに海底に行く話 
「捜神記」の巻四にみえる
”江西省の宮亭湖の廟においた小刀あるいはかんざしが、後に舟の中に飛び込んだ魚の中から発見された。”
”いかりをなくした漁夫が湖底におり、女が枕にして寝ていたそのいかりを取り返して帰還した。”(鄱陽湖の伝説)


b.山幸彦とトヨタマヒメ(豊玉姫)の結婚を思わせるような竜女との結婚をテーマとする話
揚子江下流以南の地方から数多く報告されている。
”夫のところからの妻の逃亡や、兄弟の争い、竜宮からの土産の珠(たま)”

c.山幸彦とトヨタマヒメの離別と対応する話
”人間の妻となっていた水界の女が、ある時その本体を見られたために夫や子と別れ、またもとの世界に戻っていってしまった。”
(捜神記)巻十四(同書P87)

d.竜女との結婚の話
インドシナに、王朝の起源を物語る説話の形をとって数多くある。
”竜女と結婚した夫が、妻のいましめを無視し、その本体を見たことが夫婦の別れの原因あった。”(北部ミャンマーのシャン人の国家の一つの始祖出伝説)(同書P88)

e.山幸彦の話
カンボジアのロチゼン王子の話

以上のとおりです。

ここで吉田氏はとても興味深い指摘をしています。
海幸彦・山幸彦神話のなかに、壮大な規模の宇宙論的観念が反映されている、というのです。

”海と山を、対立する宇宙の二大原理と見なし、この二原理の争いによって、高潮あるいは洪水が引き起こされる、という二元論的観想である。ところが、このように海と山の二大原理の対立によって、高潮や洪水が起こるという観念は、中国の江南地方からアッサムにかけて分布している。”(同書P92)

ヴェトナム神話として、南アッサムのガロ族には、
”山の支配者と水界の支配者のあいだに、結婚がきっかけとなって争いが生じ、その結果洪水が起こる。”

中国では、有名な呉越の抗争のなかに、それが反映されている、といいます。
呉越の抗争とは、中国春秋戦国時代に、揚子江下流にあった呉と越が勢力争いに明け暮れ、呉が紀元前473年に滅亡した戦いを指してます。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」や「呉越同舟」など、名言故事が生まれたことで知られます。

この二国ですが、海の原理を表す呉と、山の代表者である越の間の対決という図式だというのです。

・呉 水の都として名高い姑蘇(こそ)に都を置いた、すぐれて水と緑の深い典型的な水の国。

・越 本拠地は、神山として有名な会稽(かいけい)山を有する地域。王家は、夏王朝の始祖禹(う)の後裔と称した。
禹は、父の鯀(こん)と父子二大にわたって、大洪水を治めるため尽力したとされる。会稽山は神話的祖先の墳墓の地と考えられていた。

”銭溏江(せんとうこう)(浙江)河口に起こる潮嘯(ちょうしょう)に起こる異常な高潮が、江南の二強国の宿命的抗争の物語と結びつけられた。”

こうしたことより、
”海幸彦・山幸彦の神話の祖型が、中国江南地方で発生したものである可能性は、ひじょうに濃厚である。”(同書P101)

と推測してます。

ところで、冒頭に、
”中国江南地方に発生した神話の影響が、一方で日本に及ぶとともに、他方ではインドネシアを経由して、ミクロネシアやポリネシアの島々にまで波及した。”
という見解を紹介しました。

実際、遺伝子学や考古学等から、オーストロネシア語族と呼ばれる人々が、約6000年前に中国南部から台湾に渡り、そこからフィリッピン、インドネシア、さらにメラネシア・ミクロネシア・ポリネシアへ渡ったと推定されてます。日本列島にも、沖縄や九州などに渡ったと推測されてます。Y染色体では、O1aにあたります。

こうしたことからも、海幸彦・山幸彦型神話は中国江南地方発祥説が有力とも考えられます。

一方、いくつか疑問も残ります。

まず、海幸彦・山幸彦型神話に、「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれている、という点です。

メラネシア等では、内容は似ているものの、どちらかというと素朴で原始的です。つまり、中国等の神話はメラネシア等の神話の発展型である、という点です。となると、メラネシア島の神話のほうが古いのではないか、という疑問が出ます。

また時代も、呉越の神話ということになると、紀元前5世紀以降ですから弥生時代と、オーストロネシア人移動に比べると、かなり新しい時代になります。

このように考えると、伝播も、
「メラネシア→東南アジア→中国」
とするのが、自然のように思えます。

もっとも、”中国にはもともと素朴で原始的な神話があり、それがメラネシア等に伝わった、中国ではそれが独自に発展して、「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれるようになった。”という解釈も可能ですが、やや苦しいように感じられます。

一方、日本列島に伝わった時代・ルートもこれだけでは何ともいえません。

海幸彦・山幸彦型神話に「壮大な規模の宇宙論的観念」「二元論的観想」が含まれていることからすると、弥生時代に入ってから呉越の戦乱の時代のころに、渡来系弥生人が伝えたことが考えられます。あるいはもっと新しい時代かもしれません。

他の可能性として、さらにはるか昔に、神話の祖型となるものが南洋から伝わっていたのか、あるいは中国南部からオーストロネシア人が伝えた可能性もあります。

このようにさまざまな解釈が可能ですが、では真実はどうだったのかについては、のちほど考えていきたいと思います。

オーストロネシア人移動 
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日本神話の源流(10)~タロイモは語る

前回、日本神話がどこから伝播したのかについて、DNA解析による日本人渡来ルートとの関連について、お話ししました。それによると、フィリッピン~台湾~沖縄という南方ルートあるいは中国大陸からという二つのルートが推定されるとともに、時代も何回かに分かれて渡来したのではないか、という話をしました。

では実際に栽培植物が、それにともなってやってきたということはいえるのでしょうか。

吉田氏が神話と強い関連性があるとみるイモ類について、みてみましょう。

タロイモの渡来ルートと時期について、「「食と農」の博物館 展示案内 No.62 今知られていること、伝えること「タロイモは語る」(東京農業大学)」を参照します。

まずタロイモは、
”狩猟採集時代からヒトにとって、重要な食用資源として知られ、約一万年前に始まったとされる農耕の起源に深く関わったイモ型の作物の一つ。”
です。
起源地については諸説ありますが、
インド東部からアジア大陸部、さらに、原産地に隣接する中国南部とインドネシアをサブセンターとする”
説が有力です。


日本列島への渡来ルートは、

インド東部から東南アジア大陸部の熱帯森林地域から民族の移動と共に、イネ(種子栽培農耕)に先行して中国南部や太平洋地域、オセアニア地域、西は熱帯アフリカ、地中海地域へと伝播していったと推定されています(中尾1956)。”

”日本へは、起源地から東マレーシア、フィリッピン諸島、バタン諸島、台湾などの島々沿いを黒潮海流の北上と共に南島から日本列島へ渡ってきた海上の道と、中国大陸経由の草原の道を通り、南島の海上の道を経て日本列島に渡来した民族によって持ち込まれたと考えられています。”


タロイモ渡来ルート日本列島への渡来ルートは二つあった、とされてます。 
図の
③中国大陸~台湾~沖縄~日本本土(40,000年前、5,000年前)
④フィリピン~沖縄~日本本土(40,000年前、12,000年前、5,000年前)

です。

③、④とも、5,000年前に渡来したとしており、日本でタロイモ栽培が始まった時代に合致してます。今後の調査研究次第では、④の12,000年前というのも、ありうるかもしれません。

いずれにしろ、DNAでいうと、D1の人々にあたるでしょうか。

もう少し、詳しくみてみます。

タロイモは染色体研究によると、基本染色体数(X)は14、栽培品種には染色体数28の二倍体(2X)と42の三倍体(3X)があります。

栽培品種の二種は
・二倍体 熱帯系 親芋用
分布・・インドシナ、メラネシア、台湾、沖縄
日本の品種・・唐芋・八つ頭・枇榔心・筍芋・タイモ
・三倍体 温帯系、子芋用
分布・・中国、日本本土 
日本の品種・・土垂・石川早生・蓮葉芋・黒軸・赤芽

二倍体が熱帯系で古く、三倍体が温帯系で新しい、ということになります。

こうしたことから、日本列島には当初、熱帯系の二倍体が南方から伝わり、のちの時代に温帯系の三倍体が中国大陸から伝わった、ということが推定できます。前回お話しした、日本列島への渡来は、いくつかのルートを経由して何回かにわたってされた、という推測と合致しました。

なおタロイモのほかにも、ナガイモ、コンニャク、クワイ、ハス、チョロギなども、かなり古い時代に伝播したと推測されてます。

イネ(陸稲)も、6400年前には伝播していたことが確実です。

以上より、縄文農耕はあった、と考えて間違いないでしょう。そしてこうした栽培作物の伝播にともなって神話も伝播した、と考えられそうです。

ところで、伝播ルートには大きく分けて、南方からと中国大陸から、の二ルートが想定されます。そのあたり神話の伝播からみた場合、どのように理解すればいいのでしょうか?。

次回は、それをテーマとします。


↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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テーマ : 歴史
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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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