FC2ブログ

古事記・日本書紀のなかの史実 (7)~天之御中主(アメノミナカヌシ)の謎

 では続きに進みましょう。
あらためて、冒頭「天地開闢」の読み下し文です。今回は、「古事記 祝詞」(倉野憲司・武田祐吉校注)からです。

"天地初めて発(ひらけし)時、高天の原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。次に高御産巣日(たかみむすひの)神。次に神御産巣日(かみむすひの)神。此の三柱の神は、並(みな)独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
国稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、くらげのなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え謄(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこの)神。次に天之常立(とこたちの)神。この二柱の神も亦、独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は、別天(ことあま)つ神

天地が分かれてから、高天原に現れた神が「造化三神」で、そのはじめが天之御中主(アメノミナカヌシ)神です。この神は、謎の神です。

”神名は天の真中を領する神を意味する。『古事記』では神々の中で最初に登場する神であり、別天津神にして造化三神の一柱。『日本書紀』の正伝には記述がなく、異伝(第一段の第四の一書)に天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)として記述されている。『古事記』『日本書紀』共にその事績は何も記されていない。そのため天之御中主神は中国の思想の影響により創出された観念的な神であるとされるが、これに否定的な論もある。

『古事記』、『日本書紀』ともに天之御中主神に関する記述は非常に少なく、『延喜式神名帳』にも天之御中主神の名前や祭った神社の記載はない。そのため、天之御中主神は中国の天帝の思想の影響によって机上で作られた神であると解釈されてきた。しかし天之御中主神には倫理的な面は全く無いので、中国の思想の影響を受けたとは考え難いとする意見もある。至高の存在とされながらも、信仰を失って形骸化した天空神は世界中で多くの例が見られるものであり、天之御中主神もその一つであるとも考えられる。

日本神話の中空構造を指摘した河合隼雄は、月読命(つくよみのみこと)、火須勢理命(ほすせりのみこと)と同様、無為の神(重要な三神の一柱として登場するが他の二柱と違って何もしない神)として天之御中主神を挙げている。”(Wikipediaより)

以上のとおり、しばしば大胆な解釈も載せるWikipediaでさえ、あいまいです。それくらい、解釈するための資料、材料がないということでもあります。

「天之御中主」という名前は、「宇宙の中心にいる」というニュアンスです。
中国の道教の影響を受けているともされますが、何ともいえません。いずれにしろ古事記においては最初に登場する神でもありますから、「至高の神」であることは間違いでしょう。

ところが不思議なことに、日本書紀本文には登場しません。わずかに、異伝(第一段の第四の一書)に出てくるのみです。

古事記・日本書紀神代比較  

これは何を意味しているのでしょうか?

古事記や日本書紀異伝に記載されているということは、かつては存在した神だったことは確実です。それが何らかの理由で、正史である日本書紀の本文ではカットされたと考えられます。

その理由ははっきりしませんが、「天之御中主神」が道教思想によるものだったなら、日本書紀が編纂された8世紀前半は、仏教の布教に力を入れていた時代だったことが影響したのかもしれません。

新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

古事記・日本書紀のなかの史実 (6)~「ゴンドワナ型神話」と「ローラシア型神話」

前回までのところで、皆さんのなかには、
「冒頭からずいぶんと細かい話をしているな。こんな小さいことは、どうでもいいじゃないか。」とお感じ方もおられると思います。

ではなぜここまで冒頭の部分すなわち「天地開闢(てんちかいびゃく)」にこだわったかというと、前のシリーズでお話した「日本神話の成り立ち」に関係するからです。

概略はこうでした。
世界の神話には、大きく分けて、「ゴンドワナ型神話」「ローラシア型神話」の2つがある。
人類の祖先がアフリカを出て(10万年前?)、アラビア半島からインド西にやってきた。彼らはさらに東に進み、東南アジアにあったスンダランド、さらにはメラネシアやオーストラリアに到達した(5~6万年前?)。彼らがもっていた神話が、「ゴンドワナ型神話」です。
一方、アラビア半島からインド西に残った人々のうち、やや遅れて移動した人々がいました。彼らは北上して中央アジアステップ地帯やヨーロッパ、また東へ進み東アジア、さらにはアメリカ大陸へと到達しました。彼らがもっていた神話が「ローラシア型神話」です。

詳細は、
日本神話の源流(35)~世界神話伝播ルートを推測する
を参照ください。

どちらの神話も、日本列島に伝播しました。したがって日本神話は、2つの神話がベースになっていると考えます。

おおまかにいえば、古い時代の神話、たとえば「国生み」「農業の起源(オオゲツヒメ神話)」などは「ゴンドワナ型神話」の影響が濃く、新しい時代の神話、たとえば「天岩戸」「天孫降臨」神話などは「ローラシア型神話」の影響が強いと推測している、という話しをしました。

日本神話とゴンドワナ・ローラシア型神話


この表では、天地開闢については取り上げませんでしたが、さらに古い時代に関する神話ですから、流れからいくと「ゴンドワナ型神話」ということになります。

ところで「ゴンドワナ型神話」と「ローラシア型神話」には、大きな差があります。

「ローラシア型神話」には創造神話がありますが、「ゴンドワナ型神話」にはない、というものです。つまり「ゴンドワナ型神話」では、すでに存在する世界に人類が出現する形です。

「ローラシア型神話」の典型である聖書には、天地創造がありますね。しかもその天地は、全知全能の神が造ったとしてます。

「ローラシア型神話」では、必ずしもすべて神が天地を造ったというわけではありませんが、キーワードがあります。
それは、「渾沌」「原初水」「洪水神話と漂える大地」「宇宙卵」「世界巨人」「世界雄牛」です。

古事記には、
国稚く浮脂(うきあぶら)の如くして、くらげのなすただよえる時に、葦牙(あしかび)の如萌え謄(あが)る物に因りて
とあり、これが、「原初水」を表しているともいえますが、微妙なところです。

一方の日本書紀には、
天と地が分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌として形の定まらないことは鶏卵の中身のごとくであり、
渾沌、卵というキーワードがあり、ローラシア型神話の典型的な天地創造であるといえます。

以上まとめると、天地開闢については、
・古事記は「ローラシア型神話」の特徴を含んでいるともいえるが、「ゴンドワナ型神話」に近い。
・日本書紀は、明らかに「ローラシア型神話」である。


つまり、古事記のほうが、日本書紀より古い伝承を伝えていることになります。

これは内容からもいえます。

古事記は、素朴な描写に対して、日本書紀には中国の深遠な陰陽説が明確に反映されてます。古事記の神話の原型となるものがどこかの地域にあり、その原型が中国に伝わり発展したとも考えられます。

また、古事記は古来からの伝承を記載したのに対して、日本書紀は中国史書や思想を取り入れたとされてます。となると、日本書紀は、古事記の伝える古来からの素朴な伝承に、中国思想を加味して編纂したいうことになりますね。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

古事記・日本書紀のなかの史実 (5)~天地開闢(てんちかいびゃく)

 今回から、いよいよ古事記・日本書紀を読みながら、みていきます。

ここまでお話しているとおり、両書には内容に大きな違いがある箇所があり、そのすべてを取り上げると煩雑になり、かえってわかりにくくなってしまうので、基本的には古事記をベースとして、それを補う形で日本書紀をとりあげる、というスタイルでいきます。

ところで古事記といえば、江戸時代の研究者である本居宣長が有名です。彼は「古事記は史実に即したもの」という理解のもと、古事記全般について研究し、その集大成を「古事記伝」にまとめてます。個々の解釈について問題が多いのは事実ですが、実に詳細に検討しており参考になるので、引用したいと思います。

では古事記の冒頭からです。読みは「本居宣長『古事記伝』を読むⅠ」(神野志隆光)によります。

"天地の初発(はじめ)の時、高天原(たかまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬし)神。次に高御産巣日(たかみむすび)神。次に神御産巣日(かみむすび)神。この三柱の神は、並(みな)独神成り座して、身を隠したまひき。
次に国稚く浮脂(うきあぶら)の如くして、くらげのなすただよえる時に、葦牙(あしかび)の如萌え謄(あが)る物に因りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこ)神。次に天之常立(とこたち)神。この二柱の神も亦独神成り座して、身を隠したまひき。
上の件五柱の神は別天(ことあま)つ神。"

有名な、天地開闢(てんちかいびゃく)です。

冒頭から、重要な論点が出てきます。
「天地初発時」を、本居宣長は、「天地のはじめのとき」と読み下してます。これについて、
天地以前に神があり、その神のはたらきのもとに天地をはじめすべてが生成される、という世界のはじまりを語るものとして読まなければばらない”(同書P30)
という本居宣長の解釈です。

もっとも「天地初発」を天地が成ったというのではなく、次の「浮脂(うきあぶら)」にあるとしてます。
”この浮脂のような物がひとむら生じたという。これが天地になるものであって、天にあるべき物と地になるべき物とはまだ分かれず、ひとつにまじっている。「日本書紀」の一書に天地混成之時というのがこれだ。(同書P32)

そしてその浮脂のようにただよっているものが、「葦牙の如萌え謄る」ということが、
”ひとかたまりのなかから、萌えあがって天と成り、地と成るべきものはのこりとどまって、後に地となった”(同書P33)

こまごまと解説してますが、ようは宣長は日本書紀との対比から、古事記冒頭には「天地創造」が描かれている、と主張してるわけです。

しかしながら、この解釈は無理があるようです。著書の神野志氏は、
"天地が既に成り立ち、天の世界・高天原に神々が登場するところから語りはじめる(天地の創造はふれない)と見るべきです。そして、地の側は、まだ「国」とないえないような、クラゲのように漂っているだけの状態だというのです。”(同書P37)
と述べてます。

また「天地初発」は、天地がすでにあってうごきはじめていることをいうものとして、新編日本古典文学全集では、アメツチハジメテアラハレシと訓んでます(同書P38)。

たしかに原文は「天地初発之時」であり、このとき神様が成ったといっているのですから、あくまでこれは神様が成った「時」を説明しているのであり、「天地創造」のことをいっているのではない、と解釈するのが自然と考えます。

では日本書紀は、どのように描いているのでしょうか。本文です。

昔、天と地が分かれず、陰と陽とが分かれていなかったとき、渾沌として形の定まらないことは鶏卵の中身のごとくであり、自然の気がおこり薄暗いなかにきざしを含むものであった。気がわかれて、陽気は軽く清らかで高く揚がって天となり、陰気は重く濁っていて滞って地となった。すなわち、清くこまかなものはまとまりやすく、重く濁ったものはかたまりにくい。だから、天がまず成って、地が後に定まった。然る後に神がその天地の中に生じた。

明らかに冒頭は、天と地が分かれる前の状態です。そのような状態から天と地が分かれてますから、「天地創造」が描かれているといえます。古事記とは明らかな違いがあります。

ちなみに冒頭の箇所は、中国の古典の『淮南子』の「天地未だ剖(わか)れず、陰陽未だ判(わか)れず、四時未だ分れず、萬物未だ生ぜず……」によっているとする説があります(坂本太郎『日本書紀 上』岩波書店〈日本古典文学大系 67〉、P543)。

日本書紀に、中国の陰陽五行説が反映されていることに注目です。中国の思想の影響を強く受けていることは、明らかですね。

以上から天地開闢について、古事記と日本書紀では一見似ているようで、大きな違いがあることがわかりました。

次の図で、以上の関係をイメージ化しました。日本書紀原文も記載しましたが、これを読むと、やはり古事記とは明確な違いがあることがわかります。
天地開闢
   
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村 


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

古事記・日本書紀のなかの史実 (4)~「ヤマトタケルの法則」

 さて、前回までの話から、古事記・日本書紀の成立経緯がわかり、さらには史実解明の糸口がみえてきます。

古事記・日本書紀は、「帝紀」「旧辞」はじめ、多くの資料(典拠資料)をもとに書かれたわけです。
その典拠資料も、もともとは何らかの史実があり、それが多くの人に伝えられていくうちに、次第に変化していったことでしょう。日本書紀には、「一書にいわく」という注記がたびたび出てきて、同じ話についても多くの異伝が合わせて記載されていることが、これを示しています。

つまり古事記・日本書紀と史実は、次の図のような関係になるのではないかと、考えられます。

古事記・日本書紀成立経緯
1.まず、史実Aがあったとします。

2.これを現場にいた人が、何らかの記録に残したとします。直接見た人ですから、その内容はほぼ史実に同じでしょう。これを伝承Aaとします。

3.この伝承Aaが人々に広まりますが、尾ひれ背びれがつき、さらに伝える人により変化していったでしょう。これらを伝承Aa-1,Aa-2,Aa-3・・とします。

4.「帝紀」「旧辞」は、このうち伝承Aa-1,Aa-2をもとに作られたとします。そうなると古事記には、伝承Aa-1,Aa-2が伝わり編纂されたことになります。一方、伝承Aa-3は伝わらなかったことになります。

5、日本書紀は、古事記に伝わった伝承Aa-2のほかに、古事記に伝わらなかった伝承Aa-3も伝わったでしょう。また帝紀・旧辞、すでに編纂されていた古事記のほか、外国史書も参照して編纂されました。一方、古事記に伝わった伝承Aa-1は、伝わったにしても「帝紀」「旧辞」を介してなので、薄まったと推測されます。

以上のように考えると、古事記・日本書紀の記載に大きな違いがある理由が説明できます。典拠となる伝承に違いがあるうえに、日本書紀の場合は、さらに外国史書も参考にしているわけで、違っていて当然です。大人数で数百年にわたる伝言ゲームをやっているようなものですね。

ここでもうひとつ、「天皇記」「国記」の存在があります。

”620年(推古天皇28年)に聖徳太子と蘇我馬子が編纂したとされる歴史書である。
645年(皇極5年)に起きた乙巳の変の際に、蘇我馬子の子である蘇我蝦夷の家が燃やされ、そのとき『国記』とともに焼かれたとされる。あるいは国記のみが焼ける前に取り出されて残ったともいわれるが、国記も現存していない。”(Wikipediaより)


「天皇記」「国記」の内容は定かではありませんが、名称からいって、天皇家の系統や国の成り立ちが記録されていたと推測されます。そして注目は、それらを蘇我蝦夷が所有していたことです。

問題は、なぜ天皇家ではなく、蘇我家が所有していたのかです。
蘇我家が文書管理を担当していたからだ、という説明がされましょうが、はたしてそうでしょうか?。天皇家の系図や国の成り立ちは、天皇家の正当性を証明するのにもっとも大切なものです。それを失ってしまっては、正当性が失われるからです。ふつうなら、自ら保管するのではないでしょうか。

となると、ここで疑問が浮かびます。
「当時の最高権力者は(名称を天皇と呼んだかは別として)、蘇我家だったのではないのか?」
という、素朴な疑問です。
この問題は、いずれ取り上げます。

話を元に戻します。
古事記・日本書紀の成り立ちが、以上のようなものであったのであれば、古事記・日本書紀のなかの史実解明のヒントがみえてきます。

古事記・日本書紀の記載に違いがあるなら、どちらかがより史実に近いはずです。
そしてそれを見分けるポイントがあります。

まず、天皇家にとって都合のいい記載と悪い記載があった場合、都合の悪い記載が史実により近いのではないか、と推測できます。なぜなら、古事記・日本書紀は、天皇家の正当性を示すためというのが目的のひとつであるならば、天皇家にとって都合の悪い記載は削除、あるいは改竄して都合のいい記載にするのが、普通だからです。

そんなことを本当に行ったのか、という疑問をもたれた方もいるかもしれません。しかしながら昨今、国会でも話題になっている公文書改竄問題をみてもわかるとおり、権力者にとっては都合の悪い文書は残したくものです。これだけ官僚機構がしっかりできていて、また規程類も完備されている現代においても、起こりうるのです。ましてそのようなものが何もなく、チェック機能もない古代であれば、むしろ改竄などがおこなわれないほうが、不自然でしょう。

具体的にみてみましょう。
前回触れたヤマトタケルの説話です。
日本書紀では、日本統一に貢献した英雄として描かれてますが、古事記では、兄を殺した気性の荒い弟で、そのために父の景行天皇から恐れられ西征を命じられるという設定です。

上のポイントからみれば、古事記の残酷なヤマトタケルという記載のほうが史実に近い、と推測できます。なぜなら、もし日本書紀に描かれるな英雄としてのヤマトタケルが史実に近いのであれば、わざわざ古事記編纂時に、残酷なヤマトタケルという記載にする動機はないからです。

そんな記載をして天皇に奏上すれば、「私たちの先祖の英雄をそのように描くとは、とんでもないやつだ」といって、首をはねられるかもしれません。史実だと太安万侶が判断したから、そのまま記載したのでしょう。

一方日本書紀では、古事記のような残酷なヤマトタケルのイメージは、天皇家の正史として記載するのはよろしくないと考え、古事記の伝承ではなく「英雄」としての伝承を採用したのか、もしくは改変した可能性が高いと考えます。

このように、”同じ人物についてよい記載と悪い記載がある場合は、悪い記載が史実に近い可能性が高い”、という推論を、「ヤマトタケルの法則」と呼ぶことにします。

第25代の
武烈天皇についても、みてみましょう。古事記ではさらりと系統などを記載している程度ですが、日本書紀では暴虐の限りを尽くした極悪人として描かれてます。

問題は、先祖である武烈天皇を、なぜそこまで貶める必要があったのかです。たとえ史実だったとしても、カットすればいいだけの話です。

ここから、次の天皇である継体天皇の正当性に、疑いをもたれていたからではないか、という推測ができます。

実際武烈天皇には子供がなかったので、し烈な後継争いがあったことでしょう。そんなおり、突如越前にいた男大迹(おおどの名前が挙がります。応神天皇5世孫といわれてますが、実態は不明です。彼が継体天皇として即位しますが、大和に入るのに20年もかかるなど、不審な点が指摘されてます。

このような経緯から、当時、継体天皇の正当性に大きな疑問をもたれていたことは、容易に想像がつきます。

そこで「先代の武烈天皇は、どうしようもない人だったのだ。その世を改めるために遠い越前の国から継体天皇を呼び寄せることにより、よい時代になったのだ。」というイメージを作り上げるために、武烈天皇が貶められたのだ、と考えられるわけです。

このように、”前の権力者が貶められているときは、次の権力者の正当性に疑念がある可能性がある”という推論を、「武烈天皇の法則」と呼ぶことにします。

他にも法則がいくつか挙げられますが、それはいずれということにします。

以上のように、古事記・日本書紀に描かれている説話をひとつずつみていくと、史実がおぼろげながらみえてくると思われます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

古事記・日本書紀のなかの史実 (3)~記紀の内容が異なる理由とは?

今回から、いよいよ古事記・日本書紀の解明に入ります。

まず皆さんに質問です。

古事記と日本書紀の違いは何でしょうか?
わかっているようで、よくわからないですね。

そもそも日本の歴史を記録として残すのに、なぜ二つの史書を残す必要があったのでしょうか?

ではあらためてみてみましょう。まずは、古事記・日本書紀のの概略です。

【古事記】
日本現存最古の歴史書,文学書。3巻。序 (上表文) によれば,天武天皇の命によって稗田阿礼 (ひえだのあれ) が「誦 (しょう) 習」していた『帝紀』『旧辞』を,元明天皇の命によって太安麻呂 (おおのやすまろ) が「撰録」し和銅5 (712) 年献上したものである。しかし,「誦習」「撰録」の具体的内容については諸家の説が分れ,また序を疑う説,ひいては『古事記』そのものを偽書とする説もあるが,上代特殊仮名づかいの存在により和銅頃の成立であることは確実。天地の始りから推古天皇の時代までの皇室を中心とする歴史を記すが,実質的には神話,伝説,歌謡,系譜が中心で,そのため史料としてはそのまま用いがたい面が多いが,逆に文学書としては興味深い存在といえる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

【日本書紀】
奈良時代の歴史書。六国史の一つ。 30巻 (『続日本紀』に系図1巻を付すとあるが現存しない) 。舎人親王らの編。養老4 (720) 年成立。巻1,2は神代,巻3~30は神武天皇から持統天皇までを編年体で記述。ほぼ同時代の『古事記』と合せて「記紀」と称される。各時代の記事は『古事記』よりも詳細で,異説,異伝を載せ編纂態度も合理的,客観的であり,史書としてはるかに整っている。神代巻や古い時代の巻は多量の神話,伝説を含み,また歌謡 128首をもつ点など,上代文学史上においても貴重な作品である。『国史大系』『古典大系』などに所収。(同上)

表でまとめました。

古事記・日本書紀の違い  

おおまかにいうと、”古事記は日本書紀より少し先にできあがった。国内向けに天皇家の正当性を誇示するために作られたものである。日本書紀は、とくに中国王朝に対してのものであり、典拠とする資料も多く、初の正史であった。”
となります。

なお古事記成立については諸説あり、日本書紀よりあとの時代に編纂されたとの説のほか、偽書説もあります。また日本書紀が正史とされたのに対して、長らく主役ではありませんでした。

”朝廷では平安時代、『日本書紀』について大学寮の学者が公卿に解説する日本紀講筵(日本紀講、講書)が行われ、『古事記』は参考文献として使われた。
鎌倉時代には、朝廷でも披見できる人が少ない秘本扱いで、特に中巻は近衛家伝来の書を収めた鴨院御文庫にしかないと言われていた。そうした中、弘長3年(1263年)に右近衛大将藤原通雅が「不慮」に中巻を手に入れた。・・・これが、伊勢神宮と密接な関わりがあった真福寺に伝わる『古事記』最古の写本の元になったと推測される。(Wikipediaより)

このように平安時代には、あくまで日本書紀の参考文献であり、鎌倉時代には、まったく世の中に流布していなかったわけです。いかにも「日陰もの」の扱いですね。

ではなぜこのようなことになったのでしょうか?。

日本書紀との内容が大きく異なる点も多いことから、考えられることは、時の権力者が、古事記の内容を世間に知られたくなかったから、その存在を秘密にしたのではないか、というものが考えられます。ようは「存在してはいけない史書」だったということです。

実際、これから取り上げますが、たとえば有名なヤマトタケルについての記載は、古事記と日本書紀では、大きく異なってます。
日本書紀では、日本統一に貢献した英雄として描かれてます。ところが古事記では、兄を殺した気性の荒い弟で、そのために父の景行天皇から恐れられ西征を命じられるという設定です。

また第25代の武烈天皇についても、古事記ではさらりと系統などを記載している程度ですが、日本書紀では暴虐の限りを尽くした極悪人として描かれてます。

なぜこのような違いがあるのでしょうか。

ひとつの推測として、古事記は「帝紀」「旧辞」などを素直に伝えた一方、日本書紀は正史としての役割があったため、より天皇家の正当性を強調する必要があったから、都合のいい箇所を中心として集めさらに加筆修正されたのではないか、というものがあります。

このあたりはこれだけで膨大な量になってしまうので、以上にとどめます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

古事記・日本書紀のなかの史実 (2)~解明の基本スタンス

前回は、通説の一丁目一番地ともいえる津田左右吉氏の言説をみました。

意外なことに津田氏は、邪馬台国は北部九州にあり、畿内のヤマト王権とば別のものとしてます。その畿内ヤマト王権が邪馬台国を屈服させた、としてます。

細かい点は別にして、おおまかな流れとしては私の説と共通するものがあるのが、面白いところです。

さてこれから古事記・日本書紀のなかの史実を解明していきますが、あらためてその基本的スタンスをお話します。なぜ私がたびたびこれを強調するのかというと、ここがぶれていては、他人と議論する場合、話がかみ合わなくなる場合が多いからです。

基本的スタンスは、神話等はなにがしかの史実を物語にした可能性があるという前提のもと、日本の古代史を解明していくというものです。そしてその手法として、
1.史書(日本・外国)の解読
2.考古学的成果
3、神社や地方伝承
4.年代測定法、遺伝子学、気候天文学、地質学等の科学的データ
等を総合的にみて、すべてにおいて矛盾なく説明しうる仮説こそ、もっとも可能性の高い説である、とするものです。

たとえばある史書を読み、「何々~」と解釈できるとしても、その説が上のすべてにおいて矛盾ないものになっているのか、それが検証されない限りあくまで一つの仮説にすぎない、と考えてます。
もちろんはるか昔の古代のことですから、すべてが完璧にできるわけではありませんが、少なくともこのような手順を緻密に積み重ねていけば、A説、B説、C説という仮説があった場合、どの説がより可能性が高いのかが検証できます。

特に重視すべきは客観的データです。統計データや科学的データなどを用いながら、ひとつひとつの事柄について、何が事実と考えられるのか、それを明らかにしていけば、真実はおのずと見えてくるはずです。まさに「データは語る」ということです。

興味深いことに、津田氏も同様のことを強調されてます。

”またこういう解釈や説明をする場合の人種や民族に関する知識は、記紀の記載からまったく離れた独立の研究によって得たものでなくてはならぬ。
”記紀の解釈をするにあたって、文献の外の知識、たとえば考古学の知識などを借りることである。”
”考古学を考古学として独立に研究した上での知識でなくてはならぬ。”
”もっぱら遺跡や遺物そのものによらなければならない。”
未だ批判を経ない記紀の記載に、いい加減の、あるいはほしいままな意義をつけ加え、その助けによってつくりあげられたエセなる考古学があるとすれば、それは考古学としての本領を傷つけるものであると同時に、また決して記紀の批判の助けとなる資格のないものである。記紀の研究のほうからいうと、その批判の準拠しようと思う考古学が逆に記紀を用いていたのでは、何にもならぬのである”
(以上「古事記及び日本書紀の研究、建国の事情と万世一系の思想」(津田左右吉)P61-63)

たとえば考古学についてですが、それはあくまで考古学として独立したものでなければならない、と述べてます。
ある遺跡が発掘された場合、それが何なのか、というのは、あくまでその遺跡からわかることだけを考察すべきであって、古事記・日本書紀にこう書いてあるから、という理由で断定してはいけないということです。

一番いい例が、古墳の被葬者です。たとえば、先般世界遺産に登録された大山陵古墳です。
世界遺産登録においても、「仁徳天皇陵」としてますが、いかがなものでしょうか?。
古墳の被葬者を特定するには、墓銘碑・墓誌などの出土が必須ですが、大山陵古墳からは出土してません。
仁徳天皇陵とする論拠は、毛受之耳原もずのみみはら)に陵墓がある(古事記)、毛受之耳原(もずのみみはら)に陵墓がある(日本書紀)だけです。延喜式にも同様の記載がありますが、平安時代に作られたものなので、古事記・日本書紀の記載元にした可能性が高いでしょう。

したがって、大山陵古墳が仁徳天皇陵と断定できるものは、ひとつもないのです。
もちろん古事記・日本書紀にある記載から、仁徳天皇陵の可能性はありますが、あくまでひとつの仮説としておくべきでしょう。

大仙陵古墳

またその他の古墳でも、テレビ・新聞などでも
”この古墳は巨大古墳であり、日本書紀によると当時の天皇は「○○天皇」だから、この古墳は「○○天皇の墓」と考えられる。”
との見解を耳にすることがよくありますが、これも全く同じ図式です。

こうした事例は、まさしく津田氏のいうところの「エセ考古学」ということになります。

したがってやはり史実を解明していくためには、4の年代測定法、遺伝子学、気候天文学、地質学等の科学的データをもとに、古事記・日本書紀などをみていくことが、ポイントだと考えます。これらの科学的データで説明できない解釈は成立しない、ということになります。

ところで、私はこれまでさまざまな説をお話してきましたが、これに対して、
「なぜそんなことがいえるのだ。断定できるほどの根拠はないじゃないか。」
という反論をする方がいます。

私はそのような方に対して、逆に次のような質問をします。
「ではあなたの説には、断定できるだけの根拠があるのでしょうか?」

つまり、いわゆる通説に対しても、まったく同じことがいえるのです。
歴史においては、推測するための資料が限られてます。まして2千年近く前の話となれば、ごくごくわずかのものしかありません。きわめて限定された資料のなかで仮説を立て、検証を重ねていくしかありません。

したがって、あらゆる説は「仮説」のままであって、断定できるものはほとんどないといっていいでしょう。そのようなかにおいて、どの説が確率論的にみてもっとも可能性が高いと考えられるか、というスタンスが大切だと考えてます。

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!




最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 



にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村


テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



最新記事
最新コメント
読者登録
メールで更新情報をお知らせしますので、こちらに登録ください。
メルマガ購読・解除
図とデータで解き明かす日本古代史の謎
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
月別アーカイブ
カテゴリ
twitter
amazon business
おすすめの本
ブロとも一覧

アアト日曜画家

魏志倭人伝その他諸々をひもといて卑弥呼の都へたどりつこう

☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆&

中国通史で辿る名言・故事探訪

幕末多摩・ひがしやまと

客船の旅

黒田裕樹の歴史講座

しばやんの日々

Paradise of the Wild bird…野鳥の楽園…
更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR