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古事記・日本書紀のなかの史実 (13)~大八州(おおやしま)はどこか?

続いて、イザナギ・イザナミが次々に国を生んでいきます。
はじめに、八つの大きな州(しま)すなわち大八州(おおやしま)を生みます。

ここでも、古事記と日本書紀では記載が異なっています。下表にまとめました。一番右に、通説を載せてます。

大八州




次の図は、通説の比定地です。

大八州比定地

さて、上の表及び図をみて、何か気づくことがあるでしょうか?

1.嶋のほとんどが西日本にあります。中心が畿内であるなら、東日本にもっと嶋があってもいいはずです。たとえば伊豆大島などです。大倭豊秋津嶋が本州だからおかしくないという考えもありますが、はたしてどうでしょうか?。

2.次に目につくのは、島の大きさがバラバラなことです。一番大きい大倭豊秋津嶋(本州)と比べると、一番小さい伊岐嶋(壱岐島)はとても小さいですね。古代の人が神話を創作する際、島を選ぶときに、このような選び方をするであろうか、という素朴な疑問が湧きます。どうせ選ぶなら、似たような大きさの島を選ぶのが自然です。
それ以前に、そもそも古代の人は本州を島と認識していたのだろうか、という疑問も浮かびます。

3.日本書紀に出てくる「大州」「越州」が古事記にはありません。代わりに古事記では、伊岐嶋(壱岐島)、津嶋(対馬)になってます。

4.もうひとつ、神話の主舞台である「出雲」がありません。これはどうしたことでしょうか?。また同じく神話にしばしば出てくる「越の国(越州)」も、古事記の大八州にありません。
この疑問に対して、通説では、「出雲」「越の国」は本州である「大倭豊秋津嶋」のなかにあるから書かれないのだ、という説明をします。
しかしながらもしそうであるなら、吉備児島(児島半島)も本州の一部でありながら書かれていることと矛盾します。

以上のとおり、通説では説明できないことが多々あります。
これらの疑問に対して、古田武彦氏は「記紀の秘密」において、明快な説を提示しています。

まず日本書紀の「州」ですが、これは一般的な「島(シマ)」ではなく、「州(クニ)」である、というのです。

これは日本書紀をみればわかります。
”是に於いて、彼の嶋に降居して、因りて共に夫婦と為り、州国(クニ)を産生せんと欲す。”
((イザナギ・イザナミは)そこでこの嶋にお降りになって、夫婦の行為を行って国土を生もうとなされた。)(神代紀、第四段、本文)

古田氏は、日本書紀のクニは、一定のルールに基づいて記載されているとして、次のルールを挙げてます。
(1)「州」(クニ)は、限定された「一定領域」を指す言葉である。
(2)「AのB]という形は、”A国の中のB領域”という意味である。(P164)

当然、「AのB」という形は、Aという州(クニ)のなかのBであるから、Aより狭い領域となります。

ではこのルールに沿って、みてみましょう。
まず「AのB」の形です。
・伊豫二名州
 「伊予のクニの中の二名という領域」
・億岐三子州
 「隠岐のクニの中の三子という領域」

次に「州」のみのクニです。
・淡路州
 「淡路のクニ」。古事記では「淡道之穂之狭別嶋」なので、「淡路のクニの穂之狭別という領域」となります。
・伊岐州
 「壱岐のクニ」
・對馬州
 「対馬のクニ」
・佐度州
 「佐渡のクニ」

以上のとおりで、問題はありません。

さらにみてみましょう。
・越州
 「のクニ」。これも明らかでしょう。北陸地方(越前・越中・越後)の「越の国」ですね。
・大州
 「のクニ」。これが通説では愛媛県の大島、山口県の大島などに当てられますが、これらの島は他の島に比べてかなり小さく、一つのクニではないので、ルールに従えば「伊予の大州」「周防の大州」としなければおかしいことになります。

では「大州」とはどこか。皆さんは、どこと考えますか?。
条件としては、「越のクニ」にも匹敵する大きさをもったクニです。ヒントは、「オオクニ」=「大国」です。

そうです。「大国」といえば、すぐに出雲の王「大国主(オオクニヌシ)」を思い浮かべますよね。つまり「大国」=「出雲」だとしてます。
むむ、と唸ってしまうような鋭い推論で、納得感があります。

・筑紫州
 「筑紫のクニ」、通説では「九州島」全体を指すとしてますが、あくまで「筑紫」というクニです。そしてそのクニとは、筑紫国であり、かつては「筑紫国=筑前国」でしたから、筑前ということになります。

最後が、問題の「大日本豐秋津洲」です。
大日本は、いかにもここが中心という仰々しい名前であることから、後から付加されたものではないか、としてます。
さらに
a.「津は」港を指し示す語である。
b. 銅矛圏にあるクニである。
c. 「AのB」という形であり、比較的狭い領域である。
 などから、「のクニの秋津という領域」と推測してます。

 実際、
豊国(大分県)には、「安岐」「安岐川」などの地名があり、平安時代にできた和名抄(わみょうしょう)にも「阿岐」の地名があります。
 こうしたことから、「アキ津=別府湾」ではないか、としてます。

以上が、日本書紀から推測した「大八州」です。

ではなぜ古事記の「大八州」には、「越州」「大州」がないのでしょうか?

これについては、”古事記の編者は、「大日本豊秋津州」を本州島としたために、本州のなかにある「越州」「大州」を外さざるをえず、代わりに「伊岐嶋」「津嶋」を入れたのではないか。”としてます。

以上、たいへん鋭い推測ですね。

この説であれば、先に挙げた疑問をきれいに説明できます。何より、神話の集積地ともいえる「筑紫」「出雲」「越」「豊」がそろうのが、気持ちいいところです。
もちろん断定はできませんが、一つの説として、通説よりはるかに説得力のあるものとなっているのではないでしょうか。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (12)~ヒルコはエビス神?

 前回、イザナギ・イザナミはめでたく結ばれました。続きです。

”しかし、女性であるイザナミのほうから誘ったため、正しい交わりでなかったということで、まともな子供が生まれなかった。二神は、最初に生まれた不具の子である水蛭子(ヒルコ)を葦船(あしぶね)(※『日本書紀』の場合は、堅固な樟(くす)で作った船『天磐櫲樟船〈あまのいわくすぶね〉』になっている)に乗せて流してしまい、次に淡島(アワシマ)が生まれたが、(明記こそされていないものの)またしても不具の子であったらしく、ヒルコともどもイザナギ・イザナミの子供のうちに数えられていない。 
悩んだ二神は別天津神の下へと赴き、まともな子が生まれない理由を尋ねたところ、占いにより、女から誘うのがよくなかったとされた。そのため、二神はオノロゴ島に戻り、今度は男性であるイザナギのほうから誘って再び目合った”(Wikipediaより)

【解説】
待望の子供が生まれます。子供といっても、これ以降「国生み(島生み)」が続くので、島を生んだことになります。
せっかく生まれた子供ですが、不幸なことに不具の子供(ヒルコ)でした。かわいそうなことに、舟に乗せて流されてしまいます。
注目は、不具の子が理由が生まれた理由を、「先に女のほうから誘ったのがよくなかった」としている点です。これに関して、古田武彦氏が興味ある解釈をしてます。
「これは女性差別の神話である」
というのです。

これは聖書も同じだ、と述べてます。聖書では、
”アダム(男)からエバ(女)が創造されたのち、蛇が女に近付き、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。エバはその実を食べた後、アダムにもそれを勧めた。実を食べた2人は目が開けて自分達が裸であることに気付き、それを恥じてイチジクの葉で腰を覆った。
この結果、蛇は腹這いの生物となり、女は妊娠と出産の苦痛が増し、また、地(アダム)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡す”

となってます。あたかも、エバ(女)が木の実を食べたのがよくない、といっているような描き方ですね。

聖書の解釈はいろいろあるでしょうが、たしかにイザナギ・イザナミと似ているといえば似てます。ようは、男性優先・女性蔑視の時代につくられた神話だ、という解釈です。

逆の見方をすれば、かつては女性優先だった時代があったが、それが男性優位に転換された時点の神話だ、ともいえるかもしれません。

このヒルコですが、さまざまな解釈がされてます。Wikipediaをみてみましょう。

”『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。書紀では、イザナミがイザナギに声をかけ、最初に淡路洲(淡路島)、次に蛭児(ヒルコ)を生んだが、蛭児が三歳になっても脚が立たなかったため、天磐櫲樟船(アメノイワクスフネ。堅固な楠で作った船)に乗せて流した、とする。中世以降に起こる蛭子伝説は主にこの日本書紀の説をもとにしている。”

”始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話は世界各地に見られる。特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。”

”流された蛭子神が流れ着いたという伝説は日本各地に残っている。『源平盛衰記』では、摂津国に流れ着いて海を領する神となって夷三郎殿として西宮に現れた(西宮大明神)、と記している。日本沿岸の地域では、漂着物をえびす神として信仰するところが多い。

ヒルコとえびす(恵比寿・戎)を同一視する説は室町時代からおこった新しい説であり、それ以前に遡るような古伝承ではないが、古今集注解や芸能などを通じ広く浸透しており、蛭子と書いて「えびす」と読むこともある。現在、ヒルコ(蛭子神、蛭子命)を祭神とする神社は多く、和田神社(神戸市)、西宮神社(兵庫県西宮市)などで祀られているが、恵比寿を祭神とする神社には恵比寿=事代主とするところも多い。

平安期の歌人大江朝綱は、「伊井諾尊」という題で、「たらちねはいかにあはれと思ふらん三年に成りぬ足たたずして」と詠み、神話では触れていない不具の子に対する親神の感情を付加し、この憐憫の情は、王権を脅かす穢れとして流された不具の子を憐れみ、異形が神の子の印(聖痕)とするのちの伝説や伝承に引き継がれた。海のかなたから流れ着いた子が神であり、いずれ福をもたらすという蛭子の福神伝承が異相の釣魚翁であるエビス(夷/恵比寿など)と結びつき、ヒルコとエビスの混同につながったとされる。

また、ヒルコは日る子(太陽の子)であり、尊い「日の御子」であるがゆえに流された、とする貴種流離譚に基づく解釈もあり、こちらでは日の御子を守り仕えたのがエビスであるとする。

不具の子にまつわる類似の神話は世界各地に見られるとされるが、神話において一度葬った死神を後世に蘇生させて伝説や信仰の対象になった例は珍しいという。”

諸説あり、はっきりしないということのようです。

まず、蛭子(ヒルコ)という字から、人の血を吸う生き物である「蛭(ヒル)」を連想してしまいますが、そうではなく、ヒルコ=太陽神である、ということです。つまりもともとは「太陽神」であったものが、「蛭」という字をあてられて、おとしめられたのではないか、ということがいえます。

そして、蛭子と書いて「エビス」と読まれるように、「ヒルコ=エビス神」という説もあります。エビス神は外来の神ともいわれますが、古田氏は、「エビス」の「エ」は輝くという意味、「ヒ」は太陽の「日」、「ス」は須磨、鳥栖と同じで住まいの「ス」、つまり「エビス=輝く太陽の住まい」という意味である、としてます(「古田武彦講演会「君が代前」、2005年7月30日)。

この解釈が成り立つのかははっきりしないところですが、両者とも「太陽」というイメージとしては合ってますね。

エビス神
さらに
”始祖となった男女二柱の神の最初の子が生み損ないになるという神話が、特に東南アジアを中心とする洪水型兄妹始祖神話との関連が考えられている。”という指摘も重要です。

前のシリーズ、「日本神話の源流」でも、日本神話の源流のひとつとして、東南アジア、もっというとかつて陸地であったスンダランドではないか、という話をしました。


遠い昔に、スンダランドに住んでいた人々が、黒潮に乗って、あるいはアジア大陸東岸づたいに北上して日本列島にやってきた。彼らがこの神話の祖型をもっていた、と推測される、という話でした。
詳細は、
日本神話の源流(15)~本当に中国江南地方が起源か?
を参照ください。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (11)~イザナギ・イザナミが惚れ合う

オノロゴ島に降り立ったイザナギ・イザナミは、次々にクニを産みます。

続きの口語訳です。Wikipediaからですが、一部に生々しい表現がありますので、気になる方は軽くお読みください。

[イザナギ・イザナミは]その島(※オノロゴ島)に天降って、天の御柱(あめのみはしら、天を支える柱)と八尋殿(やひろどの、※いく尋(ひろもある広い殿舎)を、しっかり見定めてお建てになった。
ここで[イザナギが]女神・イザナミに「あなたの身体はどのようにできているか」とお尋ねになると、イザナミは「私の身体にはどんどん出来上がって[それでも]足りない処(※成長し切っていながら隙間が合わさって塞がることのない処。女陰のこと)が1箇所ある」とお答えになった。

そこで、イザナギは「私の身体にはどんどん出来上がって余っている処(※成長し切って余分にできている処。男根のこと)が1箇所ある。そこで、この私の成長して余った処であなたの成長して足りない処を刺して塞いで国土を生みたいと思う。生むのはどうか。」と仰せになった。

イザナミは「それは善いことでしょう」とお答えになった。そこで、イザナギは「それならば、私とあなたとで、この天の御柱の周りを巡って出逢い、みとのまぐわい(※御陰(みと)の目合(まぐわい)、陰部の交わり)をしよう。」とお答えになった。

このようにして、二神は男女として交わることになる。イザナギは左回りにイザナミは右回りに天の御柱の周囲を巡り、そうして出逢った所で、イザナミが先に「阿那迩夜志愛袁登古袁(あなにやし、えをとこを。意:ああ、なんという愛男〈愛おしい男、素晴らしい男〉だろう)」とイザナギを褒め、次にイザナギが「阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやし、えをとめを。意:ああ、なんという愛女〈愛おしい乙女、素晴らしい乙女〉だろう)」とイザナミを褒めてから、二神は目合った(性交した)。”

【解説】
天の御柱の周りを、イザナギが左回りに、イザナミが右回りに回り、結ばれるというところです。前のシリーズで、これが中国南西部の少数民族で歌われる儀礼そのものである、という話をしました。

”柱の周りをそれぞれが右回りと左回りに回って出会い、惚れ合うのは、中国南西部の少数民族で行われる歌垣の儀礼そのものである。”(「世界神話学入門」(後藤明、P4)

詳しくは
日本神話の源流(36)~神話と祭祀儀式はセット
を参照ください。

「世界神話説」の提唱者であるマイケル・ヴィツル氏は、
神話は単に言葉として伝わったのではなく、儀礼を伴った、と述べてます。

この説どおりとすれば、神話の原型が日本列島に伝わったさい、儀礼とともに伝わった、ということになります。

具体的に考えると、以下のようになります。

1.神話が伝わった当初の主人公は、AとBだった。

2.日本でも儀礼を毎年行うようになりますが、やがて主人公が、イザナギ・イザナミに変わっていった(実際に、イザナギ・イザナミという人物がいたかどうかは別として)。

3.その後の儀礼では主役の男女(土地の支配階級の人々)が、イザナギ・イザナミに扮して演じた。

4.やがて神話として、イザナギ・イザナミが柱の周囲を回って惚れ合った、という話ができあがった。


以上のように、神話とは単なる物語ではなく、実際にそれを行った人がいた、ということでになります。私はそこに、「神話のリアリティ」をみる、という話をしました。

この儀礼は歌垣として行われるようになりましが、その後さらに発展していくことからもわかります。

"歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。現代にも歌垣の残存は見られ、奄美群島のシマ唄の唄遊びや八月踊り、沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。 
外国では、中国南部からベトナムを経て、インドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。”(Wikipediaより)


歌垣 

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古事記・日本書紀のなかの史実 (10)~国生み神話

前回は神代七代で、最後に登場したのが、イザナギ・イザナミの二神でした。
今回はその続きで、次々と国を生んでいく「国生み神話」です。

古事記のあらすじです。

伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の二神は、漂っていた大地を完成させるよう、別天津神(ことあまつがみ)たちに命じられる。別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えた。伊邪那岐、伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立ち、天沼矛で渾沌とした地上を掻き混ぜる。このとき、矛から滴り落ちたものが積もって淤能碁呂島(おのごろじま)となった。
二神は淤能碁呂島に降り、結婚する。まず淤能碁呂島に「天の御柱(みはしら)」と「八尋殿(やひろどの、広大な殿舎)」を建てた。”(Wikipediaより)


広く知られている箇所です。
イザナギ・イザナミが、天沼矛(あめのぬぼこ)で地上をかきまぜて、滴り落ちたものからできた島が、オノロゴ島です。
注目は、天沼矛です。

古代の矛といえば、弥生時代の祭祀に使われました。近年では、島根県の荒神谷遺跡から銅剣358本・銅鐸6個とともに銅矛16本が出土して、日本中を驚かせました。

その銅矛ですが、分布が北部九州を中心としており、畿内から東には、1本も出土していません。

一方、銅矛圏のほかに、畿内を中心とした銅鐸圏、瀬戸内海を中心とした銅剣圏があります。銅剣は三種の神器など神話に出てきますが、銅鐸は一つも登場しません。
ということは、この神話は畿内の神話ではなく、北部九州を中心とした銅矛圏の神話であることが、わかります。
弥生時代青銅器分布


次に、淤能碁呂島(おのごろじま)です。オノロゴ島が、どこの島を指しているのか、昔から多くの議論がありました。

”神話の架空の島とする説と実在するという説とある。
伝承が残る地域は近畿地方が中心で、平安前期の古代諸氏族の系譜書である『新撰姓氏録』では、オノゴロ島は沖ノ島など友ヶ島の島々と一説がある
同じく平安前期に書かれた『新撰亀相記』と鎌倉後期成立の『釈日本紀』では、オノゴロ島の説明に沼島を当てており、近世以降のほとんどはこの沼島説が定説となっていた。”(Wikipediaより)


さらにいくつか挙げられてますが、いずれにしろ淡路島周辺の小島であっただろうと考えられているようです。
他にも
十神山(島根県安来市)
筑波山、播磨灘の家島、鳴門海峡の飛島

なども挙げられてます。

しかしこれらの説には、根本的な疑問があります。
イザナギ・イザナミがまず初めに降りたったところですから、普通は、自分たちの聖地とでもいうべき場所ではないでしょうか?。

つまり上の銅矛圏の圏内、しかもそのなかの中心地に近いところとするのが、自然です。

上図の著者である寺沢薫氏は、銅矛祭祀について、
”銅矛形祭器がいかに早く、北部九州圏での至上の青銅器の座を獲得し、北部九州「ナショナリズム」を主張するような排他的な祭器として確立されていっかがわかる。”(「王権誕生」(寺沢薫)P102)
と述べてます。


そうなると、オノロゴ島は北部九州にあった可能性が高いと考えられます。
では具体的な場所はあるのでしょうか?。

あります。
博多湾の中央に浮かぶ「能古(のこの)島」です。

縄文時代の石斧・石器や弥生時代の土器も発見されているなど、古くから人々が住んでいたことがわかってます。山頂近くの巨石をご神体とする白髭神社はじめ、古墳など古い遺跡があります。

能古島位置

能古島全景


皆さんは、「のこのしま」という音が、「オノロゴ島」に似ているのに気づかれたと思います。

「オノロゴ島」について、古田武彦氏は、
「オ」は地名接頭語、「ロ」は地名接尾語であり、固有の地名部分は、「ノコノ」島である、と延べてます。

つまり「オノロゴ島」=「能古島」というわけです。

また郷土史家であった高田氏によると、「白髭神社本縁起」(享保二十年、稲留希賢)のなかに、「日本書紀」の国生みの一節が引かれ、「能古島=オノロゴ島」説がひそかに暗示されているとのことです。(「記紀の秘密」(古田武彦)P387より)

以上のようにみてくると、「オノロゴ島」=「能古島」説の可能性は高いと考えます。その他の候補地も周辺にあるのですが、いずれにしろ北部九州とするのが順当でしょう。

もちろん反論もあるでしょうが、すべてを検証することは膨大になってしまうので、今回はここまでとします。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (9)~神代七代

は次に進みます。 

あらためて、古事記冒頭です。
天地初めて発(ひらけし)時、高天の原(たかまのはら)に成れる神の名は、天之御中主(あめのみなかぬしの)神。次に高御産巣日(たかみむすひの)神。次に神御産巣日(かみむすひの)神。此の三柱の神は、並(みな)独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
国稚(くにわか)く浮きし脂(あぶら)の如くして、くらげのなすただよへる時、葦牙(あしかび)の如く萌え謄(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢの)神。次に天之常立(あめのとこたちの)神。この二柱の神も亦、独神と成り座(ま)して、身を隠したまひき。
上(かみ)の件(くだり)の五柱の神は、別天(ことあま)つ神

造化三神(アメノナカヌシ・タカムスヒ・カミムスヒ)に続いて、生まれた神は、ウマシアシカビヒコヂとアメノトコタチです。
以上の五柱の神を、特別な神ということで、「別天(ことあま)つ神」と呼びます。

以下、次々に神が生まれ、最後に生まれたのが、イザナギ・イザナミです。

クニノトコタチからイザナミまでを、神代七代といいます。

日本書紀にも同様の記載がありますが、内容は大きく異なってます。


古事記・日本書紀神代比較  





古事記と日本書紀本文と一書(第一)を比較すると、まず古事記に出てくるウマシアシカビヒコヂとアマノトコタチが、日本書紀にはありません。神代七代はほぼ同じですが、日本書紀にはクニノコトタチの次に、クニノサツチという神が出てきます。

日本書紀一書(第二・第三・第六)には、古事記にあるウマシアシカビヒコヂが出てきます。

一書(第二)では、クニノサツチ以下、アマノカガミ・アメノヨロズ・アワナギを経て、イザナギに続きます。なおこの特徴的な系譜ですが、中国の元の時代に編纂された「宋史日本伝」に記載されている「王年代紀」の系譜と一致してます。

「王年代紀」は、平安時代の東大寺の僧「奝然」(ちょうねん)が宋に伝えたとされてますが、これが異伝とされる一書(第二)と一致しているのは、興味深いところです。古事記・日本書紀本文とは異なる系譜が、平安時代までは伝わっていたことになります。

以上異伝含めてみてきましたが、一書(第三・第四・第五・第六)を除けば、最後にイザナギ・イザナミが誕生するのは、いずれの系譜も同じです。

全体を俯瞰すると、元々の系譜は、アメノナカヌシから始まり、ウマシアシカビヒコヂ~クニノトコタチ~(クニノサツチ)~(アマノカガミ)~イザナギ・イザナミというものであったのではないかと推察されます。
あるいは(クニノサツチ)や(アマノカガミ)は、別系譜であり、接合されたとの見方もできます。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (8)~皇祖神はタカムスヒだった!?

前回は、天地開闢において、冒頭、古事記に登場する「アメノミナカヌシ」が、日本書紀本文冒頭には登場しない謎についてでした。

次の、タカムスヒについても同様で、古事記冒頭に登場するものの、日本書紀本文冒頭には登場しません。わずかに一書(第四)に記載されてるにすぎません。これも何らかの理由があったはずです。

古事記・日本書紀神代比較  


ところで私たちは、皇室の祖先というとアマテラス(天照大御神)を思い浮かべますが、近年では、タカムスヒがもともとの皇祖神であったというのが通説となってます。

代表的な著書である「アマテラスの誕生」(溝口睦子)をみてみましょう。

・4世紀までの日本(倭国)には、唯一絶対の権威をもつ至高神は存在しなかった。多神教的社会であった。
4世紀前半に力をつけてきた高句麗が南下して、5世紀初頭に朝鮮半島で戦いとなり、日本と激突し日本は敗れた。
・このころを境として、日本国内に大きな変革が起り、専制的な統一王権体制の基本となる政治思想の導入が必要とされた。
・もともとは北方ユーラシアの遊牧民がもっていた”天降った天の子を名乗って絶対的な権力を手中にした”という高句麗の「天孫降臨神話」を取り入れた。
・「天孫降臨神話」は、もともとはタカムスヒが主役であり、アマテラスが演じる伝承は、後発的なものである。

つまり、
・5世紀ころタカムスヒが至高神の神話が取り入れられた。
・8世紀になりアマテラスが至高神になり、タカムスヒの存在が消された、あるいは薄められた。

という解釈です。

はたしてこの説で、うまく説明できるでしょうか。

日本神話が、南方系のもの、中央アジアステップ地帯から朝鮮半島を経由したもの、東南アジア・中国から伝わったものなど、さまざまな地域から、長い年月を経て伝播して形成されたことは、前のシリーズでお話しました。

溝口氏の説も、この観点からいえば、共通する考え方です。

しかしながら、いくつか疑問が挙げられます。

<疑問1>
日本(倭国)にとり、高句麗は激戦で戦った相手国です。その憎むべき敵国の神話をやすやすと取り入れるだろうか、という素朴な疑問です。いってみれば、太平洋戦争で戦っていた最中に、欧米の神話を受け入れるようなものです。

太平洋戦争中は「鬼畜米英」などといって、欧米の思想を統制弾圧していた時代です。終戦後、欧米の文化を受け入れるようになりましたが、それは「敗戦」し占領政策があったからでしょう。
なお欧米の文化を受け入れはしましたが、神話を受け入れることまではしませんでした。それほど神話とは、民衆の感情に深く根付いているものであり、神話を受け入れる(変える)ことは難しいということです。まして当時の日本(倭国)は占領されたわけではないので、なおさらです。

<疑問2>
「天孫降臨神話」が中国・朝鮮半島を経て日本に伝播したとして、問題はその時期です。

5世紀ころタカムスヒを至高神とする神話が取り入れられた、としてますが、時代があまりに遅すぎないでしょうか。「天孫降臨神話」は、稲はじめ養蚕などの伝播と深く結びついている話です。また三種の神器など明らかに青銅器・鉄器時代です。「天孫降臨神話」も、こうした文明の伝播とともに伝わったと考えるのが自然です。すなわち紀元前ということです。
ちなみに私は「天孫降臨神話」を「天孫族による日本列島への侵攻」とらえ、その時期を、紀元前5~同4世紀と推測してます。

<疑問3>
日本書紀本文の「天孫降臨神話」では明らかに、その司令塔は、アマテラスではなくタカムスヒとなってます。ではなぜアマテラスを主神としなかったのか、という疑問が残ります。実際、日本書紀の一書(第一)では、そのようになってます。
もともとタカムスヒが主神だったからそれが残ったのだ、という説明もされましょうが、だからといって本文にまでそれを残すものでしょうか?。アマテラスを主神に書き換えればすむ話のはずです。

以上のように検証すると、溝口氏の説がはたして成り立つのか、はなはだ疑問です。

もちろん私は、日本神話がいくつかの構造で成り立っていることを、否定するつもりはありません。しかしながら、今回のタカムスヒの件は、別の要因によるものではないかと推測してます。
それはあらためて詳しく取り上げたいと思います。

新著です。よろしくお願い申し上げます!!




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テーマ : 歴史
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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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