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古事記・日本書紀のなかの史実 (22)~神生み⑦ イザナミの死

イザナギ・イザナミによる神生みの話は、トヨウケビメまできました。

イザナミは、火の神カグツチ(ヒノヤギハヤヲ)を生んだことにより、亡くなってしまいます。つまり、黄泉の国へと行ってしまったということです。

以上までで、イザナギ・イザナミが生んだ島は14島、神は35神、とあります。

ここで島の14島は合ってますが、神の35神については、記載されている神の数は40神で合ってません。

これは、同名の男女待遇の神、
ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ
オホトマトヒコ・オホトマトヒメ
カナヤマビコ・カナヤマビメ
ハニヤスヒコ・ハニヤスビメ

の4対を各1神に数え、イザナミの子でないトヨウケビメを除くと、35神となり数が合います。

さて、イザナミが死んでしまったことでイザナギは、嘆き悲しみ、大声をあげて泣き、涙を流します。その涙から生まれた神が、泣澤女(ナキサワメ)神です。

しかしながらもはや亡くなったイザナミを蘇らせることはできず、その亡骸を出雲の国と伯伎(ほうき)の国の境の比婆(ひば)の山に埋葬します。

比婆の山の場所ですが、諸説あります。

”イザナミの墓所の伝承地は、日本神話に記される比婆山や熊野市有馬のほか、出雲伯国境を中心として日本各地にある。宮内省は八雲村(現在の松江市)の神納山を比定地の中で最も有力として「陵墓参考地」に認定し、内務省は船通山の北にある御墓山を「伊弉冉尊御陵流伝地」に指定していた。

しかし、近世以降、古事記解読に初めて成功した本居宣長の古事記伝の話と、鉄製品を作る最良の砂鉄の産地は雲伯国境地帯であることから、島根県安来市伯太町のもの(比婆山久米神社)が支持されていた歴史があり、江戸時代、母里藩の古地図にも峯山大権現と記されているのが確認されている。
さらには当地に伝承されてきた、たたら製鉄でつくり出される玉鋼は日本人の魂の象徴とされる日本刀の創始(安綱)ともかかわりが深く、最近では安本美典がこれら諸説を文献学的に比較し、島根/鳥取県境に最も近い安来市伯太町の比婆山を比定している。

比婆山(ひばやま)は、島根県安来市にある標高約331 mの山であり、山上の奥宮(比婆山久米神社)には国生み母神イザナミノミコトの御神陵と伝えられる古い塚が存在する。山全体を神域とし、麓に里宮があり、里宮から山頂の奥宮まで参道が続く。”(Wikipedia「比婆山」より)

以上のとおり、島根県安来市の比婆山が有力視されています。古事記にあるとおり、出雲の国と
伯伎の国の境にありますし、順当なところでしょう。

比婆山位置

比婆山・比婆山久米神社




さて、イザナミギは、腰に帯びた十拳剣(とつかのつるぎ)で、カグツチの首を斬ってしまいます。これはカグツチすなわちヒノヤギハヤヲが生まれたことが原因でイザナミが死んでしまったから、悲しみのあまりまたは憎悪のせいでしょうか? あるいは不浄の子ということだったのでしょうか?

いずれにしろカグツチにしてみれば、自分を生んだのはイザナミであり、自分自身は何も悪いことをしてないのに斬られてしまうわけで、気の毒のような気もします。

それはさておき、カグツチを斬り殺した十拳剣剣に付着した血からまた神々が生まれます。

a.十拳剣の先端からの血が岩石に落ちて生成された神々
・石拆神(イハサクノカミ)
・根拆神(ネサクノカミ)
・石筒之男神(イハツツノヲノカミ)


b.十拳剣の刀身の根本からの血が岩石に落ちて生成された神々
・甕速日神(ミカハヤヒノカミ)
・樋速日神(ヒハヤヒノカミ)
・建御雷之男神(タケミカヅチノヲノカミ)


c.十拳剣の柄からの血より生成された神々である。
・闇淤加美神(クラオカミノカミ)
・闇御津羽神(クラミツハノカミ)

タケミカヅチは雷の神かつ剣の神とされてますが、のちに重要な場面で登場します。

ひとつが国譲りにおいてアマテラスから出雲に派遣され、オオクニヌシに直談判する場面です。

もうひとつは神武東征において、タケミカヅチの剣が熊野で手こずっていた神武天皇を助ける場面です。その剣は布都御魂(ふつのみたま)と呼ばれ、奈良県天理市にある石上神宮のご神体となってます。

また、鹿島神宮、春日大社および全国の鹿島神社・春日神社で祀られてます。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (21)~神生み⑥ トヨウケビメ

ワクムスヒが生んだ神が豊宇気毘売神(トヨウケビメ)です。
この神はきわめて重要な神であるとともに、よくわからない神でもあります。

Wikipediaをみてみましょう。

豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。

『古事記』では伊邪那美命(いざなみ)から生まれた和久産巣日神(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売神(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(宇迦之御魂神)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。”


伊勢神宮には、外宮と内宮の二つの正宮があります。内宮がアマテラスを祀る皇大神宮であり、外宮がトヨウケビメを祀る豊受大神宮です。参拝の際には、まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされてます。

このようにアマテラスに相対するほどのきわめて重要な神であるにもかかわらず、なぜか日本書紀には登場しません。

”伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)では、雄略天皇の夢枕に天照大神(アマテラス)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井(ひじのまない)にいる御饌の神、等由気太神(とゆけおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、外宮に祀るようになったとされている。即ち、元々は丹波の神ということになる。”

アマテラスが呼び寄せた食物の神ということになりますが、もともとは丹波の神でした。なぜこれほどまでに丹波の神が重要視されたのか、がポイントです。
当時、丹波にはヤマト王権をも気を遣わなくてはならないほどの、強大な勢力があったのではないか、と推測できます。

”『丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。”

有名な羽衣伝説です。羽衣伝説は静岡県の三保の松原など日本各地に残ってますが、ここ丹後と滋賀県長浜市余呉湖を舞台にしたものが最古とされています。東アジア・東南アジア・インド・メラネシア・南北アメリカなどにも同様の伝承が残っており、関連があると考えられます(
Wikipedia「羽衣伝説」より)。
この天女がなぜトヨウケビメとされているのかも、興味深いところです。

”尚、『摂津国風土記』逸文に、 止与宇可乃売(トヨウケビメ)神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という(外宮境内社)。

伊勢神宮外宮(三重県伊勢市)、奈具社(京都府京丹後市)、籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社、比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)、十市御縣坐神社(奈良県橿原市)で主祭神とされているほか、神明神社の多くや、多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、トヨウケビメを祀っている稲荷神社もある。

中世に入り外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。”

伊勢神宮豊受大神宮



上記のとおり、畿内を中心として、多くの神社で祀られています。もともとは丹後地方の一神であったトヨウケビメが、なぜここまで広く信仰されたのかについては、中世に力をもった伊勢神道による影響もあると考えられます。
日本書紀に登場しないのは、編纂時の奈良時代初頭にはまだ、それほど信仰が広まっていなかったからと考えれば、理解できます。

神生み1


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古事記・日本書紀のなかの史実 (20)~神生み⑤ 五行陰陽説

イザナギ・イザナミは、オオゲツヒメを生んだのち、火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲ)を生みます。

ヒノヤギハヤヲは、古事記では、火之炫毘古神(ヒノカガビコ)・火之迦具土神(ヒノカグツチ;加具土命)と表記されます。また日本書紀では、軻遇突智(カグツチ)、火産霊(ホムスビ)と表記されます。

いずれも、火に関係した名前です。

イザナミは、ヒノヤギハヤヲを出産したとき女陰が焼け、病気になります。病に苦しむイザナミの吐瀉物などから次々と以下の神が生まれます。

金山毘古神(カナヤマビコ)・・イザナミの吐瀉物から生まれる、に関連
金山毘売神(カナヤマビメ)
・・イザナミの吐瀉物から生まれる、に関連

波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)
・・イザナミの大便から生まれる、に関連
波邇夜須毘売神(ハニヤスビメ)
・・イザナミの大便から生まれる、に関連

弥都波能売神(ミツハノメ)
・・イザナミの尿から生まれる、に関連

和久産巣日神(ワクムスヒ)
・・イザナミの尿から生まれる、に関連

以上、ヒノヤギハヤヲからワクムスビまで、7柱の神が生まれますが、
各神に関連するのが、それぞれ火、金、土、水、木です。

ここで何か気づかれた方は、東洋思想にかなり造詣の深い方と推察します。

実はこれが、陰陽五行説と同じなのです。
陰陽五行説とは、
”中国古代の宇宙観,世界観。陰陽説と五行説が結合したもの。陰陽説は宇宙の現象事物を陰と陽との働きによって説明する二元論。五行説は万物の根源を木火土金水の5元素におき,それらの関係,消長によって,宇宙は変化するという自然論的歴史観。天文,暦法,医学などに影響を与え,儒学とともに日本に入り大きな影響を与えた。”(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典より)

”太極が陰陽に分離し、陰の中で特に冷たい部分が北に移動して水行を生じ、
次いで陽の中で特に熱い部分が南へ移動して火行を生じた。
さらに残った陽気は東に移動し風となって散って木行を生じ、
残った陰気が西に移動して金行を生じた。
そして四方の各行から余った気が中央に集まって土行が生じた。”

以上のとおり、
水→火→木→金→土
の順で、生じたたされています。

さらに
”五行の互いの関係には、「相生」「相剋」「比和」「相乗」「相侮」という性質が付与されている。”(Wikipedia「五行説」より)
とあるとおり、関係性は複雑です。

五行思想



ところで私は、社会人になって長らく中国拳法を習ってます。流派としては、内家拳と呼ばれるもので、そのなかに「形意拳」があります。
動物の動きを型に取り入れているなど、特徴的な拳法です。

その基本となる「五行拳」劈(へき)拳・鑚(さん)拳・蹦(ほう)拳・炮(ぱお)拳・横(おう)拳からなりますが、それぞれ
金、水、木、火、土
と関連付けられてます。
上の図の、相生と同じ順序ですね。

話を戻しますと、ヒノヤギハヤヲからワクムスヒまでは、火山噴火を象徴したものであるとか、焼畑農耕を表したものである、などの説があります。
確かにその可能性もありますが、いずれにしろ中国の陰陽五行説が影響していることは間違いありませんね。

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この記事は、しばらくの間この位置におきます。
最新記事は、二つ下にあります。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (19)~神生み④ オオゲツヒメ

イザナギ・イザナミは、次の神々を生みます。

鳥之石楠船神(トリノイハクスブネ)
亦の名は天鳥船(アメノトリフネ)
大宜都比売(オホゲツヒメ)
火之夜藝速男神(ヒノヤギハヤヲ)
金山毘古神(カナヤマビコ)
金山毘売神(カナヤマビメ)
波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)
波邇夜須毘売神(ハニヤスビメ)
弥都波能売神(ミツハノメ)
和久産巣日神(ワクムスヒ)


順にみていきましょう。
まず、鳥之石楠船神(トリノイハクスブネ)です。

「神が乗る船の名前」とされますが、他の場面でも登場します。

”『古事記』の葦原中国(あしはらのなかつくに)平定の段では、天鳥船(アメノトリフネ)神が建御雷(タケミカヅチ)神の副使として葦原中国に派遣され、事代主(コトシロヌシ)神の意見をきくために使者として遣わされた。
しかし『日本書紀』の同段では天鳥船神は登場せず、事代主神に派遣されたのも稲背脛(いなせはぎ)という別の者になっている。稲背脛は「熊野諸手船(もろたふね)、またの名を天[合+鳥]船」という船に乗っていったというが、『古事記』では天鳥船神が使者となっている。また熊野諸手船は美保神社の諸手船神事の元である。

これとは別に、『日本書紀』の神産みの段本文で、イザナギ・イザナミが産んだ蛭児を鳥磐櫲樟船(とりのいわくすふね)に乗せて流したとの記述があるが、『古事記』では蛭子が乗って行ったのは鳥之石楠船神ではなく葦船(あしぶね)である。

国譲りの使者は各史料によって建御雷神、経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命のいずれかから二柱が伴って派遣されるが、建御雷神を除くこれらは皆同一神の別名を伝えたものと考えられる。経津主神、鳥之石楠船神、稲背脛、天夷鳥命は祭祀氏族が共通し、その神名、事績からも製鉄・鳥トーテムに縁のある天孫族系の神であったと考えられ、『神道大辞典』においても出雲国造の祖と鳥之石楠船神を同一視する説を唱えている。また、これに従えば『古事記』、『日本書紀』における記述の違いは、使者の主・従関係の違いだけにとどまり、ほとんど同じ内容を伝えていたこととなる。”(Wikipediaより)


以上のとおり、古事記では、国譲りの話のなかで、蘆原中国(あしはらのなかつくに)へ使者として派遣されます。一方の日本書紀では、別の神が派遣されてます。
これらが同一の神なのか、伝承が混雑しているのかは、なんともいえないところです。

次に生まれたのが、大宜都比売(オオゲツヒメ)です。
この神は、たいへん重要な神です。

”『古事記』においては、まず伊邪那岐(イザナギ)命と伊邪那美(イザナミ)命の国産みにおいて、一身四面の神である伊予之二名島(四国)の中の阿波国の別名として「大宜都比売」の名前が初めて表れる。そしてその直後の神産みにおいて、どういうわけか他の生まれいづる神々に混じり、ほぼ同名といえる「大宜都比売神」が再度生まれている記述がある。
更に高天原を追放された須佐之男(スサノオ)命に料理を振る舞う神としても登場するが、これらが同一神か別神かは不明。

”高天原を追放された須佐之男(スサノオ)命は、空腹を覚えて大気都比売(オオゲツヒメ)神に食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物を須佐之男命に与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭からが生まれ、目からが生まれ、耳からが生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部からが生まれ、尻から大豆が生まれた。
これを神産巣日御祖神が回収した。

また島根県石見地方に伝わる伝説には、オオゲツヒメの娘に乙子狭姫がおり、雁に乗って降臨し作物の種を地上に伝えたとする。

オオゲツヒメは『古事記』において五穀や養蚕の起源として書かれているが、『日本書紀』では同様の話がツクヨミがウケモチを斬り殺す話として出てくる。

なお、ここでオオゲツヒメはスサノオに殺されている筈だが、後に大年神の系譜において羽山戸神の妻として八神を生んだとの記述がある。 ただし国産みのオオゲツヒメと須佐之男命の天降りのオオゲツヒメ、羽山戸神の妻のオオゲツヒメが必ずしも同一神とは限らない。"(Wikipedia「オオゲツヒメ」より)

以上のとおり、いくつかの場面で登場してます。また古事記ではスサノオがオホゲツヒメを斬り殺しますが、日本書紀ではスサノオがツクヨミに、オホゲツヒメがウケモチに変わってます。これも伝承の混雑でしょうか。

注目は、オオゲツヒメの役割です。

”オオゲツヒメという名称は「大いなる食物の女神」の意味である。
殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じるという説話は、東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している。芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られることが背景にある。オオゲツヒメから生じるのが穀物であるのは、日本では穀物が主に栽培されていたためと考えられている。”(同上)

こうした神話は、ハイヌウェレ型神話と呼ばれます。有名なインドネシアのセラム島のウェマーレ族に伝わる話は、次のようなものです。

”ココヤシの花から生まれたハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。あるとき、踊りを舞いながらその宝物を村人に配ったところ、村人たちは気味悪がって彼女を生き埋めにして殺してしまった。ハイヌウェレの父親は、掘り出した死体を切り刻んであちこちに埋めた。すると、彼女の死体からは様々な種類の芋が発生し、人々の主食となった。”(Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)

ハイヌウェレ型神話


詳細は
日本神話の源流(7)~神の殺害と農耕の起源 オオゲツヒメ神話とハイヌウェレ神話
を参照ください。

ハイヌウェレ型神話については、以下のとおりです。
”この形の神話は、東南アジア、オセアニア、南北アメリカ大陸に広く分布している。それらはみな、芋類を栽培して主食としていた民族である。イェンゼンは、このような民族は原始的な作物栽培文化を持つ「古栽培民」と分類した。彼らの儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた(「世界神話辞典」(大林太良・吉田敦彦他編)・Wikipedia「ハイヌウェレ型神話」より)。”

私は、ハイヌウェレ型神話の発祥は、かつて東南アジアにあったスンダランドではないか、と推測してます。その神話をもった人々が海流に乗って直接、あるいはインドシナ半島沿岸を北上し中国経由で、日本列島にやってきました。

日本では穀物栽培や養蚕が始まったので、穀物・養蚕起源神話になったのではないか、と考えます。

もうひとつ注目すべき点があります


”彼ら(古栽培民)の儀礼には、生贄の人間や家畜など動物を屠った後で肉の一部を皆で食べ、残りを畑に撒く習慣があり、これは神話と儀礼とを密接に結びつける例とされた”
とあります。

つまり、神話は単に物語として単独で存在したのではなく、儀礼と密接に結びついていた、という点です。私はこれを、「神話のリアリティ」と呼んでいます。

「神話のリアリティ」とは、「神話は何がしかの史実を反映したものである」ということを、意味しています。逆にいえば、「神話のなかに、史実の痕跡が残っている」ということです。

このことは、これから神話を読み解いていくうえで、たいへん重要なテーマになります。

詳しくは、
日本神話の源流(36)~神話と祭祀儀式はセット
を参照ください。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (18)~神生み③ オオヤマツミ

 前回は、イザナギ・イザナミの生んだハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメとそのまた子の話でした。

今回は、またイザナギ・イザナミの生んだ子の話に戻ります。

志那都比古神(シナツヒコノカミ)
久久能智神(ククノチノカミ)
大山津見神(オオヤマツミノカミ)
鹿屋野比売神(カヤノヒメノカミ)


の四神で、人間生活に関係の深い風・木・山・野の神とされてます。

このなかで、オオヤマツミに注目です。

日本書紀では、異なった系譜を伝えてます。

日本書紀一書(第六)では、
イザナギ・イザナミが生んだ神として、
級長戸辺命(シナトベノミコト)。別名級長津彦命(シナツヒコノミコト) 風の神
倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)
少童命(ワタツミノミコト) 海の海
山祇(ヤマツミ) 山の神
速秋津日命(ハヤアキツヒノミコト) 海峡の神
句句廼馳(ククノチ) 木の神
埴安神(ハニヤスノカミ) 土の神
軻遇突智(カグツチ)   火の神
を挙げてます。

シナツヒコ、ククノチは共通してますが、カヤノヒメはなく、代わりにウカノミタマ・ワタツミ・ハヤアキツヒ・ハニヤス・カグツチが入ってます。

日本書紀一書(第七・第八)では、
イザナギがカグツチを斬って生まれた、とされてます。

その後、オオヤマツミの子の話が何度か出てきます。
 
”オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八俣遠呂智退治において、須佐之男(スサノオ)命の妻となる櫛名田比売(クシナダヒメ)の父母、足名椎・手名椎(アシナヅチ・テナヅチ)オオヤマツミの子と名乗っている。

その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(カムオホイチヒメ)との間に大年神と宇迦之御魂神(ウカノミタマ)をもうけていると記している。
また、クシナダヒメとの間の子、八島士奴美神(ヤシマジヌミ)は、オオヤマツミの娘の木花知流比売(コノハナチルヒメ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴神(フハノモ
ヂクヌスヌ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主神である。

天孫降臨の後、邇邇芸命(ニニギノミコト)オオヤマツミの娘である木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の石長比売(イワナガヒメ)を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。”(Wikipediaより)

以上のように、オオヤマツミの名前は、ポイントとなる場面で度々登場します。
ごちゃごちゃしてきたので、系譜で整理します。
オオヤマツミ系統1

オオヤマツミ系統2
(1)の図からわかるとおり、オオヤマツミの孫のクシナダヒメはスサノオと結婚して、ヤシマジヌミを生みますが、この神はオオヤマツミの娘コノハナチルヒメと結婚します。つまりオオヤマツミの娘とひ孫と結婚するという、ちぐはぐな系譜です。
ヤシマジヌミの5世孫が、出雲神話の主役オオクニヌシです。

(2)の図では、スサノオはオオヤマツより上の代の神で、(1)とは逆になります。異なる世代となっているは、神話の世界の神だからなのか、あるいは同名(襲名)の神だからなのかは、何ともいえないところです。
またアマテラス・タカムスビ・ニニギ・ホオリ(山幸彦)・カムヤマトイワレビコ(神武天皇)・オオワタツミという、神話時代のほとんどの重要な登場人物・神とつながっていることがわかります。

古事記では、オオヤマツミとカヤノヒメは、次の八神を生みます。

天之狭土神(アメノサヅチノカミ)
国之狭土神(クニノサヅチノカミ)
天之狭霧神(アメノサギリノカミ)

国之狭霧神(クニノサギリノカミ)
天之闇戸神(アメノクラドノカミ)
国之闇戸神(クニノクラドノカミ)
大戸惑子神(オホトマトヒコノカミ)
大戸惑女神(オホトマトヒメノカミ)


このうち、クニノサヅチですが、神代七代において、日本書紀本文・一書(第一・第二・第四) に、クニノトコタチの次に生まれた神として登場します。同じ神ということであれば、伝承が混雑していることになります。  

また、アメノサギリの娘の遠津待根神(トホツマチネノカミ)は、大国主神(オオクニヌシ)の8世孫の天日腹大科度美神(アメノヒバラオホトシナドミノカミ)との間に遠津山岬多良斯神(トホツヤマサキタラシノカミ)を産んでます。

オオヤマツミ系統3
(3)は(1)・(2)とも関連しない系譜ですが、ここでもオオクニヌシともつながってますね。ここでは年代からいってオオヤマツミはオオクニヌシより新しい年代の神で、(1)と逆転してます。

以上のとおり、オオヤマツミは系譜からみてたいへん重要な神であり、謎も多いことがわかります。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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