古事記・日本書紀のなかの史実 (41)~スサノオ黄泉の国へ行く
イザナギから、アマテラスは高天原を、ツクヨミは夜の国を、スサノオは海原を治めるようにいわれましたが、スサノオは泣いてばかりで国を治めようとしません。
このときのスサノオについて、古事記では
”幾握りもの長さのあるあごひげが胸の前に垂れ下がるまで、激しく涙を流して泣き、その様は、青々とした山が枯れ木になるまで、河や海の水を浚(さら)えつくすようであった。
それにより、悪神の騒ぐ声が田植え頃のハエのように満ち、いろんな悪霊邪鬼による禍害がおこった。”
と記載されています。
こうした描写から、スサノオは、雷神や火山・地震神であるとの指摘もされています。たとえば寺田寅彦氏は、”噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる”と説いてます。(「古事記 祝詞」(校注 倉野憲司他)P73より)
たしかになんともすさまじい鬼気迫る描かれ方ですから、一理ある見方ではあります。
こうして泣き喚くスサノオに対して、イザナギは
「なぜ国を治めないで、泣いてばかりいるのだ。」
と問い詰めます。
これに対してスサノオは、
「亡き母(イザナミ)のいる根の堅州(かたす)国に行きたいから、泣いているのだ。」
と答えます。
それを聞いたイザナギは、たいへん怒って、
「お前にはこの国に住む資格はない。」
と言って、スサノオを追放してしまいます。

ところで、なぜスサノオはかようなまでに泣き喚いたのでしょうか?
単なる幼心のままの、わがままだったのでしょうか?
そのように解釈してもいいのでしょうが、興味深い解釈がされています。
それは、スサノオを「トリックスター」とする説です。「トリックスター」とは、神話的な「いたずら者」「悪ガキ」の意味ですが、それだけにとどまりません。Wikipediaを引用します。
”神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。往々にしていたずら好きとして描かれる。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。
トリックスターは、時に悪意や怒りや憎しみを持って行動したり、盗みやいたずらを行うが、最終的には良い結果になるというパターンが多い。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、乱暴者や愚か者として描かれる場合もあり、両方の性格を併せ持つ者もある。”(Wikipedia「トリックスター」より)
今までの常識を超えた存在であり、よく描かれる場合もあれば、悪く描かれる場合もあります。そして悪く描かれたとしても、どこか無邪気で憎めない存在であったりします。スサノオがこれにあたるでしょう。
このトリックスターですが、世界中の神話や伝承に登場します。
たとえば、
・西アフリカ神話(アナンシ)
・古代メソポタミア神話(イシュタル)
・インド(クリシュナ、ハヌマン)
・ギリシア神話(プロメテウス・エリス・ヘルメス)
・ユダヤ教、キリスト教(ヤコブ・ルシファー)
・北西カフカス神話(ソスリコ)
・ケルト神話(スピリット)
・北欧神話(ロキ)
・中国(孫悟空)
・アステカ神話(テスカトリポカ)
・ポリネシア・ハワイ神話(マウイ)
等々です。
では、なぜ世界中に広く伝わっているのでしょうか?
人間は古来より同じようなことを考えるものであるから、単なる偶然だ、という説があります。
もちろんそういったこともあるでしょうが、もうひとつには、われわれの先祖がアフリカを出るときに、すでにトリックスターの概念をもっており、それが世界中に広まっていったのではないか、という推測もできます。すでにお話しした「世界神話学」説です。
神話の分布をみると、たしかに人類の移動ルート上にあるようにもみえます。
さて、トリックスターの存在は、神話においてどのような意味をもつのでしょうか?
これについて、松村一男氏(和光大学教授)が、洞察に富んだ指摘をしてます。
”単なる破壊者、秩序の騒乱者ではない。彼の活動によって、よい場合も悪い場合もあるが、なにか新しい物が生じ、世界は変化していく。生の全体性には無秩序も含まれるのであり、そのことを強調してわれわれに再認識させてくれるのがトリックスターであろう。真面目で硬直化した社会は、トリックスターのいたずらによって変化と笑いをもたらされ、世界は活性化されていくのである。
またある意味では、トリックスターは人間の自嘲気味な自画像とでもいうべきもの、失敗に絶望せずに、未来に楽天的に望みをつないでいこうとする人間の積極的姿勢のモデルとでもいうべきものかもしれない。”(「世界神話事典 創成神話と英雄伝説」(松村一男他)P258より)
ようは、今までの常識にとらわれて、ものごとを生真面目に四角四面に考えすぎては、何も進歩は生まれない。世の中に変革をもたらすのは、楽天的な希望と今までにない奇想天外な発想と行動だ、ということです。
この「真理」を古代の人々も直感的に認識していて、それが神話や伝承となって語り伝えられている、ということでしょう。
私は偉人といわれる方の自伝を読むのが好きなのですが、今までの枠に治まらない人が多いです。たとえばゼロから世界のHONDAを作り上げた本田宗一郎などは、ハチャメチャな豪快な人生を歩みましたし、福沢諭吉なども、慶応ボーイのイメージとは程遠く、破天荒な考え方をもち行動したことがわかります。
現代社会は、先行きのみえない不透明な時代であり、また閉そく感が満ち溢れているようにも感じられます。こういう時代こそ、トリックスターのような存在が必要なのかもしれませんね。
さてここまでは、スサノオをトリックスターとしてきました。実際スサノオは、高天原で暴虐を働き、高天原から追放されるなど、トリックスター的な行動をするのですが、その後出雲の地に降り立ってからは、ヤマタノオロチ退治をするなど、英雄的な行動をします。
これについては、
”多くの文化では、トリックスターと文化英雄は結びつけられることが多い。”(Wikipedia「トリックスター」より)
とされています。
松村一男氏は、スサノオをトリックスターではなく、英雄の範疇に入れています。
・出雲における竜殺し(ヤマタノオロチ退治)に関する限り典型的な英雄神である。
・悪戯によって天上世界に混乱をもたらす点や、食物の女神を殺して穀物が世界に生じる契機をつくる点などは、明らかに文化的英雄・トリックスターの側面を示している。
さらに面白いことに、ここからさらに深く掘り下げて、
”より興味深いのは、スサノオが示す母性への執着である。”
と指摘して、次のように解説してます。
”母の代理ともいえるアマテラスと、象徴的な形ではあるが、一種の近親相姦ともいえる誓約による子産みをし、またせっかく大蛇の尾から発見した剣もアマテラスに献上してしまっている。
さらに、スサノオは彼の娘と結婚しようとするオオクニヌシに対して敵意を示し、殺害に近いような厳しい試練を課したりしている。
つまりスサノオにとって、娘のクシナダもまた代理母的なのである
これは結局、本当の母を知らなかったスサノオの満たされることのない母性への憧憬であるのかもしれないし、あるいはスサノオは、現代の日本男性に関してよく言われる、マザー=コンプレックスの神話的祖型であるのかもしれない。”(「世界神話事典 創世神話と英雄神話」(松村一男他)P290-291)
このあたりは、古代史というより「神話文化論」とでもいうべき範疇に入るのでしょうが、なんとも奥深い洞察です。
皆さんは、どのように思われるでしょうか?
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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このときのスサノオについて、古事記では
”幾握りもの長さのあるあごひげが胸の前に垂れ下がるまで、激しく涙を流して泣き、その様は、青々とした山が枯れ木になるまで、河や海の水を浚(さら)えつくすようであった。
それにより、悪神の騒ぐ声が田植え頃のハエのように満ち、いろんな悪霊邪鬼による禍害がおこった。”
と記載されています。
こうした描写から、スサノオは、雷神や火山・地震神であるとの指摘もされています。たとえば寺田寅彦氏は、”噴火のために草木が枯死し河海が降灰のために埋められることを連想させる”と説いてます。(「古事記 祝詞」(校注 倉野憲司他)P73より)
たしかになんともすさまじい鬼気迫る描かれ方ですから、一理ある見方ではあります。
こうして泣き喚くスサノオに対して、イザナギは
「なぜ国を治めないで、泣いてばかりいるのだ。」
と問い詰めます。
これに対してスサノオは、
「亡き母(イザナミ)のいる根の堅州(かたす)国に行きたいから、泣いているのだ。」
と答えます。
それを聞いたイザナギは、たいへん怒って、
「お前にはこの国に住む資格はない。」
と言って、スサノオを追放してしまいます。

ところで、なぜスサノオはかようなまでに泣き喚いたのでしょうか?
単なる幼心のままの、わがままだったのでしょうか?
そのように解釈してもいいのでしょうが、興味深い解釈がされています。
それは、スサノオを「トリックスター」とする説です。「トリックスター」とは、神話的な「いたずら者」「悪ガキ」の意味ですが、それだけにとどまりません。Wikipediaを引用します。
”神話や物語の中で、神や自然界の秩序を破り、物語を展開する者である。往々にしていたずら好きとして描かれる。善と悪、破壊と生産、賢者と愚者など、異なる二面性を持つのが特徴である。
トリックスターは、時に悪意や怒りや憎しみを持って行動したり、盗みやいたずらを行うが、最終的には良い結果になるというパターンが多い。抜け目ないキャラクターとして描かれることもあれば、乱暴者や愚か者として描かれる場合もあり、両方の性格を併せ持つ者もある。”(Wikipedia「トリックスター」より)
今までの常識を超えた存在であり、よく描かれる場合もあれば、悪く描かれる場合もあります。そして悪く描かれたとしても、どこか無邪気で憎めない存在であったりします。スサノオがこれにあたるでしょう。
このトリックスターですが、世界中の神話や伝承に登場します。
たとえば、
・西アフリカ神話(アナンシ)
・古代メソポタミア神話(イシュタル)
・インド(クリシュナ、ハヌマン)
・ギリシア神話(プロメテウス・エリス・ヘルメス)
・ユダヤ教、キリスト教(ヤコブ・ルシファー)
・北西カフカス神話(ソスリコ)
・ケルト神話(スピリット)
・北欧神話(ロキ)
・中国(孫悟空)
・アステカ神話(テスカトリポカ)
・ポリネシア・ハワイ神話(マウイ)
等々です。
では、なぜ世界中に広く伝わっているのでしょうか?
人間は古来より同じようなことを考えるものであるから、単なる偶然だ、という説があります。
もちろんそういったこともあるでしょうが、もうひとつには、われわれの先祖がアフリカを出るときに、すでにトリックスターの概念をもっており、それが世界中に広まっていったのではないか、という推測もできます。すでにお話しした「世界神話学」説です。
神話の分布をみると、たしかに人類の移動ルート上にあるようにもみえます。
さて、トリックスターの存在は、神話においてどのような意味をもつのでしょうか?
これについて、松村一男氏(和光大学教授)が、洞察に富んだ指摘をしてます。
”単なる破壊者、秩序の騒乱者ではない。彼の活動によって、よい場合も悪い場合もあるが、なにか新しい物が生じ、世界は変化していく。生の全体性には無秩序も含まれるのであり、そのことを強調してわれわれに再認識させてくれるのがトリックスターであろう。真面目で硬直化した社会は、トリックスターのいたずらによって変化と笑いをもたらされ、世界は活性化されていくのである。
またある意味では、トリックスターは人間の自嘲気味な自画像とでもいうべきもの、失敗に絶望せずに、未来に楽天的に望みをつないでいこうとする人間の積極的姿勢のモデルとでもいうべきものかもしれない。”(「世界神話事典 創成神話と英雄伝説」(松村一男他)P258より)
ようは、今までの常識にとらわれて、ものごとを生真面目に四角四面に考えすぎては、何も進歩は生まれない。世の中に変革をもたらすのは、楽天的な希望と今までにない奇想天外な発想と行動だ、ということです。
この「真理」を古代の人々も直感的に認識していて、それが神話や伝承となって語り伝えられている、ということでしょう。
私は偉人といわれる方の自伝を読むのが好きなのですが、今までの枠に治まらない人が多いです。たとえばゼロから世界のHONDAを作り上げた本田宗一郎などは、ハチャメチャな豪快な人生を歩みましたし、福沢諭吉なども、慶応ボーイのイメージとは程遠く、破天荒な考え方をもち行動したことがわかります。
現代社会は、先行きのみえない不透明な時代であり、また閉そく感が満ち溢れているようにも感じられます。こういう時代こそ、トリックスターのような存在が必要なのかもしれませんね。
さてここまでは、スサノオをトリックスターとしてきました。実際スサノオは、高天原で暴虐を働き、高天原から追放されるなど、トリックスター的な行動をするのですが、その後出雲の地に降り立ってからは、ヤマタノオロチ退治をするなど、英雄的な行動をします。
これについては、
”多くの文化では、トリックスターと文化英雄は結びつけられることが多い。”(Wikipedia「トリックスター」より)
とされています。
松村一男氏は、スサノオをトリックスターではなく、英雄の範疇に入れています。
・出雲における竜殺し(ヤマタノオロチ退治)に関する限り典型的な英雄神である。
・悪戯によって天上世界に混乱をもたらす点や、食物の女神を殺して穀物が世界に生じる契機をつくる点などは、明らかに文化的英雄・トリックスターの側面を示している。
さらに面白いことに、ここからさらに深く掘り下げて、
”より興味深いのは、スサノオが示す母性への執着である。”
と指摘して、次のように解説してます。
”母の代理ともいえるアマテラスと、象徴的な形ではあるが、一種の近親相姦ともいえる誓約による子産みをし、またせっかく大蛇の尾から発見した剣もアマテラスに献上してしまっている。
さらに、スサノオは彼の娘と結婚しようとするオオクニヌシに対して敵意を示し、殺害に近いような厳しい試練を課したりしている。
つまりスサノオにとって、娘のクシナダもまた代理母的なのである
これは結局、本当の母を知らなかったスサノオの満たされることのない母性への憧憬であるのかもしれないし、あるいはスサノオは、現代の日本男性に関してよく言われる、マザー=コンプレックスの神話的祖型であるのかもしれない。”(「世界神話事典 創世神話と英雄神話」(松村一男他)P290-291)
このあたりは、古代史というより「神話文化論」とでもいうべき範疇に入るのでしょうが、なんとも奥深い洞察です。
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