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古事記・日本書紀のなかの史実 (43)~アマテラスはもともと男神だった?

このところ更新が滞ってました・・・(汗)。

プライベートでいろいろやることが多く時間がとれなかったからですが、しばらくこの調子が続きそうです。
これからもマイペースで進めますので、引き続きよろしくお願いいたします!

さて、イザナギから追い出されたスサノオは、
「アマテラスに事情を話してからイザナミのいる根の国に行きましょう。」
と行って、アマテラスのいる高天原に向かいます。

その際に、山川がことごこく鳴動して、国土が震動しました。これも「スサノオ=火山神・地震神」の根拠とされています。

これを聞いたアマテラスは驚いて、
「弟がやってくるのは、きっと善良な心ではないでしょう。私の国を奪おうと思ってくるに違いない。」
といって、警戒します。

その描写は、
”すぐに御髮(みかみ)を解いて、御角髮(みみずら)に束ね、左右の御角髮(みみずら)にも御鬘(みかずら)にも、左右の御手にも、たくさんの勾玉を貫き通した長い玉の緒を巻きつけ、背には千本の矢竹の入る矢入れを負い、脇腹には五百本の矢が入る矢入れを着け、肘には威勢のよい高鳴りのする鞆(とも)を着けて、弓を振り立てて、堅い地面を股(もも)まで没するほど踏み込み、沫雪(あわゆき)のように土を蹴散らして、威勢鋭く雄々しい叫びを挙げて、待ちうけて、
「何のためにやってきたのだ」
と問いただした。”

と描かれています。

ここで注目は、
御髮(みかみ)を解いて、御角髮(みみずら)に束ね”
という描写です。

「御髪」は、「みかみ」とフリガナを振ってますが、「みぐし」「おぐし」とも呼びます。

み‐ぐし【御髪】
1 頭髪の敬称。おぐし。

お‐ぐし【御髪】
女性語。古くは、貴人の髪をいう女房詞》頭髪の敬称。みぐし。(「デジタル大辞泉」より)

角髪(みずら)とは、

”上代の成人男子の髪の結い方。髪を頭の中央から左右に分けて下ろし、両耳のあたりで輪のようにし、たばねて緒で結ぶ。髷の位置や下げ方によって、上げみずらと下げみずらとがあった。埴輪(はにわ)の人物像にも見え、「魏志倭人伝」などにも記述がある。大陸で行なわれていた髪形が伝わったものといわれる。”(「精選版 日本国語大辞典」より)

ちなみに「鬘(かずら)」は、
”1 上代、つる草や草木の枝・花などで作った髪飾り。
「菖蒲草(あやめぐさ)花橘(はなたちばな)を玉に貫(ぬ)き―にせむと」〈万・四二三〉
2 髪の毛を補うために添える毛髪。添え髪。かもじ。
「わが御髪(みぐし)の落ちたりけるを取り集めて―にし給へるが」〈源・蓬生〉
3 能狂言で、女性に扮するときなど、仮面とともに使う付け髪。”(「デジタル大辞泉」より)



角髪


御髮が、必ずしも女性の髪かどうかは判然とはしませんが、わざわざ髪を解いて、男性の髪型である角髪(みずら)に変えたということから、女性の髪を指していると考えられます。ようするに男装したということです。

つまり、アマテラスは女性神とされている、ことがわかります。

「そんなことは当たり前ではないか!」
と思われる方も多いでしょう。

ところがそうではないのです。アマテラスはもともと男性神であったが、古事記・日本書紀編纂の際に女性神に変えられた、という説があるのです。

”神道において、陰陽二元論が日本書紀の国産みにも語られており、イザナギを陽神(をかみ)、イザナミを陰神(めかみ)と呼び、男神は陽で、女神は陰となされている。太陽は陽で、月は陰であり、太陽神である天照大神は、男神であったとされる説である。
この組み合わせはギリシャ神話でも同じで、太陽神のアポロと月神のアルテミスは兄妹神の組合せで生まれている。

現在では国学時代に主流となった女神説が一般的であり、伊勢神宮を始め各神社でも女神としている。
日本国内の諸説から離れて比較神話学の立場から見た場合、世界的に太陽神は男神よりも女神とされることが多かったという指摘もある。

一方日本神話をギリシャ神話やローマ神話と同じ性格の「神話」・「虚構」と位置づけることに反対し、上古東アジアの神話、習俗、祭祀の事情から男神であったとする説もある。これは東夷、北狄系の民族が「天・太陽」を崇敬し、鳥のトーテミズムがあり、「地域移動」を高所・天からの降下(天降り・天孫降臨)と受けとめる考え方があったからとされる。
日本の上古支配氏族である天孫族(天皇家や高天原起源の諸豪族)と東夷同系の種族とみられる高句麗王家では、始祖の朱蒙が日光に感精した河伯の娘から卵で産まれたという伝承をもつ。日本と高句麗との間には、王者の収穫祭が即位式に結びつく点、穀物起源神話や王者の狩猟の習俗などで、両者の王権文化は多くの共通点をもっており、この他、朝鮮半島では例として天日槍命関係の伝承に見るように、朝鮮半島では日光により感精し卵から始祖が誕生する卵生神話が存在し、始祖の卵生伝承もモンゴルと朝鮮半島に多く、日本にも僅かであるが伝わっていたとされる。
『姓氏録』などの記録において、女性を始祖とする氏族が一つも記載されていないことも、天照大御神が女神たりえなかった根拠とする見方がある

一方、これは北方諸民族の影響下にあったためであり、卵生伝承は日本ではシベリア系北方民族と関わりがあったアイヌの神話の中に見られるが日本神話においては見あたらないとする説もある。”(Wikipedia「天照大神」より抜粋)

以上のとおり、アマテラスが男神か女神かは、判然としないところです。

ところでアマテラスがもともと男神だったとして、ではなぜ女神にされたのでしょうか?

その理由として、古事記・日本書紀編纂時の皇統に関係するという説があります。Wikipediaにも、
”もとはツングース系民族の太陽神として考えると、本来は皇室始祖の男神であり、女神としての造形には、女帝の推古天皇や、持統天皇(孫の軽皇子がのち文武天皇として即位)、同じく女帝の元明天皇(孫の首皇子がのち聖武天皇として即位)の姿が反映されているとする説もある。”
とあります。

このなかで、注目は古事記・日本書紀編纂に時代的に近い持統天皇です。

天武天皇の死後、皇后の鸕野讃良(
うののさらら、のちの持統天皇)は愛息の草壁皇子を天皇にしようとしていましたが、草壁の皇子は病気により薨去してまいます。そこで草壁の皇子の軽皇子(のちの文武天皇)を天皇にしようと望みましたが、まだ7歳と若く皇太子にすることもはばかられました。そこで自ら天皇に即位して、持統天皇となりました。
その後、孫の軽皇子(のちの文武天皇)へ譲位して、自らは持統上皇として院政政治を行いました。

当時は、天智系・天武系での争いがあったころで、この一連の流れに多くの不満があったことでしょう。そこでこれを正当化するために、これから出てくる天孫降臨神話におけるアマテラスから孫のニニギノミコトへの権限の委譲という話において、アマテラスを女神として、「祖母から孫」への譲位の正当化を図った、という説です。

もっともらしい説ではあります。

これによりますと、
アマテラスはもともと男神であり、今回の場面の原型は、男神であるアマテラスが、戦いの身支度を整え身構えた描写である、ということになります。それを後世の古事記・日本書紀編纂時に、アマテラスを女神にするために、「男装した」と改ざんしたことになります。

しかしながらよくよく考えると、ではなぜわざわざ、そんなまどろっこしい小細工をしたのか、という疑問が生まれます。

普通であれば、改ざんしたことを悟られないようにするはずです。

たとえば私ならこんな小細工をせずに、原型を大きく変えて、
”荒々しいスサノオに恐れおののくアマテラスが・・・”
といった風に、女性らしさを強調した描写するところですが・・・。

実際、これから出てくる「天岩戸神話」では、そのような描写になってます。このあたりはあくまで感覚的なものなのですが、皆さんはどのように感じるでしょうか?

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古事記・日本書紀のなかの史実 (42)~淡海の多賀とは?

さて、スサノオはイザナギによって追放されますが、そのイザナギについて次のように記されています。

” 其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐すなり。”

これは一般的には、「近江の多賀神社に鎮座されている」の意とされています。

多賀大社

多賀大社
”滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社。
和銅5年(712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述があり、これが当社の記録だとする説がある。ただし『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮(かくりみや、終焉の御住居)を構えたとあり、『古事記』真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写である可能性が高い。

多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。」になっており、その他の諸々の理由からも、学界でも「淡海」でなく「淡路」を支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝二郎等)。なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。 ”(Wikipedia「多賀大社」より)

以上のとおり、近江ではなく、淡路つまり淡路島とする説が有力視されています。

淡路島にある該当する神社は「伊弉諾(イザナギ)神宮」です。 

兵庫県淡路市多賀にある神社。
祭神は次の2柱。
・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
・伊弉冉尊(いざなみのみこと)
両神は日本神話の国産み・神産みに登場する。『幽宮御記』に祭神は「伊弉諾尊一柱也」とあるため、本来は伊弉諾尊のみを祀ったと考えられる。

『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、当社の起源とされる。”(Wikipedia「伊弉諾神宮」)


このように、たしかに”淡路の多賀”にあてはまっています。

伊弉諾神宮

しかしながら、他にも候補となりうる神社はあります。
福岡県直方(のおがた)市にある「多賀神社」です。

”祭神は
・伊邪那岐大神
・伊邪那美大神
この神社の創建年代等については不詳であるが、平安時代にはあったという。”(Wikipedia「多賀神社(直方市)」)

”古くは日ノ少宮・日若宮と称之、奈良朝時代には妙見大明神多賀大神と称えたこともあります。”
(「福岡の神様HP」 
http://kamisamahotokesama.com/archives/introduce/tagajinja/ より) 

実際、日本書紀第六段本文には、

"幽宮(かくれみや)を淡路の地に造って、静かに永く隠れられた。また別にいう。イザナギはお仕事をもう終られ、徳も大きかった。そこで天に帰られてご報告され、日の少宮(わかみや)に留まりお住まいになったと。"
とあり、「日の少宮」(わかみや)という言葉が出てきます。

また多賀神社には、古くから伝わった日若謡(ひわかうた)が次第に大衆化した日若踊りあります。

”直方日若踊(新町)
【由来等】
 1678(延宝6)年直方藩士、大塚次郎左衛門が江戸からの帰途、大阪で舞を習い、直方に持ち帰り、日若宮(今の多賀神社)に昔から伝承されていた「日若舞」と融合させたものが、次郎左踊り又は思案橋踊りとなった。更に1857(安政4)年、大阪「あやめ座」の役者中村吉太郎(一調)が、直方の宮芝居に来て長唄「二上り浦島」の替歌を台唄とし、日若舞の形を採り入れながら、新町の若衆に振り付けたのが、本手踊りである。日若踊は、この2様の踊りを具えた歌舞として確立され、今日に至っている。”
(福岡民族芸能ライブラリー http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=5-12 より)

多賀神社は、遠賀川式土器で有名な遠賀川の中流域にあります。遠賀川は、弥生時代までは現在の陸地奥深くまで入江を形成しており、「古遠賀湾」と呼ばれてます。古遠賀湾沿岸には、多くの貝塚などの縄文遺跡や弥生時代の遺跡が分布しており、古来より人々が生活を営んでいたことがわかっています。

なお古事記の「淡海」は、”淡水の海、湖”とされていますが、「淡い海」という表現からは、むしろ淡水と海水が入り混じる入り江のような場所を示しているようにも受け取れます。
そうなると、古遠賀湾はその条件を満たしていることになりますね。

多賀神社
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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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