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古事記・日本書紀のなかの史実 (46) ~ 天岩戸神話

前回、スサノオは、誓約(ウケヒ)で勝利し、身の潔白を証明しました。
続きを、古事記からみていきます。

”誓約で身の潔白を証明したスサノオは、高天原で、勝ちに任せて田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に糞を撒き散らしたりして乱暴を働いた。だが、アマテラスは「クソは酔って吐いたものだ、溝を埋めたのは土地が惜しいと思ったからだ」とスサノオをかばった。

しかし、アマテラスが機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、スサノオが機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。

そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金(オモイカネ)神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。

鍛冶師のアマツマラを探し、イシコリドメに、天の安河の川上にある岩と鉱山の鉄とで、八尺鏡(やたのかがみ)を作らせた。タマノオヤ八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)を作らせた。

アメノコヤネフトダマを呼び、雄鹿の肩の骨とははかの木で占い(太占)をさせた。賢木(さかき)を根ごと掘り起こし、枝に八尺瓊勾玉と八尺鏡と布帛をかけ、フトダマが御幣として奉げ持った。アメノコヤネが祝詞(のりと)を唱え、アメノタジカラオが岩戸の脇に隠れて立った。

アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタジカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。

すぐにフトダマが注連縄を岩戸の入口に張り、「もうこれより中に入らないで下さい」といった。こうしてアマテラスが岩戸の外に出てくると、高天原も葦原中国も明るくなった。

八百万の神は相談し、スサノオに罪を償うためのたくさんの品物を科し、髭と手足の爪を切って高天原から追放した。"(Wikipedia「天岩戸」より)

天岩戸神話絵図



さて、またまた難解なところです。

素朴な疑問としてまず思い浮かぶのは、
a.なぜスサノオの暴虐に対して、アマテラスは寛容だったのか?
b.アマテラスが天岩戸に引きこもったことは、何を意味するのか?
c.なぜアメノウズメは、裸になって踊るという奇怪な行動をとったのか?
などです。

一般的な解説をみてみましょう。
「古事記の謎をひもとく」(谷口雅博)からです。

まず、
”アマテラスを太陽神とみると、日食の神話化ともいえる。
太陽が最も弱っている状態であるということならば、冬至の時期を神話化している。”

という見方を紹介して、

”実際に宮中の儀礼において関与していた氏々の姿が反映している。
具体的には、宮中の鎮魂祭が指摘されている。”

と述べています。

その論拠として、
アマノウズメが衣装をはだけて肌をあらわにして踊るのは、桶を伏せてその上に乗って踏み鳴らすという所作が、空洞の器を振動させ、活性化させることでそこに魂を呼び込む意味をもつと言われるもので、後世の儀式書の類にも鎮魂祭の所作として記されるものに該当する。”

”鎮魂祭は、新嘗祭に先立って行われる儀式ですが、冬至のころ、太陽の復活を祈願して行われるものと言われている。”


と述べ、意味づけということでは、
「アマテラスの忌み籠りと復活・再生」
としています。

なぜ、石屋籠りという形態をとったかについては、
”アマテラスは最高神であるとともに天皇家の祖先神であるから、神話の中でも一度死して再生するという展開にはできなかった。”
と推測しています。

つまり「アマテラスの仮死とそこからの復活・再生」を意図している、というわけです。

またそこに、アマテラスの至高神へ至る過程が描かれているとしています、

アマテラスは、石屋に籠るまえは人間的な神で、スサノオの暴虐に対しても擁護して、それが失敗に終わる。その時点では、スサノオを咎める神も、アマテラスを助ける神は出てこない。

石屋に籠ることで、多くの神々がその存在の重要性に気づき、そして至高神と認めることで、石屋から導き出すためのさまざまな行動をとるようになる。

アマテラスの石屋籠りは、アマテラスが至高神であることを認めさせるための意義をもっていた。そして、石屋から導き出されたアマテラスは、それ以降、心の弱さを示すような話は一切なくなり、それこそ司令神としての役割を果たしていくことになる。

つまり、天岩屋籠り神話とは、それを通してアマテラスが司令神として確立をするために必要な神話であった。”(同書P34-36)

なるほどと思われる解釈です。
あくまでアマテラスは皇祖神であり、その皇祖神となるまでの成長の過程を描いている、という主旨です。

これによれば、
a.なぜスサノオの暴虐に対して、アマテラスは寛容だったのか?
に対する答えとしては、
”もともとは普通の‘‘凡神”であり、毅然とした態度をとれなかった。それによりスサノオの暴虐を止められなかった。”
ということになります。

凡庸な神が試練を経て成長するのは、世界の神話においてよくありますので、その流れでとらえれば、おかしなことはありません。

一方前回、アマテラスはもともとは男神だったものを、古事記・日本書紀編纂時に女神に書き換えた、という説があることを紹介しました。

その説が正しいとすると、当初はずいぶんと弱々しい男神だったことになります。

天岩戸から引きずり出される際も、差し出された鏡をみて、もっとよく見ようと岩戸を開けたところを引きずり出されたとあり、何とも頼りなげであり、女性的な描写です。

アマテラスが女神であるからこそ、自然な流れですが、もともと男神だったとすると、違和感があります。原型を書き換えたのだという解釈もできますが、ではその原型はどのような描写だったのか、という疑問が湧きます。

古事記・日本書紀編纂時に創作したのだ、という解釈もできますが、それもちょっと無理筋に感じます。

b.アマテラスが天岩戸に引きこもったことは、何を意味するのか?
に対しては、
”日食あるいは冬至を神話化している。”
となります。

日食については、よくいわれています。
邪馬台国が狗奴国との戦いをしたのが3世紀前半、その後卑弥呼が死去します。
これを
「日食=天岩戸神話」
さらには
「卑弥呼=アマテラス」
として、解釈する論者もいます(安本美典氏など)。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (45) ~ 誓約(古事記)

前回は、日本書紀の描く誓約神話を読み解きました。今回は、古事記の描く誓約神話をみてみましょう。
まず話の概要です。

”アマテラスがスサノオに対して、
「本当に心が清らかなことを、どうしたら知ることができるのか?」
という問いに対して、スサノオが次のように答えます。
「それでは二人が、それぞれ、神に誓いを立ててうけいをすることにしましょう。二人がそれぞれ子供を生んで、その子供によって、私の子供が清らかであるかどうか、神意を判断することにしたらどうでしょうか。」
そして五男神三女神が生まれます。そのプロセスは日本書紀と同じで、アマテラスがスサノオの十握剣を貰い受け三女神生まれ、スサノオがアマテラスの玉飾りを貰い受け五男神が生まれます。

アマテラスが次のように言います。
「あとから生まれた五人の男の子たちは、私の持物によって生まれた。したがってこの五人は、しぜん、私の子ということになる。先に生まれた三人の女の子は、お前の持物によって生まれた。したがってこの三人は、しぜん、おまえの子ということになる。

これに対してスサノオは、
「それごらんなさい。私の心は清らかでなんの異心も隠していなかった。それゆえ、私の生んだ子供は心のやさしい女の子だったじゃありませんか。うけいをしてみたらこういう結果になったのだから、この勝負は私の勝ちですね。
と勝ちを宣言します。”
(「古事記」(福永武彦訳)参照)

誓約

では論文をみてみましょう。

”一方『古事記』に記される「ウケイ」神話は、神代紀の各書とはかなり異なる点がある。特に事前の清心条件提示がない点が不審である。これでは「ウケイ」を行う意義がはっきりしない。そして事後に「手弱女(たおやめ)を得た」と喜び、勝ちを宣言する。
表1に示すように、神代紀の各書では全て事前にスサノオが男子を生めば勝ちという提案がなされていて、その結果その長子の名に正哉吾勝勝速日という長い尊称が附く。これは第六段の第三の一書に明記されているように、男子を産んだスサノオの勝ち名乗りである。『古事記』ではスサノオが女神を得たにもかかわらず男神にこの勝ち名乗りの尊称を附けたのは、全く意味をなさない。

【解説】
誓約の勝敗についてです。日本書紀には、「どうなったら勝ちか」が事前に決められてます。具体的には、スサノオが男子を生めば勝ち、という取り決めです。結果としてスサノオが男子を生んでますから、勝敗についてはスサノオの勝ちということですっきりします。

一方、古事記にはその条件が事前に明確に決められてません。つまり勝敗がはっきりとは決められないはずなのですが、なぜか事後に「手弱女(たおやめ)」を得たとして、一方的に勝利を宣言します。
ここで「手弱女」とは、”たおやかな女性。なよなよと優美な女性。”(デジタル大辞泉)。ここでは三女神のことです。その三女神をスサノオが得たことで勝利宣言したわけです。

整理すると、日本書紀では、事前の取り決めとしては、「スサノオが男の子を生んだら勝ち」でした。
日本書紀で生んだ子供は
・アマテラス 三女神
・スサノオ  五男神
でした。
日本書紀の場合、事前の取りきめが「スサノオが男の子を生んだらスサノオの勝ち」でしたから、スサノオが勝ちとなりました。これは明確ですね。

そして、ここがややこしいところですが、子の所属としては
・アマテラス 五男神
・スサノオ  三女神

である、とされてます。

一方古事記の場合、スサノオの生んだのは男神のようにとれますが、なぜかスサノオは、
「私の得た子は、女の子だった。だから私の勝ちだ。」
と一方的に勝利を宣言したのです。

この表記は原文では、
「我心清明、故、我所生子、得手弱女。因此言者、自我勝。」
です。
「我所生子、得手弱女」の訳が微妙ですが、訳文どおり
「私が生んだ子供は心の優しい女の子だった」
とするのが自然でしょう。

つまりここではなぜか、自分(スサノオ)が生んだのは女の子だ、と言ってます。このあたりがすっきりしませんね。

ところで事前の取り決めは何だったでしょうか。
「二人がそれぞれ子供を生んで、その子供によって、私の子供が清らかであるかどうか」
でした。

スサノオの理屈としては、
私の生んだ子=女の子
女の子=清い子
→だから私の生んだ子供は清い子
→私の勝ち

というものになります。

後出しジャンケンのようなずいぶん勝手な理屈のようにも聞こえますが、これに対してアマテラスが何も文句を言っていないところをみると、古代においてはこのような論理が通用したともいえます。

またこのように考えると、「事前の清心条件提示があった」といえなくもありません。

ただいずれにしても、矢田氏のいうとおり、
”長子の天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)に、私が勝ったという意味である正哉吾勝勝速日(まさかあかつかちはやひ)という尊称をつけたのは、意味不明である。”
ということは確かです。

このあたりについて、谷口氏は面白い解釈をしています。

”もともとは日本書紀が本来的であり、それを古事記が改変した。”
というのです。

そして
”前提条件にしないで、スサノオの勝利宣言という形にしたのは、表立って改変することが憚れたためかもしれません。ただそのおかげでアマテラスは男の子の親ということになって、その後の皇統の始祖につきますし、スサノオが暴れる展開にもつなげることができたということなのでしょう。”(「古事記の謎をひもとく」(谷口雅博),P38より)
と述べてます。

ようは、日本書紀の形だと、皇統につながる男の子(アマノオシホノミコト)を生んだのはスサノオですが、それではアマテラスが皇統の始祖とならない。そこで古事記では改変して、スサノオが生んだのは女の子ということにした、という解釈です。

ずいぶんと凝りに凝った解釈のようにも聞こえますが、なんともいえないところです。

いずれにしろ、このように誓約神話に関しては、古事記・日本書紀で話がかなり異なったものになってます。これはおそらく元となった話の成立年代がかなり古く、その後さまざまに伝承されるなかで次第に変遷していった、ということでしょう。

逆にいえば、巷でよくいわれる「古事記・日本書紀は、編纂時(8世紀)の官吏が創作した話だ。」という説も成立しがたい、ということになります。なぜなら創作であれば、ここまで多くのバージョンの物語を創作する必要もなかったわけですから・・・。

それにしても矢田氏は、古事記・日本書紀の複雑な話を、表1のようにきれいに整理したうえで、たいへん鋭い分析をしてます。いかにも理工系の学者らしいですね。

誓約諸伝比較↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!



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古事記・日本書紀のなかの史実 (44) ~ 誓約(日本書紀)

 アマテラスから問いただされたスサノオは、次のように弁明します。

”「私には邪き心はない。ただイザナギが、なぜ私が泣いているのかを問いただしたので、『私は母イザナミの国に行こうと思ってないているのだ。』と答えたのです。

イザナギはそれを聞いて、
「お前はこの国にいてはいけない。」
と言って、私を追放したのです。

そこで、事情を告げ申そうと思って、やってきたのです。二心(謀反の心)などありません。”


そこでアマテラスは
「そうであるならあなたの心の清く正しいことは、どうすればわかるのですか?」
と問います。

それに対してスサノオは、
誓約(ウケヒ)をして、子を生みましょう。」
と答えます。

ここで有名な「誓約」が出てきます。突然出てきた「誓約」の言葉ですが、当時、物事を判断するのに使われたやり方なのでしょう。

”誓約(ウケヒ)とは、吉兆凶悪を判断する場合に、必ずかくあるべしと心に期して或る行為をするのである。卜占としての性質がいちじるしい。”(「古事記 祝詞」(校注者 倉野憲司他)  P75より)

誓約とは、このような意味ですが、古事記・日本書紀ではやり方に大きな違いがあるうえ、たいへん複雑でわかりにくいです。

日本書紀から入ったほうが、わかりやすいので、まずはそこからからみてきます。

日本書紀第六段本文の要約です。

”アマテラスから、
「おまえの赤い心を何で証明するのか。」
と問われたスサノオは、
「どうか姉上と共に誓約しましょう。誓約の中に、必ず子を生むことをいれましょう。もし私の生んだのが女だったら、汚い心があると思ってください。もし男だったら清い心であるとしてください。
と答えた。
アマテラスは、スサノオの十握劒(とつかのつるぎ)を借りて三つに折って、天真名井(あめのまない)で振りすしいで、噛んで吹き出した。その息の霧から生まれた神が以下の宗像三女神である。
・田心姫(たこりひめ)
・湍津姫(たぎつひめ)
・市杵嶋姫(いちきしまひめ)

スサノオは、アマテラスの頭髪と腕に巻いていた八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいおつみすまる)を乞われて、天眞名井で振りすすぎ、噛んで吹き出した。その息の霧から生まれた神が以下の五柱の男神である。
・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)
・天穂日命(あめのほひのみこと)
・天津彦根命(あまつひこねのみこと)
・活津彦根命(いくつひこねのみこと)
・熊野櫲樟日命(くまのくすひのみこと)

アマテラスは、
「その元を尋ねれば、八坂瓊之五百箇御統は私の物である。だからこの五柱の男神は全部私の子である。
そこで引き取って養われた。またいわれるのに、
「その十握劒は、スサノオのものである。だからこの三柱の神はことごとくお前の子である。
といって、スサノオに授けられた。”(「日本書紀」(宇治谷孟訳)参照)


たいへん複雑ですね。図示しましょう。

誓約
こうした複雑性について、数百年以上にわたり多くの研究者が論じてますが、どれもこれといった決め手はありません。
そのなかでとても興味深い論文があるので、紹介します。
「宗像三女神と沖ノ島祭祀の始まり(上)ー宗像神信仰の研究(3)ー」(矢田浩)からです。

論文では、以下のように述べてます。
”(「日本書紀」神代記の)第六段は、 主人公の神の一柱天照大神(以下アマテラス)が皇室の祖神で あるばかりではなく、三女神と共に生まれる五男神のうち一柱正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)(以下オシホミミ)が天皇家の直接の祖先となっている点で、いわゆる「記紀神話」の中でもきわめて重要な意味を持つ。
この段は、その悪行により天上界を追放されることになった素戔鳴尊(すさのおのみこと)(以下スサノオ)が、姉のアマテラスに会いに行くことで始まる。そしてスサノオの赤心を疑うアマテラスに対し、
①スサノオによる「ウケイ」の提案と清心の条件提示
→②両者の「物根(ものざね)」の交換
→③アマテラスによる三女神の化成とスサノオによる五男神の化生
→④三女神と五男神の交換という複雑な過程をたどる。


アマテラス三貴子のなかの一神にすぎません。にもかかわらず皇室の祖先になっているのは、誓約の結果生まれた五男神三女神のなかの一神であるオシホミミが、天皇家の直接の祖先だからでしょう。

オシホホミの子(すなわちアマテラスの孫)がニニギで、天孫降臨します。その三世孫が初代天皇である神武天皇という関係です。

また誓約においてさまざまな提案と条件提示を行い、勝ち負けを決めていきますが、その過程もたいへん複雑です。

たとえばスサノオは、男の子を生んでますが、なぜか元となった八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいおつみすまる、勾玉のこと)がアマテラスの物だったからという理由で、男の子はアマテラスの子とされました。

逆にアマテラスは女の子を生んでますが、元となった十握劒(とつかのつるぎ)がスサノオの物だったのだからという理由で、女の子はスサノオの子とされました。

勝敗については書かれてませんが、はじめの条件通り、スサノオが男の子を生んだのでスサノオの勝ちですが、ずい分とわかりにくいですね。

なぜここまで複雑にする必要があるのか、よくわかりません。

こうしたことから、矢田氏が”たいへん奇妙な物語”と表現しているものと推察されます。

”神代紀第六段には本文の他に三つの一書が併記されていて、それぞれ本文とは多少の異同がある。その違いを、表1に示す。神代紀にはそのほかに第七段の第三の一書に「ウケイ」が記述されている。”

とても興味深いことですが、日本書紀は本文に加えて一書という表現で、本文とは若干異なるストーリーをいくつも記載してます。一書とはおそらく各地方や家に伝わる伝承を指していると考えられます。それらを整理したのが、下の表1です。

誓約諸伝比較

ひとつ不思議なのは、アマテラスの生んだ子は、女の子であることです。皇統につながる男の子(オシホオミ)を生んだのは、スサノオです。

これでは「アマテラスからの皇統」という万世一系が、成り立たなくなってしまいます。このあたりがよくわからないところです。


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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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