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古事記・日本書紀のなかの史実 (47) ~ 天岩戸神話②

 では天岩戸神話と日食の関係を、天文学的データでみてみましょう。

「『天の磐戸』日食候補について」(谷川清隆・相馬充)、国立天文台報 第13巻85-99(2010)」からです。

論文では、天岩戸神話の描写から、これは皆既日食体験が伝承として残ったもの、としています。
具体的な論拠として、

a.”常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。”
について、
"皆既日食になると暗くなり、鳥や獣が騒ぐ。とくに鶏はときをつげることが知られている。"

b."アマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け"
について、
"皆既が終わる瞬間に太陽が月の最大の凸凹から最初に光を投げかける、ダイヤモンドリング現象を説話化したものであると理解できる"
と述べています。

そしてその皆既日食がいつかについて検討しています。

かなり専門的な話になるので、結論のみ記しますが、
・247年日食は、近畿では皆既にならなかった、北九州でも皆既であった可能性は低いといわざるをえない。
・248年は、皆既にならない、

と分析しています。

結論として、158年に、皆既日食が北九州(大宰府)と近畿(飛鳥)で皆既日食が起こっており、これが天岩戸神話の元になったのではないか、としています。

そうなると、
「卑弥呼=アマテラス」
説は、成立しません。

アマテラス神話は、その素朴な描写から紀元前の話ではいか、と考えます。
また天皇年齢を2倍年歴で換算すると、紀元前5世紀ころになるという推測は、今までにしてきました。

ただし日食との関係は、紀元前のデータがないので、これ以上の検討はできません。

論文では
"古代ギリシアで記録された日食の過半が国と国との戦争に結びつけて記録された。
日本でも、源平盛衰記に日食が戦争と結びつけて記録された。
時代を遡れば遡るほど、皆既日食の恐怖は大きかったであろう。"
としたうえで、仮説を提示しています。

"磐戸籠り寸前には、スサノオの代表する勢力と、アマテラスが代表する勢力が戦っていた。戦場はアマテラスの本拠地であった。そして皆既日食により戦争が中断され、日食後、スサノオは戦争継続をあきらめて自国に帰った。これが説話化したものが「天の磐戸」神話である。

書いたのはアマテラス側の人間である。日本(倭)に2つの代表的な勢力があって、主導権争いをしていた時代があったことになる。天の磐戸のときに決着はつかなかった。"

スサノオは天岩戸神話のあとに、罰を与えらえ、高天原から追放され出雲に降り立ちます。
天岩戸神話のときに決着がつかなかったということは、その後の「国譲り」「天孫降臨」で最終決着した、ということでしょうか。

面白い仮説ではありますが、検証が難しいところです。いずれにしろ、何らかの史実があり、その時期を皆既日食の時期として解釈している点は、注目に値します。

天岩戸神話絵図
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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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