古事記・日本書紀のなかの史実 (50) ~ 天岩戸神話⑤
前回は、天岩戸神話とギリシア神話が似ているという話でした。
たしかに神々の関係は、よく似ています。ところが話はこれで終わりません。
”しかしこうして回復せられた神話の原形,すなわち屋根を穿って堕ちてくる斑馬の皮を見て.天照大神が驚いて梭で陰をついて死んだ一という話はまだまだ歪められた神話である。それには更に その原形がなければならぬ。だいいち屋根を穿って馬の皮が堕ちてくるというのはおかしい。庇 や戸口から投げ入れても好いのに,なぜ屋根を突きぬけねばならぬのであろうか。そこには確か に隠された意味があるにちがいない。”
つまり、この神話にはもともと原型があり、それを後世になりぼかした話にしているのだ、というのです。以下、生々しい話になりますので、気になる方は読み飛ばしてください。
”恐らく陵で陰を衝くということと,屋根を穿つということとは,茲では一致して別の同一事を指すにちがいない。すなわち馬陰が女陰を突くということを忌避して,それをなるべく判り難く伸ば して言うと,この話になるらしい。大神の陰上 に到達するまでに,馬陰は馬皮となって屋根を穿 ち,更に梭となって,ようやくそこを衝ぎ得たのである。
そうして『記』に頂(むね)といい,『紀』に甍と記すところのその屋根は,後世の交学であるけれども,かの『義経千本桜』道行初音の旅の段の里の男が唱う歌に,「我が妻が天井ぬけてすえ る膳,昼の枕はつがもなや,天井ぬけてすえる膳,ひるの枕はつがもなや,ヲヲつがもなや」とい うその天井ぬけの屋根であって,同じく鮓屋の段の娘お里の詞に,「テモ粋な父さん離座敷は隣知 らず,餅つきせうとヲをかし,こちらは爰に天井抜け,寝て花やろと蒲団敷く」というその天井抜けの屋根にほかならない。
そうしてそれは溯っては中国古代神話の女蝸補天の天井抜けにも通じ るので,そういう言い廻しが夙く記紀に見えたとて,敢て異とするに足らない。
人間生活の深い基本に根ざす民衆的な表現は世紀にわたって変らないので,やがて『 千干本桜 』を もって記紀をも解釈し得るのである。”
「屋根を穿つ」「天井抜け」には、別の意味があるというのです。
さらに、騎馬民族と農耕民族との関係まで指摘しています。
”また馬を剥いだ皮というのは,古くアジアー帯にひろく流伝して,まず晋の干宝の『捜神記』・つい で唐の道世の『法苑珠林』(巻八十)にも採録せられた名高い蚕馬伝説と関係がある。すなわちそれによれば,主人の娘を恋い慕って殺され皮を剥がれたその馬の皮が,ある日,決然と起 ってその娘を巻き抱えて飛び去り,二人とも数日後に蚕となって桑樹の上に見出だされたと言う。
これは恐らく馬皮を冒った騎馬族の男神と,人の姿の農耕女神との hieros gamos から生まれた 神話にちがいないが,とにかくこの両人が蚕になったということは,まさしく天照大神の機織る服屋とよく照応する 。
すな わちその馬の皮,言い換えれば馬皮を冒った騎馬族の男神が,農耕女神の天井を抜いたということで、この不可解きわまる神話の意義もはじめて明瞭となる。すなわち天安河における天照大 神とスサノオノミコとの神婚において後者が馬形であったことを,この天井抜いた馬の皮が示す ので,その馬陰の荒れ狂う大豊勢のために女神が傷いて死んだということも,極めて自然に起っ てくる。”
ずいぶんと過激な表現ですが、それはさておき、
アマテラス=農耕女神
スサノオ=騎馬族の神
としており、さらに騎馬民族による農耕民族への暴虐と述べている点は、注目です。
スサノオは、新羅との関連があり、新羅は古くさかのぼれば騎馬民族系との説もありますから、つじつまは合っていますね。
”ちなみに女神がその陰処を傷けて死ぬということは,この外にも日本神話に一 二の例がある。た とえばイザナミノミコトは火神・火之迦具土之神を産んだ際に,その陰(みほと)に火傷して死ん で冥界に下り,『紀』に引く一書によれば,紀伊国熊野の有馬村に葬られて,毎年の花時に花を もって祭られるという。そして今もその地に遺る花の窟(いわや)がすなわちその時に焼けただ れた女神の陰であるというが,これはすなわち盛夏の烈日に野山の草木みな焼けただれる自然の 衰亡を,女神の火瘍死をもって示したものにほかならぬ。”
”しかるに天照大神の逝去はすなわち荒れ狂う冬属の暴威のために太陽が衰減し,ひいて万物みな生気を失って枯れはてる常闇の冬を現すもので、滋では海洋神スサノオノミコトがいつしか騎馬族の 馬神となり,ないし万物生成の太陽神を凌辱してついに死に至らしめる冬属の神ともなっていることは注意せねばならぬ。
けだしはじめ海洋族の侵寇を受けてようやくそれと親和した農耕民が,また海を渡って来襲する騎馬族の暴威の恐怖を,やがて太陽を死滅せしめる冬属の恐怖と交錯せしめ ,彼らの祭る馬神をもってすなわち冬属の神となしたものと思われる。
アマテラスの死=冬の到来による万物の死
でなおかつ、
スサノオが冬の神となっている、としています。
複雑な言い回しですが、ようは
海洋族の侵害
↓
農耕民の親和
↓
騎馬族の来襲
⇒ 冬の恐怖と交錯した
⇒ 騎馬族の馬神を冬の神となした
というわけです。
”またはじめは海洋神であったスサノオノミコトが,どうして変質して次に騎馬族の馬神となったか といえば,それは要するに馬神が海洋神のあとをついで農耕民の祀る太陽女神の夫となったからであって,しかも女神の夫という身分においては両者は変らないことに基づくと思われる。すなわ ち女神の夫の交替が,同一夫神の変質ということに置き換えられたのである。”
ではなぜもともと海洋神であったスサノオが騎馬族の馬神に変わったのかについて、
アマテラス(農耕神)の夫が
海洋神 ⇒ 騎馬族の神
に変わった。
それにつれ、もともと海神であったスサノオも馬神となった、と述べています。
つまり
海洋神(スサノオ)⇒ 馬神(スサノオ)
に変質した、というのです。
”これは始め海洋神で後に馬神となったポセイドーンについてもまた見られる現象で,まさしくポセイドーンの語原は πoσεℓδα g ,すなわち女神 ⊿α の夫の義にほかならぬと考えられる。⊿αはすなわち ⊿ημη’τηρ の⊿ηで,ギリシアに最も古くから祀られた農耕女神の尊称であった。
スサノオは恐らく丕竺之夫(オ)の義で,スサは古くは稲を指したと思われる。壁土にまぜる稲の藁をスサというのは,多分その名残りであろう。
そしてタケハヤスサノオというタケハヤすなわち健けく速いという語はもとより馬神を言ったもの で,その前任者たる海神と区別するために付けられた形容旬であること疑いない。”
以上について、ギリシア神話と同じ構造である、と指摘しています。
たいへんややこしい論理ですが、皆さんはどのように考えたでしょうか?
一見、もっともらしい説にも聞こえますが、以下、私の考えです。
まず、アマテラスを農耕族の神としていますが、どうでしょうか。
たしかに農耕民の神となっていったわけですが、もともとの出自は対馬近辺であることは、前にお話ししました。つまり、海洋族の神だったわけです。
そしてスサノオが、もともと海洋族の神でなおかつアマテラスの夫だったところ、騎馬族の侵略を受けアマテラスが騎馬族の妻となったために、スサノオが騎馬族の神に変わった、という点も、よくわかりません。
もし本当に騎馬族に侵略され、アマテラスがその妻となったのなら、夫の名前は騎馬族の名前だけになるのが自然だと思うのですが・・・。
とはいえ、非常に重要な視点であることは間違いありません。
誓約でアマテラスに勝利したスサノオは、その後に調子に乗って暴虐の限りを尽くした結果、高天原から追放され、出雲の国に降り立ちます。日本書記の一書第四では、その途中、新羅に立ち寄ったとされていることは、前にお話ししました。
”高天原を追放されたスサノオは、”その子イソタケルをひきいて、新羅の国に降られて、曾尸茂梨(ソシモリ、ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私はいたくないのだ」と。ついで土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。”(「日本書紀」(宇治谷孟)より)
高天原が対馬近辺とすると、
対馬近辺 ⇒ 新羅 ⇒ 出雲
の移動です。
海洋族のスサノオが、騎馬民族の文化がある新羅に寄った際に、その文化を受容したと考えることもできます。
これはあくまで誓約のあとの話ですが、もともとスサノオが新羅との関係が深かったと解釈すれば、小林氏の指摘にもつながってきますね。
皆さんはどのように考えますか?

↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
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たしかに神々の関係は、よく似ています。ところが話はこれで終わりません。
”しかしこうして回復せられた神話の原形,すなわち屋根を穿って堕ちてくる斑馬の皮を見て.天照大神が驚いて梭で陰をついて死んだ一という話はまだまだ歪められた神話である。それには更に その原形がなければならぬ。だいいち屋根を穿って馬の皮が堕ちてくるというのはおかしい。庇 や戸口から投げ入れても好いのに,なぜ屋根を突きぬけねばならぬのであろうか。そこには確か に隠された意味があるにちがいない。”
つまり、この神話にはもともと原型があり、それを後世になりぼかした話にしているのだ、というのです。以下、生々しい話になりますので、気になる方は読み飛ばしてください。
”恐らく陵で陰を衝くということと,屋根を穿つということとは,茲では一致して別の同一事を指すにちがいない。すなわち馬陰が女陰を突くということを忌避して,それをなるべく判り難く伸ば して言うと,この話になるらしい。大神の陰上 に到達するまでに,馬陰は馬皮となって屋根を穿 ち,更に梭となって,ようやくそこを衝ぎ得たのである。
そうして『記』に頂(むね)といい,『紀』に甍と記すところのその屋根は,後世の交学であるけれども,かの『義経千本桜』道行初音の旅の段の里の男が唱う歌に,「我が妻が天井ぬけてすえ る膳,昼の枕はつがもなや,天井ぬけてすえる膳,ひるの枕はつがもなや,ヲヲつがもなや」とい うその天井ぬけの屋根であって,同じく鮓屋の段の娘お里の詞に,「テモ粋な父さん離座敷は隣知 らず,餅つきせうとヲをかし,こちらは爰に天井抜け,寝て花やろと蒲団敷く」というその天井抜けの屋根にほかならない。
そうしてそれは溯っては中国古代神話の女蝸補天の天井抜けにも通じ るので,そういう言い廻しが夙く記紀に見えたとて,敢て異とするに足らない。
人間生活の深い基本に根ざす民衆的な表現は世紀にわたって変らないので,やがて『 千干本桜 』を もって記紀をも解釈し得るのである。”
「屋根を穿つ」「天井抜け」には、別の意味があるというのです。
さらに、騎馬民族と農耕民族との関係まで指摘しています。
”また馬を剥いだ皮というのは,古くアジアー帯にひろく流伝して,まず晋の干宝の『捜神記』・つい で唐の道世の『法苑珠林』(巻八十)にも採録せられた名高い蚕馬伝説と関係がある。すなわちそれによれば,主人の娘を恋い慕って殺され皮を剥がれたその馬の皮が,ある日,決然と起 ってその娘を巻き抱えて飛び去り,二人とも数日後に蚕となって桑樹の上に見出だされたと言う。
これは恐らく馬皮を冒った騎馬族の男神と,人の姿の農耕女神との hieros gamos から生まれた 神話にちがいないが,とにかくこの両人が蚕になったということは,まさしく天照大神の機織る服屋とよく照応する 。
すな わちその馬の皮,言い換えれば馬皮を冒った騎馬族の男神が,農耕女神の天井を抜いたということで、この不可解きわまる神話の意義もはじめて明瞭となる。すなわち天安河における天照大 神とスサノオノミコとの神婚において後者が馬形であったことを,この天井抜いた馬の皮が示す ので,その馬陰の荒れ狂う大豊勢のために女神が傷いて死んだということも,極めて自然に起っ てくる。”
ずいぶんと過激な表現ですが、それはさておき、
アマテラス=農耕女神
スサノオ=騎馬族の神
としており、さらに騎馬民族による農耕民族への暴虐と述べている点は、注目です。
スサノオは、新羅との関連があり、新羅は古くさかのぼれば騎馬民族系との説もありますから、つじつまは合っていますね。
”ちなみに女神がその陰処を傷けて死ぬということは,この外にも日本神話に一 二の例がある。た とえばイザナミノミコトは火神・火之迦具土之神を産んだ際に,その陰(みほと)に火傷して死ん で冥界に下り,『紀』に引く一書によれば,紀伊国熊野の有馬村に葬られて,毎年の花時に花を もって祭られるという。そして今もその地に遺る花の窟(いわや)がすなわちその時に焼けただ れた女神の陰であるというが,これはすなわち盛夏の烈日に野山の草木みな焼けただれる自然の 衰亡を,女神の火瘍死をもって示したものにほかならぬ。”
”しかるに天照大神の逝去はすなわち荒れ狂う冬属の暴威のために太陽が衰減し,ひいて万物みな生気を失って枯れはてる常闇の冬を現すもので、滋では海洋神スサノオノミコトがいつしか騎馬族の 馬神となり,ないし万物生成の太陽神を凌辱してついに死に至らしめる冬属の神ともなっていることは注意せねばならぬ。
けだしはじめ海洋族の侵寇を受けてようやくそれと親和した農耕民が,また海を渡って来襲する騎馬族の暴威の恐怖を,やがて太陽を死滅せしめる冬属の恐怖と交錯せしめ ,彼らの祭る馬神をもってすなわち冬属の神となしたものと思われる。
アマテラスの死=冬の到来による万物の死
でなおかつ、
スサノオが冬の神となっている、としています。
複雑な言い回しですが、ようは
海洋族の侵害
↓
農耕民の親和
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騎馬族の来襲
⇒ 冬の恐怖と交錯した
⇒ 騎馬族の馬神を冬の神となした
というわけです。
”またはじめは海洋神であったスサノオノミコトが,どうして変質して次に騎馬族の馬神となったか といえば,それは要するに馬神が海洋神のあとをついで農耕民の祀る太陽女神の夫となったからであって,しかも女神の夫という身分においては両者は変らないことに基づくと思われる。すなわ ち女神の夫の交替が,同一夫神の変質ということに置き換えられたのである。”
ではなぜもともと海洋神であったスサノオが騎馬族の馬神に変わったのかについて、
アマテラス(農耕神)の夫が
海洋神 ⇒ 騎馬族の神
に変わった。
それにつれ、もともと海神であったスサノオも馬神となった、と述べています。
つまり
海洋神(スサノオ)⇒ 馬神(スサノオ)
に変質した、というのです。
”これは始め海洋神で後に馬神となったポセイドーンについてもまた見られる現象で,まさしくポセイドーンの語原は πoσεℓδα g ,すなわち女神 ⊿α の夫の義にほかならぬと考えられる。⊿αはすなわち ⊿ημη’τηρ の⊿ηで,ギリシアに最も古くから祀られた農耕女神の尊称であった。
スサノオは恐らく丕竺之夫(オ)の義で,スサは古くは稲を指したと思われる。壁土にまぜる稲の藁をスサというのは,多分その名残りであろう。
そしてタケハヤスサノオというタケハヤすなわち健けく速いという語はもとより馬神を言ったもの で,その前任者たる海神と区別するために付けられた形容旬であること疑いない。”
以上について、ギリシア神話と同じ構造である、と指摘しています。
たいへんややこしい論理ですが、皆さんはどのように考えたでしょうか?
一見、もっともらしい説にも聞こえますが、以下、私の考えです。
まず、アマテラスを農耕族の神としていますが、どうでしょうか。
たしかに農耕民の神となっていったわけですが、もともとの出自は対馬近辺であることは、前にお話ししました。つまり、海洋族の神だったわけです。
そしてスサノオが、もともと海洋族の神でなおかつアマテラスの夫だったところ、騎馬族の侵略を受けアマテラスが騎馬族の妻となったために、スサノオが騎馬族の神に変わった、という点も、よくわかりません。
もし本当に騎馬族に侵略され、アマテラスがその妻となったのなら、夫の名前は騎馬族の名前だけになるのが自然だと思うのですが・・・。
とはいえ、非常に重要な視点であることは間違いありません。
誓約でアマテラスに勝利したスサノオは、その後に調子に乗って暴虐の限りを尽くした結果、高天原から追放され、出雲の国に降り立ちます。日本書記の一書第四では、その途中、新羅に立ち寄ったとされていることは、前にお話ししました。
”高天原を追放されたスサノオは、”その子イソタケルをひきいて、新羅の国に降られて、曾尸茂梨(ソシモリ、ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私はいたくないのだ」と。ついで土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。”(「日本書紀」(宇治谷孟)より)
高天原が対馬近辺とすると、
対馬近辺 ⇒ 新羅 ⇒ 出雲
の移動です。
海洋族のスサノオが、騎馬民族の文化がある新羅に寄った際に、その文化を受容したと考えることもできます。
これはあくまで誓約のあとの話ですが、もともとスサノオが新羅との関係が深かったと解釈すれば、小林氏の指摘にもつながってきますね。
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