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古事記・日本書紀のなかの史実 (50) ~ 天岩戸神話⑤

前回は、天岩戸神話とギリシア神話が似ているという話でした。
たしかに神々の関係は、よく似ています。ところが話はこれで終わりません。

”しかしこうして回復せられた神話の原形,すなわち屋根を穿って堕ちてくる斑馬の皮を見て.天照大神が驚いて梭で陰をついて死んだ一という話はまだまだ歪められた神話である。それには更に その原形がなければならぬ。だいいち屋根を穿って馬の皮が堕ちてくるというのはおかしい。庇 や戸口から投げ入れても好いのに,なぜ屋根を突きぬけねばならぬのであろうか。そこには確か に隠された意味があるにちがいない。

つまり、この神話にはもともと原型があり、それを後世になりぼかした話にしているのだ、というのです。以下、生々しい話になりますので、気になる方は読み飛ばしてください。

”恐らく陵で陰を衝くということと,屋根を穿つということとは,茲では一致して別の同一事を指すにちがいない。すなわち馬陰が女陰を突くということを忌避して,それをなるべく判り難く伸ば して言うと,この話になるらしい。大神の陰上 に到達するまでに,馬陰は馬皮となって屋根を穿 ち,更に梭となって,ようやくそこを衝ぎ得たのである。

そうして『記』に頂(むね)といい,『紀』に甍と記すところのその屋根は,後世の交学であるけれども,かの『義経千本桜』道行初音の旅の段の里の男が唱う歌に,「我が妻が天井ぬけてすえ る膳,昼の枕はつがもなや,天井ぬけてすえる膳,ひるの枕はつがもなや,ヲヲつがもなや」とい うその天井ぬけの屋根であって,同じく鮓屋の段の娘お里の詞に,「テモ粋な父さん離座敷は隣知 らず,餅つきせうとヲをかし,こちらは爰に天井抜け,寝て花やろと蒲団敷く」というその天井抜けの屋根にほかならない。

そうしてそれは溯っては中国古代神話の女蝸補天の天井抜けにも通じ るので,そういう言い廻しが夙く記紀に見えたとて,敢て異とするに足らない。
人間生活の深い基本に根ざす民衆的な表現は世紀にわたって変らないので,やがて『 千干本桜 』を もって記紀をも解釈し得るのである。”

「屋根を穿つ」「天井抜け」には、別の意味があるというのです。
さらに、騎馬民族と農耕民族との関係まで指摘しています。

”また馬を剥いだ皮というのは,古くアジアー帯にひろく流伝して,まず晋の干宝の『捜神記』・つい で唐の道世の『法苑珠林』(巻八十)にも採録せられた名高い蚕馬伝説と関係がある。すなわちそれによれば,主人の娘を恋い慕って殺され皮を剥がれたその馬の皮が,ある日,決然と起 ってその娘を巻き抱えて飛び去り,二人とも数日後に蚕となって桑樹の上に見出だされたと言う。

これは恐らく馬皮を冒った騎馬族の男神と,人の姿の農耕女神との hieros gamos から生まれた 神話にちがいないが,とにかくこの両人が蚕になったということは,まさしく天照大神の機織る服屋とよく照応する 。

すな わちその馬の皮,言い換えれば馬皮を冒った騎馬族の男神が,農耕女神の天井を抜いたということで、この不可解きわまる神話の意義もはじめて明瞭となる。すなわち天安河における天照大 神とスサノオノミコとの神婚において後者が馬形であったことを,この天井抜いた馬の皮が示す ので,その馬陰の荒れ狂う大豊勢のために女神が傷いて死んだということも,極めて自然に起っ てくる。”

ずいぶんと過激な表現ですが、それはさておき、
アマテラス=農耕女神
スサノオ=騎馬族の神

としており、さらに騎馬民族による農耕民族への暴虐と述べている点は、注目です。

スサノオは、新羅との関連があり、新羅は古くさかのぼれば騎馬民族系との説もありますから、つじつまは合っていますね。

”ちなみに女神がその陰処を傷けて死ぬということは,この外にも日本神話に一 二の例がある。た とえばイザナミノミコトは火神・火之迦具土之神を産んだ際に,その陰(みほと)に火傷して死ん で冥界に下り,『紀』に引く一書によれば,紀伊国熊野の有馬村に葬られて,毎年の花時に花を もって祭られるという。そして今もその地に遺る花の窟(いわや)がすなわちその時に焼けただ れた女神の陰であるというが,これはすなわち盛夏の烈日に野山の草木みな焼けただれる自然の 衰亡を,女神の火瘍死をもって示したものかならぬ。”

”しかるに天照大神の逝去はすなわち荒れ狂う冬属の暴威のために太陽が衰減し,ひいて万物みな生気を失って枯れはてる常闇の冬を現すもので、滋では海洋神スサノオノミコトがいつしか騎馬族の 馬神となり,ないし万物生成の太陽神を凌辱してついに死に至らしめる冬属の神ともなっていることは注意せねばならぬ。

けだしはじめ海洋族の侵寇を受けてようやくそれと親和した農耕民が,また海を渡って来襲する騎馬族の暴威の恐怖を,やがて太陽を死滅せしめる冬属の恐怖と交錯せしめ ,彼らの祭る馬神をもってすなわち冬属の神となしたものと思われる。

アマテラスの死=冬の到来による万物の死
でなおかつ、
スサノオが冬の神となっている、としています。

複雑な言い回しですが、ようは

海洋族の侵害

農耕民の親和

騎馬族の来襲

⇒ 冬の恐怖と交錯した
⇒ 騎馬族の馬神を冬の神となした

というわけです。
”またはじめは海洋神であったスサノオノミコトが,どうして変質して次に騎馬族の馬神となったか といえば,それは要するに馬神が海洋神のあとをついで農耕民の祀る太陽女神の夫となったからであって,しかも女神の夫という身分においては両者は変らないことに基づくと思われる。すなわ ち女神の夫の交替が,同一夫神の変質ということに置き換えられたのである。”

ではなぜもともと海洋神であったスサノオが騎馬族の馬神に変わったのかについて、

アマテラス(農耕神)の夫が
海洋神 ⇒ 騎馬族の神
に変わった。

それにつれ、もともと海神であったスサノオも馬神となった、と述べています。
つまり
海洋神(スサノオ)⇒ 馬神(スサノオ)
に変質した、というのです。 

”これは始め海洋神で後に馬神となったポセイドーンについてもまた見られる現象で,まさしくポセイドーンの語原は πoσεℓδα g ,すなわち女神 ⊿α の夫の義にほかならぬと考えられる。
⊿αはすなわち ⊿ημητηρ の⊿ηで,ギリシアに最も古くから祀られた農耕女神の尊称であった。

スサノオは恐らく丕竺之夫(オ)の義で,スサは古くは稲を指したと思われる。壁土にまぜる稲の藁をスサというのは,多分その名残りであろう。
そしてタケハヤスサノオというタケハヤすなわち健けく速いという語はもとより馬神を言ったもの で,その前任者たる海神と区別するために付けられた形容旬であること疑いない。”

以上について、ギリシア神話と同じ構造である、と指摘しています。

たいへんややこしい論理ですが、皆さんはどのように考えたでしょうか?

一見、もっともらしい説にも聞こえますが、以下、私の考えです。

まず、アマテラスを農耕族の神としていますが、どうでしょうか。

たしかに農耕民の神となっていったわけですが、もともとの出自は対馬近辺であることは、前にお話ししました。つまり、海洋族の神だったわけです。

そしてスサノオが、もともと海洋族の神でなおかつアマテラスの夫だったところ、騎馬族の侵略を受けアマテラスが騎馬族の妻となったために、スサノオが騎馬族の神に変わった、という点も、よくわかりません。

もし本当に騎馬族に侵略され、アマテラスがその妻となったのなら、夫の名前は騎馬族の名前だけになるのが自然だと思うのですが・・・。

とはいえ、非常に重要な視点であることは間違いありません。

誓約でアマテラスに勝利したスサノオは、その後に調子に乗って暴虐の限りを尽くした結果、高天原から追放され、出雲の国に降り立ちます。日本書記の一書第四では、その途中、新羅に立ち寄ったとされていることは、前にお話ししました。

”高天原を追放されたスサノオは、”その子イソタケルをひきいて、新羅の国に降られて、曾尸茂梨(ソシモリ、ソホル即ち都の意か)のところにおいでになった。そこで不服の言葉をいわれて、「この地には私はいたくないのだ」と。ついで土で舟を造り、それに乗って東の方に渡り、出雲の国の簸の川の上流にある、鳥上の山についた。”(「日本書紀」(宇治谷孟)より)

高天原が対馬近辺とすると、
対馬近辺 ⇒ 新羅 ⇒ 出雲
の移動です。

海洋族のスサノオが、騎馬民族の文化がある新羅に寄った際に、その文化を受容したと考えることもできます。

これはあくまで誓約のあとの話ですが、もともとスサノオが新羅との関係が深かったと解釈すれば、小林氏の指摘にもつながってきますね。

皆さんはどのように考えますか?

スサノオ

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古事記・日本書紀のなかの史実 (49) ~ 天岩戸神話とギリシア神話

天岩戸神話に関する素朴な疑問の続きです。

c.なぜアメノウズメは、裸になって踊るという奇怪な行動をとったのか?
d.そもそも一連の話は、何を意味しているのか?

cですが、これもよくわからない話です。
その場面ですが、

アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑りして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊った。すると、高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った。

これを聞いたアマテラスは訝しんで天岩戸の扉を少し開け、「自分が岩戸に篭って闇になっているのに、なぜ、アメノウズメは楽しそうに舞い、八百万の神は笑っているのか」と問うた。

アメノウズメが「貴方様より貴い神が表れたので、喜んでいるのです」というと、アメノコヤネとフトダマがアマテラスに鏡を差し出した。鏡に写る自分の姿をその貴い神だと思ったアマテラスが、その姿をもっとよくみようと岩戸をさらに開けると、隠れていたアメノタジカラオがその手を取って岩戸の外へ引きずり出した。”


ようはアマテラスを外におびき出すために、裸になって踊った、ということですが、われわれの感覚からすると、ずいぶんと品のないとうか、常識はずれな行動です。現代なら、公序良俗違反で逮捕されていますよね。

それを当時の人たちは、むしろ面白がって、楽しんでいます。
だから古代人は、陽気で素朴で開けっぴろげだったのだ、という見方ができます。

もちろんそれはそうなのかもしれませんが、もうひとつ、こうした風習が当時普通に行われていたのではないか、という推測もできます。

これに加えて、dの天岩戸神話の意味するところ全体について、ギリシア神話との類似が指摘されていることは、前にお話ししました。

まず、ギリシア神話の該当部分のおさらいです。
生々しい大人の表現があるので、気になる方は、さらりと読んでください。

"デメテルはあるとき、アルカディア地方を通りかかったおりに、彼女に情欲を燃やしたポセイドンによって、後をつけられているのに気づいた。彼女はそこで、とっさに一頭の牝馬に姿を変えて、付近で草を食んでいる馬の群れの中に混じり、ポセイドンの目をくらまそうとした。
しかしポセイドンは、女神の変身を目ざとく見破り、自身もすかさず牝馬の形をとると、牝馬になったデメテルを捕らえて、むりやりに情欲を遂げた。

この交わりの結果デメテルは、秘儀にあずからぬ者には名を明かすことのできぬ大女神と、アレイトンと呼ばれる一頭の馬を生んだ。

この事件の後、デメテルはポセイドンの理不尽な行為に憤って、黒衣に身を包み、山中の洞穴の中に閉じこもって、作物を生育させる大地女神としての機能を果たすことをやめ、世界を飢饉に陥れた。困惑したゼウスは、最後に運命の女神のモイライをこの隠所に派遣して説得にあたらせ、ようやくデメテルを洞穴から出させることができた。”(「日本神話の源流」(吉田敦彦)P146)

ポセイドンはオリンポス十二神の一柱で、海と地震を司る神で、粗野で狂暴なことで知られています。デメテルもオリンポス十二神の一柱、豊穣の女神で、ポセイドンの姉です。

ちなみに十二神といえば、有名な全知全能の神ゼウスがいます。
つまり、ゼウス、ポセイドン、デメテルは、兄弟姉妹ということになります。

上の話について、デメテルがアマテラス、スサノオがポセイドンに対応するというのです。

これに関して非常に興味深い論文があるので紹介します。「ポセイドーンとスサノオノミコト : 比較神話学の一方法の試み」(小林太市郎)からです。

”次にスサノオノミコト天照大神の身に佩びた珠を乞いわたして子を生んだというその珠は,や はり円くて貫くものであるから,これもまた怪しむに足らない。しかるにスサノオの剣すなわちそ の胤から生まれた子が三人ともみな女であって,ミコトの詞に,「我が心清明き故に,我が生めりし御子,手弱女を得つ」というのは実に徹底したフェミニスムで,これより甚だしい女性尊重論は ない。そしてそれはスサノオノミコトが,まず母系制の海洋人の祀る海神であったとを明かに 示している。”

まずは、ウケイ(誓約)の話です。文章中の冒頭の記載が何を意味しているのかは明らかですね。「神婚」つまり神同士の交わりであったと述べています。

そして面白いのは、スサノオがフェニミズム(女性尊重論)である、としている点です。
「私の心が清明であるから、私が生んだ子は女の子であった」、つまり生まれた女の子も心が清明だ、ということからフェミニズムとしているように受け取れますが、はたしてそこまでいえるのかは何ともいえないところです。
また母系の海洋民族の祀る神であった、としている点も注目です。

”しかるにこの二神の hieros garmos に際し,デーメーテールを姦したときのポセイドーンと同じ ように,スサノオノミコトが確かに馬形をとったことを,この神話の続きは紛れなく示唆している。
すなわち彼は勝ち誇って種々の乱暴をはたらき,農耕神たる天照大神のつくる田の畔を離ち,溝 を埋め,またその御殿に屎まり散らす等のことをするが,これは人よりもむしろ馬の所行として 肯かれること言うまでもない 。”

hieros garmosとは、「神婚」のことです。ポセイドンは牡馬になってデメテルを姦したのですが、スサノオも馬の形をとったことに注目してます。スサノオのその後の乱暴狼藉を、馬の所業と解釈してます。いわれてみれば、そのように解釈もできそうです。

”しかし決定的なのは,女神がペーネロペーのように機織るその服屋(はたや)の頂(むね)を穿 って,天斑馬(あめのふちこま)を逆剥に剥いだ皮を,彼が堕し入れた。そのとき天御衣織女(あめのみそおりめ)が見驚いて,機織る梭(ひ)を自分の陰上(ほと)に衝きたてて死んだ。そこ で天照大神が 見畏みて,天石屋戸を閉ててさし籠りましましき,すなわち高天原みな暗く,葦原 中国悉に闇し,此に因りて常夜ゆく。」ということである。

この織女はあきらかに天照大神と同体分身の神女で,まさしくデーメーテールコレーに相当す る。また「日本書紀』に引く一書にはこれを稚日女尊(ワカヒルメノミコト)のこととするが,ワ カヒルメはすなわち大日霊貴(オナヒルメノムチ)を名とする天照大神の嫡女で,いよいよコ レ ーにほかならない。すなわちこの話は実は天照大神自身がその陰をついて死んだ,すなわち天石屋 に幽居したので,太陽かくれて世が常闇になったということを示 唆す る。”


機織り女とアマテラスを同体分身の神女としてます。コレーとは、ベルセポネーのことで、デメテルとゼウスの娘です。
デメテルが「母」を意味するのに対してコレーは「若い娘」を意味します。

ワカヒルメはよくわかっていません。

”神名の「稚日女(ワカヒルメ)」は若く瑞々しい日の女神という意味である。天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。”(Wikipedia「ワカヒルメ」より)

つまり
・アマテラス自身あるいはアマテラスの幼名
・アマテラスの妹神
・アマテラスの御子神
など、諸説あります。

論文では、アマテラス=オオヒルメであるから、ワカヒルメはアマテラスの御子神との説をとっています。
そうなると、デメテルの娘のベルセポネー(コレー)との関係と同じであるといっているわけです。

ギリシア神話と天岩戸神話



図をみればわかるとおり、おおむねの関係は同じであることがわかります。

論文に戻ります。

”すなわち『古事記』はそこを陰上と明記した代りに,天照大神を織女とせざるを得なかった。しかし『書紀』の撰者はそういう身代りを欲せず,天照大神自身が傷身して死んだと言う代りに,陰上をぼかしてしまったのである。すなわち傷身処を明記するか,身代りを立てるかの二者択一を ,神話作者あるいは記紀の編者は迫られたのであるが,記紀それぞれに異なる択一が採られたこ とは幸であった。

若し両者ともに同じ択一に従ったならば,この貴重な比較をすることができず,ひいて神話の原形を捕捉するのが難しくなったにちがいない。
あるいは舎人親王が『古事記』の茲の丈を見て安麻呂の苦衷を察し,わざと「天照大神驚動.以 梭傷身」と記して,彼を助けられたのかも知れぬ。そして恐らくはそうであろう。昔の学者には それぐらいの侠気も洒落気もあったと考えてよい 。”

なぜ古事記と日本書記の記述は異なっているのか、についての推測です。たしかにそのようにとれなくもありませんね。


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古事記・日本書紀のなかの史実 (48) ~ 天岩戸神話③

前回は、天岩戸神話が日食を表しているのではないかという説に対して、科学的データを用いて検証しました。

ここでもうひとつ、注目すべき点があります。
それは、天岩戸神話に似た話が、世界中に多く存在することです。

”インドネシア・タイ・トルコ・モンゴル・中国南部・サハリンなどアジアには広く射日神話・招日神話が存在する。特に中国南部の少数民族に天岩戸と似た神話が多い。

ミャオ族は、九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。残った一つずつの日月は隠れてしまった。天地は真っ暗。知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。

プーラン族は、太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。

ペー族には、天地が離れ始めた頃、天に十個の太陽と一個の月が昇った。子供の太陽たちは昼夜を分かたず天を駆ける。そのため地上は焼けるような熱さで、蛙と鶏の兄弟は太陽を追って槍で九個の太陽を刺し殺してしまう。両親である母・太陽と父・月は恐れて天眼洞の奥深くに隠れてしまい世は真っ暗闇。そこで蛙は天を、鶏は地を探した。鶏が声を放って呼ぶと太陽と月は天眼洞から顔を出し、こうして大地に日月が戻った。人々は太陽を呼び出した鶏に感謝して、赤い帽子を与えた。

その他の少数民族にもさまざまなパターンで存在する。中には太陽と月を射殺した者が逃れて隠れた太陽と月に色々捧げてなんとか外に出て来てもらう神話や、美声を使って出て来てもらう神話もある。

中国北方の馬の文化では太陽を男性とみなし、南方の船の文化では太陽が女性として信仰されていた。シベリアでもナナイ族やケト族など太陽を女とみる少数民族が多い。”(Wikipedia「天岩戸神話」より)

以上のとおり、東アジアから東南アジアにかけて、天岩戸神話に似た「射日神話」「招日神話」が多いことがわかります。

注目すべきは、太陽とともに、月がセットになっていることです。
また、解決にニワトリが登場している点も、似てますね。

ではこの「射日・招日」神話は、日食を表しているのでしょうか?

もう少し詳しくみてみましょう。

中国の神話からです。


羿(げい)は、中国神話に登場する人物。
天帝である帝夋(嚳ないし舜と同じとされる)には羲和という妻がおり、その間に太陽となる10人の息子(火烏)を産んだ。この10の太陽は交代で1日に1人ずつ地上を照らす役目を負っていた。ところが帝堯の時代に、10の太陽がいっぺんに現れるようになった。地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。

このことに困惑した帝堯に対して、天帝である帝夋はその解決の助けとなるよう天から神の一人である羿をつかわした。帝夋は羿に紅色の弓(彤弓)と白羽の矢を与えた。羿は、帝堯を助け、初めは威嚇によって太陽たちを元のように交代で出てくるようにしようとしたが効果がなかった。そこで仕方なく、1つを残して9の太陽を射落とした。これにより地上は再び元の平穏を取り戻したとされる。

その後も羿は、各地で人々の生活をおびやかしていた数多くの悪獣(窫窳・鑿歯・九嬰・大風・修蛇・封豨)を退治し、人々にその偉業を称えられた。(「Wikipedia「羿」より)

羿

この神話では、10個の太陽のせいで灼熱地獄になったため、9個を射落として1個にしました。
その間、太陽が出なくなり暗くなるという描写はありません。つまり、日食とではないといえます。

実際、通説でも、
”はじめ太陽・月は複数で存在し、それが英雄によって今日のように一ずつになったという射日・射月型の神話は、本来的には酷暑に悩む熱帯地方に発生した神話であり、したがって、射月神話はおそらく射日神話から派生したものであろう。”(「世界神話事典 創成神話と英雄伝説」(大林太良他編、P429-430)

とあります。

中国の神話も、
”地上は灼熱地獄のような有様となり、作物も全て枯れてしまった。”
とあり、もともとは熱帯地方に発生した神話の名残をとどめています。

同書では、天岩戸神話に似た神話として、別の神話を挙げてます。

”日と月が邪悪な存在によって引き起こされるという日食・月食の起源神話は世界的に拡まっている。”
東南アジアの日食・月食神話は、インド神話の影響を強く受けている。ただし、東南アジアの各地ではおおむね三人兄弟の話となっており、タイでもその点は同じである。”(同書、P408-409)

タイの神話をみてみましょう。

太陽と月とラフは人間の兄弟で、地上で一緒に暮らしていた。ところが、長兄である太陽は毎日、僧侶たちに施し物として黄金を与え、次兄の月は同じように銀を施したが、末弟のラフは汚れた鉢に米を少し入れて恵むことしかしなかった。そのため、二人の兄は死ぬと天上に昇って太陽と月になって神々の仲間入りをした。
だが、ラフは腕と爪しかない真っ黒な怪物になった。ラフは兄たちを妬み、彼らに襲いかかって飲み込もうとする。日食と月食はそのために起こるのであるという。”

“天岩戸神話は、東南アジアに拡まっている三人兄弟を主人公とする日食・月食神話の面影をとどめている。”(同書P409)

"インドや東南アジアでは、太陽・月にもう一人の兄弟がいて、三人の兄弟姉妹とされ、その第三の兄弟が太陽・月に対する加害者とされる。太陽・月は彼によって突然侵害され、地上は危機的状況に追い込まれる。日食と月食は、このようにして発生すると説明されている。”(同書P429)

いずれも三人兄弟がいるところに注目です。
日本でも、
・アマテラス=姉
・ツキヨミ=弟
・スサノオ=弟
です。

そして、第三の兄弟であるスサノオが、加害者となり、地上は危機的状況になる点も同じです。
これだけ似ていれば、単なる偶然ではなく、伝播したと考えざるをえません。

ただし、これがはたして射日・射月神話と似ているかというと、そうともいえないでしょう。

射日・射月神話と、日食・月食の起源神話については、もともと別の系統の神話だった可能性もありますし、もしかしたら祖型となる神話があり、それが二つに分かれた可能性もあります。

いずれにしろ、天岩戸神話は、この二つの神話群の流れを汲んでいるとみていいでしょう。

射日・日食神話


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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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