古事記・日本書紀のなかの史実 (54) ~スサノオの上陸地
高天原を追放されたスサノオは、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現・奥出雲町鳥上)に降り立ちます。
現地伝承では、島根県西部の石見地方にも、上陸地との言い伝えが残されています。
太田市五十猛(いそたけ)町です。
”地区内には、スサノオ一行が舟をつないで海岸の様子をうかがった神島(かみしま)、一行が上陸した浜辺の神上(しんじょう)、スサノオと子どもたちが別れた神別れ坂、といった、伝説を物語るゆかりの地名が点在してます。
また港の傍らにはスサノオを祀る韓神新羅(からかみしらぎ)神社があり、いかにも朝鮮半島からの渡来を連想させます。
近くにはイソタケルを祀る五十猛神社のほか、イソタケルの妹オオヤツヒメを祀る大屋姫命(オオヤヒメのミコト)神社や妹のツマヅヒメを祀る漢女(からめ)神社もあり、古代ロマンを感じさせます。”(島根県HP「石見のスサノオ伝説」より)
<韓神新羅神社>
”五十猛町大浦の泊り山にあり、通称「大浦神社」とか「明神さん」と呼んでいます。祭神はスサノオです。スサノオは、新羅からイソタケル、オオヤツヒメ、ツマヅヒメの3人の御子神とともに、大浦の神島に上陸され、泊り山にしばしおとどまりになったという神話が伝えられています。”(しまね観光ナビHPより)
<五十猛神社>
”イソタケルは、父神・スサノオとともに新羅へ天降り、新羅より埴舟に乗って我国へ帰り来たった神。
その帰路、磯竹村(現五十猛町)の内大浦の灘にある神島に舟上がり、父神・スサノオは大浦港(韓神新羅神社)に、イソタケル・ツマヅヒメ・オオヤヒメの兄妹神らは今の宮山(当社)に鎮まり給うたという。”(「玄松子記憶HP、五十猛神社」より)
イソタケルとはスサノオの子神であり、日本書紀の異伝では、スサノオがイソタケルとともに、新羅へ行き、舟で鳥上の峯に至ったと記されてることは、前回お話ししました。
朝鮮半島から舟でやってくれば、五十猛町あたりに漂着する可能性はあります。
もちろん後世に創作されたものだ、という解釈もできますが、ここまで細かい伝承や神社があるとなると、何がしかの史実を反映している可能性も充分あるとみていいではないでしょうか?

続きです。誰でもが知っている、ヤマタノオロチの話です。
”箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子の足名椎(アシナヅチ)命と手名椎(テナヅチ)命であり、娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)といった。”
オオヤマツミとは、
”『古事記』では、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた。
『日本書紀』では、イザナギがカグツチを斬った際に生まれたとしている。
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。”(Wikipedia「オオヤマツミ」より)
また老夫婦は、アシナヅチ、テナヅチといいますが、「チ」は「精霊」「神」の古い表現との説があります。
となると、オオヤマツミ、アシナズチ、テナヅチとも、土着の神ということになります。
それが縄文時代からの神なのか、渡来系弥生人の神なのかはわかりませんが、少なくともスサノオより前に日本にいた神ということです。
娘のクシナダヒメですが、
”名前は通常、『日本書紀』の記述のように「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神と解釈される。 原文中では「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)にその童女(をとめ)を取り成して~」とあり、クシナダヒメ自身が変身させられて櫛になったと解釈できることから「クシになったヒメ→クシナダヒメ」という言葉遊びであるという説もある。さらに、櫛の字を宛てることからクシナダヒメは櫛を挿した巫女であると解釈し、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。
もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。”(Wikipedia「クシナダヒメ」より)
とあります。
こちらも諸説あります。「やまとなでしこ」の語源とは、これまた面白いですね。
↓ 新著です。よろしくお願い申し上げます!!
最後まで読んでくださり最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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現地伝承では、島根県西部の石見地方にも、上陸地との言い伝えが残されています。
太田市五十猛(いそたけ)町です。
”地区内には、スサノオ一行が舟をつないで海岸の様子をうかがった神島(かみしま)、一行が上陸した浜辺の神上(しんじょう)、スサノオと子どもたちが別れた神別れ坂、といった、伝説を物語るゆかりの地名が点在してます。
また港の傍らにはスサノオを祀る韓神新羅(からかみしらぎ)神社があり、いかにも朝鮮半島からの渡来を連想させます。
近くにはイソタケルを祀る五十猛神社のほか、イソタケルの妹オオヤツヒメを祀る大屋姫命(オオヤヒメのミコト)神社や妹のツマヅヒメを祀る漢女(からめ)神社もあり、古代ロマンを感じさせます。”(島根県HP「石見のスサノオ伝説」より)
<韓神新羅神社>
”五十猛町大浦の泊り山にあり、通称「大浦神社」とか「明神さん」と呼んでいます。祭神はスサノオです。スサノオは、新羅からイソタケル、オオヤツヒメ、ツマヅヒメの3人の御子神とともに、大浦の神島に上陸され、泊り山にしばしおとどまりになったという神話が伝えられています。”(しまね観光ナビHPより)
<五十猛神社>
”イソタケルは、父神・スサノオとともに新羅へ天降り、新羅より埴舟に乗って我国へ帰り来たった神。
その帰路、磯竹村(現五十猛町)の内大浦の灘にある神島に舟上がり、父神・スサノオは大浦港(韓神新羅神社)に、イソタケル・ツマヅヒメ・オオヤヒメの兄妹神らは今の宮山(当社)に鎮まり給うたという。”(「玄松子記憶HP、五十猛神社」より)
イソタケルとはスサノオの子神であり、日本書紀の異伝では、スサノオがイソタケルとともに、新羅へ行き、舟で鳥上の峯に至ったと記されてることは、前回お話ししました。
朝鮮半島から舟でやってくれば、五十猛町あたりに漂着する可能性はあります。
もちろん後世に創作されたものだ、という解釈もできますが、ここまで細かい伝承や神社があるとなると、何がしかの史実を反映している可能性も充分あるとみていいではないでしょうか?

続きです。誰でもが知っている、ヤマタノオロチの話です。
”箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子の足名椎(アシナヅチ)命と手名椎(テナヅチ)命であり、娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)といった。”
オオヤマツミとは、
”『古事記』では、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた。
『日本書紀』では、イザナギがカグツチを斬った際に生まれたとしている。
神名の「ツ」は「の」、「ミ」は神霊の意なので、「オオヤマツミ」は「大いなる山の神」という意味となる。”(Wikipedia「オオヤマツミ」より)
また老夫婦は、アシナヅチ、テナヅチといいますが、「チ」は「精霊」「神」の古い表現との説があります。
となると、オオヤマツミ、アシナズチ、テナヅチとも、土着の神ということになります。
それが縄文時代からの神なのか、渡来系弥生人の神なのかはわかりませんが、少なくともスサノオより前に日本にいた神ということです。
娘のクシナダヒメですが、
”名前は通常、『日本書紀』の記述のように「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神と解釈される。 原文中では「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)にその童女(をとめ)を取り成して~」とあり、クシナダヒメ自身が変身させられて櫛になったと解釈できることから「クシになったヒメ→クシナダヒメ」という言葉遊びであるという説もある。さらに、櫛の字を宛てることからクシナダヒメは櫛を挿した巫女であると解釈し、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。
もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。”(Wikipedia「クシナダヒメ」より)
とあります。
こちらも諸説あります。「やまとなでしこ」の語源とは、これまた面白いですね。
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