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古事記・日本書紀のなかの史実 (62) ~国引き神話

スサノオの系譜を続けます。

スサノオ系譜


スサノオの孫のフハノモジクヌスヌと、オカミの娘ヒカハヒメとの子がフカブチノミズヤレハナです。

まずオカミですが、竈の神で谷間の水を司る神といわれます。神産みにおいてイザナギがカグツチを斬り殺した際に生まれたとしてます。

次にヒカハヒメとフカブチノミズヤレハナですが、ともに水に縁のある神です。

そのフカブチノミズヤレハナの子がオミズヌです。オミズヌは出雲において、たいへん重要な神です。
名義不詳ですが、「出雲風土記」意宇郡の条には「八束水臣津野(ヤツカミズオミツヌ)命」が国を引いたとあり、この神がオミズヌとされています。

「出雲国風土記」には、有名な「国引き神話」が出てきます。
出雲国に伝わる神話の一つです。不思議なことに『古事記』や『日本書紀』には記載されていません。ではその訳文です。

”意宇と名付けるわけは、国引きをなさった八束水臣津野命(やつかみずおみづぬ)がおっしゃられるには、「八雲立つ出雲の国は、幅の狭い布のような幼い国であるよ。初めの国を小さく作ったな。それでは、作って縫いつけることにしよう。」とおっしゃられて、「志羅紀(しらき)の三崎を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」とおっしゃられて、

童女(おとめ)の胸のような鋤(すき)を手に取られ、大魚の鰓(えら)を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒り(より)の強い綱を掛け、霜枯れた黒葛(つづら)を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来(くにこ)、国来」と引いて来て縫いつけた国は、去豆の折絶(こづのおりたえ)から八穂米支豆支の御埼(やほしねきづきのみさき)である。そしてこの国を繋ぎ固めるために立てた杭は、石見国(いわみのくに)と出雲国との堺にある佐比売山(さひめやま)がこれである。またその引いた綱は、薗の長浜(そののながはま)がこれである。

また、「北門の佐伎の国(さきのくに)を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」とおっしゃられて、童女の胸のような鋤を手に取られ、大魚の鰓を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒りの強い綱を掛け、霜枯れた黒葛を操るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国は、多久の折絶(たくのおりたえ)から狭田の国(さだのくに)がこれである。

また、「北方の良波の国(えなみのくに)を、国の余りがありはしないかと見れば、国の余りがある。」とおっしゃられて、童女の胸のような鋤を手に取られ、大魚の鰓を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒りの強い綱を掛け、霜枯れた黒葛を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国は、宇波折絶(うはのおりたえ)から闇見国(くらみのくに)がこれである。

また、「高志(こし)の津津の三埼(つつのみさき)を、国の余りがありはしないかと見れば国の余りがある。」とおっしゃられて、童女の胸のような鋤を手に取られ、大魚の鰓を衝くように土地を断ち切り、割き離して、三本縒りの強い綱を掛け、霜枯れた黒葛を繰るように、手繰り寄せ手繰り寄せ、河船を引くようにそろりそろりと「国来、国来」と引いて来て縫いつけた国は、三穂の埼(みほのさき)である。持って引いた綱は夜見島(よみしま)、繋ぎ固めるために立てた抗は、伯耆国(ほうきのくに)の火神岳(ひのかみのたけ)がこれである。

「今は国引きを終わった。」とおっしゃられて、意宇社(おうのもり)に杖を突き立て、「意恵(おえ)」とおっしゃられた。それで、意宇という。”「出雲国風土記 現代語訳」 (https://izumonokunifudoki.blogspot.com/2015/08/blog-post_90.htmlより)

四つの地域から土地を引っ張ってきて、出雲に四つの地域ができたという話です。それを比定地とともに整理すると、次表のとおりです。

国引き神話比定地

国引きイメージ


ここで問題となるのは出発地で、はたしてこれでいいのかという疑問が湧きます。
第一の新羅と第四の越国は確定としても、第二、第三は出雲の国の中から引いてきたことになり、これで「国引き」といえるのか、という問題があります。また第一・第四と比較して、距離のバランス感がよくないですね。

これに対して、壮大な説を提唱したのが、古田武彦氏です。

第一(新羅)と第四(越)には「国」がつかないのに対して、第二と第三は「国」がついています。「国」が何を意味するのかは不明ですが、何もついていない第一、第四よりさらに遠い地域をイメージさせます。

また第二、第三の「北門」について、
「北」にある「門」、すなわち出雲の北にある港と解釈します。そして第三の「良波(ヨナミ)」は、良いの「ヨ」、那の津の「ナ」、海の「ミ」で”良い港”としています。

そして新羅と越の国を確定としたうえで、なんと第二の「北門佐岐」を北朝鮮のムスタン(舞水端)に、第三の「北門良波」をウラジオストックに当ててます。たしかに位置的なバランスはいいですね。

国引きイメージ2
ウラジオストックは黒曜石の産地ですが、ムスタンのバックには白頭山があり、こちらも黒曜石の産地です。隠岐も黒曜石の産地であることから、三地域を結んで「黒曜石の三角地帯」と呼んでます。この地域、すなわち日本海を西半分を世界にした説話ではないか、と推測してます。

古くから日本海を挟んだ地域間で、人や物資が行き来していたことは、考古学や人間の遺伝子解析でわかっています。こうした人々の交流を背景にした物語ではないかというわけです。

面白いのは、”「国」を綱で引き寄せて杭につなぐという、漁民が毎日の生活の中で行うべき労働、その繰り返しだけでこの韻律豊かな神話が構成されている。”ことから、作者を出雲の漁民ではないか、と推測している点です。

さらに、”中心の道具は、縄と杭、金属器はない(スキは木器)”であることから、製作時期は縄文時代と推測してます。

なんとも大胆な仮説です。あまりにも壮大な発想であるため「古代(誇大)妄想」などと揶揄されるわけですが、一笑に付す説ではないと考えます。
もちろん「信じるか信じないかは、あなた次第」です・・・(笑)

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古事記・日本書紀のなかの史実 (61) ~スサノオの系譜

 スサノオは、クシナダヒメを娶り、子供を作ります。イナダヒメの他にも、カムオホイチヒメも娶り子供を作ります。古事記には、子孫の系譜が詳細に記載されています。そして最後に、オオクニヌシが登場します。

スサノオ~オオクニヌシ系譜

順にみていきましょう。

まずクシナダヒメとの間に生まれた子が、ヤシマジヌミですが、名義不詳とされます。

”名義は「多くの島々を領有する主の神霊」と考えられる
『古事記』において、八島士奴美神から遠津山岬多良斯神(とおつやまさきたらしのかみ)まで十五柱を指す十七世神(とおまりななよのかみ)の初代とされる。
『先代旧事本紀』では八島士奴美神の別名を大己貴神とし、粟鹿神社の書物『粟鹿大明神元記』では蘇我能由夜麻奴斯弥那佐牟留比古夜斯麻斯奴(そがのゆやまぬしみなさむるひこやしましぬ)と記述されている。”(Wikipedia「八島士奴美神」より)

ヤシマジヌミはよくわからない神です。名前からいって”多くの島々の支配者”ともとれます。なおここでいう「島」とは「ある領域」という意味です。
注目は、「先代旧事本紀」において、オオナムジとされていることです。オオナムジはオオクニヌシの別称とされていますが、なぜヤシマジヌミに同じオオナムジと呼ばれているのか、興味深いところですが、このテーマはのちほど・・・

次に、カムオホイチヒメとの間に生まれた子が、オホトシとウカノミタマです。
オホトシは「来訪神」「穀物神」「祖霊」ともいわれます。

”来訪神
毎年正月に各家にやってくる来訪神である。地方によってはお歳徳(とんど)さん、正月様、恵方神、大年神(大歳神)、年殿、トシドン、年爺さん、若年さんなどとも呼ばれる。

現在でも残る正月の飾り物は、元々年神を迎えるためのものである。門松は年神が来訪するための依代であり、鏡餅は年神への供え物であった。各家で年神棚・恵方棚などと呼ばれる棚を作り、そこに年神への供え物を供えた。

穀物神
「年」は稲の実りのことで、穀物神である。本居宣長は「登志とは穀のことなり、其は神の御霊以て、田に成して、天皇に寄奉賜ふゆえに云り、田より寄すと云こころにて、穀を登志とはいうなり」と述べ、穀物、農耕神であるとした。

信仰の根底にあるのは、穀物の死と再生である。古代日本で農耕が発達するにつれて、年の始めにその年の豊作が祈念されるようになり、それが年神を祀る行事となって正月の中心行事となっていった。

また一方で、年神は家を守ってくれる祖先の霊、祖霊として祀られている地方もある。農作を守護する神と家を守護する祖霊が同一視されたため、また、田の神も祖霊も山から降りてくるとされていたためである。

祖霊
柳田國男は、一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神が年神であるとしている。”(Wikipedia「年神」より)

日本の民間信仰において、たいへん重要な神様です。身近なところでは、正月にもらう「お歳玉」があります。これほど重要な神様が、スサノオの子とされているところが、示唆的です。

もう一人の子が、ウカノミタマです。日本書紀では、倉稲魂をウカノミタマと呼んでます。食物の神として知られます。

伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。ただし、稲荷主神としてウカノミタマの名前が文献に登場するのは室町時代以降のことである。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

 『日本書紀』では本文には登場せず、神産みの第六の一書において、イザナギとイザナミが飢えて気力がないときに産まれたとしている。飢えた時に食を要することから、穀物の神が生じたと考えられている。『古事記』『日本書紀』ともに名前が出て来るだけで事績の記述はない。

また『日本書紀』には、神武天皇が戦場で祭祀をした際に、供物の干飯に厳稲魂女(いつのうかのめ)という神名をつけたとあり、本居宣長は『古事記伝』において、これをウカノミタマと同じとしている。

神道五部書
鎌倉時代に伊勢神宮で編纂された「神道五部書」には、内宮と外宮の主な社殿と祭神が記されている。その一つ、『御鎮座伝記』では内宮について、「御倉神(みくらのかみ)の三座は、スサノオの子、ウカノミタマ神なり。また、専女(とうめ)とも三狐神(みけつかみ)とも名づく。」と記される。

外宮についても、「調御倉神(つきのみくらのかみ)は、ウカノミタマ神におわす。これイザナギ・イザナミ 2柱の尊の生みし所の神なり。また、オオゲツヒメとも号す。また、保食神(うけもちのかみ)とも名づく。神祇官社内におわす御膳神(みけつかみとはこれなるなり。また、神服機殿に祝い祭る三狐神とは同座の神なり。故にまた専女神とも名づく。斎王専女とはこの縁なり。また、稲の霊もウカノミタマ神におわして、西北方に敬いて祭り拝するなり。」と記される。

記紀神話に登場する食物神は、天照大神や天皇の食事を司ることから「御饌津神」(みけつかみ)とも呼ばれるが、ウカノミタマには「三狐神」の字が当てられている。これは関西方言では狐を「ケツ(ネ)」と呼んだことから付けられたといわれる[7]。

また、『日本書紀』ではウカノミタマを倉稲魂命と表記し、伊勢神宮でも御倉神として祀られることから、この神は五穀の神である食物神の中でも、特に稲倉に関係の深い神ではなかったかとも考えられている。”(「Wikipedia「ウカノミタマ」)

ウカノミタマも詳細は不明ながら、誰もが知っているお稲荷さんとして信仰されてます。ただしそれ以前は、御倉神、すなわち稲さらには食物の神とされてました。
いずれにしろ、伊勢神宮の内宮・外宮において祭られているというたいへん重要な神様です。オホトシカミとともに、この二神がスサノオの子とされているところが、注目です。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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