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古事記・日本書紀のなかの史実 (65) ~スサノオからオオクニヌシの系譜

前回は、古事記によるスサノオとオオクニヌシの関係についてでした。
スサノオとオオクニヌシは同時代(スサノオの娘婿)とするのが原型ではないか、という内容でした。

スサノオ~オオクニヌシ系譜2

さてそれでは六世孫とする系譜はどうなるのでしょうか?


スサノオ系譜

古田氏は次のとおり論じてます。

”オオクニヌシの父のアマノフユキヌ(天之冬衣)が、アマテラスやスサノオと同時代である。なぜなら「天の・・」という形をもっていることが注目される。
この神の祖母にあたる「アメノツドヘチネ(天之都度閇知泥)」「天国(あまぐに)」から来ており、その名をうけついだもの、と思われる。
すなわち、オオクニヌシは”血縁”上、「天国」と関係が深かったのだ。「天国」系を称する父と、「天国」のアマテラスの子たる妻とをもっていたのだから。”(「盗まれた神話 記紀の秘密」(古田武彦、朝日出版)P400-403より)


「天国(あまぐに)」とは、対馬・壱岐を中心とする海人族の領域です。オオクニヌシも天国の血を引いているという、なんとも興味深い指摘です。

そして、

1.須佐之男命(スサノオ)・・「天国」系

2.八島士奴美神(ヤシマジヌミ)・・「天国」系

3.布波能母遅久奴須奴神(フハノモジクヌスヌ)

4.深淵之水夜礼花神(フカフチノミズヤレハナ)

5.淤美豆奴神(オミズヌ)

6.天之冬衣神(アメノフユキヌ)

7.大国主神(オオクニヌシ)


という系譜について、

”3の布波能母遅久奴須奴(フハノモジクヌスヌ)神から6の天之冬衣(アメノフユキヌ)神は、同じ性格の名。筑紫や「天国」系の神々の名とは、ひと味、異質なのである。変てこで、”わかりにくい”のだ。
ところが2の八島士奴美神(ヤシマジヌミ)になるとちがう。「八島」という接頭辞も「美」で終わる神名も、先刻おなじみだ。
2表でオオクニヌシの第三の妻、鳥耳(トリミミ)神の父は、やはり八島牟遅能(ヤシマムジ)神だった。伊邪那美(イザナミ)神などの「美」はおなじみだ。「士奴(シヌ)」だけが中核部分だ。つまりこの神(ヤシマジヌミ)は「天国」系のスサノオの子として、他異なき名前と系譜をもつ。
ところが、3から6は、すっかり名前の様子がちがう。すなわち、「天国」系とは、異質の3から6の系譜をここにはめこんでいる。”(同書、P402-403)

”3から6は異質、すなわち「天国」系ではない”との指摘です。たしかになんとなくよくわからない違和感のある名前という感じはします。
そして、オオクニヌシがスサノオの娘婿であるとすると、この異質の系譜は挿入されている、というのです。

その理由は何でしょうか?

それは”オオクニヌシはスサノオ直系である”としたかったからでしょう。なんといってもオオクニヌシは出雲においては、「天の下をお造りなされた」大神オホアナモチという「天地創造の神」です。一方、「天国」系の神話では、アメノミナカヌシから始まりイザナギ・イザナミまでの国生み神話があります。

ですからオオクニヌシが天地創造の神のままでは都合がわるいわけです。
また「出雲国風土記」では国引き神話の神オミズヌは「国造りの神」でしたので、同様のことがいえます。

そこでオミズヌやオオクニヌシを「天国」系であるスサノオの子孫とすることにより、
オオクニヌシ=天地創造の神」
「オミズヌ=国造りの神」
であることを消し去り、「天国」系の正当性を保とうとしたのではないでしょうか?
   


スサノオ系譜推測

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古事記・日本書紀のなかの史実 (64) ~オオクニヌシとスサノオの関係

今回は、いよいよオオクニヌシの登場です。

出雲の「国引き神話」の神であるオミズヌとフテミミとの間にできた子がアメノフユキヌです。
アメノフユキヌとサシクニワカヒメとの間の子がオオクニヌシです。「オホナムチ」「アシハラシコヲ」「ヤチホコ」「ウツシクニダマ」という5つの亦の名をもっています。つまりオオクニヌシは、スサノオの六世孫ということになります。

スサノオ系譜

ここで大きな謎があります。
古事記ののちの話では、オオクニヌシはスサノオの娘のスセリヒメと結婚します。つまりオオクニヌシはスサノオの娘婿になります。
別段ではタキリヒメと結婚しますが、タキリヒメはアマテラスとスサノオの誓約でできた子です。こちらもオオクニヌシはスサノオの娘婿です。

また日本書記の本文では、スサノオとクシナダヒメとの間の子がオオクニヌシとなっています。一書の第一と第二では、スサノオの六世孫となってます。

系譜に大きな違いがあるのです。

表で整理します。
スサノオとオオクニヌシの関係


違いとしては、大きく分けて二つあります。
1.オオクニヌシが、スサノオの直系(子あるいは六世孫)か娘婿か?
2.オオクニヌシの年代が、
スサノオの子の世代か六世孫の世代か?

これはどうしたことでしょうか?
「昔の人がいい加減に創作した話だからどうでもいいことだ」といってしまえばそれまでです。
しかしながらそれで片付けられるほど、単純ではありません。
2の”オオクニヌシがスサノオの子の世代なのか、あるいは遠く六代下った世代なのかに分かれてる”についてみてみましょう。
このあたりを深く考察した古田武彦氏の説からです。

”天孫降臨のとき、「天国」のアマテラスは「出雲の」のオオクニヌシ「国譲り」を交渉している。同時期の神でなかったら交渉できない。
その上、”オオクニヌシが「アマテラス・スサノオ」の子、タキリヒメを妻としていた"点からすれば、アマテラスの「国譲り」の交渉も、よく理解できよう。

またスサノオとオオクニヌシとの間の関係を語る多くの『古事記・日本書紀』神話も、両者が同時代であり、かつ、スサノオの方が年長者でさまをよく示している。
すなわちB表は神話内容と完全に一致しているのである。”

B表とは下の系譜とほぼ同じです。たしかにアマテラスとオオクニヌシ、タキリヒメが同時代であることがわかります。
また古事記において、
”兄弟たちから命を狙われたオオアナムチ(オオクニヌシ)は、根の堅州国に出かけ、そこでスサノオの娘、スセリビメと出逢って結婚する。
その後、スサノオからいくつかの試練を与えられたオオアナムチは、スセリビメの助力を得てそれらの試練を乗り越え、最後にスセリビメを連れ、根の堅州国から逃げ出す。”

というまことに面白いストーリーが展開されます。
この話からも、サノオとオオクニヌシは同時代であることがわかりますね。

スサノオ~オオクニヌシ系譜2

以上から、オオクニヌシはスサノオの子の世代とするのが順当だとわかりました。
では1の、オオクニヌシはスサノオの子(直系)なのか、娘婿なのか、はどうでしょうか?

これは出雲国風土記をみればはっきりします。出雲国風土記では、オオクニヌシは「天の下をお造りなされた」大神オホアナムジと記載されてます。その一方、スサノオとの関係については、一切記載されていません。

出雲国風土記では、スサノオの子を記載していますので、もしオオクニヌシがスサノオの子であれば、必ずその旨を記載するはずです。それが記載されていないということは、スサノオの子ではなかった、と考えるのが自然です。




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古事記・日本書紀のなかの史実 (63) ~オミズヌ

 前回は、国引き神話でした。

この国引き神話の主人公は、「八束水臣津野(ヤツカミズオミツ)命」で、これがスサノオの系譜にあるオミズヌとされています。

スサノオ系譜




ここでいくつか疑問が湧きます。

1.これほどまでに重要な「国引き神話」が、なぜ古事記・日本書記には記載されていないのか?
2.  オミズヌが、なぜスサノオの子孫となっているのか?
3.他にもオホトシ・ウカノミタマなどの重要神が、なぜスサノオの子孫となっているのか?
4.そもそもなぜこれらの重要神が、アマテラスの直系になっていないのか?


ここで門脇禎二氏の説を紹介しましょう。
「古代日本の『地域王国』と『ヤマト王国』」からです。

”「出雲国風土記」の残る神話には、「天の下造らしし大神(=オオナモチ神・大穴持神・大己貴命)」、つまり天下を造った神様と、国造りの神(=オミズヌ神)の二つが対になっている。

古事記・日本書紀の出雲神話ではオオナモチ神は「国つ神」、つまり一地方神にすぎない。一方、出雲を中心とした日本海域では、天下造りの神になっている。

古事記・日本書紀のいわゆる高天原神話とは別に、天下を造った神様と国を造った神様とをセットにした体系をもつ神話を伝えていたのがわかるのは、出雲だけである。(P20)

語部は、けっして民衆やその他の一般の人々に語りかけるものではなく、つねに支配者に語り上げる。地域にあっては地域の王のために、ヤマト王国の支配にはいれば、その大王のために語り上げるという任務をもっていた。(P43)

出雲の神々は「記」「紀」神話のなかでは、二重三重に変えられてしまっている。(P47)”


つまり元々出雲にあった神話に、オオナモチとオミズヌがいた。その神話は、語部が出雲の支配者に語り上げるものであった。それがヤマト王国の支配下に入ってからは、ヤマトの天皇に語り上げるようになった。その結果、神話の原型は大きく変えられていき、古事記・日本書紀編纂時に天皇の支配体制に合ったもののみが残った、と論説しています。

この仮説で上の疑問をみてみましょう。

1.これほどまでに重要な「国引き神話」が、なぜ古事記・日本書記には記載されていないのか?
 ⇒上の解釈で説明できますね。「国引き神話」は出雲の国造りの話であり、天皇家にとっては直接関係のない神話だから採択されなかったということです。

2. オミズヌが、なぜスサノオの子孫となっているのか?
 ⇒
もともと出雲の神であったオミズヌですが、それをスサノオの系譜に取り込むことにより、出雲を支配する正当性を示そうとしたのでしょう。

3.他にもオホトシ・ウカノミタマなどの重要神が、なぜスサノオの子孫となっているのか?
 ⇒これもオミズヌ同様に、スサノオの系譜に取り込まれていったと考えられます。

ここまでは理解できますが、問題は
4.そもそもなぜこれらの重要神が、アマテラスの直系になっていないのか?
です。
普通に考えれば、これほどの重要な神々であるのなら、アマテラス直系としてもよかったはずです。ところがスサノオはアマテラスの弟ですから、重要神がアマテラスの傍系となってます。なぜ直系としなかったのでしょうか?

なんともいえないところではありますが、たとえば古事記・日本書紀編纂当時は出雲系の勢力が大きく、アマテラス直系とするのは憚られるなど、何か特殊な事情があった可能性がありますね。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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