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古事記・日本書紀のなかの史実 (68) ~オホナムチ、八十神に追われる

オホナムチは素ウサギを助けたことで、ヤガミヒメに結婚の相手に選ばれますが、収まらないのは兄弟の八十神(ヤソガミ)です。


ヤガミヒメに選ばれなかった八十神は怒り、オホナムチを殺そうと謀り、伯伎(ははき)国の手間の山のふもとに連れ出し、「赤いイノシシがこの山にいるから私が追い下ろしたら、おまえは待ち受けて捕らえよ。もし捕らえられなければ、おまえを殺すぞ」といって、イノシシに似た大石を火で焼き、転がし落とした。オホナムチはその石で焼かれて死んでしまった。

オホナムチの母(サシクニワカヒメ?)は泣き患い、天に昇ってカミムスビにに助けを求め、キサガヒヒメ(赤貝の女神)とウマギヒメ(ハマグリの女神)を遣わしてもらい、治療して復活させられた。キサガヒヒメの殻の粉末と、ウマギヒメが出した母の乳汁のような水を混ぜた膏薬(こうやく)のおかげで、オホナムチは命を吹き返した。

八十神はこれを見て、また欺いて山に率いて入って、大きな樹を切り倒し、クサビを木に打ち込んでその中にオホナムチを入れて、クサビを打ち放って打ち殺した。
ここでまた母は泣いて求めたところオホナムチを見つけることができて、木を折って取り出して救い出し、オホナムチに「今、ここにいれば、八十神に滅ぼされる」といって、木国(きのくに)オホヤビコのところへお遣りになった。

八十神は追っかけてきて、弓に矢をつがえてオホナムチを所望するときに、オホヤビコがオホナムチを木の股からこっそり逃がして、
「スサノオのいらっしゃる根の堅州(かたす)国に行かれなさい。必ずスサノオが、工夫をしてくださるでしょう」とおっしゃられた。"

話の舞台の伯伎(ははき)ー(伯耆(ほうき))国ですが、鳥取県の西部、出雲に接する地域です。謀られ殺されたオホナムチを助けようとした母の名前は記載されていませんが、系図どおりであれば、サシクニワカヒメとなります。

母はカミムスビに助けを求めます。ここで突然登場したカミムスビですが、謎多い神です。

”天地開闢の時、天之御中主神(アメノナミカヌシ)・高御産巣日神(タカミムスビ)の次に高天原に出現し、造化の三神の一柱とされる。冒頭の記述では性のない独神とされているが、御祖神という記述、オオクニヌシが八十神(ヤソガミ)らによって殺されたとき、オオクニヌシの母サシクニワカヒメがカミムスビに願い出て、遣わされたキサガヒヒメとウマギヒメが「母の乳汁」を塗って治癒したことから女神であるともされる。

『古事記』で語られるカミムスビは高天原に座して出雲系の神々を援助する祖神的存在であり、他の神々からは「御祖(みおや)」と呼ばれている。スサノオがオオゲツヒメを殺したとき、その死体から五穀が生まれ、カミムスビがそれを回収したとされる。

『日本書紀』では出雲系の神々が語られないため、カミムスビはタカミムスビの対偶神として存在するのみで特にエピソードは無い。

『出雲国風土記』では島根半島の地名起源譚に登場する、土地神たちの御祖として「神魂命」の名が現れる。キサガイヒメ・ウムギヒメなど土地神たちの多くは女性神であり、母系社会の系譜上の母神として存在したと考えられる。”(Wikipedia「カミムスビ」より)

カミムスビは造化三神の一柱ですが、出雲系の神です。タカムスビの対偶神ともされますが、タカムスビが対馬など北部九州系の神なので、バランスをとって対偶神とされたとも考えられます。

話を戻します。
”キサガヒヒメの殻の粉末と、ウマギヒメが出した母の乳汁のような水を混ぜた膏薬(こうやく)のおかげで、オホナムチは命を吹き返した。”
とあります。

”ハマグリの出す汁が母の乳汁に似ているのでそういったのであって、集めた貝殻の粉をハマグリの汁で溶いて塗ったのである。ヤケドに対する古代民間療法の一つ。”(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注))

とあるとおり、古代民間療法が記載されており、なんとも興味深いですね。

さて、奇跡的に蘇生したオホナムチは、母の助力で木国(きのくに)オホヤビコのもとへ逃れます。ここで木国ですが、通説では、紀国(きのくに)=今の和歌山県とされています。

しかしながら、この神話の舞台は出雲地方であって、ここでいきなり和歌山県とは話が飛び過ぎです。ヤソガミが追っかけてきたとありますが、オホヤビコはスサノオのいる根の堅州国(ねのかたすこく)に行きなさいと言って、オホナムチはそれにしたがいます。根の堅州国は、出雲に関連します。

そうなると、
出雲⇒和歌山⇒出雲
という経路をたどったことになり、あまりにも不自然です。

では木国とは、どこなのでしょうか?

出雲国風土記の大原の郡来次(きすぎ)の郷には次の記載があります。
天の下をお造りなされた大神の命がみことのりして、「八十神は青垣山のうちは置かないぞ」と仰せられて追い払われたとき、ここまで追って来過(きすぎ)なされた。だから来次(きすぎ)という。”(「風土記」吉野裕訳より)

古事記でも、この後オホナムチはヤソガミを追放するのですが、出雲国風土記の内容と合致しています。
現在は雲南市木次町となっていますが、スサノオ伝説のある斐伊川沿いにあり、上流にはヤマタノオロチの棲んでいたとされる鳥上の滝があります。
因幡国~伯耆国~出雲国という神話のストーリーにも沿っており、木国にふさわしいと考えます。

雲南市来次町
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古事記・日本書紀のなかの史実 (67) ~稲羽の素兎

オオクニヌシまでの系譜をみてきましたが、ここからはオオクニヌシが主役です。まずは有名な「因幡の白兎」の話です。

現代訳です。
大国主(オオクニヌシ)神の腹違いの兄弟(八十(ヤソ)神)は大勢いた。しかしながら皆、自ら退いて、国を大国主神に譲った。そのわけは、八十神は、稲羽の八上比賣(ヤガミヒメ)に求婚したいと思い、稲羽(いなば)に出掛けた時、大穴牟遲(オホナムチ)神に袋を持たせ、従者のように引き連れた。
気多(けた)の前」に来たとき、裸の兎(あかはだのうさぎ)が伏せっていた。兎は、八十神に「海塩を浴び、山の頂で、強い風と日光にあたって、横になっていることだ」と教えられた通りに伏せていたが、海塩が乾くにつれ、体中の皮がことごとく裂けてきて、痛みに苦しんで泣いている。すると、最後に現れたオホナムチが「なぜ泣いているの」と聞いた。

菟は「私は
淤岐の嶋からこの地に渡ろうと思ったが、渡る手段がありませんでした。そこで、海のワニ(和邇を欺いて、『私とあなたたち一族とを比べて、どちらが同族が多いか数えよう。できるだけ同族を集めてきて、この島から気多の前まで並んでおくれ。私がその上を踏んで走りながら数えて渡ろう』と誘いました。すると、欺かれてワニは列をなし、私はその上を踏んで数えるふりをしながら渡ってきて、今にも地に下りようとしたときに、私は『お前たちは欺されたのさ』と言いました。すると最後のワニは、たちまち私を捕えてすっかり毛を剥いでしまいました。

それを泣き憂いていたところ、先に行った八十神たちが『海で塩水を浴びて、風に当たって伏していなさい』と教えたので、そうしたところ、この身はたちまち傷ついてしまったのです」といった。そこで、オホナムチが兎に「今すぐ水門へ行き、水で体を洗い、その水門の蒲(がま)の穂をとって敷き散らして、その上を転がって花粉をつければ、膚はもとのように戻り、必ず癒えるだろう」と教えたので、そうすると、その体は回復した。これが、稲羽の素兎(しろうさぎ)である。

その兎は「八十神はヤガミヒメを絶対に得ることはできません」とオホナムチに言った。そのとおり、ヤガミヒメは八十神に「あなたたちの言うことは聞かない」とはねつけ、オホナムチに「袋を背負われるあなた様が、私を自分のものにしてください」と言ったため、今では兎神とされる。”
(Wikipedia「因幡の白兎」に加筆)

稲羽の素兎神話
冒頭、”オオクニヌシには兄弟が多数いるのに、なぜオオクニヌシが国を支配しているのかその理由は・・”と記載しています。つまりこの話は、オオクニヌシの国土支配譚であることがわかります。

まずオオクニヌシの名前が、オホナムチになっていることに注目です。前回お話したとおり、古層の神として描かれています。

ところでオホナムチは、なぜ袋を背負っているのでしょうか?
よくある絵図などからユーモラスなイメージをもちますが、そうではありません。

”当時袋をかつぐのは賤しい者の仕事であった”(「古事記 祝詞」(倉野憲司他校注)より)というのが通説です。さらに
”追放者のもつべきものとして科せられたもの、「千座(ちくら)の置戸(おきと)」にあたるもの”
という説もあります。ここで「千座の置戸」とは、スサノオが高天原から追放されたときに負わされたものです(「中国古代の文化」(白川静)P133-134)。

「白兎」ですが、古事記の表記は「菟」「裸の菟」「稲羽の素菟」「菟神」です。「素兎」が「白ウサギ」と解釈されているに過ぎないことに留意です。

「淤岐嶋」も所説あります。
「淤岐嶋」には、現在の島根県隠岐郡隠岐島とする説、ほかの島(沖之島等)とする説がある。他に、『古事記』の他の部分では隠岐島を「隠伎の島」と書くのに、「稻羽之素菟」では「淤岐嶋」と書き、あるいは「淤岐」の文字は「淤岐都登理(おきつどり)」など陸地から離れた「沖」を指すことが多いため、「淤岐嶋」は特定の場所ではなく、ただ「沖にある島」を指すとする説もある。”

稲羽の素兎舞台

問題は和邇
(ワニ)です。現代人が聞くと、沼地にいる獰猛な鰐(ワニ)を思い浮かべますが、
"鰐、海蛇、鰐鮫(ワニザメ)などの諸説があるが、海のワニとあることと、出雲や隠岐島の方言に鱶(フカ)や鮫(サメ)をワニといっていることを考え合わせて、鮫と解するのが穏やかであろう”(「古事記 祝詞」(倉橋憲司他校注)P91より)
とあるとおり、サメと解釈するのが順当でしょう。

またウサギとワニの争いであることから、ウサ(兎佐)族とワニ(和邇)族の争いを象徴しているのだ、という説もあります。面白い説ではありますが、なんともいえないとことです。

さらに、
”この説話における「水門」とは河口のことであり、水で体を洗うのは生理食塩水での洗浄を意味するとの見方、さらに「蒲黃」が薬草として登場するため日本における薬の最初の史籍だとする見方もある。なお、外傷や火傷に外用薬として用いる漢方薬に、「ホオウ(蒲黄)」というヒメガマ(ガマ科)の成熟花粉を乾燥させて粉末状にした処方が存在する。オオクニヌシは、この説話および『日本書紀』の少彦名命(スクナヒコナ)と共に病気の治療法を定めたとされるため、医療の神ともされ、さまざまな薬草を使用している。”
という説明もされています。

さて注目は、この話が世界にも類話があることです。

”◆島から戻る話
シベリア少数民族の民話に、アオサギによって孤島に運ばれてたキツネアザラシに頭数を数えると言って一列に並ばせ、背を渡って戻る場面がある。キツネは渡った先で猟師の獲物となり、毛皮をはがされる。

◆小鹿の例
インドネシアに因幡の白兎と類型する話が見られるが、ウサギではなく、小鹿とされる。洪水のために川を渡れなくなった鼠鹿を騙して集め、背を踏み歩いて渡り、愚かな鰐をあざける。

◆ウサギの尻尾が短い理由を説明する話
アフリカの民話では、湖を迂回するのを億劫がったウサギが親類の数を誇るワニを挑発し、その自慢が本当か数えると騙して渡るが、ワニに尻尾を食いちぎられてしまい、そのために現在のウサギの尻尾は短いと説明される。”

こうしたことからこの神話は、単純に海外から伝えられたか、あるいははるか古代に日本人の祖先が日本列島にやってきた際にもちこまれた可能性が高いですね。
そして神話だけが伝わったのではなく、祭祀として執り行われ、支配者の事績がとりこまれながら伝承されたと推察されます。

なお、この説話は日本書記には記載されていません。古事記にこれだけ詳しく記載されているたいへん興味を引く話にもかかわらず、です。その理由は、あくまでオホナムチ(オオクニヌシ)の出雲支配の話であって、大和王権にはかかわりのない話だからではないでしょうか?


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古事記・日本書紀のなかの史実 (66) ~オオクニヌシの別名

さてオオクニヌシまでの系譜をみてきましたが、オオクニヌシは多くの別名をもつことで知られいます。下表は、古事記・日本書紀・出雲国風土記での記載です。


スサノオとオオクニヌシの関係
他にも名前をもっています。詳細は下表のとおりです。



オオクニヌシ別名

まずオオクニヌシですが、「出雲国風土記」には登場しません。登場するのは、オホナムチです。このことから、オオクニヌシの伝承は出雲においては一般的でなかった、ということが推察されます。使われるのは、オオクニヌシが根国から戻ってからです。

次にオホアナムチです。この次に出てくる有名な「因幡の白兎」の話で使われます。
このなかの「チ」は、古い神を表すといわれています。
”古代日本では自然物には生物も無生物も精霊(spirit) が宿っていると信じ、それを「チ」と呼んで名称の語尾につけた”(溝口睦子「記紀神話解釈の一つのこころみ」『文学』1973-4 年 より)
ヤマタノオロチの「チ」もその一つでしょう。アニズミズム的な発想ですから、原始的な信仰であるといえます。
そして注目は、出雲国風土記においては「天の下造らしし大神」、つまり「国造り」の神とされていることです。これもオホナムチがかなり古い時代の伝承であることを示しています。

アシハラシコヲ(葦原色許男)ですが、根国訪問の場面で使われます。
「葦原中国の頑丈で強い男神」と肯定的に解する説や「葦原中国の醜い男神」と否定的に解する説があります
(国学院大学 古事記学センターWEBより)。日本書紀では「葦原醜男」となっており、明らかに「葦原の醜い男」という侮蔑の意味が込められています。
ここで問題となる「色許(シコヲ)」ですが、
孝元天皇(8代)の妃で、なおかつ、開化天皇(9代)の皇后は伊迦賀色許売命(イカガシコメノミコト)です。また伊迦賀色許男命(イカガシコオノミコト)は、『記紀』等に伝わる古墳時代の豪族・物部氏の祖であり、いずれも肯定的に使われています。
となると、アシハラシコヲも
もともとは「葦原中国の頑丈で強い男神(色許男)」と肯定的な名前であったものを、日本書紀において「醜い男神(醜男)」と貶められた可能性が高いでしょう。

また葦原とは、これから天孫降臨の際に出てくる「葦原中国」すなわち日本の国土という意味です。天孫降臨は、私は紀元前5-4世紀ころと推測していますが、ヤチホコの信仰の時代と合っていることがわかります。

ウツシクニタマ(宇都志国玉)は、根国から戻ってからの名前で、「現し国の御魂」すなわち「現実の国土の神霊」の意味です。名前の語感からいって、比較的新しい時代の神である印象を与えます。実際「クニタマ」という名は、オホトシの子(スサノオの子)の「オホクニタマ」、葦原中国に使者として派遣されたアマノワカヒコの父の「アマツクニタマ」の二柱に共通していますが、いずれもこれから登場する神です。

次にヤチホコ(八千矛)です。
使われるのは一番遅く、根国から戻ったあと、高志に住んでいるヌナカヒメの家を訪ねる場面と、大和へと出発するオオクニヌシに対して、妻であるスセリヒメが、行った先々で別の女性たちと親しくするのでしょうと嫉妬する場面です。
多くの矛をもった神であり武威をたたえた名ともいわれます。矛が象徴とされていることから、時代は青銅器・鉄器時代、すなわち弥生中期(紀元前5世紀)以降の信仰であることがわかります。

以上からわかることは、
1.登場する場面によって使い分けられている。
2.時代の異なる信仰が混ざっている。
・ひとつはアニズミズムなど、縄文時代にも遡りうる古層の信仰
・もうひとつは、矛の時代、すなわち弥生中期以降の信仰
3.オオクニヌシは、出雲での信仰は一般的でなかった。
4.日本書紀に、オオクニヌシを貶めようとしている表現がある。

となるとオオクニヌシとは、出雲の神々の伝承を象徴的にまとめあげられた神である、という仮説が考えられます。

通説でも、以下のように解説されています。

”「亦の名」で異なる名前を挙げるのは、元来は異なる神格として信仰されたり、神話が伝えられたりしていた神(人の場合もある)を合体させたことによると考えられているようです。
三種の結婚譚の形を取りつつ、この神が試練を経て「大国主神」、つまり国を代表し、支配領有する神となっていくさまを描いているとみてよいでしょう。まるで出世魚のように名前を変え、オオアナムジからオオクニヌシへと成長する物語となっています。”(「古事記の謎をひもとく」(谷口雅博)P49-50)

”オホクニヌシとは、他の四つの神名=神格(古事記)、六つの神名=神格(日本書紀)を合わせて、新しく作りだされた「大いなる国の主」なのである。多くの神名の中で、最も有名なオホクニヌシこそが、実は最も新しい神名=神格だったというわけである。(「神話で読み解く古代日本」(松本直樹)P72-73)


ところで前回、オオクニヌシはスサノオの娘婿であり、子・六世孫などの系譜はあとから作られた可能性が高い、とお話しました。一方で、もし仮にオオクニヌシがさまざまな神々の象徴とすると、それらの神々に系譜があり、それらが混雑したという可能性もありますね。
 

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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