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古事記・日本書紀のなかの史実 (91) ~出雲系譜は偽造された?

 
前回は、古事記に記されるオオトシ以下、スサノオ以下の系譜について、
”少なくとも、三つの系譜を他の系譜から”引き抜いて”きて、スサノオ以下に”はめこまれている”という話でした。その3つの系譜とは、

①「五神」系譜
②「フハノモジクヌスヌ神」以降、「オオクニヌシ神」に至る系譜
③「オキツヒコ」より「オオツチ神」に至る「九神系譜」
です。

では本当に、以上のような「大挿入」がされているのでしょうか。古田氏は、以下のように論を進めます。

”「大挿入」を端的に証明するものは、『日本書紀』である。
第八段には、本文と六つの「一書」に、スサノオの出雲国での説話が引文されている。しかし、その中のどれ一つとっても、右のようなスサノオ以後の長大に発展した系譜を記しているものはない。系譜だけではない。『古事記』にのせられた大国主(オオクニヌシ)神にまつわる数々の説話は、一切『書紀』に存在しないのである。”(「盗まれた神話」(古田武彦)P405-406)


オオクニヌシにまつわる数々の説話とは、以下の八つです。

①稲羽の素兎
②八十神の迫害
③根国訪問
④沼河(ヌナカワ)比売求婚
⑤須勢理比売(スセリヒメ)の嫉妬
⑥大国主(オオクニヌシ)の神裔
⑦少名毘古那(スクナヒコナ)神と国作り
⑧大年(オオトシ)神の神裔


そして、”これは一体なにを意味するのだろう? その答えは動かしようはない。”

として、その答えは”これは古事記が系譜を偽造したためだ”というのです。

どういうことかというと、元々の伝承に①~③の系譜があったと仮定します。そうなると、オオクニヌシはスサノオ直系になり、スサノオはアマテラスの弟ですから、出雲の王が皇統の傍系ということになります。五神や九神も同様です。

これはヤマト王権としては、きわめて都合のいい話です。出雲の王や神々が、ヤマト王権の一段下(傍系)に収まるからです。このような都合のいい話を、日本書紀がカットする理由がありません。

逆にいえば、元々の伝承にはスサノオからつながる①~③の系譜はなかったのだ、つまり古事記が偽造(挿入)したのだ、というのです。

ちなみに古田氏は、
・九州王朝の伝承 =『日本書紀』雄略二十一年三月条にある「日本旧記」
・近畿天皇家の伝承 =『日本書紀』欽明二年三月条にある「帝王本紀」
・近畿天皇家の国内伝承 =「古事記」
という説を提起をしたうえで、論じています。

この説については反論があるところであり、私としてもなんともいえないので、この論証部分は割愛します。ただしこの説の是非にかかわりなく、古事記の系譜偽造(挿入)説の可能性は考えていいでしょう。

オオトシ系譜

スサノオ系譜




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古事記・日本書紀のなかの史実 (90) ~古代出雲に隠された3つの系譜

ここまで、オオトシ(大年)神以下の系譜の「五神」「九神」について、みてきました。
実は、「盗まれた神話」(古田武彦)のなかでは、五神の系譜について論じる際に、スサノオからオオクニヌシまでの系譜についての論証を行ってますので、それをみてみましょう。

それは、前にお話ししたように、スサノオの系譜には二つあるという件です。
ひとつは、スサノオのヤマタノオロチ退治の項に出てくる系譜です。


スサノオ系譜

もうひとつは、段をかえて「オオクニヌシの子孫」の系譜が書かれています。
スサノオ~オオクニヌシ系譜2


では、この二つの系譜について、どちらが正しいのかについてです。
これについて、天孫降臨のとき、「天国」のアマテラスが「出雲」のオオクニヌシに「国譲り」を交渉していることから、アマテラス・スサノオ・オオクニヌシは同時代であることがわかる。したがって系譜2が本来の形であり、冒頭の系譜はあとから創作されたものである、と論じています。
そして、次の図のように、系譜が挿入され、あたかもオオクニヌシがスサノオ直系のように見せかけた、としています。


スサノオ系譜推測
詳細は下記を参照ください。
日本古代史つれづれブログ 古事記・日本書紀のなかの史実 (65) ~スサノオからオオクニヌシの系譜 (fc2.com)


そして”オオトシ以下の系譜も、同様に挿入されたのだ”と推測しています。

さて以上から、”少なくとも、三つの系譜を他の系譜から”引き抜いて”きて、スサノオ以下に”はめこまれているのが発見された”と述べています。その3つの系譜とは、

①「五神」系譜
②「フハノモジクヌスヌ神」以降、「オオクニヌシ神」に至る系譜
③「オキツヒコ」より「オオツチ神」に至る「九神系譜」

です。

”①は、大国御魂(オオクニミタマ)神を原点とするものであるから、出雲神統譜の「始源の五神」だと思われる。
②は、オオクニヌシ神以前および以後の系譜であり、「大国」(出雲)の神々のいわば主流系譜である。
③は、オキツヒコとオキツヒメとを始源とする系譜だ。有名な、オオクニヌシ神の「稲羽の素兎(しろうさぎ)」の説話では、「素兎の原住地が「淤岐(おき)の島とされている。この、出雲の沖合にある「隠岐の島」(宗像の沖ノ島とは同音異島)の神統譜がこれであると思われる。これは、その中で第二代に「オオヤマクイ神」の見えるように、「大国」の神々に分岐したものとされているのではあるまいか。”(「盗まれた神話」(古田武彦)P404-405)

大胆な仮説ですが、あなたはどう考えますか?

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古事記・日本書紀のなかの史実 (89) ~ オオトシ以下の系譜が示唆すること

 前回まで、オオトシの生んだ五神の、オオクニミタマ、カラ、ソホリ、シラヒ、ヒジリ神の領域は、出雲、韓国、北部九州であり、真ん中の、対馬・壱岐すなわち天国(あまぐに)は、空白地域としてぽっかり空いている、という話でした。

これが何を意味するか、という大きなテーマがあるのですが、その前に、オオトシが生んだ子神を、さらにみていきましょう。

五神の次に生まれたのが、カグヨヒメを娶して生んだオオカガヤマトオミミトシ二柱です。

この次が問題です。
アメチカルミヅヒメを娶して、オキツヒコ、オキツヒメ、オオヤマクイ、ニハツヒ、アスハ、ハヒキ、カガヤマトオミ、ハヤマト、ニハタカツヒ、オオツチを生み、以上を九神(ここのはしら)といいます。

以上まとめると、次になります(字が小さくなるので、縦置きにしてます。)。

オオトシ系譜


以上について古田氏は、次のように推測します。

(1)ここだけ”兄弟の数”がむやみに多いのも変だ(実際は多くの兄弟があっても、主要なものだけを系譜化するから、通例少ない)。
(2)ここで「九神」としてしめくくっていながら、実際はこの”兄弟”は「十神」だ。はじめの「奥津日子(オキツヒコ)と「奥津比売(オキツヒメ)を「あわせて一神」と数えて、九神としたのだろう」との説(岩波、日本古典文学大系本、註)があるが、不自然である。そんな必要がどこにあろう。やはり、この二神は次の大山咋神(オオヤマクヒ)以下とは、世代がちがうのだ。
下図の形で「2”ー
10”」をあわせて「九神」といっているのだ。それを横に並べ、一見兄弟であるかに見える形で、ここに挿入しているのである。すなわち、ここに『古事記』作者の「挿入」の手口がすけて見えているのである。

大年神以下系譜

なんとも大胆な推測です。九神は兄弟でななく、直系だというのです。それを前提として、さらに次のように述べています。


”これらの九神のなかで、いわば「絶対年代」の明らかにできる神がある。それは8”の羽山戸(ハヤマト)神だ

 『羽山戸神大気都比売(オオゲツヒメ)を娶りて生む子は・・・。』

ところが、この羽山戸神の妻、大気都比売について異色の説話がある(穀物発生説話)。その中につぎの一節がある。

 『(速須佐之男命、ハヤスサノオ)乃ち其の大宜津比売(オオケツヒメ)神を殺す。』 <五穀の起源>

つまり、大気都比売は、スサノオと同時代だ。すなわち、この比売を妻とした8”の羽山戸神もまた、スサノオと同時代なのである。”
(以上「盗まれた神話」(古田武彦)P403-404)

以上の説についてどのように考えますか?

まず”九神は兄弟ではなく直系”についてですが、これについては、なんともいえないところです。そのように解釈もできますが、断定できるだけの論拠もありません。

ところで、古事記のなかでは、イザナギ・イザナミが、神生みの際多くの神を生みました。この点、今回の九神のケースと似ていますね。

神生み1




こうした神々についても、実態はよくわかっていませんが、
わかりにくい名前が多いことから、古層の神々と考えられます。また、これだけ複雑な名前の神々を、通説でいうように「8世紀の史官がわざわざ創作した」ということも、考えにくいですね。

私はこうした神々は、古来より各地で信仰されていた神々を集め、イザナギ・イザナミという皇統の下に集約することにより、「皇統がすべての神々のおおもとである」と正当化したのではないかと考えていることは、これまでにお話してきたとおりです。

ここで、オオヤマツミ、オオワダツミという、オオヤマクイと似た神がいることにも注目です。
ということは、この九神の系譜も、同じように出雲地方などで信仰されていた神々を集め、オオトシの下に集約したとも考えられます。

直系なのか兄弟なのかはさておいて、いずれにしろ、オオトシの子(ハヤマト)の妻であるオオゲツヒメと、オオトシの親であるスサノオが同時代であり、時代が合わないことからも、オオトシ以下の系譜は、継ぎ足された可能性を考えてもいいのではないでしょうか?

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古事記・日本書紀のなかの史実 (88) ~ 神の空白地域

ここまで、オオトシの生んだ五神についてでした。
ではこの五神から、どのようなことがわかるでしょうか。古田氏は、次のように述べています。

”以上の検証によってみると、この「五神」は(1)大国(おおくに)(出雲)と、北の(2)韓国(からくに)、(3)南の博多湾岸とその周辺、の三点 ー の三領域をさしていることがわかるだろう。すなわち、全体として日本列島の西北の一定領域の「政治地図」をさし示しているのだ。
しかも、大切なこと。ー それは、この「政治地図」には、中央の「天国」部分の海域がスッポリと抜け落ちていることだ。つまり、天国部分を除いた、その周辺の政治地図。これが、この「五神」の示す限定領域だ。そしてその原点は「大国」なのである。(「盗まれた神話」(古田武彦)P398より)

五神の筆頭がオオクニミタマですから、オオクニ(大国)すなわち出雲が最重要です。そこを基点として、次のカラ(韓)神すなわち韓国とその次のソホリ、シラヒ、ヒジリ神を信仰している領域すなわち博多湾岸から筑後にかけての地域、その三領域を指している、と指摘しています。
そしてその間の領域、すなわち対馬・壱岐を中心とした領域が抜けている、としています。そこがまさに海人(あま)族の領域すなわち「天国(あまぐに)」です。

大国中心地図

”この政治地図のただならぬ様相は、つぎの点にあらわれる。すなわち、筑紫を基点とする、あの「大八州」の政治地図よりも、より古い性格をもっていることだ。
「大八州」の場合、「筑紫州→大州→越州」を表領域として、それに豊秋津州から淡路州に至る瀬戸内海の裏領域がプラスされる。そういう構造だった。

ところが、この「大国」原点の政治地図の方は、ずっと小さな領域、つまり「大国」を原点として、朝鮮海峡(詳しくは朝鮮海峡と対馬海峡と壱岐海峡の三海峡。今略称した)の南北両端をプラスした政治地図なのである。
しかも、「大八州国」の場合、博多湾内の「オノロゴ島」が国生みの基点とされていた。そしてイザナギ・イザナミ神は「天国」からこの島へ”天降った”のだから、「大八州国」国生みの真の原点は、当然「天国」それ自身だ。また、天の沼矛(ぬぼこ)が国生みの原動力である、という点からみても、「天国」が大八州国の原点である、という性格は動かせない。

これに対し、この「大国」を原点とする政治地図の場合の”「天国」部分の空白” ー これは一体、何を意味するのだろう。”

古田氏は、オオクニを基点とする政治地図は、「大八州」の政治地図よりも古い、としています。ここで「大八州」とは、天国(あまぐに)を原点として、
表領域(日本海)・・筑紫⇒大州⇒越州
裏領域(瀬戸内海)・・豊秋津州⇒淡路州
とする領域であることは、既著でお話ししました。

大八州表・裏領域






ではこの五神における「天国の空白」は、何を意味するのでしょうか?

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古事記・日本書紀のなかの史実 (87) ~ シラヒ神とヒジリ神とは?

 オオトシの生んだ五神の四番目からです。

”第四は「白日(シラヒ)神」。これは明白だ。筑紫の「亦の名」は「白日別」であり、須玖遺跡の近くに「白木原」(シラキバル)がある。(「原」は例の「バル」。「木」は「城(き)の意味)。だから、この地名の固有名詞部分は「白(しろ)」だ。「白日神」の場合も、当然、「固有名詞「白」に対して「日」が加えられたものだ。「
橿日宮(かしひぐう)」のように。
すなわち、この「白日神」とは、”筑紫全体の神”ではなく、この「白木原」の地点を中心とした、狭域の神名だ。これを”筑紫全体”とすると、第三と第五の神名とダブってしまう。”
(以上「盗まれた神話」(古田武彦)P 396-397より)

筑紫の「亦の名」は、国生みの段でてきました。

”イザナギ・イザナミが生んだ大八島国の第四の島、筑紫島は、身一つに面が四つあり、その四つのうち、筑紫国を白日別(シラヒワケ)といい、豊国を豊日別(トヨヒワケ)といい、肥国を建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)といい、熊曾国を建日別(タケヒワケ)という。”

白日(シラヒ)と白日別(シラヒワケ)が酷似してますから、この地域に関連している神とみていいでしょう。須玖(すく)遺跡は、三種の神器である玉・剣・鏡が出土したことで知られる弥生時代中期から後半の遺跡です。
北側には、弥生時代日本最大級の遺跡である比恵・那珂遺跡があります。この一帯が邪馬台国の中心拠点だったのではないかと考えていることは、これまでにお話してきました。
シラヒ神は、彼らの系統が信仰した神と推測されます。


”第五は「聖(ヒジリ)神」。この神名に対し、「日知りの神の意」で、暦日を掌る神か」(岩波、日本古典文学大系本、註)という解釈がある。しかし、これは従いがたい。なぜなら、第一から第四まですべて地名の上に成り立っている。それなのに、これだけ、地名と無関係の名と見るのは無理だ。
これは「日後(ひじり)」ではあるまいか。第四の「白日神」をうけて、その”背後の地”を呼ぶ名称だ。ちょうど、筑前が「筑紫」とされるのに対し、筑後が「筑紫後国(しりへのくに)」と呼ばれていたように。
「白木原」に近い須玖遺跡の近くに「井尻(イジリ)」の地名がある。「ーーシリ」という地名接尾辞の用いられている例だ。だから、この「聖神」の名は、今の「白木原」より南の地帯(大宰府から久留米市あたりにかけての地帯の中の一定領域)に当るのではあるまいか。”(以上「盗まれた神話」(古田武彦)P 397-398より)

最後が聖(ヒジリ)神です。これがたいへんわかりにくい神名です。古田氏は、オオクニミタマからシラヒまですべて地名で成り立っているので、ヒジリも同じように考えるべきとして「日後(ヒジリ)ではないか、と推測しています。

古田氏は、大宰府から久留米市当たりを信仰圏としていますが、大宰府と白木原は近傍で、同じ文化圏とみていいでしょう。
「聖(ヒジリ)=日後(ヒジリ)」とするなら、筑後が「筑紫後国(しりへのくに)」と呼ばれていたことからも、もう少し南側で、筑紫平野にかけての地域ではないでしょうか? そのあたり一帯には弥生時代遺跡が多数あり、有名な吉野ケ里遺跡も近いですね。

ソホリ・シラヒ・ヒジリ神信仰圏

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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