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古事記・日本書紀のなかの史実 (95) ~日本版イソップ童話

前回まで、出雲には近畿天皇家や九州王朝の史書より古い史書(いうならば「出雲古事記」)があったのではないか、という話でした。

古田武彦氏はさらに、「出雲古事記」のなかにあった「説話」について、言及しています。

”「出雲古事記」の八つの説話には、他の『記・紀』神話とはちがった、一種独特の個性がある。
「稲羽(いなば)の素兎(しろうさぎ)」の説話のもつ、イソップ童話のような素朴性。動物はここでは「人間の従者」ではない。動物と人間の間に真率な愛が流れているのだ。
また、大国主の兄弟たち(八十神)は大国主を殺そうとするが、その殺し方が奇抜である。「赤い猪」だといつわって、焼いた大石を上から落として大国主に抱きとめさせる「殺し」。木のまたにくさび(茹矢、ひめや)をはさみ、その中に大国主を入れてくさびを抜き、抱きこむ「殺し」。殺し方さえ、ほほえましいほど童話的だ。”

「出雲古事記」の八つの説話とは、
①稲羽の素兎
②八十神の迫害
③根国訪問
④沼河(ヌナカワ)比売求婚
⑤須勢理比売(スセリヒメ)の嫉妬
⑥大国主(オオクニヌシ)の神裔
⑦少名毘古那(スクナヒコナ)神と国作り
⑧大年(オオトシ)神の神裔
です。
このうちの①の稲羽の素兎と、②の八十迫害について述べてます。

稲羽の素兎神話
④の
沼河(ヌナカワ)比売求婚については、

”また、「栲綱(たくづの)の 白き腕(ただむき) 沫雪(あわゆき)の 若やる胸を そだきき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕(ま)き」<「沼河比売求婚」>と歌いあげている健康なエロチシズム。
これらにはいずれも、『記・紀』の他の神話内容とは、異質の素朴さが流れている。これがすなわち、日本最古の説話集、「出雲古事記」のもつ原初性だ。”(「盗まれた神話」(古田武彦)P411-412)
と述べています。

ヤチホコすなわちオオクニヌシは、高志国のヌナカワヒメと結婚しようとして出かけて、ヌナカワヒメの家にやってきて歌を歌いますが、それに対する返し歌についてです。

前後を現代訳にすれば、

朝日が華やかに射し込むように、
あなたは嬉しげな顔を見せてお出でになり、

栲(たく、コウゾ)の皮の緒綱(おづな)のように
白い腕(かいな)で
泡雪のようにやわらかな、私の若々しい胸を、
抱きしめ抱きしめて、
玉のようなあなたの手と、
玉のような私の手とを、
互いに取り合い枕として、

足を長くうち延ばして、
安らかに寝ましょうものを。

となります。

ヌナカワヒメ
なんともなまめかしい表現ですが、同時に自らの切々とした思いを素朴に訴えていますね。こうした表現はのちの古事記・日本書紀には出てこず、異質の物語といえます。

出雲の史書が近畿天皇家や九州王朝の史書よりも古いことを、示しているようです。


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古事記・日本書紀のなかの史実 (94) ~出雲の「神統譜」と陰陽五行説の関係とは?

古田氏のもうひとつの推測は、「出雲神統譜」と「古事記神統譜」の数字区分との類似に関してです。

"出雲神統譜には、これまでみてきたように「五神」「二柱」「九神」「幷せて十六神」「幷せて八神」と、さかんに”数字区分け”を行っている。
これと同じく、
古事記冒頭の神統譜にも、「三柱」「二柱」「上の件(くだり)の五柱」「二柱」「神代七代」と、さかんに”数字区分け”を行っている。"


と指摘しています。
このうち「出雲神統譜」は次のとおりです。

大年神系譜2


一方、古事記冒頭の神統譜は次のとおりです。


別天神と神代七代

この「出雲神統譜」について、
1.近畿天皇家はもとより、九州王朝の神統譜(「日本旧記」)よりもさらに古い。
2.その「数字区分け」は『古事記』冒頭の場合と異なり、きわめて自然である。机の上で、あるいは概念(陰陽の原理など)に左右されて”デッチあげた”形跡がない。

ことから、
”『古事記』は「出雲神統譜」を模倣して、新たに”数字区分け”をほどこしたのである。”
と述べています。

”そしてそのさい、陰陽の原理などの”新哲学”が反映させられたのだ。二気の正しさに乗じ、五行の序を斉(ととの)え、神理を説(もう)く」と、太安万侶が上表文でたたえた天武天皇。その「天武の手」をここに私が感ずるのは、果たして思いすごしであろうか。”

ここで
陰陽五行説が出てきました。

・二気とは、陰と陽の二つの気。
陽と陰とは互いに対立する属性を持った二つの気であり、万物の生成消滅と言った変化はこの二気によって起こるとされる。”(Wikipedia「陰陽」より)

・五行とは、万物を構成する木・火・土・金・水の5種類の元素。
”5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在する。”(Wikipedia「五行思想」より)

陰陽五行説が日本に伝わったのは、古代の
それほど古い時代ではありません。

仏教儒教と同じ5世紀から6世紀に日本には暦法などとともに伝わり、律令により陰陽寮という役所が設置された。その後、道教の道術を取り入れて、陰陽道へと日本独自の発展をした。
また、陰陽五行思想は年中行事にも強い影響を与えているとする説もある。それによれば、正月は寅、盆は申となっており、それぞれ春、秋の始めを示す。正月は木気、火気の始めでもあり、門松を飾ったり、とんど祭りをしたりする。対して盆は水祭りとして燈籠流しなどが行われる。また、陰陽のバランスをとるためにとんどは水辺で行われ、燈籠流しは火を灯した舟を水に流す。”(Wikipedia「陰陽五行思想」より)

私は、出雲神統譜は紀元前にさかのぼると考えてますが、その時代には陰陽五行説は伝わってなかったわけです。一方、古事記成立は8世紀ですから、陰陽五行説が日本に浸透していました。
古事記において、出雲神統譜を参照して、陰陽五行説を反映させた可能性はありますね。

さらに古田氏は、論を展開します。


天照よりも、さらに古い神統譜をもって出雲の神々が先在していた。それが、『記・紀』神話全体が力をこめて語っている根本命題だ、といわねばならぬ。
なぜなら、「国譲り→天孫降臨」とつづく日本神話草創のテーマは、”日本列島(の一角)には、すでに出雲の大国主神が支配権をもっていた。そこに天照は孫のニニギを派遣せんとし、それに成功した”というにあるからだ。
大国主がすでにそこに支配権をもっていた、という以上、それが”彼一代で築かれた”というのは不自然にすぎよう。当然、すでに大国主に至る、長く古い神統が存在していたこと、それはむしろ自明のことではあるまいか。”

これから出てくる「国譲り→天孫降臨」という話では、当時出雲を支配していたのはオオクニヌシでした。神話が何らかの史実を反映しているのであれば、オオクニヌシは実際に出雲の王として君臨していたのであり、そうであれば、オオクニヌシ以前の古い神統譜が存在していたとしても、なんら不自然ではありませんね。


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古事記・日本書紀のなかの史実 (93) ~ 出雲に『天地開闢神話』はあったか?

 
古田武彦氏は、出雲にも史書に類する書があったのではないかとして、それを「出雲古事記」あるいは「大国古事記」と名付けています。そこには、
1.神統譜(神々の系譜)
2.神々の説話
3.政治地図

があったはずだ、と推測しているわけですが、さらにここで興味深い論を展開しています。

ひとつは、”その史書には、古事記と同じように「天地開闢の神話」もあったはずだ。ところがそれは完全にカットされ、わたしたちはこれを知ることができない。”というものです。

なぜカットされたのか、それは古事記・日本書紀の天地開闢神話と両立できないからだ、と述べています。なぜ両立できないかといえば、出雲の天地開闢神話は、古事記・日本書紀の天地開闢神話とは全く別個のものであったはずだからです。天地開闢神話が、同じ史書のなかにいくつもあってはおかしいですよね。

カットされた天地開闢神話がどのようなものであったのか、今では知るよしもありませんが、その片鱗を、「国引き神話」で伺うことができます。「国引き神話」とは、 
   
”当初、作られた出雲国は「八束水臣津野(ヤツカミズオミツヌ)命」によれば「狭布(さの)の稚国なるかも、初国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫はな」という失敗作であったという。「狭布」すなわち国の形は東西に細長い布のようであったという。そこで、八束水臣津野命は、遠く「志羅紀」「北門佐岐」「北門農波」「高志」の余った土地を裂き、四度、「三身の綱」で「国」を引き寄せて「狭布の稚国」に縫い合わせ、できた土地が現在の島根半島であるという。”(WIkipedia「国引き神話」より)

国引き神話については、前に門脇禎二氏の論説を紹介しました。「古代日本の『地域王国』と『ヤマト王国』」からです。

”「出雲国風土記」の残る神話には、「天の下造らしし大神(=オオナモチ神・大穴持神・大己貴命)」、つまり天下を造った神様と、国造りの神(=オミズヌ神)の二つが対になっている。
古事記・日本書紀の出雲神話ではオオナモチ神は「国つ神」、つまり一地方神にすぎない。一方、出雲を中心とした日本海域では、天下造りの神になっている。
古事記・日本書紀のいわゆる高天原神話とは別に、天下を造った神様と国を造った神様とをセットにした体系をもつ神話を伝えていたのがわかるのは、出雲だけである。(P20)

語部は、けっして民衆やその他の一般の人々に語りかけるものではなく、つねに支配者に語り上げる。地域にあっては地域の王のために、ヤマト王国の支配にはいれば、その大王のために語り上げるという任務をもっていた。(P43)
出雲の神々は「記」「紀」神話のなかでは、二重三重に変えられてしまっている。(P47)”

門脇氏は、出雲の神話は、
・オオクニヌシ = 天下を造った神
・オミズヌ = 国造りの神

がセットになっている、としたうえで、 それがヤマト王権の支配下に入った際に、ヤマトの王に語り上げるものに書き換えられた、というわけです。

ちなみにオミズヌは、古事記の系譜ではスサノオの四世孫(オオクニヌシは六世孫)となっています。出雲の国造りの神(オミズヌ)ををスサノオの系譜に入れることにより、皇統の傍系として組み込まれたともいえます。

ヤシマジヌミ~オオクニヌシ系譜

国引き神話は天地開闢神話ではないですが、古事記・日本書紀のイザナギ・イザナミの国生みに匹敵する神話です。あまりにも有名な神話ですが、、古事記・日本書紀には記載されていないのです。それが謎なわけですが、これを古事記・日本書紀に記載してしまっては、イザナギ・イザナミの国生みとの整合がとれなくなってしまいます。だからカットされた可能性があります。

同じように、天地開闢神話についても、出雲には存在したのにカットされた可能性は、充分にありますね。

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古事記・日本書紀のなかの史実 (92) ~『出雲古事記』は存在したか?

 
古田武彦氏は、出雲にも古事記・日本書紀同様に史書があったのではないか、と推測しています。その全体像について、次のように述べています。

”(1)大国の神々の神統譜
(2)「大国」に伝承された、八つの説話
(3)「大国」を中心とした「政治地図」

この三つを備えていたことは確実である。この三つは、すなわち『記・紀』の神代巻の構造に酷似している。そこでも、神統譜と神々の説話と「大八州国」の政治地図の三者がそなえられていた。

だから、わたしはこの出雲の史書の”失われた書名”の代わりに、かりに「出雲古事記」(あるいは「大国古事記」)という名前を付しておこうと思う。この書は、漢文調の「日本旧記」とは異なり、素朴な和文調の史書であったこと、八つの説話によって明らかなのである。”


まず(3)の「大国を中心とした政治地図」と(1)の
大国の神々の神統譜についてです。

「大国中心政治地図」の古さは、当然であろう。
なぜなら、一方の九州王朝の場合、天照(アマテラス)大神は実際上、ほぼ始源的位置に近い。その父祖なるイザナギ・イザナミ神が「国生み」の始祖なのである。

出雲の神の場合、大国主が天照と同時代だ(天照の子の夫である)。ところが、この「出雲神統譜」は、いわば「天照以前」の系譜なのだ。

これに対して、あるいは論者はいうかもしれぬ。”『記・紀』でも、イザナギ・イザナミ以前の神統譜があるではにか? すなわち、天之御中主(アメノミカヌシ)神以後の神々だ。『古事記』では五柱の「別天神」と「神代七代」の神々があるではないか?”と。”

神名が多数出てきてややこしくなってきました。次の図は、古事記・日本書紀の「別天神」と「神代七代」を整理したものです(縦置きにしてます)。詳細は、シリーズ第七巻『図とデータで解き明かす 日本古代史謎7 古事記・日本書紀のなかの史実① 天地開闢からアマテラス誕生まで』を参照ください。

古事記において、アマテラスの父神であるイザナギ以前に、アメノミカヌシから始まる別天神と神代七代があるのがわかります。



スライド1 


この主張に対して、”五柱の「別天神」と「神代七代」は、あとからつけ加えられた名前だ。”としています。
その論拠としては、以下を挙げています。

1.高ミムスビ・ムスビを除いて、すべて抽象的な神名だ。
2.この神々についての事績は全くない。
3.こういう指摘は今までにも、多くなされてきた。


さらに、あとからつけ加えられたことを明白に証明するものとして、
1.高ミムスビ(高木神)天照といつも一体になって活躍している。天孫降臨のときも、この両者共同の発議だった。
2.天照の息子と高木神の娘が結婚してニニギたちが生まれた。両者は、いわば「同世代」

ことから、時代が合っていないことを挙げています。

以上から、
高木神と天照との間の数多くの神々(『古事記』の場合はことに)は、”後代の挿入部”であること、これを疑うことはできない。
これに対し、「出雲神統譜」を比べると、大国主神以前の五代でも、机の上で一気に作ったような概念の神ではない、一つ一つ個性のある人名のような趣をもつ、本来の固有名詞の神名なのである。
してみると『記・紀』では、高木神・天照の時期が始源期なのに対し、「大国」ではすでにそれは六代目ころにあたっていた。 ー この新旧の落差を疑うことはできない。”(「盗まれた神話」(古田武彦)P 407- 409)

以上を元に、出雲の系譜を復元すると次の図のようになります(縦置きにしています)。

出雲神統譜復元





なお古田氏は、高木(タカムスヒ)神からアマテラスの「間の」神々が挿入された、していますが、それではタカムスヒはアマテラスの祖先となっていまい、アマテラスの息子の義父としての高木(タカムスヒ)神と、矛盾してしまいます。

そうではなく、高木(タカムスヒ)神がアマテラスの祖先となるように、つまり皇祖神となるように、高木(タカムスヒ)神らを系譜のもっとも上に据えたのではないか、と考えるほうが自然です。そうすれば、アマテラスの息子の義父としての高木(タカムスヒ)神との矛盾も説明できます。詳細はシリーズ第七巻を参照ください。

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プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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