日本語系統論(8)~動詞の人称標示
前回、太平洋沿岸言語圏は、南方群と北方群に分かれるという話でした。そして
”日本海を囲んで連環のような分布を見せる朝鮮語、日本語、アイヌ語、ギリヤーク語”を「環日本海諸語」と呼ぶ話をしました。
その続きです。環日本海諸語について、
”確かにひとつのまとまりを作っているが、その内部をもっと身近に眺めれば、もちろんさまざまな違いが認められる。それは、これまで指摘されてきたような語彙レベルに見られる大きな隔たりにとどまらず、言語構造のさまざまな面にわたっている。”(P126)
とりわけ日本語とアイヌ語の間には、そのような言語差が著しく、これまで両言語の系統関係に関して大きな否定材料とされてきた。
例えば、金田一京助氏によれば、アイヌ語は日本語だけでなく近隣のいかなる言語とも系統的につながらない、あたかも言語世界の孤島のごとき存在であるとされた。”
このように日本語とアイヌ語が同系かどうか、大きな議論になってきたというのです。ちなみに金田一氏は、日本語の系統に関しては、”ウラル・アルタイ語”の熱心な支持者でした。
これに対して、
”アイヌ語と日本語あるいはギリヤーク語と朝鮮語との間の違いが、はたして同系関係にとってそれほど大きな障害となるものかどうか。以下、このような問題に答えるために、特にアイヌ語と日本語の間で異なった現れ方をする言語現象に焦点を当てながら、一方ではまたその言語圏の性格をより明確に浮き彫りにするような、いくつかの興味深い言語特徴を取り上げてみたい。”
と解決の糸口を見出そうとします。
はじめに取り上げるのが、動詞の人称表示です。
動詞の人称標示とは、動詞の活用形態の中に組み込まれた動詞の役割(いわゆる主語や目的語など)に関わる標識のことです。
日本語や朝鮮語の動詞には、このような人称標示が全く欠けています。たとえば、
(私が)愛した
(君が)愛した
(彼らが)愛した
のように、主語が変わっても、動詞の「愛した」は変化しませんよね。
一方、ラテン語ではそれぞれ
ama-ba-m
ama-ba-s
ama-ba-t
と動詞が変化します。
さらにアイヌ語では、主語だけでなく、目的語の人称も活用組織の中に取り込まれています。
ku-i-kore 我-あなたに-与える i-kore-an 我ら-あなたに-与える
e-en-kore 汝-我に-与える echi-en-kore 汝ら-我に-与える
なんとも複雑で、日本語しか知らない身としては、わかりにくいですね。
ここで
a.ラテン語のような型を単項型人称標示
b.アイヌ語のような型を多項型人称標示
c.日本語のような型を人称無標示
と呼びます。
日本語(人称無標示)が一番単純で、次にラテン語(単項型人称標示)、一番複雑なのがアイヌ語(多項型人称標示)ですね。
その分布です。
a.単項型人称標示の分布
・アフリカ北部からユーラシア内陸部
セム語族・インド・ヨーロッパ語族・ドラヴィダ語族・ウラル語族・アルタイ諸語という内陸部の主要な語族のみ。
複式流音および形容詞体言型と同じ。
b.多項型人称標示の分布
・バスク語・ケット語・ブルジャスキー語・カフカス諸語など系統的に孤立した諸言語。
・シュメール語に代表される古代オリエントのいくつかの孤立言語も、同じタイプと見られる。
・サハラ以南のアフリカやオセアニア
・チュクチ・カムチャツカ諸語・エスキモー・アリュート諸語・アイヌ語・ギリヤーク語・チベット・ビルマ諸語のなかの「代名詞化言語」・東部インドのムンダ諸語・一部のオーストロネシア諸語など、人称無標示型の周辺部。
・南北アメリカ大陸
c.人称無標示型の分布
・太平洋沿岸部
中国語・ミャオ・ヤオ諸語・タイ・ガダイ諸語・モン・クメール諸語・チベットビルマ諸語の東部群・日本語・朝鮮語

多項型人称標示は、周辺部など系統的に孤立している言語が多いですね。ということは、もともと人類祖先の言語は多項型人称標示であったものが、インド・ヨーロッパ語族などに代表される主要語族の祖先が単項型人称標示の言語を話すようになり、多項型人称標示の言語を話す人々が、端っこに追いやられていったように見えます。
実際、”シュメール語に代表される古代オリエントのいくつかの孤立言語も多項型人称標示とみられる。”とあることからも、そのように解釈できそうです。
松本氏も、
”アイヌ語などに見られるような多項型人称標示は、一部の言語に限られた特殊な現象ではなく、世界言語の全域に広く分布し、従ってまた人類言語に古くから備わったごく一般的な特徴と見なければならない。”
と述べています。
では、日本語などに代表される人称無標示型は、どのようにできたのでしょうか?
松本氏は、
”人称無標示型は元あった人称標示を失うことによって生じた新しい特徴とみてよいだろう。
言語接触によって引き起こされる形態法の単純化(あるいはむしろ衰退や崩壊)が大きな要因として働いた可能性が高い。
中国大陸かインドシナ半島にまで及ぶ広範な単音節型声調言語の出現という東アジアでおそらく最も大規模な「ドリフト」現象の一局面と見てよいだろう。”(P127-137)
と述べています。「ドリフト」とは漂流する、移動するという意味です。
つまり、日本語ももともとはアイヌ語と同じ多項型人称標示であったものが、中国大陸かインドシナ半島で発生した言語の特徴が伝わり、人称無標示型に変化していったことになります。
こうしてみてくると、日本語とアイヌ語が同系であることが説明できます。
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