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古事記・日本書紀のなかの史実Ⅱ (8) 国譲り⑧ 出雲大社の起源

オオクニヌシの子タケミナカタを諏訪まで追い詰め屈服させたタケミカヅチは、出雲に戻ります。

 タケミカヅチは出雲に戻り、オオクニヌシに再度訊ねた。オオクニヌシは「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げます。その代わり、私の住む所として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てて下さい。そうすれば私は百(もも)足らず八十坰手(やそくまで)へ隠れましょう。私の180柱の子神たちは、長男のコトシロヌシに従って天津神に背かないでしょう」と言った。】

オオクニヌシはついに葦原中国をタカムスヒ・アマテラスら天津神に譲ることを決断します。その条件として、天津神の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建てることを願います。

一般的には、これが出雲大社のことであり、出雲大社の起源ともされています。長らくこうした話は神話の世界であり、創作の考えられてきました。ところがそれを覆すような画期的な発見がありました。

”2000年(平成12年)、同大社境内での地下祭礼準備室の建設が行われるにあたり発掘調査が行われ、巨大な柱3本を鉄の帯板で束ねて1本にした、宇豆柱と見られる巨大柱の遺構が発見された。出土遺物から、12世紀から13世紀ごろ(平安時代末から鎌倉時代)の本殿と考えられている。”(Wikipedia「出雲大社境内遺跡」より)

これの何がすごかったについては、次の解説をご覧ください。

”昔の出雲大社の本殿(ほんでん)は、今よりかなり高い巨大な神殿だったという伝説がありました。平安(へいあん)時代の「口遊(くちずさみ)」という本のなかには、「雲太(うんた)・和二(わに)・京三(きょうさん)」という言葉があります。これは、日本の建物では、出雲大社の本殿が1番大きく、東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)(大和(やまと))が2番、平安京大極殿(へいあんきょうだいごくでん)(京都)が3番という意味です。

 では、どれくらいの高さだったのでしょう。出雲大社には、上古(じょうこ)には32丈(約97メートル)、中古(ちゅうこ)には16丈(約48メートル)という言い伝えがあります。出雲ドーム(47メートル)よりも高い、巨大神殿だったようです。高すぎるので、何回も倒れたという記録が残っているくらいです。
 そんなに高かったと、なぜ言えるのでしょうか?出雲大社宮司(ぐうじ)家の千家(せんげ)家に伝わる「金輪御造営差図(かなわごぞうえいさしず)」という絵図には、大きな輪の中に3つの小さな輪がかいてあります。これが柱をあらわしているのです。3本束ねた柱は直径が1丈(約3メートル)、正面の階段の長さは1町(約109メートル)と書いてあります。そんなに大きな神殿があったとは信じられない、と言う人もいましたが、絵図と同じ柱が本当に出てきたので、大きな神殿があった可能性の高いことが証明(しょうめい)されたのです。

今回発見された柱は、平安時代から鎌倉(かまくら)時代(今から約700年前)に建てられた本殿の柱で、そのころあった建物の中では、本当に日本で一番背の高い建物だったかもしれません。”
(フォトしまね2001年●145号「出雲大社遺跡」より)




出雲大社柱遺跡


出雲大社高さ
今回発掘された
宇豆柱は、今から700年ほど前のものと考えられますが、神社に伝わる伝承が史実だったことが立証されました。ということは出雲大社の創建に関する伝承も、史実を反映している可能性が出てきたわけです。

ところで別の解釈をする学者もいます。それは、出雲大社はすでにそのときにあったのだ、という説です。
三浦 佑之氏(千葉大学名誉教授)によれば、古事記には出雲大社を建ててくださいとは書いてない、というのです。読み下し文をみてみましょう。


”唯(ただ)僕(あ)が住所(すみか)をば、天神(あまつかみ)の御子の天津日継(あまつひつぎ)の知らしめす登陀流(とだる)天之御巣(あめのみす)如(な)して、底津石根(そこついはね)に宮柱(みやはしら)布斗斯理(ふとしり)、高天原(たかあまはら)に氷木(ひぎ)多迦斯理(たかしり)て治(をさ)め賜(たま)はば、僕(あ)は百不足(ももたらず)八十坰手(やそくまで)に隠りて侍(さもら)ひなん”

訳すと、
”ただし私の住む所を、天津神の御子の天津日嗣が治めるご立派な殿舎と同じぐらいに、地の底の岩に宮柱を太くし高天原まで千木が高く達する宮とし、統治していただければ、私は多くの曲がり込んだ所を経て行く片隅(根の国底の国)に身を隠してお仕え申し上げます。 ”

微妙なところではありますが、たしかに明確に建ててくださいとは書いてませんね。

三浦氏はもうひとつ論拠を挙げています。それは前に出てきたオホナムチすなわちオオクニヌシがスサノオの根の堅州国から逃げ出したときの話からです。

”スサノオは黄泉平坂(よもつひらさか)まで追ってきて、遥かに二人を眺めて、オホナムチに呼んで言うには、
「お前が手にしている生太刀・生弓矢で、兄弟を坂の裾くびれたところに追い伏せ、河の瀬に追い払って、お前は大国主(オオクニヌシ)神となり、また宇都志国玉(ウツシクニタマ)神となれ。そして私の娘のスセリヒメを正妻として、宇賀の山のふもとに、地底の磐に宮殿の柱を太く掘り立て、高天原に肱木(ひじき)の届くほどに屋根の高い、立派な宮殿を構えて住め。この賤しい奴め」

そこであのオホナムチはその太刀と弓矢を持って、ヤソガミを負い撃つときに、坂の裾という裾で追い伏せ、河の瀬という瀬で追い払い、国造りをお始めに
 なられた。”

スセリヒメと住むことになる宮殿の宇賀の山のふもとですが、出雲国風土記に、出雲郡宇賀郷(うか)があり、現在の
平田市口宇賀町・奥宇賀町・河下町・別所町などを含む地域に比定されます(歴史地名体系「宇賀郷」より)。ここに立派な宮殿を建てて住んだことになります。
これが実際にどこなのか詳細は定かではありません。出雲大社は宇賀郷からみて山の反対側にありますから、宇賀の山のふもとと言えるかどうかは微妙です。となると、このとき造った宮殿は、出雲大社ではなかったことになります。


宇賀郷位置

一方、別の見方もあります。
このあたりの北山山地を宇迦山と呼びますが「宇迦」とは穀物を意味する古語といわれており、古代人にとって食物を神聖化する意味も含まれているかもしれません。”(出雲市HP「出雲大社」より)

北山山地とは、出雲大社の北にある山々ですが、それを宇迦山と呼ぶというのです。さらに
”北山でひときわ目を引く弥山さんは、標高495メートルの『出雲国風土記』に記されている出雲御碕山の主峰である。
 国引き神話では、新羅の国から引き寄せたという。別名を宇迦山、浮浪山ともいわれ、古代から神聖な山として信仰され、西のふもとには出雲大社、東のふもとには阿須伎神社がある。 山頂には、主祭神須佐之男命外六座を祀る「弥山権現」がある。”(神話の出雲国・大社町HP「菱根地区」より)

とあります。

これが事実であるなら、弥山が古事記のいう「宇賀の山」であり、出雲大社はまさにその「宇賀の山」のふもとにあるわけですから、現在の出雲大社の場所にオオクニヌシが自ら宮殿を建てたということになります。
ちなみに出雲大社には4つの鳥居がありますが、その一の鳥居は「宇迦橋の大鳥居」と呼ばれてます。この近辺が昔から「宇迦」と呼ばれていたことを示しているともいえますね。


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古事記・日本書紀のなかの史実Ⅱ (7) 国譲り⑦ タケミナカタ

 タケミカヅチに対して、コトシロヌシは服従して隠れてしまいました。

タケミカヅチが「コトシロヌシは承知したが、他に意見を言う子はいるか」とオオクニヌシに訊ねると、オオクニヌシはもう一人の息子の建御名方神(タケミナカタ)にも訊くよう言った。その時、タケミナカタが千引石(ちびきのいわ)を手の先で持ち上げながらやって来て、「ここでひそひそ話すのは誰だ。それならば力競べをしようではないか」とタケミナカタの手を掴んだ。
タケミナカタは手をつららに変えて、さらに剣に変化させた。逆にタケミカヅチがタケミナカタの手を掴むと、若い葦を摘むように握りつぶして放り投げたので、タケミナカタは逃げ出した。

タケミカヅチはタケミナカタを追いかけ、科野国の州羽の海まで追い詰めて殺そうとした。すると、タケミナカタは「恐れ入りました。どうか殺さないでください。この土地以外のほかの場所には行きません。私の父・オオクニヌシや、コトシロヌシの言葉には背きません。天津神の御子の仰せの通りに、この葦原中国を譲ります」と言い、タケミカヅチに降参した。】

次の登場した神が、オオクニヌシの息子のタケミナカタです。タケミカヅチと力比べをして、タケミカヅチが勝利します。タケミナカタは、信州の諏訪湖まで逃げますが、ついに降参します。
ではなぜタケミナカタは、諏訪まで逃げたのでしょうか?
出雲からみて随分と遠く、出雲とは関係のない場所のように思えます。

ここで興味深い話があります。以前、オオクニヌシの妻問いの段で、越の国のヌナカハヒメを訪ね結ばれる話がありました。ここでヌナカハヒメですが、
”新潟県糸魚川市に残る伝承では、オオクニヌシのとヌナカハヒメとの間に生まれた子が建御名方(タケミナカタ)神で、姫川をさかのぼって諏訪に入り、諏訪大社の祭神になったという。また諏訪でもタケミナカタの母をヌナカハヒメとする。『先代旧事本紀』でもタケミナカタはヌナカハヒメの子となっている。

十日町市犬伏の松苧神社の縁起には、ヌナカハヒメが松と苧(カラムシ)を携えて南方からこの神社まで逃亡してきたことが伝えられている。
また、長野県にもヌナカハヒメを祭る神社があり、姫の乗っていた鹿のものとされる馬蹄石がのこされている。
諏訪大社の下社にも八坂刀売(ヤサカトメ)神やタケミナカタと共に祀られ、子宝・安産の神として信仰されている。

『万葉集』に詠まれた
渟名河(ぬなかは)の 底なる玉  求めて 得まし玉かも  拾ひて 得まし玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜(を)しも」(巻十三 三二四七 作者未詳)
の歌において、「渟名河」は現在の姫川で、その名は奴奈川姫に由来し、「底なる玉」はヒスイ(翡翠)を指していると考えられ、沼河比売はこの地のヒスイを支配する祭祀女王であるとみられる。天沼矛の名に見られるように古語の「ぬ」には宝玉の意味があり、「ぬなかわ」とは「玉の川」となる。”(Wikipedia「
沼河比売」より)

ヌナカワヒメ

ヌナカワヒメは、新潟県糸魚川市の姫川流域を治めた女王であったようです。糸魚川といえば日本屈指のヒスイの産地ですから、ヒスイの女王であったともいえます。伝承では、その子がタケミナカタです。

そうであるなら、なぜ出雲での闘いに敗れたタケミナカタが、はるばる諏訪まで逃げてきたのかが理解できます。日本海を海流に乗って北上すれば、母の実家のあった越の国につきます。そこから姫川を遡上すれば、諏訪方面までたどり着けます。
糸魚川静岡構造線に沿ったルートで、比較的平坦な地勢です。古代から重要な交通ルートであり、人の行き来がありましたから、俄然リアリティのある話になりますね。

タケミナカタ逃亡ルート

姫川~諏訪
もうひとつ注目すべき話があります。
”『古事記』と『旧事本紀』では征服される神として描かれるタケミナカタは、諏訪地方に伝わる伝承では現地の神々を征服する神として登場する。
いわゆる明神入諏神話を記録した現存する最古の文献は、宝治3年(1249年)に上社大祝(おおほうり)の諏訪信重から鎌倉幕府に提出されたといわれている『諏訪信重解状』(『大祝信重解状』、『大祝信重申状』とも)である。これによると、神宝(鏡・鈴・唐鞍・轡)を持参して守屋山に天降った諏訪明神は、もともと諏訪にいた「守屋大臣」(守矢氏の遠祖とされる洩矢神、ミジャグジと同一視される)と争論・合戦・力競べをして、その領地を手に入れた。(Wikipedia「タケミナカタ」より)

洩矢神とは、
諏訪大社に祀られている建御名方神(諏訪明神)の諏訪入りに抵抗した土着神とされ、のちに服従し、諏訪上社の神官の一つである神長官を務めてきた守矢氏の始祖となったという。一説によると当初は現在の静岡県方面から入植した部族と言われている。
守矢氏が祀るミシャグジと同一視されることもあり、山の神や氏神として信仰されたこともある。”(Wikipedia「洩矢神」より)

ちなみに現神官は、第78代の守矢早苗氏です。神話の世界の洩矢神が今も守矢氏としてつながり、諏訪大社の神官を務めているとは、なんとも悠久の歴史を感じさせますね。

なおミシャグジとは、”中部地方を中心に関東・近畿地方の一部に広がる民間信仰(ミシャグジ信仰)で祀られる神(精霊)である。長野県にある諏訪地域はその震源地とされており、実際には諏訪大社の信仰(諏訪信仰)に関わっていると考えられる。全国各地にある霊石を神体として祀る石神信仰や、塞の神・道祖神信仰と関連があるとも考えられる。”(Wikipeda「ミシャグジ」より)

諏訪大社

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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