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ブログを始めました!

はじめまして。
青松光晴といいます。
ふだんはサラリーマンをしてますが、日本の古代史に興味をもつようになり、以来独学で情報収集し研究してます。

日本古代史といっても巾広いですが、このブログでは、自分としても一番興味があり、また日本古代史上最大の謎と言われている邪馬台国の時代を中心として、収集した情報を自分なりに咀嚼し、わかりやすく書き綴っていきたいと思います。

なぜ私が日本古代史に興味をもつようになったか、ですが、学生時代にさかのぼります。

子供のころに聞いた話や、歴史の授業で習うことが、どうもしっくりこなかったのです。
たとえば、
1.大和朝廷が、神代から近畿圏にあったのなら、どうし
  て、神話の多くが、出雲や筑紫の話なのだろう?
2.どうして、銅鐸圏、銅矛圏のように、勢力圏が分かれ
  ていたのだろう?
3.どうして中国から与えられた金印「漢委奴国王」
  出土が、九州の博多(志賀島)なのだろう?
4.縄文式土器と弥生式土器って、どうして特徴に
  こんなに違いがあるのだろう?
等々です。

それらに対する答えを求めて、いろいろ本を読み漁り、こうしたことではなかろうか、という考えがようやく出来上がってきました。根底にある考え方は、古田武彦氏(元昭和薬科大学教授)の説を参考にしてますが、必ずしも古田氏の考え方を全面的に肯定はしておらず、自分なりに考えを構築してます。

まだまだ発展途上ですが、このブログを多くの方が読んでくださり、議論が深まり、少しでも様々な謎の解明に近づくことに貢献できれば、幸いです。(なお時間的制約もあり、更新は不定期になります)

よろしくお願いいたします。

次回から、記事を掲載します。

テーマは、神話です。

お楽しみに!!

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とてもガッカリ

貴殿のプロフィールと科学的という論理に引かれて本を買ってみようかとこのブログを拝見させていただきましたが、とても科学的とも思えずガッカリしました。所詮人の論理をつまみ食いしているだけで、基底は非科学的理論の積み重ねということが解りました。科学的に証明しようとするなら、非科学的なものから出発した理論をすべて捨てなければ科学的とは言えないと思いますが、いかがでしょうか。いくら文献や遺物を持ち出しても、非科学的な目で見ていては論拠にもならないのでは?

Re: とてもガッカリ

具体的に何を言っているのかが見えません。

1. 「基底は非科学的理論の積み重ねということが解りました。」とありますが、どこが非科学的なのでしょうか?。具体的な箇所と根拠を示してください。
2.貴殿にとって「非科学的なもの」ではなく「科学的なものから出発した理論」とは何でしょうか?。貴ブログを拝見しましたが、不明確でした。

以上です。


re.とてもガッカリの詳細

こんなに早く反応していただけるとは思いもよりませんでした。私は日本の研究者の説を採用する場合には、その人物の背景を示し、本当にその人物が科学的に論証できたかを問うことから始まると思います。採用した論が違っていた時論拠を失うからです。採用した人物の一部が正しくても、根本が間違っていた時信頼を失うからです。例えば古田氏の論を採用するときも豊田氏の論を採用するときも、貴殿の論理で再検討すべきと思います。神話を採用するときも、神話はどうしても感性が入り込み科学的とは思えません。貴殿の研究はとても素晴らしいものと思いますが、この確認が無いと科学的論証とならないのではないでしょうか。日本書紀に関しましても論証なしに遠賀川式土器が出てくる。本当に神武天皇の時代なのですか?倭の5王が九州王朝が日本を支配していたのですか?日本書紀は嘘っぱちなのですか?この辺りを科学的に論証したなら、徹頭徹尾論証したなら、科学的と呼べるのではないでしょうか。私のブログを見ていただいたようでありがとうございます。私は科学的でありたいと苦悩して記述しています。そして、一番に肝に銘じているのは古文献を信じ、矛盾点を究明することです。古文献を間違いなどと言う考えが非科学的と考えております。例えば古田氏は記紀が九州王朝の事績を捻じ曲げていると論じますが、記紀が間違いとなればどのようにも歴史を捻じ曲げることができます。このような態度が非科学的としております。科学は検証できて科学なのではないのでしょうか?論拠が間違っていると証拠をもって批判できるのが科学なのではないのですか?私のつたないブログは少なくとも論拠を示して表明しているつもりです。もしよろしかったらその不明確な所を教えていただけると嬉しいのですが。

Re: re.とてもガッカリの詳細

掛布さんへ

貴殿のコメントから察するに、「科学的論証」とは「古文献を信じ、矛盾点を究明すること」という理解でよろしいでしょうか。そのような理解は、とても違和感のあるものです。なぜ「古文献を信じること」が科学的なのか理解できません。「古文献」に多くの説明のつかない矛盾があることが、古代史が混乱し解明が進まない最大の要因です。

古事記・日本書紀ですら多くの矛盾があり、中国史書にいたっては日本の史書とまったく整合していないことは、貴殿もよくご存じでしょう。このことはすなわち、少なくとも古文献の多くに真実ではないことが存在していることを示しています。この矛盾に対してどのように解釈するのでしょうか。多くの「信じた」ことが誤りとなるわけですから、ではそもそも「信じた」こと自体が誤りだった、ということになってしまいます。一般的にも、「古文献を信じる」ことが科学的だと考える人は、ほとんどいないのではないでしょうか。

もちろん古い文献に真実が含まれていると考えてますし、それを私も追究しているわけです。

それはさておき、貴殿は私のブログ或いは著作をすべて読んでいるでしょうか?。私は、様々な方の論説をそのまま受け入れるようなことはしてません。すべて検証しています。検証は、ブログ・著作全体のなかで書いてますし、今後もしていきます。すべて読んでいただければ、貴殿の挙げた疑問に対する答えはわかると思います。

なお私は貴殿の「古文献」を信じる姿勢を否定しているわけではありません。研究には様々なスタイルがあっていいと考えてます。また私は古田史学の信者ではありません。古田氏の考えと大きく異なる点もあります。それもブログ全体を読んでいただければわかります。




No title

貴殿は誤解してらっしゃります。私はまじめに古文献を使うことが科学と言っています。当然古文献だけでなく遺物・遺跡と突き合わせながら検証することが科学です。ところが、貴殿は都合の良いところだけ文献を使い、都合の悪いところは間違っているのだからとおっしゃる。間違っていると思われるのなら、古文献を使うことは自分の考えが間違いと表明していることに他なりません。どうせ、古文献は間違っているのだから遺跡を自由に解釈すればよいというところが見え隠れしています。中国の文献にも、日本の文献にも日本以外から倭人が来たと記述されていないと思います。扶余族は移動したと記述されています。扶余族が移動して、それに促されて倭人が移動したなどと書かれていません。倭人はいつも海中とか海外とかかれています。倭は資源を取りに朝鮮に来ていると記述されています。三国史記には倭本国に攻撃するのは無謀と記述されています。ただ、文化の流れが西から東というだけで、神武東征と関連付け、文献に外国からの侵略など一言も書いてません。文献とかけ離れた論証は科学的ではないと申し上げているのです。文献と遺物が合致した時正しいというのが科学だと申し上げているのです。文献しか資料が無い場合でも、2種以上の文献と整合性が合って正しいとすると考えることが科学と申し上げているのです。矛盾は矛盾としてどう考えれば矛盾しないかそれを考え、他者がそれを検証できることが科学なのではないのでしょうか。わたしは貴殿の論証を残念ながら検証できません。

Re: No title

掛布さんへ

改めて貴ブログを読ませていただきました。
古田史学の会にも入っており、そのメンバーあるいは他の知り合いにも、私に対してと同じような論を話していますね。そして全く(ほとんど?)受け入れてもらえないようで、不満をもっている状況がよく理解できました。さぞかし鬱憤がたまっていることと推察いたします。

古田氏の「邪馬台国はなかった」を読んで感動したとのこと、驚きました。私はてっきり貴殿が「反古田」の方だと思ってましたので。となると、私の方向性とさほど違うようには思えませんが・・・。

貴殿とこれ以上やりとりしてもお互いにとって建設的とも思えませんので、そろそろ終わりにしたいと思いますが、もしよろしければ貴殿の研究成果を少し教えていただけませんでしょうか。

たとえば、
・天孫降臨、国譲り、神武東征神話
・邪馬台国の位置
・倭の五王
・神功皇后
・たりしほ
・白村江の戦い、壬申の乱から日本国誕生まで
等です。

ポイントは、中国・日本文献同士の矛盾・齟齬、遺跡・出土物その他科学的データとの整合をどのように克服されているのか、です。

貴ブログを読めばわかるのかもしれませんが、時間的余裕もありませんので。概略で結構ですので、ご教授いただければ幸いです。






お答えします。

貴殿の質問にお答えします。出来ましたら、ご面倒でもブログを読んでいただけると、私の論理の流れが解っていただけると思えるのですが。

・天孫降臨、国譲り、神武東征神話
天孫降臨は饒速日の出雲侵略とニニギの伊都国侵略です。(証拠がないため仮説で結果から類推)
国譲りはもちろん武力による奪取です。(証拠はありませんが結果からの類推)
神武東征は広島県安芸から奈良に侵略した大物主の神話です。(証拠はありませんが結果からの類推)
神武東征にはもう一つ伊都から糟屋郡の猪野への侵略も書かれている。
これは甕棺がいち早く消えていくこと、高宗神社がある事、猪野皇大神宮の存在から推定しています。

・邪馬台国の位置
里単位は壱岐の直径(16Km)から推定1里5から60m。
全行程水行10日で投馬までの20日を入れては意味が通らなくなり不彌から投馬までは行程に含まれない。
従って不彌の南に邪馬台が有る。
しかし不彌の南には奴もあり、合計9万戸あり、不彌は千家で東西に長い領域であることから能古島や志賀島、海の中道が不彌である。
この時期、日本書紀に書いてある通り、川や山で領域を決めている可能性が高く、室見川・那珂川が国境の可能性がある。
従って、邪馬台国は福岡空港近辺より東の東区や糟屋郡が当てはまる。
日本書紀が邪馬台国に当てはめている神功皇后の宮は香椎宮である。

・倭の五王
筑紫国造の王たちで名目上は日本政府の一臣下に過ぎないが実質は独立状態で、
ダダ一国のみ中国の冊封体制に入り日本唯一の政府と中国から認められているに過ぎない。
実際倭国の東にはいつも倭種の国がある。

・神功皇后
日本書紀は本来、紀伝体や列伝として書かれていて、神功皇后の列伝には複数の王の事績が書かれている。
それは、応神天皇の朝鮮の王の記事が合わないのが、幾人かの王が一緒くたに書かれていることから考えられる。

・たりしほ
タリシヒコは火君・火中君の子のことで、君と名乗る人物はお国では大君だ天皇だと自称していると考えられる。
風土記には倭武天皇と書かれ、毛野君が天皇と言われた可能性がある。
系図には大連になったことが無い中臣氏が大連と記述している。

・白村江の戦い、壬申の乱から日本国誕生まで
何を求めているのかわかりませんが、証拠がある事のみ記述しますが、665年の天皇は中宮天皇(野中寺 弥勒菩薩より)で唐に出かけたり病気のため天智が摂政していた。
中宮天皇の名前は(新)唐書から豊財、なぜなら、皇帝と実際会っている人物の名が解らないことは有り得ない。
すなわち、皇極天皇の記事は664年から667年の記事である。
新唐書はタリシヒコを用明天皇と記述していて、2代ずれていることにより明白である。
従って、天武天皇・持統天皇は文武天皇・元明天皇のことが書かれている可能性がある。
そして、飛鳥浄御原は704年(続日本紀に記述)まで首都で、この時期首都の様相があったのは大宰府で、骨臓器や碑文などの遺物にもこれ以前に藤原京は記述されていない。
670年まで、倭国と日本国は別国で、九州の小国の倭国が畿内に有った大国の日本国を物部氏から奪取し、日本国は元々畿内に有ったため、新唐書では日本は神武天皇から機内と記述された。
以上
この、古文書と遺跡・遺物の関連で求めた科学的論証です。
人々は野中寺の弥勒菩薩は信用できないというけれど、遺物を信用しないで何を信用するというのか?
貴殿はこれをどう思われますか?
私の論理は非科学的ですか?
これらの矛盾があるから、記紀は間違い、遺物は偽造と世間は言う。

Re: お答えします。

掛布さんへ

長文にわたりありがとうございます。
私の考えと大きく異なる点は多々あるものの、似ている点もありますね。たとえばニニギが伊都を侵略したこと、神武天皇が伊都から出発したこと、邪馬台国が福岡県北部にあったこと、倭の五王が筑紫の王であったこと、倭国と日本国は別の国で倭国は九州にあったこと、太宰府に都があったこと、等です。

私は掛布さんの研究を非科学的などと言うつもりはありません。あとは、主張されていることの証拠をいかに集められるか、ということが課題だと思います。

掛布さんとのやりとりは、今回にて終わりとしたいと思います。

私は、研究において大切なことは、お互いの立場を尊重するこだと考えてます。掛布さんにおかれましては、他人に対して過剰に攻撃することなく、ご自分の研究を粛々と継続しつつ、ブログや著書での発表や歴史雑誌などへの投稿により、ご自分の考えに対する賛同者を少しづつ増やしていかれることがよろしいのではないでしょうか。真実はいずれ明らかになります。それが歴史の必定です。

今後の健闘を期待しております。

お相手ありがとうございました

全ての研究者が貴殿が書いたことを承知の上持論を述べている中、貴殿が科学的と特段に主張なさり、その主張を世に問うていらっしゃるため、特段世間と違っていませんよと述べたことが攻撃と感じられたとしたら、お詫び申し上げますが、攻撃と感じられたというのは心の中では痛いところを突かれたと感じていらっしゃるのでしょう。私には、論文に寄稿などと言うほど能力がございませんので、ブログで同士を集める程度だと思います。それでも私も一応電子出版と言えども世に問うておりますので、批判はいくらでも受け付けております。それが、世に問うた責任と感じているからです。貴殿に理由を問われれば持論も書きます。もし、愚論を少しでも参考にしていただければとてもうれしく思います。また、このことは私のブログでも近々述べてみたいと思います。ありがとうございました。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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