謎の国々は実在したか?(7) ~ ウイルスと寄生虫は語る
さて、ここまでの話で、皆さんは、”古代日本人が太平洋を舟でわたり、南米エクアドルにたどりついた”という説について、どのように思ったでしょうか?。
「まだまだ証拠が足りないぞ。」
と思った方も多いでしょう。
そこで、科学根拠となりえそうな話を紹介します。
ひとつは、考古学とは無関係の、日本ガン学会における報告です。1994年、田島和雄氏(愛知ガンセンター疫学部長)が、
”日本列島の太平洋岸(沖縄、鹿児島、高知県足摺岬、和歌山、北海道)の住民(現在)に分布する、HTLV-1ウイルスと同一のウイルスが、南米北・中部インディオの中にも濃密に発見された。その結果、両者が「共通の祖先」をもつことが推定されるに至った”というものです。(「海の古代史」(古田武彦著)より)
ここで、いきなり、「HTLV-1」ウイルスなどという、耳慣れない言葉が出てきましたので、少し解説します。
大人になってから発病する白血病の一種に、「成人T細胞白血病」(ATL)という血液のがんがあります。免疫をつかさどるT細胞がが、異常に増える病気です。その原因が、「ヒトT細胞白血病ウイルス1型」(HTLV-1)というウイルスです。名前を見て連想した方もいるかと思いますが、エイズウイルス(HIV)の兄弟分といわれるほど似たもの同士です。ウイルスに感染した母親から母乳を通して赤ちゃんに感染する「母子感染」が主な経路です。
ちなみに、1985年に、女優の夏目雅子さんが27歳の若さで亡くなりましたが、彼女も「成人病T細胞白血病」と診断されていました。
感染してから発症する確率は20~50人に1人。潜伏期間が数十年かかることも珍しくなく、発症の平均年齢は55歳です。エイズに比べてとかく軽視されがちですが、国内のHIVの累積感染者数は、わかっているだけで約15000人、未発見者を含めてもせいぜい5万人くらいです。一方、HTLV-1の感染者数は100万人を超えるので、エイズの20倍以上も多いことになります。
HTLV-1は、3つの型に分けられ、圧倒的に広い範囲に分布するのが「コスモポリタン型」、あとは少数型の「アフリカ型」と「メラネシア型」です。
「コスモピリタン型」はさらにいくつかのサブタイプ(亜型)に細分化され、
・南米や中近東にかけて広い地域に分布する「亜型A」
・日本に特徴的な「亜型B」(日本型)
・西アフリカ・カリブ海に局在する「亜型C」
・モロッコやアルジェリアに多い「亜型D」
と、大きく4つに分けられます。
HTLV-1の大部分は母から子へ感染しますが、感染力が弱いことから、ウイルスは特定の地域や民族にとどまっていることが多いのです。そして、その感染の広がりは、宿主となったヒト集団の移動と密接に関係していると考えられます。つまり、このウイルスの変異を追っていけば、人類の移動も追跡できる、というわけです。
日本にHTLV-1をもちこんだのは、古モンゴロイドですが、そのうち特に「亜型B」(日本型)を広めたのは、「南方ルート」から朝鮮半島を経てやってきた集団です。その時期は、縄文時代初期とみられています。
HTLV-1の特徴的なことは、分布が非常に偏っていることです。台湾の先住民、フィリピン、マレーシア、インドの一部、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ハワイ諸島、さらには米国先住民(アメリカン・インディアン)の一部とイヌイットとスカンジナビアの先住民のサミー、アフリカなどです。世界の陽性者は1100~2000万人と推定されています。その一方で、朝鮮半島や中国には、陽性者がほとんどみつかっていません。
日本においても、西端の九州・沖縄・四国西部・紀伊半島、と東南の東北・北海道に偏っていて、列島中央部はきわめて少ないのです。これは、”先住の縄文人が広く住みついていた日本列島に、弥生人が中央部から押し広げるように勢力を広げて、縄文人は分断されて北と南に押しやられた”ということでしょう。
<世界のHTLV-1集積地域分布図>
そして、上記のとおり、田島所長らが南米アンデスの先住民の血液を調べると、日本人と同一系統(日本型)のウイルス感染者がみつかりました。先住民13部族の調査では、17%という高い数字でした。
さらに、カリブ海沿岸、アマゾン熱帯雨林、パタゴニアなど僻地の南米先住民への大掛かりな調査を行い、アンデス高地にだけ(日本型)感染者がいました。
また、チリ北部のアタカマ砂漠で1500年前に埋葬されたミイラ約100体について調べたところ、アイヌ民族のものと同じ系統のウイルスをもっていたことがわかりました。このことから、この移住は数千年以上前に行われたものと推定され、南米先住民とアイヌ民族は、同系統の祖先から分かれたことが、類推されます。
(以上、歴史 REALWEB第17回、18回参照)
少し難しい話になりましたが、ようは
”HTLV-1からみると、南米アンデス地方に住む先住民は、縄文人と祖先が同じ”
というこです。
では、この事実を、どう解釈するかです。
普通の解釈であれば、「南米先住民は、古代に東アジアからベーリング海を経て、北アメリカへ行き、そこからさらに南下したきたのだ。」となります。
しかし、もしそうであるなら、なぜ中米のカリブ海沿岸やパナマの人たち、また同じ南米先住民でも、なぜ、太平洋側であるアンデス地域だけ集中し、他のカリブ海沿岸、アマゾン熱帯雨林、パタゴニアなどの先住民は感染していないのか、不自然です。
いろいろ理由は、考えられると思います。たとえば、「その地域の人たちも昔は感染していたが、移動したか、絶滅したか、他の民族が入ってきて、薄まったのだ。アンデスの人たちは、他の地域との交流もなかったから、感染したままだったのだ。」などです。
もちろん、そういった可能性もあるでしょう。ただし、やや無理筋に聞こえます。
しかしそうではなくて、ごくごくシンプルに
「縄文人が舟で渡ってきたから」
と考えることもできるのではないでしょうか?。そのように考えれば、すっきりとします。
そして、もう一つの科学的検証結果を紹介します。
1980年、ブラジルの奇生虫研究の専門家グループ、アラウージョ博士等による共同報告がされました。それによると、
”南米の北・中部に分布する、モンゴロイドのミイラには、その体内もしくは野外に「糞石」が化石化して存在する。その中の(同じく化石化した)寄生虫に対して調査研究を行った。その結果、それらの寄生虫はアジア産、ことに日本列島に多い種類のものであることが判明したのである。この寄生虫は寒さに弱く、摂氏二十二度以下では死滅する。従って通常考えられやすい「ベーリング海峡〈ベーリンジヤー)経由ルート」では不可能である。事実、シベリアやアラスカ等には、これらの寄生虫を「糞石」の中に見いだすことはできない。従って残された可能性は、エヴァンズ夫妻等によって提唱された「日本列島→南米西岸部(エクアドル)」の黒潮(日本海流)ルートによると考えざるをえない。”これが、共同報告の結論であった。その放射能測定値は、はじめ「3500年前」頃(縄文後期)と伝えられたが、1995年、わたしの手元に到着した、アラウージョ博士の三十余篇のリポートによると、その時期は右の前後(縄文中期-弥生期)にかなりの幅をもつようにみえる。スペイン語等の論文もふくんでいるから、今後、各専門家の手によって、より詳細に確認したいと思う。 いずれによ、右のような「縄文時代における、日本列島から南米西岸部への、人間渡来」というテーマが、その共同報告の帰結をなしていることは疑いがたい。”
(「海の古代史」(古田武彦著)より)
少し解説を加えると、古代インディオの糞のなかに発見された化石化した寄生虫は、コウチュウ(鉤虫) でした。コウチュウとは、
”十二指腸虫とも呼ばれ、亜熱帯から熱帯にかけて、広く分布する。戦前までは日本中で症例が多数みられた。感染時にかゆみを伴う皮膚炎を起こす。幼虫の刺激により咳・咽頭炎を起こす。 重症の場合、寄生虫の吸血により軽症~重症の鉄欠乏性貧血を起こす。
ヒト-ヒト感染はない。糞便とともに排出された虫卵が適切な条件の土壌中で孵化し幼虫となる。通常裸足の皮膚から浸入し、肺、気管支、喉頭を経て消化管に入り、小腸粘膜で成虫となり、排卵を開始する。生野菜、浅漬けから経口感染することもある。(Wikipediaより)
ちなみに、コウチュウとは、「鉤虫」との名前の通り、「小腸に鉤を引っかけて」 宿主から吸血しながら寄生します。ですから、足の皮膚から、人に侵入できるわけです。
何で、ここまで詳しく書いたかというと、ここにきわめて重要なポイントがあるからです。それは、「人から人への感染はない。」ことです。ある人の体内にコウチュウがいても、いきなり他人には寄生せず、一度卵が体外に排出される、という過程を経る必要があります。当然、外界の環境がコウチュウに適したものでなければ、コウチュウも繁殖できません。
コウチュウは、熱帯から亜熱帯にかけて棲息していますから、暑さには強い一方、寒さにはたいへん弱いわけです。ですから、寒い地域では、棲息できません。
このようなコウチュウを体内にもった古代人が、代々を経ながら東アジアから北上しベーリング海をわたり、北米大陸にたどり着き、南下して南米に住み着いたとしても、子孫である彼ら古代インディオの体の中にアジア産のコウチュウがいることは、ありえません。したがって、彼らの祖先は、ベーリング海を渡ってやってきたのではない、ということです。
では、どうして、古代インディオに、アジア産コウチュウが寄生していたのでしょうか?。
答えは、ひとつしかありません。別ルートでもたらされた、ということです。そうなると、「太平洋を舟で渡ってやってきた」という説が、最も有力な仮説となります。
話はそれますが、”コウチュウ感染率が高い地域では花粉症や喘息などのアレルギー症状が確認できないと多くの学者が報告している”との話があり、アレルギー症状の改善につながらないかを研究している学者もいます。古代より人間とのかかわりが深い寄生虫だからこそ、ということが関係しているのかもしれませんね。
縄文人が南米へと渡ったルートの想定図です。みなさんは、どちらのルートを通ったと考えますか?。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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