謎の国々は実在したか?(8) ~ 裸(ら)国・黒歯(こくし)国の正体
話を再び「魏志倭人伝」に戻します。そのなかの、裸(ら)国・黒歯(こくし)国がエクアドルにあった国であることはお話しましたが、その痕跡は残っているのでしょうか?。
ここで興味深い話を紹介します。「海の古代史」からです。
”裸国について ーー先つ裸国の位置は倭人伝によって船行で達するところ即ち海岸でなければなりません。と致しますとこれに該当する裸族は南米の太平洋岸にはおりません。然し百年か百五十年ほど以前には、いたらしい形跡はあります。パサードス附近では父が見たとか、祖父が見たとか云う人が今でもおります。スペインの征服時代まで遡ると可成の部族がいた事実があります。カベサ・デ・バルボアのミセラニヤアンタルティカのキート版によれば、その裸族はパサードスと呼ばれてパサード岬(CABO DE PASADO)の海岸に住んでいました。フランシスコ・ピサロは彼等を船に招待し、そのうちの二人を欺いて捕虜にし連れ去っています。〔パサード岬は裸人の岬として知られ、メガースの(COSTAL ECUADOR)の地図にも載っています。また別使でお送りしたエクアドルの地図にも出ています〕
他に裸族はアンデス高原には大部族をなしておったようであります。シエサ・デ・レオンの書いたラ・クロニカ・デル・ペルーにはインカ皇帝ワイナカパックは裸族との戦争で部将を討たれたあと、これを力攻めにすることの不利を覚って軍隊に退却を命じたと云っています。猶、アマゾンには現在も多くの裸族が住んでおります。
黒歯国についてーー 国とは云えない小部族ですが、黒歯の部族ならまだおります。カヤパス族と呼ばれる種族であります。男は袖の無い長いシャツを着、女は上半身裸で腰巻きをしめ植物の実で造った首飾りをつけます。彼等は砂金の所在を知っているらしいが金製品は絶対用いません。ウイト(HUITO)と云う木の豆をもって歯を黒く染める習慣があります。然しこれは化粧の為めでなく歯を丈夫にする為めだそうです。彼等は農業を致しません。家の軒先にバナナとユカ(YUCA)の一・二株があるだけです。生活を支えるものは漁業ですが網も釣針も持たず括りで漁をしています。弓も用いません。吹き矢を使っています。
彼等は如何なる道具を使うか独木舟造りの名人であります。現在エクアドル海岸にある凌波性に富んだ優秀な独木舟は皆カヤパス族の造ったものであります。増水期になると彼等は独木舟に売物の独木舟を積みあげてカヤパス河を下って来ます。この場合舟を漕いでいるのは常に女です。 彼等は舟をボルボンの村で安い値段で売り、高い値段で買物をし、それからラ・トーラ附近の海岸の島に行って仮小屋を建て幾週間か停って牡蛎を飽食して帰って行きます。
彼等は自分が必要によって行動する時は文明と接触しますが、一、二度その住居あたりに人が現われると早速何処かへ移転して終うほど接触を嫌がります。彼等は宿を乞われても泊めない許りでなく食を乞われて与えず溺れても救いません。然し危害を加えることはありません。社交性はないが蛮人ではありません。人口は減少しています。カヤパス全体で一〇〇〇人を余り多くは出ないと云われています。 カヤパス族の移動する範囲を地図に印して置きました。地図に記載はないがボルボン(BORBON)とオンソレ(RIO ONSOLE)を結ぶ河をカヤパス河と云います。此の河からリオ・サンティアゴの流域が彼等の北限で南限はリオ・アグアスーシオ(RIO AGUA SUCIO)です。此のあたりでコロラド族と境を接しているようです。
もう一つある黒歯国 ーーカヤパス族の南隣、アンデスの山麓にコロラド族がおります。彼等は体格もよく容貌も優れています。家にいる時は男女とも上半身は裸で男は短かいパンツを穿き女は腰巻をつけます。祭礼の時などには、男はスカーフを首に巻き、女はスカーフを肩にかけ前で結びます。有名なのは男の頭髪をアチョテ(ACHIOTE)と云う植物の染料で赤く染めることです。アチョテには糊分があるので髪が固ります。それを眉のあたりで切るので赤いヘルメット帽を蒙ったように見えます。そのアチョテで顔から胴体、手脚にまで模様を描きます。この為にコロラドス(赤色人)と呼ばれるようになりました。
彼等もまたウイトを用いて歯を黒く染める習慣があります。 ボルフ・ブロンバーグのECUADOR ANDEAN NOSAIC にはこのコロラドスが笑って黒歯を覗かしている写真が出ています。スペイン征服当時は大部族であったと見え、彼等の中心地サント・ドミンゴにSANTO DOMINGO DE LOS COLORADOS と云う教会が建ちました。其の後そこは発展して都会となり同時に彼等は周辺の山地に退却して終いました。現在彼等の総入口もカヤパス族と同じく一〇〇〇人前後と云われるほど減少しております。
コロラド族は定住して農業を営んでおります。豚も鶏も飼っています。漁業は致しませんが「吹き矢」を使って狩猟を致します。意外なことは彼等が皆薬草療法の医者なのであります。キート(QUITO)に招かれて大臣の病気を治した医者もいました。サント・ドミンゴの町にサラカイ(SARACAY)と云う病院がありますが、それはコロラド族の名医の名をとってつけたものであります。カヤパス族には医者も呪術師もいません。彼等は病気になるとコロラド族のところへ家族ぐるみ引越して来て治療を受けます。治療費食費は払われないようです。此の風習は二つの種族が嘗(かつ)て一つの黒歯国を形成していた事を想像させるものがあります”
エクアドル地図です。

エクアドルとは、スペイン語で「赤道」という意味のとおり、赤道直下にあるのですから、裸で暮らすことができるわけです。かつては裸で暮らす部族がおり、大部族だったということですから、まさに「裸の国」ですね。
また、歯を黒く染める部族は、今でもいるわけで、かつては大きな国を形成していた可能性はあります。
彼らが、”独木舟造りの名人”であることも、縄文人や東南アジア人と共通しています。
ところで、「歯を黒く染める」と言えば、日本でも、「お歯黒」を連想しますね。「お歯黒」とは、
”明治時代以前の日本や中国南東部・東南アジアの風習で主として既婚女性、まれに男性などの歯を黒く染める化粧法のこと。”
であり、弥生時代には始まっていた、とも言われてます。
”初期には草木や果実で染める習慣があり、のちに鉄を使う方法が鉄器文化とともに大陸から伝わったようである。”(Wikipediaより)
とあり、古代には、植物を使って染めていたところなどは、共通してますね。
子供のころ、「お歯黒」の話を聞いたときは、「何でわざわざそんなことをするのだろう」と思ってましたが、、
”きれいに施されたお歯黒には、歯を目立たなくし、顔つきを柔和に見せる効果がある。谷崎潤一郎も、日本の伝統美を西洋的な審美観と対置した上で、お歯黒をつけた女性には独特の妖艶な美しさが見いだされることを強調している。また、歯科衛生が十分に進歩していなかった時代には、歯並びや変色を隠すだけでなく、口腔内の悪臭・虫歯・歯周病を予防する効果があった。お歯黒は、江戸時代以前の女性および身分の高い男性にとって、口腔の美容と健康の維持のため欠かせないたしなみであった。” (Wikipediaより)
とあります。
また、お歯黒は「引眉(ひきまゆ)」ー眉毛を抜いたあと、おでこに眉を描くこと、とセットで行われたとのこです。能面にみられますね。
<女面 「増女(ぞうおんな)」 江戸時代 >

(東京国立博物館蔵(金春家伝来))
さらに古い時代の顔といえば、源氏物語絵巻(平安時代)でわかります。

いずれも、お歯黒、引き眉ですね。現代人の感覚からすると、とても美人という風には見えませんが、当時の人にとっては美人だったのでしょう。”「美」に対する観念も、時代によって大きく変わる”ということですね。
話を元に戻します。
現代でも、この「お歯黒」の習慣は、世界の少数民族に残ってます。中国雲南省、ベトナム、ラオス、タイ、アイヌなどです。これに、上記の南米アンデス山地となります。
つまり、太平洋を挟んだ東側と西側に集中しています。これは、単なる偶然でしょうか?。それとも、東アジア、東南アジアからの「伝播」なのでしょうか?。伝播だとすると、どのようなルートで伝わったのでしょうか?。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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