fc2ブログ

日本人はどこからやってきたのか?(5) ~ 男系の移動ルート①(C系統)

前回、男性のみもっているY染色体DNAのうち、現代日本人に多いものとして、C系統、D系統、O系統が多いことを、お話しました。いずれの系統も、アフリカ起源ですが、ではそれぞれ系統は、どのようなルートで日本に伝わったのでしょうか?。ひとつずつ見ていきます。


まずC系統です。C系統は、祖型(もともとの形)であるC*系統をもった人々がアフリカからインドにやってきたとみられます。そこから二つに分かれ、ひとつはインドシナ半島を経て、南東のインドネシア東部まで進み定着して繁栄、パプア・ニューギニアでは、C2系統に分岐、オーストラリアには、祖型のC*系統が伝わりました。

もう一つは、インドシナ半島でC3系統に分岐、北上して、中国を経てバイカル湖周辺に進出、そこからシベリアで大いに繁栄したと推定されます(Karafet et al.2002)。そこから、アメリカ大陸まで達したグループや、西に進み、中央アジアへも達したと推定されます。

そして、われわれ日本には、そのC3系統のうち、シベリアからサハリン経由で来たグループと、朝鮮半島経由できたグループがあったと想定されます。

<Y染色体DNA  C3系統分布図>
Y-DNA C3  
(Wikipediaより、なお最近の分類変更によりWikipediaではC2と表記)


現代人での分布をみると、シベリアが多く、特にバイカル湖付近が多いことがわかります。また中央アジア、それに北米に多いですね。そして日本にも北海道、九州をはじめ分布していることがわかります。アイヌに多いことも特徴です。



もうひとつ、日本人にとって特筆すべき系統C1があります。実はC1系統が確認されているのは、世界中でも日本列島だけです。インドの集団から直接日本列島の集団から分岐したことが推定されます(Hammer et al.2006 )が、どのようなルートで日本列島にやってきたのかが、よくわかっていません。航海術と貝文(かいもん)土器を携えて新石器時代早期に日本列島の南部に達した貝文文化の民との関連が注目されます。沖縄に比較的多いことが特徴です。

Y-C移動ルート  

なお時代については、図全体について、「後期旧石器時代晩期から新石器時代早期」とありますが、具体的な年代は定かでありません。

■後期旧石器時代が 3.5~1万年前頃

■新石器時代が   1万年前(もしくは1.5万年前)頃~

とされてます(説によってかなりの幅がありますが)ので、日本到達は、2万年前~1万年前にかけて、といったところでしょうか。

ただしC1系統については、インドで早期に分岐し日本に直接到達したことが推定されるので、さらに時代がさかのぼる可能性があります。Wikipediaによると、4.2万年前に日本列島で誕生した、との説もあります。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
↓なるほどと思ったら、クリックくださると幸いです。皆様の応援が、励みになります。 

にほんブログ村 歴史ブログ 考古学・原始・古墳時代へ
にほんブログ村

日本史 ブログランキングへ

スポンサーサイト



テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

非公開コメント

No title

突然失礼します。C1系統がインドで四万年前に分離したとしてC1A2がなぜ欧州で僅かに見られるのでしょうか?C1A1とC1A2が四万年前に分離したとするのは無理があります。C1系統はどこかにいて西と東の端に別れたと考えないと説明がつきません。遺伝子の近さから分離は1〜2万年くらい前でないと説明がつかないのでは?日本で誕生したと断言できないと思います。今の所説明がつかないとした方がいいですよね。

Re: No title

遺伝子の話題について、専門的なコメントが続きますね。関心をもっている方が多いということでしょうか?。
ご指摘の件ですが、本文は話を簡単にするために簡略化して書いてます。本文中のC1とはC1a1のことです。近縁のC1a2が日本からはるかに遠いーロッパで、わずかながらとはいえ確認されるのは、興味深いですね。さらに、”インドやアラビアなどに散見されるC1b1(M356)、インドネシア東部からメラネシアおよびポリネシア、オーストラリアの先住民アボリジニに多く見られるC1b2(B477)との共通祖先C1にたどり着く。”(Wikipediaより)。とあります。
いずれにしろ”ハプログループC1a1(M8)は日本列島固有であるため、日本列島で誕生したことは確実と思われるが、その祖型の移動ルートは謎に包まれている。”(同上より)とある通りです。誕生時期についても、12000年前と、42000年前との説に分かれます。
現在、別の専門書を読んでますが、彼によれば、”人類の出エジプトは一回で、しかも南ルートから、そこからインド近辺まで進み、そこからアジア、ヨーロッパへ拡散した”との説です。これもまた興味深い説です。
ようは様々な説があり、確たることはわかっていない、というのが現状のようです。今後の研究成果に期待したいところですね。このテーマは、またブログでも取り上げたいと考えてます。

Re: Re: No title

<訂正>

> 現在、別の専門書を読んでますが、彼によれば、”人類の出エジプトは一回で、しかも南ルートから、そこからインド近辺まで進み、そこからアジア、ヨーロッパへ拡散した”との説です。これもまた興味深い説です。

”出エジプト”ではなく”出アフリカ”でした。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



最新記事
最新コメント
読者登録
メールで更新情報をお知らせしますので、こちらに登録ください。
メルマガ購読・解除
図とデータで解き明かす日本古代史の謎
   
バックナンバー
powered by まぐまぐトップページへ
月別アーカイブ
カテゴリ
おすすめ
twitter
amazon business
おすすめの本
ブロとも一覧

アアト日曜画家

魏志倭人伝その他諸々をひもといて卑弥呼の都へたどりつこう

☆☆ まり姫のあれこれ見聞録 ☆☆&

中国通史で辿る名言・故事探訪

幕末多摩・ひがしやまと

客船の旅

黒田裕樹の歴史講座

しばやんの日々

Paradise of the Wild bird…野鳥の楽園…
更新通知登録ボタン

更新通知で新しい記事をいち早くお届けします

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR