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日本人は、どこからやってきたのか?(6) ~ 男系の移動ルート②(D系統)

今回は、Y染色体DNAのD系統を追跡します。

D系統の祖型DE*はアフリカにあり、その後D系統とE系統に分化します。E系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東に広く分布してます。それに対して、D系統は、ユーラシア大陸東部に分布してます。

D祖型系統の分岐時期は、13000年前とみられます。アフリカを出た後、ユーラシア大陸を東に移動したようです(Thangaraj et al.2003)。その後、東南アジアを経て北上し、中国華北から一部はモンゴルに到達したようです(Weale et al.2003)。その後、さらに華北から朝鮮半島を経て、日本列島に渡ってきたことが推定されます。また華北から一部は、チベットへ達したことが推定されてます(Su et al.2000,Wen et al.2004)。

なお、前回お話したC系統でみられたサハリン経由で北海道にいたるルートについては、シベリアでD系統はほとんどみられないことから、崎谷氏は「可能性は低い」としています。

時代についても、新石器時代(8000年前~)晩期までとしており、C系統より新しいものとしてます。
なお日本列島に、38000~37000年前には到達していたとの説もあります(Wikipediaより)。


D系統は、さらにいくつかの系統に分かれます。D2系統は、日本列島に高い集積がみられ、他の地域にはみられないという、たいへん特異的な系統です。また、D1,D3系統は、チベットに高い集積がみられ、日本列島との何らかの関係を示しています。確かに、日本とチベットは、顔かたちがよく似ているうえ、文化的にも共通するものがある、と言われますね。


<D系統移動ルート>

Y-D移動ルート

<現代人のD系統分布図>
Y染色体DNA-D                                                         (Wikipediaより)

現代の分布が、日本列島とチベット周辺に高い比率であることがわかります。日本では、東日本や沖縄に多く、特にアイヌで高い比率であることから、縄文人の末裔と考えられます。

また、D系統は、祖型DE*から分岐したこと、そして同じくDE*から分岐したE系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東に広がっていることも注目です。このことはつまり、「日本人のD系統は、アフリカ、ヨーロッパ南部、中東の人たちと、比較的近い」ということを示していることになります。


よくちまたで、「日本人と中東の〇〇民族は同祖だ」などという話を聞くことがあります。以上のとおり、Y遺伝子から言えば確かにそれが言えるわけです。もっともD系統とE系統が分岐したのは、時代的にはかなり古いです(D祖型の分岐は13000年前、Wikipediaによれば60000年前)。一方「日本人〇〇同祖論」の場合は数千年前に分かれたとしているわけで、同祖から分かれたとされる時代よりかなり新しいなど、同祖論が正しいと断定するまでには慎重な検証が必要でしょう。


また、祖型のDE*系統から分かれたのは、日本人特有のD2系統だけではなく、D1,D3系統もあり、多くの人々が東アジアに存在してます。それらの人々もすべて「同祖」というのか、などの指摘も出るでしょう。さらにもっと言えば、「同祖」というなら、もとをたどればすべての人類はY系統から枝分かれしているわけで、そうなると「そもそも何をもって「同祖」というのか」ということにもなってきます。そのあたりの定義づけを明確にしないと、水の掛け合いのような議論になってしまいがちなので、注意が必要だと考えます。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

いつも不思議に思うのですが祖型のDEというのはどこ行っちゃったんでしょうね?絶滅したのかな?
絶滅したのならなぜ祖型がいつも絶滅して新しくできた方が残るんだろう?
よほど生存能力に差があるのだろうか?

Re: No title

jiigさま
コメントありがとうございます。
専門的に勉強され、かつまた深い問題意識をおもちの方と推察します。
祖型DEですが、現代のチベットとナイジェリアなどの西アフリカで、わずかながら確認されています。またDの祖型D*は、インド東部の、アンダマン諸島で、確認されてます。(以上、Wikipediaより)。
ただし、両系統とも、新たに分岐したD、E系統に比べれば、数は極めて少ないわけで、つまり、新しいD,E系統のほうが強い、ということです。ここで、「それがなぜなのか?」との疑問が浮かびます。
ここからは、現段階での仮説です。
祖型より新たに分岐した系統は、突然変異して生まれた系統ですが、突然変異というものは、ただ単に偶然から起こるのではなく、種をよりよく保存繁栄させる方向に向かうのではないか?、というものです。このように考えれば、当然新たに生まれた系統は、元の系統に比べ、より環境に対応し、また生存競争に打ち勝つ能力が高くなるので、より繁栄する理由づけができます。
この説を実証するには、相当の検証が必要でしょうが、実際、今でもこのように唱える学者も出ているようです。
あたかも「神の見えざる手」で導かれているようですね。

No title

そうすると最も新しいRのヨーロッパ人とかOの中国人なんかが一番優れた人種という事になるけど、確かにずるがしこいな。
こいつら一番しぶとそうだ。

Re: No title

jiigさま
私の表現が足りなかったかもしれませんが、新しい系統が優れているということではありません。あくまで環境の変化に適応すべく変異した可能性がある、という趣旨です。念のため・・・。

No title

いやでも結構当たってるかもしれない。
中国人やヨーロッパ人は体格が大きいし知恵もある。
だから縄文人(C,D)は弥生人(O)に技術とか教えてもらったわけだから。

Re: No title

> だから縄文人(C,D)は弥生人(O)に技術とか教えてもらったわけだから。

弥生人が、さまざまな技術をもってきたことは、確かでしょう。では、縄文人は教わるだけだったのか、と言えば、そんなことはなかったと考えます。続きはいずれお話しします。
プロフィール

青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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