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日本人は、どこからやってきたのか?(16) ~ ”日本列島→大陸”の移動はなかったのか?

ここまではるか古代より長い年月をかけて、大陸から日本に多くの人々がやってきて、縄文人、弥生人、そして現代日本人を形成してきた、という話をしてきました。そして最新の研究によると、縄文人は、東南アジア人や北東アジア人とは異なり、それより古い時代に分岐した特異な民族である可能性が出ています。

ところで、もしかして皆さんのなかに、こういった疑問をもたれた方はいないでしょうか?

「人々が、日本から大陸へと渡っていったことは考えられないのだろうか?」

これまでの話はすべて、「大陸→日本列島」でした。というか、あたかもそれが前提のように考えられてきました。

確かに、大多数はそのような移動によって、日本人が形成されてきたのかもしれません。

しかしながら、それだけでは解釈できない事柄が多数あります。縄文人が、東南アジアや北東アジアのなかでも、古い民族である可能性があることも、その一つです。

実際、それを示唆する資料もあります。一例ですが、一人一人のDNAを分析して、その個人の祖先をたどることができるデータを提供する、「Family Root DNA」という機関があります。その機関が発表している、Y染色体DNAの世界分布と移動を表したMAPがありますので、紹介します。
Family tree DNA Map  
このMAPを見ると、確かに、縄文人を構成したとみられるD系統、C系統とも、東南アジアのスンダランドから直接やってきたように描かれてます。この数回でお話した、「新・海上の道」と同じルートです。そして、日本列島から大陸へと渡っていったように描かれています。

このように、学説においても確たるものはない、というのが、実際のところです。それもいたしかたないところであり、遺伝子研究はまだ始まったばかり、というのが実態だからです。ここで、これ以上あれこれ考えても結論が出そうもないので、少し視点を変えます。

ここでは、古代人が遺したものを手掛かりにしていきます。

古代人が遺したもの、たとえば石器や土器の分布をみれば、文明の流れがわかります。具体的には、世界各地域で同様なものが発生した年代がわかれば、より古い時代に発生した地域から、より新しい時代に発生した地域への文明の伝播があった可能性がある、と言えます。そして、文明の伝播があったということは、人の流れも、同じようにあったと推定できます。単なる製作技術の伝播のみならず、製作者の移動もあったと考えられるからです。

では、みていきましょう。まずは、磨製石器です。

石器には、大きく分けて「打製石器」と「磨製石器」があると、学校の歴史の授業で習いましたよね。
・「打製石器」とは、石器同士あるいは、道具を使用して打ち叩くことによって、剥片をはいで道具として使用するのにかなった形に成形する石器
・「磨製石器」とは、石器を、さらに他の石材で擦ることにより磨いて凹凸を極力なくした石器をさす。使用石材が堅密なものの場合は光沢があり、きわめて鋭利なものとなる。また、凹凸が少ないため抜き取りがスムーズであり、何度も繰り返して使用するのに適している。石皿・磨石・石斧・石錐・石棒・石剣などがある。(Wikipediaより)

ですから、「打製石器」は原始的であり、「磨製石器」は、「打製石器」を発展させたもの、と言えます。当然、「磨製石器」の方が、時代は新しくなります。

ちなみに、石器時代の区分として、
・旧石器時代 200万年前~1万年前
・中石器時代  1万年前~8000年前
・新石器時代  8000年前
の三つがあります。
 
このうち"新石器時代"の指標として、「磨製石器」の出現があります。つまり、「磨製石器」は、8000年前に出現した、とされているわけdす。ただし実際には中石器時代に当たる紀元前9000年に北西ヨーロッパや西アジアで局部磨製石器が出現しています。

いずれにしろ、「磨製石器」の出現は、1万年前より新しい、とされています。

ところがです。

日本列島には、それをはるかにさかのぼる古い「磨製石器」が、数多く出土しているのです。それも、”少し古い”といったレベルではありません。

なんと、4万年前~3万年前という、とてつもなく古い「磨製石器」です。しかも出土地は、全国各地に分布しています。

ここで、「局部磨製石斧(きょうくぶませいせきふ)」をみてみましょう。「局部磨製石斧」とは、
”刃先に磨きをかけた石斧のことである。大形獣の狩猟や解体、木の伐採や切断、土掘りなど多目的に用いられたと推定される。 石材は、黒曜石、珪質頁岩、チャート、サヌカイト、ガラス質安山岩などを利用している。”(Wikipediaより)

この分布を、世界および日本列島でみてみます。(「黒潮圏の考古学HP」(小田静夫、元東京都教育庁文化課職員)より」
磨製石斧分布図 

斧形石器は現在北海道から九州、奄美大島まで約135カ所の遺跡で約400点出土しています。

一方、外国では、”オーストリアのヴォレンドルフ遺跡出土の約2万5000年前の全面磨製石斧があるのみで、他にロシアのコスチョンキ(約1万4000年前)、アフォントヴァゴラ(約2万年前)オーストラリアのナワモイン(約2万1500年前)、マランガンガー(約2万9000年前)からの報告がある。
コスチョンキ出土資料は製作時に磨いたのか使用痕によるものなのかをめぐって日本国内でも論争が起こった。アフォントヴァゴラの資料は表面採集資料である。オーストラリアの2例は溝部をもつ例として報告されているが、石器実測図からは研磨部分を読み取ることは難しい。”(Wikipediaより)

なぜ外国では、「磨製石斧」がほとんど出土していないのか?。大型動物を捕獲、料理したり、木を伐採するのに必須だったはずです。”のちの氷河期にはいり、氷河で流されてしまった、あるいは海面上昇により遺跡が埋没した”、などとも考えられますが、それなら他の遺跡、遺物もすべて流されり、消えてしまうはずです。

自然に考えれば、”日本列島に住んでいた人々が、世界で最も早く発明した。”ということになります。

ほとんどの日本人が知らない事実ですが(かくいう私も知りませんでした・・・)、びっくりです。また、にわかには信じがたいですね。しかしながら、少なくとも現時点における考古学上の成果からは、そのように考えざるをえません。

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青松光晴

Author:青松光晴
古代史研究家。理工系出身のビジネスマンとして一般企業に勤務する傍ら、古代史に関する情報を多方面から収集、独自の科学的アプローチにて、古代史の謎を解明中。特技は中国拳法。その他、現在はまっている趣味は、ハーブを栽培して料理をつくることです。
著書です。



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